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#14

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 久峩耳シロはうっかり永久凍土に足を踏み入れただけでなくネリット族に助けてもらい歓迎され、まさか名付け親の一人にまでなるとは思っていなかった。
 今後の事を色々と考えながら二度目の食事を終えると風呂を勧められ、二日分の汗と垢を流しダイニングに戻ると屋外は昼の様子と打って変わった吹雪。強風が窓を鳴かせ雪のぶつかるパチパチという微音が室内に響いている。反面屋内は暖炉の火で十分に暖かく、壁の向こうとはまるで別世界のようだった。

「それじゃあ俺は借りてる家があるからお暇させてもらおう」
「この雪の中をかい?うちは部屋も余っているし一日ぐらい泊っても全然かまわないよ?」

「そうだよ。泊って行きなよ、お母さんも良いでしょ?」
「気持ちは嬉しいがそうはいかねーんだ。俺の一族は貰った物や借りた物を絶対に粗末にしない。貰った食い物は腐る前に食えばいいし薪も余ったら誰かにあげちまえるが、宿は扉をくぐらないといけないからな。飯も美味かったし色々な話が聞けて楽しかった。ありがとな」

 親子が引き留めようとしたが彼女の意思は固く、決して譲らないというのだから仕方なく一家は了承する。
 しかしせめてこれぐらいはと父親は食い下がった。

「じゃあせめて送らせてもらえないかい?慣れない夜道は迷いかねない。タローが付いていればその心配もなくなる」
「何から何まですまないな。じゃあ少しだけ相棒を借りていいか?」

「僕、じゃなかった、あたしも一緒に」
「リオンは駄目よ。女になったんだから夜は出歩いちゃいけないの」

 唇を尖らせてぶー垂れる少女を尻目に名を呼ばれ出番を察した犬は、シロの傍らに寄ると村はずれまで送る相手の顔を見上げながら任せろと言わんばかりにワフッと小さく吠えた。

「じゃあな」

 シロは入り口脇の重厚な木製コートラックに掛けていたパーカに腕を通して貰った食料袋を提げ、薪も忘れず背負ってから屋内に振り返って声を掛ける。風で酷く重たくなった扉を開くと吹雪の勢いがより鮮明になり、それは吹雪の前に猛を付けた方がよりしっくりくる有様だった。よく風を表現する擬音にビュービューという言葉が用いられるが目の前のそれはそんな可愛らしいものでなく、ブオーブオー或いは轟轟という滝のような表し方の方が適切である。
 後ろ手に離した扉が意図せず勢いよく閉まり、大きな音を立てた事を申し訳なく思いながら行く末に目を向けると、先に飛び出していたマラミュートのくるんと巻いた尻尾が嬉しそうに揺れていた。

「おめーは元気だな。あったけー家ん中にいるよりも外の方が嬉しそうじゃねーか」

 彼の感情によるものかそれとも吹雪によるものなのかは分からないが、揺れる太い尻尾はいっそう勢いと幅を増す。さながら口にせずともわかってくれて嬉しいと返事をしているかのようだ。
 村長に借りたアザラシのブーツのお陰で元のサンダルよりずっと歩きやすくはあったが、いかんせん雪国での生活経験のない彼女は一歩一歩雪を踏みしめながら進む。家に招かれてから数時間というのにすっかり道は雪に覆われており、ほんの十数分の道のりにも関わらず遭難しかねないという大袈裟な彼らの言い分が正しい事を体感した。

 シロはガス灯の光を反射するタローの尻尾が無ければ本当にそうなっていたかもしれないと何度目かの感謝をし、雪道をぎゅっぎゅと押し固めながら行くと程なくして今朝巣立ったばかりのカマクラ近くにある家に辿り着いた。いくつも付けられているパーカの内ポケットの一つから鍵を取り出し、寒さと風にカタつく鍵先を何度か目標を外しながらやっと鍵穴に的中させ捻る。
 手袋越しに伝わる重たい錠の開く感触。
 女は雪国で暮らす者の苦労に苦笑し、ようやく数日過ごす宿の中へと身を踊り込ませることに成功した。

 礼をしようと女が振り返ると犬は挨拶をするように大きく吠え足を返し始めていたので急いで声を掛けて引き留める。玄関に降ろしたばかりの袋から干し肉を一枚投げてやると、犬はそれを咥えてまた嬉しそうに尻尾を振りながら今度こそ吹雪の奥へ消えて行った。



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みんなのリアクション

 久峩耳シロはうっかり永久凍土に足を踏み入れただけでなくネリット族に助けてもらい歓迎され、まさか名付け親の一人にまでなるとは思っていなかった。
 今後の事を色々と考えながら二度目の食事を終えると風呂を勧められ、二日分の汗と垢を流しダイニングに戻ると屋外は昼の様子と打って変わった吹雪。強風が窓を鳴かせ雪のぶつかるパチパチという微音が室内に響いている。反面屋内は暖炉の火で十分に暖かく、壁の向こうとはまるで別世界のようだった。
「それじゃあ俺は借りてる家があるからお暇させてもらおう」
「この雪の中をかい?うちは部屋も余っているし一日ぐらい泊っても全然かまわないよ?」
「そうだよ。泊って行きなよ、お母さんも良いでしょ?」
「気持ちは嬉しいがそうはいかねーんだ。俺の一族は貰った物や借りた物を絶対に粗末にしない。貰った食い物は腐る前に食えばいいし薪も余ったら誰かにあげちまえるが、宿は扉をくぐらないといけないからな。飯も美味かったし色々な話が聞けて楽しかった。ありがとな」
 親子が引き留めようとしたが彼女の意思は固く、決して譲らないというのだから仕方なく一家は了承する。
 しかしせめてこれぐらいはと父親は食い下がった。
「じゃあせめて送らせてもらえないかい?慣れない夜道は迷いかねない。タローが付いていればその心配もなくなる」
「何から何まですまないな。じゃあ少しだけ相棒を借りていいか?」
「僕、じゃなかった、あたしも一緒に」
「リオンは駄目よ。女になったんだから夜は出歩いちゃいけないの」
 唇を尖らせてぶー垂れる少女を尻目に名を呼ばれ出番を察した犬は、シロの傍らに寄ると村はずれまで送る相手の顔を見上げながら任せろと言わんばかりにワフッと小さく吠えた。
「じゃあな」
 シロは入り口脇の重厚な木製コートラックに掛けていたパーカに腕を通して貰った食料袋を提げ、薪も忘れず背負ってから屋内に振り返って声を掛ける。風で酷く重たくなった扉を開くと吹雪の勢いがより鮮明になり、それは吹雪の前に猛を付けた方がよりしっくりくる有様だった。よく風を表現する擬音にビュービューという言葉が用いられるが目の前のそれはそんな可愛らしいものでなく、ブオーブオー或いは轟轟という滝のような表し方の方が適切である。
 後ろ手に離した扉が意図せず勢いよく閉まり、大きな音を立てた事を申し訳なく思いながら行く末に目を向けると、先に飛び出していたマラミュートのくるんと巻いた尻尾が嬉しそうに揺れていた。
「おめーは元気だな。あったけー家ん中にいるよりも外の方が嬉しそうじゃねーか」
 彼の感情によるものかそれとも吹雪によるものなのかは分からないが、揺れる太い尻尾はいっそう勢いと幅を増す。さながら口にせずともわかってくれて嬉しいと返事をしているかのようだ。
 村長に借りたアザラシのブーツのお陰で元のサンダルよりずっと歩きやすくはあったが、いかんせん雪国での生活経験のない彼女は一歩一歩雪を踏みしめながら進む。家に招かれてから数時間というのにすっかり道は雪に覆われており、ほんの十数分の道のりにも関わらず遭難しかねないという大袈裟な彼らの言い分が正しい事を体感した。
 シロはガス灯の光を反射するタローの尻尾が無ければ本当にそうなっていたかもしれないと何度目かの感謝をし、雪道をぎゅっぎゅと押し固めながら行くと程なくして今朝巣立ったばかりのカマクラ近くにある家に辿り着いた。いくつも付けられているパーカの内ポケットの一つから鍵を取り出し、寒さと風にカタつく鍵先を何度か目標を外しながらやっと鍵穴に的中させ捻る。
 手袋越しに伝わる重たい錠の開く感触。
 女は雪国で暮らす者の苦労に苦笑し、ようやく数日過ごす宿の中へと身を踊り込ませることに成功した。
 礼をしようと女が振り返ると犬は挨拶をするように大きく吠え足を返し始めていたので急いで声を掛けて引き留める。玄関に降ろしたばかりの袋から干し肉を一枚投げてやると、犬はそれを咥えてまた嬉しそうに尻尾を振りながら今度こそ吹雪の奥へ消えて行った。