夢みる王子と月の妖精
ー/ー 舞台に立ち、誰もいない観客席を見渡す。
演じるのは第二幕――王子様が、隣国のお姫様に想いを告げる大事な場面。
僕の声は、鳥だ。観客席を駆け抜け、空へと舞い上がるイメージ。気高く、何者にも支配されない、王子の風格を持った鳥――
『――全然感情こもってない!』
先輩の一言が脳裏によみがえり、鳥は翼を失い喉に痞えた。
演劇部で初めて主役を勝ち取り、天にも昇る心地だった。それが今はどうだ。自分の演技力のなさに、すっかり打ちのめされている。
演じるのは第二幕――王子様が、隣国のお姫様に想いを告げる大事な場面。
僕の声は、鳥だ。観客席を駆け抜け、空へと舞い上がるイメージ。気高く、何者にも支配されない、王子の風格を持った鳥――
『――全然感情こもってない!』
先輩の一言が脳裏によみがえり、鳥は翼を失い喉に痞えた。
演劇部で初めて主役を勝ち取り、天にも昇る心地だった。それが今はどうだ。自分の演技力のなさに、すっかり打ちのめされている。
これ以上、みんなに迷惑はかけられない。演劇関係者も多く観に来る大切な舞台なのだから。
「……主役、下りよう」
避けてきた言葉を、ついに口にした時だった。
「逃げるの?」
公園に設えられた野外ステージ。誰もいない筈の観客席に、一人の少女が座っていた。
早朝の空にはまだ月が残っていて、波打つ金髪が、月の妖精を思わせた。
「え……誰?」
「人にものを尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀よね。でも、あなたのことは良く知っているわ。いつもここで練習しているでしょ?」
僕はどきっとした。
この時間は誰もいない筈で、通学途中に立ち寄るには丁度良かった。いつから見られていたのだろう。
「……君には関係ない」
拙ない演技を見られていたのかと思うと、恥ずかしい。
「あら、ずいぶん冷たいこと言うのね」
少女はくすりと笑い、
「なら、私も冷たいこと言おうかしら。そんな逃げ腰な王子様に、お姫様が靡くことはないわね」
「君に……君に何が分かるんだ!」
自覚していたことだから、心に深く突き刺さった。
「どんなに練習しても認められない、こんな惨めな僕の気持ちなんて……っ」
言ってて虚しくなり、涙が溢れた。
「うん、知っているわ」
いつの間にか、少女が目の前にいた。僕の頬に手を添え、囁くように言う。
「頑張ってるあなたの姿、私、ずっと見ていたもの……」
泣きはらした顔を上げると、一陣の風が吹き抜けた。
風は僕の涙を攫い、少女の金髪をふわりとすくい上げる。
あ、と僕は声を漏らした。
髪に隠れていたけれど、少女の頬に、三日月のような細い傷があったのだ。
「ああ、これ?」
僕の視線に気づき、
「これは、そう、勲章のようなものだから大丈夫よ」
少女は愛しむように傷をさすった。
先ほどまでのきつい印象は消え、優しい笑みが口元に浮かんでいた。
その洗練された美しさについ見惚れるが、はっと我に返り制服のポケットを漁る。
「大丈夫、じゃなくて、だめだよ!」
体育の授業で怪我をした際、保険の先生が多めにくれた絆創膏。その中の一枚を、少女の傷口にぺたりと貼りつけた。
少女は面食らい、目をぱちくりさせた。ややあって、絆創膏の上からそっと傷口をさする。
「……ありがとう。さっきは、冷たいこと言ってごめんなさい。あなたの王子様、見られなくなるのが悲しくて、ついあたってしまったの」
僕は目を瞬かせた。
こんな僕の演技を見たいと言ってくれる人がいるなんて……
「私だけじゃないわ。他にも、見たいと思っている人はいっぱいいる。だから、諦めないで」
約束よ、と少女は僕の耳元で囁き、すっと大気に透け――消えた。
辺りを見回すが、少女の姿はもう何処にもない。
白昼夢でも見ていたのだろうか……?
そう思った時、つま先に何かが当たった。
拾い上げ、視界が涙で滲む。
主役に抜擢された日から、片時も手放すことのなかった台本は、酷使しすぎてボロボロになっている。
何とはなしにひっくり返し、僕は息を呑んだ。
皺だらけの裏表紙。破れかけた隅っこに、小さな絆創膏が貼られている――
* * *
「……主役、下りよう」
避けてきた言葉を、ついに口にした時だった。
「逃げるの?」
公園に設えられた野外ステージ。誰もいない筈の観客席に、一人の少女が座っていた。
早朝の空にはまだ月が残っていて、波打つ金髪が、月の妖精を思わせた。
「え……誰?」
「人にものを尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀よね。でも、あなたのことは良く知っているわ。いつもここで練習しているでしょ?」
僕はどきっとした。
この時間は誰もいない筈で、通学途中に立ち寄るには丁度良かった。いつから見られていたのだろう。
「……君には関係ない」
拙ない演技を見られていたのかと思うと、恥ずかしい。
「あら、ずいぶん冷たいこと言うのね」
少女はくすりと笑い、
「なら、私も冷たいこと言おうかしら。そんな逃げ腰な王子様に、お姫様が靡くことはないわね」
「君に……君に何が分かるんだ!」
自覚していたことだから、心に深く突き刺さった。
「どんなに練習しても認められない、こんな惨めな僕の気持ちなんて……っ」
言ってて虚しくなり、涙が溢れた。
「うん、知っているわ」
いつの間にか、少女が目の前にいた。僕の頬に手を添え、囁くように言う。
「頑張ってるあなたの姿、私、ずっと見ていたもの……」
泣きはらした顔を上げると、一陣の風が吹き抜けた。
風は僕の涙を攫い、少女の金髪をふわりとすくい上げる。
あ、と僕は声を漏らした。
髪に隠れていたけれど、少女の頬に、三日月のような細い傷があったのだ。
「ああ、これ?」
僕の視線に気づき、
「これは、そう、勲章のようなものだから大丈夫よ」
少女は愛しむように傷をさすった。
先ほどまでのきつい印象は消え、優しい笑みが口元に浮かんでいた。
その洗練された美しさについ見惚れるが、はっと我に返り制服のポケットを漁る。
「大丈夫、じゃなくて、だめだよ!」
体育の授業で怪我をした際、保険の先生が多めにくれた絆創膏。その中の一枚を、少女の傷口にぺたりと貼りつけた。
少女は面食らい、目をぱちくりさせた。ややあって、絆創膏の上からそっと傷口をさする。
「……ありがとう。さっきは、冷たいこと言ってごめんなさい。あなたの王子様、見られなくなるのが悲しくて、ついあたってしまったの」
僕は目を瞬かせた。
こんな僕の演技を見たいと言ってくれる人がいるなんて……
「私だけじゃないわ。他にも、見たいと思っている人はいっぱいいる。だから、諦めないで」
約束よ、と少女は僕の耳元で囁き、すっと大気に透け――消えた。
辺りを見回すが、少女の姿はもう何処にもない。
白昼夢でも見ていたのだろうか……?
そう思った時、つま先に何かが当たった。
拾い上げ、視界が涙で滲む。
主役に抜擢された日から、片時も手放すことのなかった台本は、酷使しすぎてボロボロになっている。
何とはなしにひっくり返し、僕は息を呑んだ。
皺だらけの裏表紙。破れかけた隅っこに、小さな絆創膏が貼られている――
* * *
学校の廊下、あるいは雑踏の中、ぼくは気がつくとあの少女を探してしまう。
あの日以来、少女は僕の前に現れない。けれど、不思議と寂しくない。
舞台の本番は、もう目前まで迫っていた――
【了】
みんなのリアクション
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舞台に立ち、誰もいない観客席を見渡す。
演じるのは第二幕――王子様が、隣国のお姫様に想いを告げる大事な|場面《シーン》。
僕の声は、鳥だ。観客席を駆け抜け、空へと舞い上がるイメージ。気高く、何者にも支配されない、王子の風格を持った鳥――
『――全然感情こもってない!』
先輩の一言が脳裏によみがえり、|鳥《こえ》は翼を失い|喉《のど》に|痞《つか》えた。
演劇部で初めて主役を勝ち取り、天にも昇る|心地《ここち》だった。それが今はどうだ。自分の演技力のなさに、すっかり打ちのめされている。
これ以上、みんなに迷惑はかけられない。演劇関係者も多く観に来る大切な舞台なのだから。
「……主役、下りよう」
避けてきた言葉を、ついに口にした時だった。
「逃げるの?」
公園に|設《しつら》えられた野外ステージ。誰もいない筈の観客席に、一人の少女が座っていた。
早朝の空にはまだ月が残っていて、波打つ金髪が、月の妖精を思わせた。
「え……誰?」
「人にものを尋ねる時は、まず自分から名乗るのが礼儀よね。でも、あなたのことは良く知っているわ。いつもここで練習しているでしょ?」
僕はどきっとした。
この時間は誰もいない筈で、通学途中に立ち寄るには丁度良かった。いつから見られていたのだろう。
「……君には関係ない」
|拙《つた》ない演技を見られていたのかと思うと、恥ずかしい。
「あら、ずいぶん冷たいこと言うのね」
少女はくすりと笑い、
「なら、私も冷たいこと言おうかしら。そんな逃げ腰な王子様に、お姫様が|靡《なび》くことはないわね」
「君に……君に何が分かるんだ!」
自覚していたことだから、心に深く突き刺さった。
「どんなに練習しても認められない、こんな惨めな僕の気持ちなんて……っ」
言ってて虚しくなり、涙が溢れた。
「うん、知っているわ」
いつの間にか、少女が目の前にいた。僕の頬に手を添え、囁くように言う。
「頑張ってるあなたの姿、私、ずっと見ていたもの……」
泣きはらした顔を上げると、一陣の風が吹き抜けた。
風は僕の涙を|攫《さら》い、少女の金髪をふわりとすくい上げる。
あ、と僕は声を漏らした。
髪に隠れていたけれど、少女の頬に、三日月のような細い傷があったのだ。
「ああ、これ?」
僕の視線に気づき、
「これは、そう、|勲章《くんしょう》のようなものだから大丈夫よ」
少女は|愛《いと》しむように傷をさすった。
先ほどまでのきつい印象は消え、優しい笑みが口元に浮かんでいた。
その洗練された美しさについ|見惚《みと》れるが、はっと我に返り制服のポケットを|漁《あさ》る。
「大丈夫、じゃなくて、だめだよ!」
体育の授業で|怪我《けが》をした際、保険の先生が多めにくれた|絆創膏《ばんそうこう》。その中の一枚を、少女の傷口にぺたりと貼りつけた。
少女は面食らい、目をぱちくりさせた。ややあって、|絆創膏《ばんそうこう》の上からそっと傷口をさする。
「……ありがとう。さっきは、冷たいこと言ってごめんなさい。あなたの王子様、見られなくなるのが悲しくて、ついあたってしまったの」
僕は目を|瞬《しばた》かせた。
こんな僕の演技を見たいと言ってくれる人がいるなんて……
「私だけじゃないわ。他にも、見たいと思っている人はいっぱいいる。だから、諦めないで」
約束よ、と少女は僕の耳元で|囁《ささや》き、すっと大気に|透《す》け――消えた。
辺りを見回すが、少女の姿はもう何処にもない。
|白昼夢《はくちゅうむ》でも見ていたのだろうか……?
そう思った時、つま先に何かが当たった。
拾い上げ、視界が涙で|滲《にじ》む。
主役に|抜擢《ばってき》された日から、片時も手放すことのなかった台本は、|酷使《こくし》しすぎてボロボロになっている。
何とはなしにひっくり返し、僕は息を|呑《の》んだ。
|皺《しわ》だらけの裏表紙。破れかけた隅っこに、小さな|絆創膏《ばんそうこう》が貼られている――
* * *
学校の廊下、あるいは|雑踏《ざっとう》の中、ぼくは気がつくとあの少女を探してしまう。
あの日以来、少女は僕の前に現れない。けれど、不思議と寂しくない。
舞台の本番は、もう目前まで迫っていた――
【了】