第四十七話 君知るらめや、恋何ぞ
ー/ー
拓磨が療養のため屋敷を空けてから五日。
暁の連絡により傷の状態はかなり良いと聞いているが、拓磨が死ぬのではないかと怖くて仕方がなかった。だからできれば直接会って安心したいのだが、私は強力な結界に守られたこの屋敷の外に出ることはできない。
今、私が外に出て何かあっても、助けてくれる拓磨はいないのだ。
それに私の正体を知っている者がいる以上、不用意なことはできない。これ以上拓磨に迷惑はかけたくない。
一緒に帰りを待つ雫も、訳あって私のように屋敷の外には出られない身。
……あぁ、先日一度だけ暁と拓磨の元へ行ったのは緊急事態で例外だ。
そんな訳で、私は彼女とほぼ二人きりで暇を持て余していた。かと言って何もせずただ呆けているわけにもいかないので、今日は雫と共に屋敷の掃除を始めた。それで私は門前の水まきに来たのだ。
だが門を開けた瞬間、一人の男が目の前に突っ立っていた。
前は一緒に黒装束の男がいたが今日は一人だった。
驚いて咄嗟に門を思いっきり閉め、背中をもたせかけた。どうやら奴は私の正体を再び探りに来たらしいが、私は拓磨からこの男には関わるなと言われている。理由はよく知らない。
「関わるなだと? ほーう、僕に正体が分かると何か不都合でもあるのか?」
相変わらず嫌味な口調で食い下がってくる奴め。
嘉納蒼士――、私に言わせればただの五月蠅いだけの猿だが、拓磨と同じく割と腕の立つ陰陽師だそうだ。
「知らぬ、私は拓磨の言うことを聞くだけだ。掃除が進まぬだろう、早く帰れ!」
そう言って追い払おうとするのだが、蒼士は帰ろうとしなかった。
顔は見えぬというのに、ほくそ笑む姿が目に浮かぶ。
「あぁ分かったぞ、華葉。お前の正体は……」
その言葉に心臓が大きく脈を打つ。
どうする、蒼士にも気づかれたのか。そう言えば奴はあの雅章という男と関係があるようだし、知られていてもおかしくはないが。
顔から血の気が引くのを感じながら、私は奴の言葉を待つ。
本当に正体が割れているなら、また拓磨に知らせなければ。
「お前の正体は、高い霊力を持つ巫女であろう!?」
…………。
……はい?
「単を羽織って誤魔化しているようだが、僕の目は騙せぬぞ。あの拓磨が人を傍に置くなど、それ以外に理由は考えられぬからな。巫女ならば術を使うのも納得がいく。どうだ、黙っているのは図星か?」
何かものすごく勘違いをされているが、妖怪と知られていないだけまだ良いほうだろう。ここは奴に合わせておくべきか。
しかし私はその〝みこ〟というものが何なのかを知らない。〝タコ〟なら雫が茹でて出してくれたことはあるが。
「あぁそうだ、私は〝みこ〟だ。どうだ恐れ入っただろう、だから早く帰れ」
「ふん、開き直ったな。……拓磨の女なら口説けぬが、巫女なら問題あるまい」
後ろの方はよく聞き取れなかったが、私の正体を暴くという用事が済んだのだから、もうすぐに帰るだろう。そう思っていると門の隙間から何やら白くて細いものが差し込まれた。
反射的に刀かと思い身構えたが、よく見るとそれは折り畳まれた和紙だった。
「何だ、これは」
「受け取れ、僕はお前が気に入った。か、勘違いするなよ? 力のある巫女と見て僕が雇うと言っているのだ。人嫌いの拓磨の傍より居心地も良いはずだ」
蒼士の言っている意味が分からぬまま、私はその紙を手に取った。
それを悟った奴は鼻で笑うと「また来る」とだけ告げてようやく静かになった。足音が遠ざかったから立ち去ったようだ。
恐る恐る門を開くと、やはり奴の姿はもうそこにはなく、とりあえず胸を撫で下ろした。しかし安心するのはまだ早く、気になるのは奴から受け取った妙な紙だ。
一旦手にしていた桶を置き、それを開くとそこには文字が書かれていた。
―― おぼつかな 君知るらめや 音もなく うつろう春花の結ぶ心を ――
(知らぬであろう 音もなく散る春花のように ひっそりと貴女を想っているなど)
私は文字は読める。雫の英才教育を受けたのだ、甘く見てもらっては困る。
だから書かれている内容は分かった。
つまりこれは。そう、これはだな。
えーっと……、何が言いたいのだろう。
『つまり、これは恋の歌ですわね』
隠すことでもないと思った私は、水まきを終えて部屋に戻ると、雫にその紙を見せることにした。彼女は内容を読んだ途端に紙を持つ手を震わせていたが、大きく深呼吸をすると私を見据えてそう告げた。
恋……? と首を傾げる私に、彼女は少し頬を赤らめて咳払いをした。
『恋とは、特定の相手のことで胸がいっぱいになって、会いたいとか、ずっと一緒に居たいと思うことですわ』
「ほう、それなら私は拓磨や雫と暁のことをそう思っている。これが恋か?」
雫に詰め寄ると、彼女は少し困った顔をした。
『それは華葉が私たちを慕ってくれているだけですわ。それとは少し違うのですわよ、恋は。……まぁ、拓磨様に対してはどうかしらね』
「美月も似たようなことを言っていたな。私は雫も拓磨も好きだが何が違うのだ?」
質問攻めにする私に観念したのか、雫は手にしていた紙を広げて私に差し出すと、改めてきちんと座り直した。
『華葉が思う〝好き〟は相手を慕い、大切に思うことですわ。でも恋は、一人の異性のことを常に意識し〝己の全ても捧げても良い〟と思うほど、相手に身も心も囚われることではないかしら。華葉は拓磨様をどちらで思っておりますの?』
そう問いかけられて私は戸惑ってしまった。
私は拓磨も雫も暁も、かけがえのない大切な存在だと思っている。でも拓磨のことはそれ以上に、私が守りたいと思っているし、そのためなら命を捧げても構わない。
だがそれは拓磨が主だからというのもある。
分からない、自分にとって拓磨はどんな存在なのだろう。
「よく分からないぞ、雫」
『そうですわね、こればかりは私も教えるのは難しいですわ。きっと暁の方が分かるでしょうけど、あの子の前で〝拓磨様が好き〟なんて言っては駄目ですわよ』
つまり暁は拓磨に恋している、ということか。
暁にはそれが分かるらしい。何だか少し、羨ましい。
私は再度、蒼士から受け取った紙に目を通した。雫が言うには〝歌〟というものらしい。恋とはまだ良く分かっていないが、蒼士は私に恋をしているということか?
〝音もなく散る春花のように、ひっそりと貴女を想っている〟
想っているとは。そう言われても私は蒼士にどうしたら良いのだ。みことして私が必要なだけであろうに。
そうだ、〝みこ〟の意味も後で雫に聞いておかなければ。
『とりあえず拓磨様の言いつけどおり、これ以上華葉は蒼士様に関わらない方が身のためですわね。それは他の人の目に触れぬよう、仕舞っておきなさいな』
雫はそう言って苦笑しながら汚れた布巾を洗いに行ってしまった。
仕方なく私は彼女の言うとおり、蒼士の文を折り畳んで懐に入れたのだが、何だか気が落ち着かない。私はこれを受け取ってはいけなかったのではないかと、そんな後悔の念にかられる。
何故だ、こんなに胸騒ぎがするのは。
「……拓磨」
何故だ。
こんなにも今すぐ、お前に会いたいと思うのは――。
◇
「嘉納式陰陽術、火炎陣ッ!!」
『ぎゃぁあああああ……――!』
拓磨の屋敷からの帰り道。
たまたま出くわした猫の妖怪を、五芒星状に昇る火柱で焼き払った。やきもきしていたところだ、丁度良い。焦げ付いた臭いが鼻を掠めていく。
それでも心は穏やかではなかった。
こんな気持ちになるのは、やはり初めてだ。
彼女は……華葉はもう、あれを読んだだろうか。
「だ、だから! 巫女として手に入れたいだけだと言うにっ」
違う。
口ではそう言っているが、こう皮肉でも言わなければ張り裂けそうなのだ。
琥珀の瞳に囚われ、穏やかな気と華やかな香りに五感の全てを奪われる感覚。
巫女としてではなく、お前の全てが欲しくなる。
「……奪ってやる、拓磨」
魁も、華葉も。
お前には決して渡さぬから、今に見ているが良い。
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暁の連絡により傷の状態はかなり良いと聞いているが、拓磨が死ぬのではないかと怖くて仕方がなかった。だからできれば直接会って安心したいのだが、私は強力な結界に守られたこの屋敷の外に出ることはできない。
今、私が外に出て何かあっても、助けてくれる拓磨はいないのだ。
それに私の正体を知っている者がいる以上、不用意なことはできない。これ以上拓磨に迷惑はかけたくない。
一緒に帰りを待つ雫も、訳あって私のように屋敷の外には出られない身。
……あぁ、先日一度だけ暁と拓磨の元へ行ったのは緊急事態で例外だ。
そんな訳で、私は彼女とほぼ二人きりで暇を持て余していた。かと言って何もせずただ呆けているわけにもいかないので、今日は雫と共に屋敷の掃除を始めた。それで私は門前の水まきに来たのだ。
だが門を開けた瞬間、一人の男が目の前に突っ立っていた。
前は一緒に黒装束の男がいたが今日は一人だった。
驚いて咄嗟に門を思いっきり閉め、背中をもたせかけた。どうやら奴は私の正体を再び探りに来たらしいが、私は拓磨からこの男には関わるなと言われている。理由はよく知らない。
「関わるなだと? ほーう、僕に正体が分かると何か不都合でもあるのか?」
相変わらず嫌味な口調で食い下がってくる奴め。
|嘉納蒼士《かのうのそうし》――、私に言わせればただの五月蠅いだけの猿だが、拓磨と同じく割と腕の立つ陰陽師だそうだ。
「知らぬ、私は拓磨の言うことを聞くだけだ。掃除が進まぬだろう、早く帰れ!」
そう言って追い払おうとするのだが、蒼士は帰ろうとしなかった。
顔は見えぬというのに、ほくそ笑む姿が目に浮かぶ。
「あぁ分かったぞ、|華葉《かよう》。お前の正体は……」
その言葉に心臓が大きく脈を打つ。
どうする、蒼士にも気づかれたのか。そう言えば奴はあの|雅章《まさあき》という男と関係があるようだし、知られていてもおかしくはないが。
顔から血の気が引くのを感じながら、私は奴の言葉を待つ。
本当に正体が割れているなら、また拓磨に知らせなければ。
「お前の正体は、高い霊力を持つ巫女であろう!?」
…………。
……はい?
「単を羽織って誤魔化しているようだが、僕の目は騙せぬぞ。あの拓磨が人を傍に置くなど、それ以外に理由は考えられぬからな。巫女ならば術を使うのも納得がいく。どうだ、黙っているのは図星か?」
何かものすごく勘違いをされているが、妖怪と知られていないだけまだ良いほうだろう。ここは奴に合わせておくべきか。
しかし私はその〝みこ〟というものが何なのかを知らない。〝タコ〟なら雫が茹でて出してくれたことはあるが。
「あぁそうだ、私は〝みこ〟だ。どうだ恐れ入っただろう、だから早く帰れ」
「ふん、開き直ったな。……拓磨の女なら口説けぬが、巫女なら問題あるまい」
後ろの方はよく聞き取れなかったが、私の正体を暴くという用事が済んだのだから、もうすぐに帰るだろう。そう思っていると門の隙間から何やら白くて細いものが差し込まれた。
反射的に刀かと思い身構えたが、よく見るとそれは折り畳まれた和紙だった。
「何だ、これは」
「受け取れ、僕はお前が気に入った。か、勘違いするなよ? 力のある巫女と見て僕が雇うと言っているのだ。人嫌いの拓磨の傍より居心地も良いはずだ」
蒼士の言っている意味が分からぬまま、私はその紙を手に取った。
それを悟った奴は鼻で笑うと「また来る」とだけ告げてようやく静かになった。足音が遠ざかったから立ち去ったようだ。
恐る恐る門を開くと、やはり奴の姿はもうそこにはなく、とりあえず胸を撫で下ろした。しかし安心するのはまだ早く、気になるのは奴から受け取った妙な紙だ。
一旦手にしていた桶を置き、それを開くとそこには文字が書かれていた。
―― おぼつかな 君知るらめや 音もなく うつろう春花の結ぶ心を ――
(知らぬであろう 音もなく散る春花のように ひっそりと貴女を想っているなど)
私は文字は読める。雫の英才教育を受けたのだ、甘く見てもらっては困る。
だから書かれている内容は分かった。
つまりこれは。そう、これはだな。
えーっと……、何が言いたいのだろう。
『つまり、これは恋の歌ですわね』
隠すことでもないと思った私は、水まきを終えて部屋に戻ると、雫にその紙を見せることにした。彼女は内容を読んだ途端に紙を持つ手を震わせていたが、大きく深呼吸をすると私を見据えてそう告げた。
恋……? と首を傾げる私に、彼女は少し頬を赤らめて咳払いをした。
『恋とは、特定の相手のことで胸がいっぱいになって、会いたいとか、ずっと一緒に居たいと思うことですわ』
「ほう、それなら私は拓磨や雫と暁のことをそう思っている。これが恋か?」
雫に詰め寄ると、彼女は少し困った顔をした。
『それは華葉が私たちを慕ってくれているだけですわ。それとは少し違うのですわよ、恋は。……まぁ、拓磨様に対してはどうかしらね』
「|美月《みづき》も似たようなことを言っていたな。私は雫も拓磨も好きだが何が違うのだ?」
質問攻めにする私に観念したのか、雫は手にしていた紙を広げて私に差し出すと、改めてきちんと座り直した。
『華葉が思う〝好き〟は相手を慕い、大切に思うことですわ。でも恋は、一人の異性のことを常に意識し〝己の全ても捧げても良い〟と思うほど、相手に身も心も囚われることではないかしら。華葉は拓磨様をどちらで思っておりますの?』
そう問いかけられて私は戸惑ってしまった。
私は拓磨も雫も暁も、かけがえのない大切な存在だと思っている。でも拓磨のことはそれ以上に、私が守りたいと思っているし、そのためなら命を捧げても構わない。
だがそれは拓磨が主だからというのもある。
分からない、自分にとって拓磨はどんな存在なのだろう。
「よく分からないぞ、雫」
『そうですわね、こればかりは私も教えるのは難しいですわ。きっと暁の方が分かるでしょうけど、あの子の前で〝拓磨様が好き〟なんて言っては駄目ですわよ』
つまり暁は拓磨に恋している、ということか。
暁にはそれが分かるらしい。何だか少し、羨ましい。
私は再度、蒼士から受け取った紙に目を通した。雫が言うには〝歌〟というものらしい。恋とはまだ良く分かっていないが、蒼士は私に恋をしているということか?
〝音もなく散る春花のように、ひっそりと貴女を想っている〟
想っているとは。そう言われても私は蒼士にどうしたら良いのだ。《《みこ》》として私が必要なだけであろうに。
そうだ、〝みこ〟の意味も後で雫に聞いておかなければ。
『とりあえず拓磨様の言いつけどおり、これ以上華葉は蒼士様に関わらない方が身のためですわね。それは他の人の目に触れぬよう、仕舞っておきなさいな』
雫はそう言って苦笑しながら汚れた布巾を洗いに行ってしまった。
仕方なく私は彼女の言うとおり、蒼士の文を折り畳んで懐に入れたのだが、何だか気が落ち着かない。私はこれを受け取ってはいけなかったのではないかと、そんな後悔の念にかられる。
何故だ、こんなに胸騒ぎがするのは。
「……拓磨」
何故だ。
こんなにも今すぐ、お前に会いたいと思うのは――。
◇
「嘉納式陰陽術、|火炎陣《かえんじん》ッ!!」
『ぎゃぁあああああ……――!』
拓磨の屋敷からの帰り道。
たまたま出くわした猫の妖怪を、五芒星《ごぼうせい》状に昇る火柱で焼き払った。やきもきしていたところだ、丁度良い。焦げ付いた臭いが鼻を掠めていく。
それでも心は穏やかではなかった。
こんな気持ちになるのは、やはり初めてだ。
彼女は……華葉はもう、《《あれ》》を読んだだろうか。
「だ、だから! 巫女として手に入れたいだけだと言うにっ」
違う。
口ではそう言っているが、こう皮肉でも言わなければ張り裂けそうなのだ。
琥珀の瞳に囚われ、穏やかな気と華やかな香りに五感の全てを奪われる感覚。
巫女としてではなく、お前の全てが欲しくなる。
「……奪ってやる、拓磨」
|魁《さきがけ》も、華葉も。
お前には決して渡さぬから、今に見ているが良い。