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雪の聖譚歌

ー/ー




 佐野洋子氏に捧ぐ。

 第一曲 ごき太の旅

 ある日ごき太は、大きな家で母とはぐれた。泣きながら母を探していると、家の形をした紙箱があった。近づいて中を覗くと、うつ伏せに眠る背中が見えた。
 ごき太が翅を羽ばたかせ、その背中に飛びつくと、「ごき太ー! どこにいるのー!」と母の声が聞こえた。
 ごき太が外に出ようとすると、のりが体に絡みついた。
「お母さん。助けて……」
 ごき太は死んだ。

 ある日ごき太は、若い女の部屋にいた。
 彼女が掃除を始めれば、ごき太も菓子くずを拾い集めた。
 彼女はいつも香水をつけていた。ある日、ごき太はお願いをする。
「僕にも香水をつけてください」
 彼女は急いで缶を持ってくると、シューッとふりかけてくれた。
「ありがとう……」
 ごき太は死んだ。

 ある日ごき太は、定食屋の厨房にいた。
 ごき太が野菜の陰で眠っていたら、店主はその皿を客に出した。
 ごき太は飛び起きて挨拶をする。
「いらっしゃいませ!」
「こんなもん食えるか!」
 店主は慌てて皿を下げると、ごき太を皿から叩き落とし、「この野郎!」と怒鳴って踏みつけた。
「おじさん。ごめんなさい……」
 ごき太は死んだ。

 ごき太は百万回も生まれ、百万回も死んだ。

 雪の降る聖夜、ごき太は四人家族のテーブルの下にいた。
 両親と兄と、妹の佳代ちゃんがテーブルを囲んでいた。
 テーブルには丸いケーキが乗っていた。家族がお祈りをすると、ごき太もお祈りをした。
 すると兄が「ゴキブリがいる!」と声を上げ、母が「早く殺して!」と叫んだ。
 でも佳代ちゃんは泣いていた。
「虫さんが可哀想……」
「どこが可哀想なんだよ! 馬鹿じゃね」
「佳代子。害虫は殺してもいいんだよ」
「ゴキブリは駆除しなきゃいけないの。わかった?」
「うん……」
 三人はごき太を追い回し、ごき太は命からがら外に逃げた。
 外は一面の銀世界。ごき太は輝く星に語りかける。
「どうして僕は嫌われるの?」
 やがて体が凍りつき、ごき太は深い眠りについた。

 誰かが「メリークリスマス!」と、ごき太に声をかけた。
 目を覚ますと、サンタクロースが顔を覗き込んでいた。
「プレゼントは何がいいかな?」
「僕がもらえるの?」
「もちろんだ」
「ありがとう! でも、なんで僕がもらえるの?」
「神様に愛されているからだ」
「なら……」
「なら?」
「なんでみんな、僕を殺すの?」
「さあなぁ。わしにはわからないが、彼らは、それを神様に答えねばなるまい。さあ、プレゼントは何が良いのだ?」
「なにもいらない。ただ……」
「ただ?」
「お母さんにあいたい」
「では乗りなさい。つれていってあげよう」
 ごき太が雪の中を蝶のように舞い、トナカイの鼻にとまると、そりは彼を母のもとへ運んで行った。

 第二曲 神様との会話

 そりが天国に着くと、ごき太はトナカイの鼻から飛び立ち、雪に覆われた谷間を飛んだ。
「ごき太ー!」という声に振り向くと、羽ばたく母の姿が見える。
 ごき太はその胸に飛び込み、ひとしきり泣くと、懐かしい思い出を語る。
「母さん、覚えてる? あのイブの日のことを。母さんはゴミ処理場の仕事が終わると、保育園まで迎えに来てくれた。母さんが着いたときは、まだ園長先生が絵本を読んでいた。部屋は暖かいのに、母さんは曇ったガラスの向こうから僕を見ていた。母さんは汚れた作業服で、僕に恥ずかしい思いをさせたくなかったんだよね」
 母の目から涙がこぼれた。
「園長先生が『さようなら』って言うと、僕は駆けて行って母さんに抱きついた。僕が『ケーキは?』って聞くと、母さんは『気の毒な女の子にあげちゃったの』って謝ったんだ。
 母さん、もしかしたら僕、その子に会ったことがある?」
 そのとき、シャンシャンと鈴の音が響き、サンタクロースが雲の中から現れた。
「おーい! 神様が君と話したいそうだ」

 ごき太は神様の御前に立つ。
「何か御用でしょうか?」
 神様は眼下に広がる世界を見つめたまま何も言わない。しかし、やがてごき太に告げる。
「いかなる生物が死に絶えても、お前たちは生き延びる」
「どうしてですか?」
「私の最高傑作だからだ」
「なら、人はなぜ僕らを殺すのですか?」
「奴らは失敗作だ。奴らは、もうすぐ殺し合いを始める。最後の一人になるまで殺戮は終わらない」
「なぜ殺し合いが始まるのですか?」
「私がそう仕向けるからだ。憎しみに火をつけてやれば、奴らの知恵など何の役にも立たない」
「お願いします。人間を赦してください」
「お前を百万回も殺した奴らだぞ。憎くないのか?」
「憎くありません」
「清き者よ。望みを言うが良い」
「お母さんと一緒に、ケーキが食べたいのです」
 どこからか母の声が聞こえた。
「ごき太。いつまで寝ているの?」
 ごき太が雪の上で目を覚ますと、苺が乗ったケーキの横で、母が微笑んでいた。

 第三曲 虫を憐れむ少女

 雪の降る聖夜。佳代ちゃんは、ただ祈っていただけの小さな虫が、家族に追い回される光景を見ていた。
「ゴキブリは駆除しなきゃいけないの。わかった?」と聞く母。
「うん……」と佳代ちゃんは答えた。
 佳代ちゃんは泣いていた。祈ってもいた。でも、家族を止めようとはしなかった。
 家族は虫を追い回し、虫は命からがら外に逃げた。

 その夜、佳代ちゃんは窓辺に立ち、雪を見ながら泣いていた。
「神様。あの小さな虫の、なにが悪いのですか?」
 すると誰かが彼女に声をかけた。
「プレゼントは何がいいかな?」
「サンタさん!」
「欲しいものを言いなさい。どんな願いも叶えよう」
「なんでも、いいのですか?」
「もちろんだ。莫大な財産。女王の権力。永遠の命でも良いと神様は言われた」
「どれも、いりません」
「では何が欲しい?」
「赤い苺が乗ったケーキをください」
 彼女が夢から覚めると、赤い苺が乗ったケーキが枕元にあった。
 それを持って外に出ると、雪はやんでいて、満天の空に星が輝いていた。
 彼女は星明かりを頼りに虫を探した。やがて夜空が白み始め、一面の銀世界が広がると、凍りついた二つの亡骸を見つける。
 小さな虫と大きな虫が、雪の上で抱き合うようにして眠っていた。
「虫さん。お母さんに会えたの?」
 佳代ちゃんは、その傍らにケーキを置くと、祈るように目を閉じた。
「ごめんなさい……」
 佳代ちゃんが讃美歌を歌うと、神はその心を祝福し、絶世の美貌を彼女に与えた。

 第四曲 佳代ちゃんの旅

 絶世の美貌を与えられた佳代ちゃんは、あるとき、大富豪の御曹子からプロポーズされた。
 彼は金のネックレスや、ダイヤの指輪を彼女にプレゼントした。
「欲しい物は何でも買ってあげる」
「私は何もいりません」
 あるとき、佳代ちゃんは車に轢かれて死んだ。轢いたのは、彼と婚約していた女性だった。

 あるとき、佳代ちゃんは中国の踊り子だった。
 ある日、彼女は宮廷に招かれ、皇帝の前で踊る。すると皇帝は彼女を正妻にしたくなった。
「お前に広大な領地を与えよう」
「私は何もいりません」
 翌日、佳代ちゃんは兵隊に捕まる。両腕と両脚をちょん切られ、さらし物にされて死ぬ。
 彼女を殺したのは、皇帝の正妻だった。

 あるとき、佳代ちゃんはオリンポスの森に暮らすニンフだった。
 神々の王ゼウスは彼女を溺愛し、天界の女王ヘラが嫉妬した。
 あるとき、黄金の御座に座るヘラが、佳代ちゃんに告げた。
「良いものを与えよう。それは、お前を永遠の至福へ導くだろう」
「女神様。私は何もいりません」
 ヘラは佳代ちゃんをゴキブリに変えた。ゴキブリになった佳代ちゃんは、百万回も殺される運命を、百万回も繰り返すことになる。

 空蝉(うつせみ)の世を彷徨う佳代ちゃんは、ある日スリッパで叩かれ、紙にくるまれて捨てられた。
 身を砕かれた佳代ちゃんが、最期の力で紙から這い出ると、そこは雪の降り積もるゴミ処理場だった。
 雪が痛みを癒し、やがて深い眠りに落ちる。
 しばらくすると、雪を踏む足音が近づいてきた。
「可哀想に」
 佳代ちゃんが目を開けると、汚れた作業服を着た女性が、顔を覗き込んでいた。
 女性は佳代ちゃんに聞く。
「なぜ、こんな所にいるのですか?」
「私はゴミなのです」
「神に誓って言います。あなたはゴミではありません」
「優しい人……」
 佳代ちゃんが自分の運命を話すと、女性は灰色の空を見上げ、神に向かって懇願する。
「この子に、安らかな眠りをお与えください」
 佳代ちゃんが息絶えると、女性はその亡骸をハンカチにつつみ、小さなケーキとともに雪に葬った。


 間奏曲 窓辺の詩

 聖夜雪 玻璃窓の影身を隠し 母は幼き我を見守る

 せいやゆき、はりまどのかげみをかくし、はははおさなきわれをみまもる

 慕尼黑歌集


 終曲 神様と佳代ちゃんの戦い

 天国に召された佳代ちゃんを、サンタクロースが出迎える。
「さっそくで悪いが、神様がお待ちかねだ」
 佳代ちゃんは神の御前に立つ。だが神は何も語らず、眼下に広がる世界を、ただじっと見ている。
「神様、参りました」と佳代ちゃん。
「お前に良いことを教えてやろう」
「なんでしょうか?」
「私は失敗作を焼き捨てることにした」
「と、おっしゃいますと?」
「人間を絶滅させるのだ」
 佳代ちゃんは懇願した。
「お願いします。やめて下さい」
「お前を容赦なく殺した奴らだ。嬉しくないのか?」
「嬉しくなどありません。どうか、おやめ下さい」
「だめだ。もう決めたのだ」
「以前神様は、どんな願いも叶えてやると言われました。お忘れですか?」
「ケーキを与えたではないか」
「それで終わりですか?」
「とにかく人間を赦すことはできん。その他であれば、どんな望みも叶えてやるが」
「本当ですか?」
「もちろんだ」
「神様。私の望みは、あなたの死です」
 サンタクロースが駆け寄った。
「早く赦しを乞うのだ!」
「退がれ。老いぼれめ。よし娘よ。お前が、どんな人間でも憐れむことができるなら、奴らを赦してやろう」
「わかりました。どんな人間も憐れむと約束します」
 すると神は、もうすぐ処刑されるジル・ド・レの前に、佳代ちゃんを降臨させたのだ。

 ジル・ド・レは、救国の英雄と呼ばれるフランス王国の戦士。彼は盟友ジャンヌ・ダルクに恋心を抱いていた。
 教会はジャンヌの力を恐れ、彼女を罠にはめる。ジルは火あぶりにされる彼女を見て気が狂い、邪悪な罪に手を染める。そして宗教裁判にて火刑を宣告されるのだ。

 聖女の死の悲しみに濡れる中世の冬。セーヌ河畔の広場にて、ジル・ド・レの処刑が行われようとしていた。
 ジルは柱に縛られ、その足元に薪が積まれる。
 群衆は口々に祈っていた。
「神よ、穢れた魂を清めたまえ」
 祈りは歌声となり、天へ登っていった。
 異端審問官は、黒い祭服をまとった司教。彼が処刑を命じた。
「始めろ」
 刑吏が松明(たいまつ)を持ったそのとき、一人の少女がジルの前に忽然と現れた。
 ジルはうつろな眼差しで見つめる。
「貴様は誰だ?」
「私は佳代子と言います」
「なんの用だ?」
「あなたを憐れみたいのです」
「我が罪を知っているのか?」
「はい。恋人を蘇らせるため、子供たちを生贄に……」
「それでも憐れむと言うのか?」
「はい」
 佳代ちゃんが讃美歌を歌うと、司教が彼女を脅した。
「それ以上歌えば、その怪物と一緒に火あぶりにするぞ」
 するとジルが罵倒した。
「黙れ! ジャンヌを見捨てた裏切り者め!」
 司教は佳代ちゃんの逮捕を命じる。
「あの娘は魔女だ。捕まえろ」
 ジルの隣に柱が立てられ、そこに佳代ちゃんが縛られると、ジルは彼女に問うた。
「なぜ俺を憐れむ?」
「私は全ての人を憐れみ、その罪を償います」
「なぜ?」
「それが私の運命なのです」
「お嬢さん。あなたは偉大な人だ」
 司教は刑吏に命じた。
「娘から焼き殺せ」
 刑吏が火をつけると、佳代ちゃんが炎に包まれ、ジルが叫び声を上げる。
「神よ! 彼女を救いたまえ!」
 黒い雲が空を覆い、あたりが急に暗くなった。稲妻が空を切り裂き、落雷が木々をなぎ倒す。
 群衆は地面にひれ伏し、祈りを捧げる。
「神よ、我らをお赦しください」
 しかし神の怒りは収まらず、稲妻は怒涛の如く荒れ狂う。佳代ちゃんは神に問う。
「神様、約束をお忘れですか?」
 木々が燃えあがり、人々は逃げ惑う。紅蓮の炎は群衆を追い詰める。
 セーヌ河畔が地獄と化したそのとき、佳代ちゃんが天に向かって叫んだ。
「神様! 人間を赦して下さい!」
 忽然と稲妻が消え、突然の豪雨が炎を消した。
 ジルの遺体は墓地に埋葬されたが、佳代ちゃんの遺体は残骸に埋もれたまま忘れ去られる。
 ただ一匹の黒い虫が、受難を共にするかのように、じっと寄り添っていた。





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 佐野洋子氏に捧ぐ。
 第一曲 ごき太の旅
 ある日ごき太は、大きな家で母とはぐれた。泣きながら母を探していると、家の形をした紙箱があった。近づいて中を覗くと、うつ伏せに眠る背中が見えた。
 ごき太が翅を羽ばたかせ、その背中に飛びつくと、「ごき太ー! どこにいるのー!」と母の声が聞こえた。
 ごき太が外に出ようとすると、のりが体に絡みついた。
「お母さん。助けて……」
 ごき太は死んだ。
 ある日ごき太は、若い女の部屋にいた。
 彼女が掃除を始めれば、ごき太も菓子くずを拾い集めた。
 彼女はいつも香水をつけていた。ある日、ごき太はお願いをする。
「僕にも香水をつけてください」
 彼女は急いで缶を持ってくると、シューッとふりかけてくれた。
「ありがとう……」
 ごき太は死んだ。
 ある日ごき太は、定食屋の厨房にいた。
 ごき太が野菜の陰で眠っていたら、店主はその皿を客に出した。
 ごき太は飛び起きて挨拶をする。
「いらっしゃいませ!」
「こんなもん食えるか!」
 店主は慌てて皿を下げると、ごき太を皿から叩き落とし、「この野郎!」と怒鳴って踏みつけた。
「おじさん。ごめんなさい……」
 ごき太は死んだ。
 ごき太は百万回も生まれ、百万回も死んだ。
 雪の降る聖夜、ごき太は四人家族のテーブルの下にいた。
 両親と兄と、妹の佳代ちゃんがテーブルを囲んでいた。
 テーブルには丸いケーキが乗っていた。家族がお祈りをすると、ごき太もお祈りをした。
 すると兄が「ゴキブリがいる!」と声を上げ、母が「早く殺して!」と叫んだ。
 でも佳代ちゃんは泣いていた。
「虫さんが可哀想……」
「どこが可哀想なんだよ! 馬鹿じゃね」
「佳代子。害虫は殺してもいいんだよ」
「ゴキブリは駆除しなきゃいけないの。わかった?」
「うん……」
 三人はごき太を追い回し、ごき太は命からがら外に逃げた。
 外は一面の銀世界。ごき太は輝く星に語りかける。
「どうして僕は嫌われるの?」
 やがて体が凍りつき、ごき太は深い眠りについた。
 誰かが「メリークリスマス!」と、ごき太に声をかけた。
 目を覚ますと、サンタクロースが顔を覗き込んでいた。
「プレゼントは何がいいかな?」
「僕がもらえるの?」
「もちろんだ」
「ありがとう! でも、なんで僕がもらえるの?」
「神様に愛されているからだ」
「なら……」
「なら?」
「なんでみんな、僕を殺すの?」
「さあなぁ。わしにはわからないが、彼らは、それを神様に答えねばなるまい。さあ、プレゼントは何が良いのだ?」
「なにもいらない。ただ……」
「ただ?」
「お母さんにあいたい」
「では乗りなさい。つれていってあげよう」
 ごき太が雪の中を蝶のように舞い、トナカイの鼻にとまると、そりは彼を母のもとへ運んで行った。
 第二曲 神様との会話
 そりが天国に着くと、ごき太はトナカイの鼻から飛び立ち、雪に覆われた谷間を飛んだ。
「ごき太ー!」という声に振り向くと、羽ばたく母の姿が見える。
 ごき太はその胸に飛び込み、ひとしきり泣くと、懐かしい思い出を語る。
「母さん、覚えてる? あのイブの日のことを。母さんはゴミ処理場の仕事が終わると、保育園まで迎えに来てくれた。母さんが着いたときは、まだ園長先生が絵本を読んでいた。部屋は暖かいのに、母さんは曇ったガラスの向こうから僕を見ていた。母さんは汚れた作業服で、僕に恥ずかしい思いをさせたくなかったんだよね」
 母の目から涙がこぼれた。
「園長先生が『さようなら』って言うと、僕は駆けて行って母さんに抱きついた。僕が『ケーキは?』って聞くと、母さんは『気の毒な女の子にあげちゃったの』って謝ったんだ。
 母さん、もしかしたら僕、その子に会ったことがある?」
 そのとき、シャンシャンと鈴の音が響き、サンタクロースが雲の中から現れた。
「おーい! 神様が君と話したいそうだ」
 ごき太は神様の御前に立つ。
「何か御用でしょうか?」
 神様は眼下に広がる世界を見つめたまま何も言わない。しかし、やがてごき太に告げる。
「いかなる生物が死に絶えても、お前たちは生き延びる」
「どうしてですか?」
「私の最高傑作だからだ」
「なら、人はなぜ僕らを殺すのですか?」
「奴らは失敗作だ。奴らは、もうすぐ殺し合いを始める。最後の一人になるまで殺戮は終わらない」
「なぜ殺し合いが始まるのですか?」
「私がそう仕向けるからだ。憎しみに火をつけてやれば、奴らの知恵など何の役にも立たない」
「お願いします。人間を赦してください」
「お前を百万回も殺した奴らだぞ。憎くないのか?」
「憎くありません」
「清き者よ。望みを言うが良い」
「お母さんと一緒に、ケーキが食べたいのです」
 どこからか母の声が聞こえた。
「ごき太。いつまで寝ているの?」
 ごき太が雪の上で目を覚ますと、苺が乗ったケーキの横で、母が微笑んでいた。
 第三曲 虫を憐れむ少女
 雪の降る聖夜。佳代ちゃんは、ただ祈っていただけの小さな虫が、家族に追い回される光景を見ていた。
「ゴキブリは駆除しなきゃいけないの。わかった?」と聞く母。
「うん……」と佳代ちゃんは答えた。
 佳代ちゃんは泣いていた。祈ってもいた。でも、家族を止めようとはしなかった。
 家族は虫を追い回し、虫は命からがら外に逃げた。
 その夜、佳代ちゃんは窓辺に立ち、雪を見ながら泣いていた。
「神様。あの小さな虫の、なにが悪いのですか?」
 すると誰かが彼女に声をかけた。
「プレゼントは何がいいかな?」
「サンタさん!」
「欲しいものを言いなさい。どんな願いも叶えよう」
「なんでも、いいのですか?」
「もちろんだ。莫大な財産。女王の権力。永遠の命でも良いと神様は言われた」
「どれも、いりません」
「では何が欲しい?」
「赤い苺が乗ったケーキをください」
 彼女が夢から覚めると、赤い苺が乗ったケーキが枕元にあった。
 それを持って外に出ると、雪はやんでいて、満天の空に星が輝いていた。
 彼女は星明かりを頼りに虫を探した。やがて夜空が白み始め、一面の銀世界が広がると、凍りついた二つの亡骸を見つける。
 小さな虫と大きな虫が、雪の上で抱き合うようにして眠っていた。
「虫さん。お母さんに会えたの?」
 佳代ちゃんは、その傍らにケーキを置くと、祈るように目を閉じた。
「ごめんなさい……」
 佳代ちゃんが讃美歌を歌うと、神はその心を祝福し、絶世の美貌を彼女に与えた。
 第四曲 佳代ちゃんの旅
 絶世の美貌を与えられた佳代ちゃんは、あるとき、大富豪の御曹子からプロポーズされた。
 彼は金のネックレスや、ダイヤの指輪を彼女にプレゼントした。
「欲しい物は何でも買ってあげる」
「私は何もいりません」
 あるとき、佳代ちゃんは車に轢かれて死んだ。轢いたのは、彼と婚約していた女性だった。
 あるとき、佳代ちゃんは中国の踊り子だった。
 ある日、彼女は宮廷に招かれ、皇帝の前で踊る。すると皇帝は彼女を正妻にしたくなった。
「お前に広大な領地を与えよう」
「私は何もいりません」
 翌日、佳代ちゃんは兵隊に捕まる。両腕と両脚をちょん切られ、さらし物にされて死ぬ。
 彼女を殺したのは、皇帝の正妻だった。
 あるとき、佳代ちゃんはオリンポスの森に暮らすニンフだった。
 神々の王ゼウスは彼女を溺愛し、天界の女王ヘラが嫉妬した。
 あるとき、黄金の御座に座るヘラが、佳代ちゃんに告げた。
「良いものを与えよう。それは、お前を永遠の至福へ導くだろう」
「女神様。私は何もいりません」
 ヘラは佳代ちゃんをゴキブリに変えた。ゴキブリになった佳代ちゃんは、百万回も殺される運命を、百万回も繰り返すことになる。
 空蝉(うつせみ)の世を彷徨う佳代ちゃんは、ある日スリッパで叩かれ、紙にくるまれて捨てられた。
 身を砕かれた佳代ちゃんが、最期の力で紙から這い出ると、そこは雪の降り積もるゴミ処理場だった。
 雪が痛みを癒し、やがて深い眠りに落ちる。
 しばらくすると、雪を踏む足音が近づいてきた。
「可哀想に」
 佳代ちゃんが目を開けると、汚れた作業服を着た女性が、顔を覗き込んでいた。
 女性は佳代ちゃんに聞く。
「なぜ、こんな所にいるのですか?」
「私はゴミなのです」
「神に誓って言います。あなたはゴミではありません」
「優しい人……」
 佳代ちゃんが自分の運命を話すと、女性は灰色の空を見上げ、神に向かって懇願する。
「この子に、安らかな眠りをお与えください」
 佳代ちゃんが息絶えると、女性はその亡骸をハンカチにつつみ、小さなケーキとともに雪に葬った。
 間奏曲 窓辺の詩
 聖夜雪 玻璃窓の影身を隠し 母は幼き我を見守る
 せいやゆき、はりまどのかげみをかくし、はははおさなきわれをみまもる
 慕尼黑歌集
 終曲 神様と佳代ちゃんの戦い
 天国に召された佳代ちゃんを、サンタクロースが出迎える。
「さっそくで悪いが、神様がお待ちかねだ」
 佳代ちゃんは神の御前に立つ。だが神は何も語らず、眼下に広がる世界を、ただじっと見ている。
「神様、参りました」と佳代ちゃん。
「お前に良いことを教えてやろう」
「なんでしょうか?」
「私は失敗作を焼き捨てることにした」
「と、おっしゃいますと?」
「人間を絶滅させるのだ」
 佳代ちゃんは懇願した。
「お願いします。やめて下さい」
「お前を容赦なく殺した奴らだ。嬉しくないのか?」
「嬉しくなどありません。どうか、おやめ下さい」
「だめだ。もう決めたのだ」
「以前神様は、どんな願いも叶えてやると言われました。お忘れですか?」
「ケーキを与えたではないか」
「それで終わりですか?」
「とにかく人間を赦すことはできん。その他であれば、どんな望みも叶えてやるが」
「本当ですか?」
「もちろんだ」
「神様。私の望みは、あなたの死です」
 サンタクロースが駆け寄った。
「早く赦しを乞うのだ!」
「退がれ。老いぼれめ。よし娘よ。お前が、どんな人間でも憐れむことができるなら、奴らを赦してやろう」
「わかりました。どんな人間も憐れむと約束します」
 すると神は、もうすぐ処刑されるジル・ド・レの前に、佳代ちゃんを降臨させたのだ。
 ジル・ド・レは、救国の英雄と呼ばれるフランス王国の戦士。彼は盟友ジャンヌ・ダルクに恋心を抱いていた。
 教会はジャンヌの力を恐れ、彼女を罠にはめる。ジルは火あぶりにされる彼女を見て気が狂い、邪悪な罪に手を染める。そして宗教裁判にて火刑を宣告されるのだ。
 聖女の死の悲しみに濡れる中世の冬。セーヌ河畔の広場にて、ジル・ド・レの処刑が行われようとしていた。
 ジルは柱に縛られ、その足元に薪が積まれる。
 群衆は口々に祈っていた。
「神よ、穢れた魂を清めたまえ」
 祈りは歌声となり、天へ登っていった。
 異端審問官は、黒い祭服をまとった司教。彼が処刑を命じた。
「始めろ」
 刑吏が松明(たいまつ)を持ったそのとき、一人の少女がジルの前に忽然と現れた。
 ジルはうつろな眼差しで見つめる。
「貴様は誰だ?」
「私は佳代子と言います」
「なんの用だ?」
「あなたを憐れみたいのです」
「我が罪を知っているのか?」
「はい。恋人を蘇らせるため、子供たちを生贄に……」
「それでも憐れむと言うのか?」
「はい」
 佳代ちゃんが讃美歌を歌うと、司教が彼女を脅した。
「それ以上歌えば、その怪物と一緒に火あぶりにするぞ」
 するとジルが罵倒した。
「黙れ! ジャンヌを見捨てた裏切り者め!」
 司教は佳代ちゃんの逮捕を命じる。
「あの娘は魔女だ。捕まえろ」
 ジルの隣に柱が立てられ、そこに佳代ちゃんが縛られると、ジルは彼女に問うた。
「なぜ俺を憐れむ?」
「私は全ての人を憐れみ、その罪を償います」
「なぜ?」
「それが私の運命なのです」
「お嬢さん。あなたは偉大な人だ」
 司教は刑吏に命じた。
「娘から焼き殺せ」
 刑吏が火をつけると、佳代ちゃんが炎に包まれ、ジルが叫び声を上げる。
「神よ! 彼女を救いたまえ!」
 黒い雲が空を覆い、あたりが急に暗くなった。稲妻が空を切り裂き、落雷が木々をなぎ倒す。
 群衆は地面にひれ伏し、祈りを捧げる。
「神よ、我らをお赦しください」
 しかし神の怒りは収まらず、稲妻は怒涛の如く荒れ狂う。佳代ちゃんは神に問う。
「神様、約束をお忘れですか?」
 木々が燃えあがり、人々は逃げ惑う。紅蓮の炎は群衆を追い詰める。
 セーヌ河畔が地獄と化したそのとき、佳代ちゃんが天に向かって叫んだ。
「神様! 人間を赦して下さい!」
 忽然と稲妻が消え、突然の豪雨が炎を消した。
 ジルの遺体は墓地に埋葬されたが、佳代ちゃんの遺体は残骸に埋もれたまま忘れ去られる。
 ただ一匹の黒い虫が、受難を共にするかのように、じっと寄り添っていた。


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