表示設定
表示設定
目次 目次




#9

ー/ー



 少年がこっそり廊下へ続く扉を開き踏み出すとリビングでは机に突っ伏して眠る母がおり、対面の父は副業の狩猟で使うライフルの手入れをしていた。暖炉の木の爆ぜる音に混じるかすかな物音に気づき、二階の床を軋ませた原因を見上げた父の目がライアンを捉えると、ほっと息を吐いてもう安心だと告げる。

「ククウェアは夜しか動かないからもう安心だ。それにしても母さんからは寝坊助で困っていると聞いたが、陽が昇る前に起きるなんて偉いじゃないか」
「もう大人だからね」

「流石に少し気が早い。まだ十四じゃないか」
「でも九歳のタローはもう大人でしょ?」

「タローは犬、ライアンは人間。義務教育だってまだ終えていない」
「それじゃあ学校に行かなかったら一生大人になれないってこと?」

「それは、あー、とにかくまだ子供なんだから、あまり母さんを困らせないように」
「はーい」

 そんな話をしていると扉の外で屋内の様子を伺っていたのか丁度いいタイミング犬が吠えた。
 父親がタローが帰って来たようだと扉を開くと緩歩で入室し、さも一夜ぶりの再会とでもいうように父親や子供に纏わりついて喜んでみせる姿はなかなかの役者ぶりである。犬は最後に眠っている母親の元を訪れると彼女もようやく目を覚ましたようで、鬱蒼とした背中の毛を撫でながら眠たげに無事を喜んだ。

「ライアンも今日は早起きするなんて偉いわね」
「大人だからね」
「そうね。そかもしれないわね。とにかく皆無事だったんだし朝ごはんにしましょう」

 昨日食べた豪華なスープにいつものパン、それにボイルウィンナーに炒り卵にレタスを食べて外に出ようとすると、珍しく今日は屋内で過ごすことを勧められた。珍しい事もあるものだと感じながらも明るくなった空と外から聞こえ始めた子供の声を理由に、すっかり安全だから図書館に本を返しに行くと返事も聞かずに少年は飛び出す。
 返しに行くと言ってもこの村の人間はほとんど利用せず、司書は暇なので世界最後の日まで開館はしているだろうし、閑古鳥が鳴いているので貸し出し期限も得にない。別段急ぐ必要もないので借りっぱなしでも誰も咎めないのだが、何も無ければ一日一冊本を読むというのが少年のホームステイ先でのルーチンを知る両親は強く引き留めはしなかった。

「今日は借りて行かないのかい?」
「うん。今日は少し予定があるんだ」

「そうかい。新聞によるとこれから何日か吹雪くようだから、来館する時は気を付けるのじゃぞ」
「吹雪いていても開いてるの?」

「この歳になると暇しかないからね。誰も来ないと分かっていても取り合えず開館して受付の椅子に座っていると、何もしていないのに何か出来ているような気持になれるものなのさ」
「そういうものなんだ。それじゃあ用事が一段落したらまた」
「ああ、またいらっしゃい。毎日17時まで開いてるからね」

 幼い頃から変わらず本の番をしている白い髭の老人は、毎年年末にだけ帰ってくる少年の数少ない顔馴染みであった。
 息子もとうの昔に巣立ち、共に皺を刻んだ妻にも昨年旅立たれた司書にとって、昼も夜もなく目の覚めている時間というものはすべからく持て余すものとなっていた。彼の息子は嫁の実家で年末を一族総出で過ごすらしく、ありがたいことに一緒にどうかと声もかけて貰えたらしいのだが、司書は妻と共に歳を重ねた家と図書館のあるこの村から離れたくないと断り一人過ごすことに決めたのだ。

 昔は新聞だけが娯楽だったがテレビやラジオ、最近はパソコンでインターネットというものもあるし一ヶ月くらいなんてことないと強がった老人であったが、人間の手で報じられる新情報を得る事の無意味さを悟った途端に虚しくなり、結局椅子に座ってぼんやりと館内の思い出に浸っていたところに現れる少年の顔は、デジタル機器から得られる最新の世界情勢よりもずっと輝いて見え、白くかすみ始めた老人の視界を彩らせた。

「子供の成長は早いのう。少し前までお母さんの膝横で手を引かれておったと思ったのに、いつの間にか儂とそう変わらん大きさになって犬と駆けて行ってしまう」

 老人は少年の後ろ姿を眺めながら呟き、幼子の成長は喜ぶべきところだと言うのに何ともしがたい寂寥感から愚痴とも取れる内容を一人ごちたことに気が付いた老人は、「いかんいかん」とまた呟きながらカウンター奥の席に戻る。
 そして気を紛らわせようと大仰な音を立てながら新聞を開き、独り言の多くなった口にいらぬことを言わぬようパイプを咥えさせた。


次のエピソードへ進む #10


みんなのリアクション

 少年がこっそり廊下へ続く扉を開き踏み出すとリビングでは机に突っ伏して眠る母がおり、対面の父は副業の狩猟で使うライフルの手入れをしていた。暖炉の木の爆ぜる音に混じるかすかな物音に気づき、二階の床を軋ませた原因を見上げた父の目がライアンを捉えると、ほっと息を吐いてもう安心だと告げる。
「ククウェアは夜しか動かないからもう安心だ。それにしても母さんからは寝坊助で困っていると聞いたが、陽が昇る前に起きるなんて偉いじゃないか」
「もう大人だからね」
「流石に少し気が早い。まだ十四じゃないか」
「でも九歳のタローはもう大人でしょ?」
「タローは犬、ライアンは人間。義務教育だってまだ終えていない」
「それじゃあ学校に行かなかったら一生大人になれないってこと?」
「それは、あー、とにかくまだ子供なんだから、あまり母さんを困らせないように」
「はーい」
 そんな話をしていると扉の外で屋内の様子を伺っていたのか丁度いいタイミング犬が吠えた。
 父親がタローが帰って来たようだと扉を開くと緩歩で入室し、さも一夜ぶりの再会とでもいうように父親や子供に纏わりついて喜んでみせる姿はなかなかの役者ぶりである。犬は最後に眠っている母親の元を訪れると彼女もようやく目を覚ましたようで、鬱蒼とした背中の毛を撫でながら眠たげに無事を喜んだ。
「ライアンも今日は早起きするなんて偉いわね」
「大人だからね」
「そうね。そかもしれないわね。とにかく皆無事だったんだし朝ごはんにしましょう」
 昨日食べた豪華なスープにいつものパン、それにボイルウィンナーに炒り卵にレタスを食べて外に出ようとすると、珍しく今日は屋内で過ごすことを勧められた。珍しい事もあるものだと感じながらも明るくなった空と外から聞こえ始めた子供の声を理由に、すっかり安全だから図書館に本を返しに行くと返事も聞かずに少年は飛び出す。
 返しに行くと言ってもこの村の人間はほとんど利用せず、司書は暇なので世界最後の日まで開館はしているだろうし、閑古鳥が鳴いているので貸し出し期限も得にない。別段急ぐ必要もないので借りっぱなしでも誰も咎めないのだが、何も無ければ一日一冊本を読むというのが少年のホームステイ先でのルーチンを知る両親は強く引き留めはしなかった。
「今日は借りて行かないのかい?」
「うん。今日は少し予定があるんだ」
「そうかい。新聞によるとこれから何日か吹雪くようだから、来館する時は気を付けるのじゃぞ」
「吹雪いていても開いてるの?」
「この歳になると暇しかないからね。誰も来ないと分かっていても取り合えず開館して受付の椅子に座っていると、何もしていないのに何か出来ているような気持になれるものなのさ」
「そういうものなんだ。それじゃあ用事が一段落したらまた」
「ああ、またいらっしゃい。毎日17時まで開いてるからね」
 幼い頃から変わらず本の番をしている白い髭の老人は、毎年年末にだけ帰ってくる少年の数少ない顔馴染みであった。
 息子もとうの昔に巣立ち、共に皺を刻んだ妻にも昨年旅立たれた司書にとって、昼も夜もなく目の覚めている時間というものはすべからく持て余すものとなっていた。彼の息子は嫁の実家で年末を一族総出で過ごすらしく、ありがたいことに一緒にどうかと声もかけて貰えたらしいのだが、司書は妻と共に歳を重ねた家と図書館のあるこの村から離れたくないと断り一人過ごすことに決めたのだ。
 昔は新聞だけが娯楽だったがテレビやラジオ、最近はパソコンでインターネットというものもあるし一ヶ月くらいなんてことないと強がった老人であったが、人間の手で報じられる新情報を得る事の無意味さを悟った途端に虚しくなり、結局椅子に座ってぼんやりと館内の思い出に浸っていたところに現れる少年の顔は、デジタル機器から得られる最新の世界情勢よりもずっと輝いて見え、白くかすみ始めた老人の視界を彩らせた。
「子供の成長は早いのう。少し前までお母さんの膝横で手を引かれておったと思ったのに、いつの間にか儂とそう変わらん大きさになって犬と駆けて行ってしまう」
 老人は少年の後ろ姿を眺めながら呟き、幼子の成長は喜ぶべきところだと言うのに何ともしがたい寂寥感から愚痴とも取れる内容を一人ごちたことに気が付いた老人は、「いかんいかん」とまた呟きながらカウンター奥の席に戻る。
 そして気を紛らわせようと大仰な音を立てながら新聞を開き、独り言の多くなった口にいらぬことを言わぬようパイプを咥えさせた。