佐藤美咲は、オフィスのエレベーターの中で深呼吸をした。
今日も営業部の白石香織からの嫌がらせが待っているだろう。
同期入社で同い年、しかも同じ大学出身という共通点がある香織は、入社以来、美咲への対抗心を燃やしているようだった。
「おはよう、美咲さん。ものを大切にしていて立派ね。そのスーツ、何年、着回しているの?」
エレベーターを降りるなり、香織の嫌味という洗礼を受ける。
美咲は無視して自分のデスクに向かうも、香織のヒールの音が追いかけてきた。
「あ~ら、無視なのね。せっかく美咲のためにわざわざアドバイスしてあげているのに。そんなんだからいつまでも彼氏ができないのよ」
美咲は眉一つ動かさずに席に着く。
パソコンの電源を入れながら、心の中で呟いた。
「香織……あんたに必ず復讐してやる」
* * *
その夜、美咲は親友の中野結衣を居酒屋に呼び出し、怒りの火山を噴火させた。
「香織のヤツ、私のプレゼン資料にわざとコーヒーをこぼしたのよ。『ごめ~ん、手が滑っちゃって~』って笑いながら」
結衣はビールを一口飲んでから言った。
「で、復讐はどうやるの?」
美咲は悪魔のような笑みを浮かべる。
「香織が一番大事にしているのは恋愛よ。だから、最低なイケメンを紹介して、香織を不幸にしてやるの」
「そんな都合のいい男、いる?」
「探すの! 今からマッチングアプリに『クズイケメン募集』ってコメントするね」
結衣は苦笑いを浮かべる。
「冗談でしょ?」
「ううん。本気よ!」
美咲は携帯を取り出し、マッチングアプリのプロフィールを更新し始めた。
* * *
マッチングしたのは、「自称」イケメンであり、中身は本物のクズだった。
「俺、超モテるんだよね〜」
美咲は溜息をついた。
見た目はポイント0点。性格はマイナス100点。
こんな男では、香織は興味をもってくれないだろう。
次にマッチングしたのは、確かに香織が好きになりそうなイケメンだった。
「僕、老人ホームで週3回、介護のボランティアをしているんだよ」
これでは「クズ」とはいえない。
香織を不幸にするどころか、幸せにしてしまうだろう。復讐にならない……
三人目、四人目、五人目……美咲は諦めかけていた。
そんなある日、美咲のマッチングアプリに新しいメッセージが届いた。
「はじめまして、加藤龍二です。希望条件を読みました。『イケメンのクズ求む』だなんて面白いですね!」
雑誌から飛び出してきたような完璧なルックス。本物のイケメンだった。
会話を重ねるうちに、彼が求める条件も明らかになった。
「俺、前の彼女に全部払わせてたし。男が奢るとか時代遅れっしょ? あと、俺って束縛強いけど、それも愛だと思うんだよね~」
美咲は興奮した。完璧な「クズ」。イケメン。運命の兵器──
「香織さん、ちょっといいかしら?」
次の日、美咲は香織に話しかけた。
「素敵な人を紹介したいの────」
「え? 美咲が私に男を紹介?」
半信半疑の香織は、加藤の写真を見た瞬間、目がハートになった。
美咲の計画は順調に進んだ。
香織と加藤は初対面で意気投合し、すぐに交際を始めた。
「美咲、あなたのこと見直したわ。こんなステキな人を紹介してくれて」
香織の幸せそうな顔を見て、美咲はほくそ笑んだ。
「あとは時間の問題よ……すぐに彼の本性が出るわ……」
しかし、一週間経っても、一ヶ月経っても、香織は不幸になる気配がなかった。
むしろ、いつも以上に生き生きとしていた。
「龍二さん、ホ~~~ント、優しいの!」
美咲は混乱した。あれれ? 彼はクズのはずなのに……
ある日、美咲は会社近くのカフェで偶然、加藤と会った。
「あ、美咲さん! 香織を紹介してくれてありがとう。マジ最高」
美咲は引きつった笑いを浮かべた。
「あは、あははは……香織も幸せそうでよかったです」
「うん、最高だよ。香織みたいな女性は初めてだな」
「そうなんですか」
加藤は不敵な笑みを浮かべた。
「今までの女は、俺のワガママについてこれなかった。でも香織は違う。俺が『金払え』って言っても、『友達と会うな』って言っても、全部OK。俺みたいなクズを愛してくれるなんて最高だよ」
香織は加藤のクズっぷりを全て受け入れていたのだ。
美咲は自宅で悔しさのあまり枕を殴った。
香織は加藤の言いなりになりながらも、どこか幸せそうに見えた。これでは復讐になっていない。
美咲の中で何かが壊れた。復讐心が別の感情に変わっていったのだ。
──私が奪ってやる。
次の日から、美咲は加藤に積極的にアプローチし始めた。
「龍二さん、実は私、香織にあなたのことを紹介したこと、後悔しているの……本当はあなたのこと、好きだったの。でも、私にはもったいないと思って、それで……」
加藤は一瞬戸惑ったが、すぐに笑みを浮かべた。
「実は俺も美咲さんと付き合いたいって、はじめから思っていたんだ」
美咲と加藤の密会が始まった。
彼は香織と付き合いながら、美咲とも付き合っていた。
「香織には内緒だよ」
美咲は内心笑った。
「これで香織は傷つく。なんて完璧な復讐なの……」
しかし、美咲は加藤のことを本気で好きになってしまっていた。
彼のルックスに夢中になり、彼が香織をどう扱っているかを忘れ始めていた。
ある日、加藤は宣言した。
「俺、香織と別れる。美咲さんとちゃんと付き合いたい」
美咲の心は喜びで踊った。勝った。勝ったのだ。
香織から彼を奪い取った。復讐は完遂した。
* * *
加藤と付き合い始めて一週間、美咲は自分の給料の半分以上を彼のために使っていた。
「美咲、この時計欲しいんだけど」
「美咲、友達と会うの禁止な」
「メールは全部見せろよ」
加藤の本性が完全に出始めていた。
しかし美咲はそれでも彼を愛していると自分に言い聞かせた。
ある日、偶然オフィスのトイレで香織と鉢合わせた。
美咲は勝ち誇った顔で彼女を見たが、香織は意外にも穏やかな表情だった。
「美咲、龍二さんと付き合ってるんでしょ?」
「え? どうして知ってるの?」
香織は小さく笑った。
「私が彼に別れを切り出したの。彼、最低な人だったから。で、美咲をオススメしておいたの」
美咲は呆然とした。
「でも、あなたは幸せそうだった……」
「演技に決まってるでしょ。最初から彼がどういう人か分かってた。だってさ、美咲が私への『復讐のために』彼を紹介してくれたんでしょ?」
美咲は言葉を失った。
美咲は、もう加藤から逃れることはできなかった。
彼の束縛は日に日に強くなり、美咲の貯金は底をつき、借金を重ねて友人関係も壊れていった。
「復讐するは我にあり……か」
美咲は聖書の一節を思い出した。
加藤からの「今、どこにいる?」というメッセージが100件以上届いていた────
美咲は久しぶりに結衣との食事を楽しんだ。
「で、結局どうなったの?」
結衣は美咲に尋ねた。
「加藤は警察のお世話になったわ。ストーカー規制法違反で」
美咲は肩をすくめた。
結衣はコーヒーを飲みながら言った。
「復讐なんてするもんじゃないわね」
美咲は苦笑した。
「そうね……でも、まぁ、警察も今後はあの男をマークするだろうし、むしろ社会貢献になったかも」
二人は顔を見合わせて笑った。
「ところで、来週の飲み会、来る? イケメンじゃない、でもクズでもない男友達、紹介してあげようか」
「いや、今はいいわ……」
美咲のコーヒーはすっかり冷めていた。
「今は自分自身の人生に、しっかり向かい合っていきたい、かな」
美咲はコーヒーを飲み干した。
苦味が舌の奥に広がり、かすかな酸味とともに喉を過ぎていった。
熱を失っていたけれど、不思議と芯に残るような味わいだった。
まるで過ぎ去った思い出のように、苦さだけが静かに残った。
< 了 >