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 ログイン。
 いつもの動作。いつもの音。
 視界が白く染まり、次の瞬間、俺は「エターナル・クエスト」の世界にいた。

 プレイヤーネーム、ゼロ。
 レベル999。全スキルコンプリート。伝説級装備フルセット。
 このゲームが正式サービスを開始した、ちょうど十年前からプレイし続けている。一日も欠かさず、だ。

 最初はただの暇つぶしだった。
 でも気づけば、俺の人生の中心になっていた。

 ログインすると、いつものギルドハウスがある。
 仲間たちが、もう集まっている。

「よう、ゼロ。今日も来たな」
 戦士タイプのアバター、ブレイドが手を振る。
「当たり前だろ。十年間、一度も欠かしたことないんだからな」
 俺は笑いながら答える。

 ヒーラーのリリィが、いつもの優しい声で言う。
「ゼロさん、今日は特別な日ですよね」
「ああ......そうだな」

 今日は、二〇三五年十二月三十一日。
 そして、「エターナル・クエスト」のサービス最終日だ。

 三ヶ月前、運営から突然の発表があった。
「諸般の事情により、サービスを終了します」
 理由は明かされなかった。ただ、終わる、と。

 俺は、信じられなかった。
 このゲームが、終わる?
 この世界が、消える?

 ギルドの仲間たちも、みんなショックを受けていた。
 でも、受け入れるしかなかった。

 だから今日、俺たちは最後の冒険に出ることにした。

「じゃあ、行くか」
 魔法使いタイプのウィザードが、杖を掲げる。
「最後のダンジョン、クリアしようぜ」

 俺たちは、ギルドハウスを出た。
 街は、いつもと変わらない。
 NPCたちが、いつも通りに歩いている。
 空は青く、風が心地よい。

 でも、これが最後だ。
 あと数時間で、この世界は消える。



 最深部ダンジョン、「終焉の迷宮」。
 俺たちは、何度も挑戦して、やっと辿り着いた場所だ。

 ブレイドが先頭で敵を引きつけ、ウィザードが魔法で攻撃する。
 リリィが回復し、俺がトドメを刺す。
 完璧な連携。
 十年間、一緒に戦ってきた仲間たちだからこそできる、息の合った戦い方。

「よし、ボス部屋だ!」
 ブレイドが叫ぶ。

 扉を開けると、そこには巨大なドラゴンがいた。
 ラスボス、「永遠の竜王」。

 戦闘が始まる。
 ドラゴンの攻撃は苛烈だ。
 でも、俺たちは諦めない。

 リリィの回復が間に合わない。
 ウィザードのMPが尽きかける。
 ブレイドの体力がレッドゾーンに入る。

 それでも、俺たちは戦い続ける。
 最後の、最後まで。

 そして——

「やった!」
 ドラゴンが崩れ落ちる。
 俺たちは、勝った。

 画面に、「CONGRATULATIONS」の文字が浮かぶ。
 エンディングムービーが流れる。

 俺たちは、黙ってそれを見ていた。
 誰も、何も言わなかった。
 ただ、この瞬間を、心に刻もうとしていた。

 ムービーが終わる。
 俺たちは、ギルドハウスに戻った。

「......終わったな」
 ブレイドが、呟く。
「ああ」
 俺も、頷く。

 リリィが、泣いているような声で言う。
「みんな、ありがとう。十年間、楽しかったです」
「こっちこそ、ありがとう」
 ウィザードも、いつになく真面目な声だ。

 俺は、三人を見つめる。
 アバターの姿しか知らない。
 本当の顔も、名前も、年齢も、性別すら知らない。
 でも、俺にとって、彼らは本当の仲間だった。

「じゃあな、みんな」
 俺は、言った。
「現実世界でも、元気でな」

「ああ、お前もな、ゼロ」
 ブレイドが答える。
「また、どこかで会えるといいですね」
 リリィが、微笑む。
「次のゲームでも、一緒に遊ぼうぜ」
 ウィザードが、拳を突き出す。

 俺は、その拳に、自分の拳を合わせた。
 ブレイドも、リリィも、拳を合わせる。

 四つの拳が、画面の中で重なる。

「じゃあ、ログアウトするか」
 ブレイドが言う。

 一人ずつ、光になって消えていく。
 ウィザード、リリィ、ブレイド。

 最後に、俺だけが残った。

 俺は、メニュー画面を開く。
 「ログアウト」のボタンをクリックする。

 いつもなら、すぐに現実世界に戻る。
 でも——

 何も起こらない。

 俺は、もう一度クリックする。
 やはり、何も起こらない。

「......バグか?」
 俺は呟く。

 でも、画面に、見慣れない文字が浮かんだ。

『ログアウトできません』

 は?

 俺は、混乱する。
 何度もクリックする。
 でも、やはりログアウトできない。

 そして、画面に、新しい文字が浮かぶ。

『あなたは最初から、ここにいました』




 意味がわからない。
 何を言っているんだ?

 俺は、必死に考える。
 「最初から、ここにいた」?
 そんなわけがない。
 俺は、現実世界に住んでいる。
 毎日、ログインして、ログアウトしている。

 でも——

 ふと、気づく。
 俺は、「現実世界」のことを、思い出せない。

 どんな部屋に住んでいる?
 何の仕事をしている?
 家族は?友人は?

 何も、思い出せない。

 いや、違う。
 思い出せないんじゃない。
 最初から、知らないんだ。

 俺が覚えているのは、「エターナル・クエスト」の中のことだけ。
 十年間、ずっと、ここにいた。

 画面に、また文字が浮かぶ。

『患者番号0309、神代蒼様』
『意識レベル、上昇を確認』
『VR療法、第3652日目』

 VR......療法?

 画面が、変わる。
 ゲームの世界ではない、白い部屋。
 医療機器が並んでいる。

 そして、ベッドに横たわる、一人の男。
 チューブに繋がれ、目を閉じている。

 俺は、その男を見て、息を呑んだ。

 それは——俺だった。

 画面に、説明が表示される。

『神代蒼、29歳』
『十年前、交通事故により重度の脳損傷』
『意識不明の重体』
『VR医療システム「エターナル・ケア」により、意識の維持を試みる』

 俺は、理解した。

 俺は、十年前から、ずっとベッドの上にいたんだ。
 「エターナル・クエスト」は、俺の脳が作り出した世界。
 いや、違う。
 医療用VRシステムが、俺の意識を保つために作った、仮想世界。

 ブレイドも、リリィも、ウィザードも——
 全部、プログラムだったのか?
 いや、もしかしたら、医師やスタッフのアバターだったのかもしれない。

 俺が「ゲーム」だと思っていたものは、リハビリテーション。
 俺が「冒険」だと思っていたものは、脳の活動を促すためのプログラム。

 十年間。
 俺は、ずっと、ここにいた。

 画面に、新しいメッセージが表示される。

『神代蒼様』
『VRシステムのサービス終了に伴い、現実世界への復帰プログラムを開始します』
『これより、段階的に覚醒を促します』
『現実世界で、お待ちしております』

 現実世界。

 俺は、十年ぶりに、現実に戻れるんだ。
 目を開けることができるんだ。

 でも——

 俺は、ログアウトボタンの前で、手を止めた。



 現実世界には、何がある?

 俺は、29歳だ。
 でも、意識があったのは19歳まで。
 十年間のブランク。

 仕事は?ない。
 友人は?忘れられているだろう。
 家族は?もしかしたら、俺のことを諦めているかもしれない。

 それに——

 俺は、この十年間、「エターナル・クエスト」の中で生きてきた。
 ここで、笑って、泣いて、怒って、喜んで。
 仲間たちと、冒険した。

 プログラムだったとしても。
 作られた世界だったとしても。
 俺にとって、ここが「現実」だった。

 俺は、メニュー画面を見つめる。
 「ログアウト」のボタン。

 クリックすれば、現実に戻れる。
 でも——

 俺は、クリックしなかった。

 代わりに、メッセージ欄に、文字を打ち込む。

『もう少しだけ、ここにいさせてください』

 送信する。

 数秒後、返信が来る。

『神代様、現実世界には、あなたを待っている人がいます』
『ご両親、ご兄弟、そして——』

 画面に、写真が表示される。

 若い女性。
 俺より少し年下に見える。
 笑顔で、俺の——ベッドの上の俺の——手を握っている。

『婚約者の、七海奏様です』

 婚約者?

 俺には、そんな記憶はない。
 でも、写真の女性は、確かに俺の手を握っている。
 そして、泣いている。

 メッセージが続く。

『七海様は、十年間、毎日あなたのお見舞いに来ています』
『あなたの回復を、信じて』

 十年間。
 毎日。

 俺が、仮想世界で遊んでいる間。
 誰かが、現実世界で、俺を待っていた。

 画面を見つめる。
 写真の女性を、見つめる。

 俺は——

 ログアウトボタンに、手を伸ばした。



 でも。

 クリックする直前、俺は止まった。

 ふと、思ったんだ。

 現実世界に戻ったとして、俺は「神代蒼」として生きられるのか?
 十年間のブランク。
 失った時間。
 変わってしまった世界。

 それに——

 もしかしたら、「現実世界」も、別の仮想世界かもしれない。
 VRの中のVR。
 終わりのない、入れ子構造。

 俺は、どこまで行っても、「本当の現実」には辿り着けないんじゃないか?

 画面を見る。
 写真の女性を見る。
 彼女は、本当に存在するのか?
 それとも、俺を現実に引き戻すための、プログラムが用意した「餌」なのか?

 わからない。
 何が本当で、何が嘘なのか。

 でも——

 俺は、決めた。

 ログアウトボタンを、クリックする。

 画面が、白く染まる。

 そして——



エピローグ

 目を開ける。

 天井が見える。
 白い、病院の天井。

 体が、重い。
 動かない。

 でも、感覚がある。
 呼吸ができる。
 心臓が、鳴っている。

「......蒼!」

 声が聞こえる。
 女性の声。

 顔を、そちらに向ける。
 ゆっくりと。

 そこには、写真で見た女性がいた。
 七海奏。
 俺の、婚約者。

 彼女は、泣いていた。
 でも、笑っていた。

「蒼......目を、開けたのね......!」

 俺は、何か言おうとする。
 でも、声が出ない。
 十年間、使っていなかった声帯。

 それでも、俺は言おうとする。

「......おかえり、なさい」
 奏が、俺の手を握る。
「ずっと、待ってたよ」

 俺は、彼女の手の温もりを感じる。
 これは、本物だ。
 プログラムじゃない。
 データじゃない。

 本物の、温もり。

 俺は、やっと、声を出す。

「......ただいま」

 かすれた、小さな声。
 でも、確かに、俺の声。

 奏は、また泣いた。

 俺も、泣いた。

 十年ぶりの、現実世界。
 十年ぶりの、本当の涙。

 窓の外を見る。
 青い空。
 白い雲。

 これが、現実なのか?
 それとも、また別の仮想世界なのか?

 俺には、まだわからない。

 でも——

 奏の手の温もり。
 この感覚。
 これだけは、本物だと信じたい。

 俺は、彼女の手を、握り返した。

 そして、もう一度、言う。

「ただいま」

 これが、俺の最後のログアウト。

 そして、新しい人生の、ログイン。

(了)










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 いつもの動作。いつもの音。
 視界が白く染まり、次の瞬間、俺は「エターナル・クエスト」の世界にいた。
 プレイヤーネーム、ゼロ。
 レベル999。全スキルコンプリート。伝説級装備フルセット。
 このゲームが正式サービスを開始した、ちょうど十年前からプレイし続けている。一日も欠かさず、だ。
 最初はただの暇つぶしだった。
 でも気づけば、俺の人生の中心になっていた。
 ログインすると、いつものギルドハウスがある。
 仲間たちが、もう集まっている。
「よう、ゼロ。今日も来たな」
 戦士タイプのアバター、ブレイドが手を振る。
「当たり前だろ。十年間、一度も欠かしたことないんだからな」
 俺は笑いながら答える。
 ヒーラーのリリィが、いつもの優しい声で言う。
「ゼロさん、今日は特別な日ですよね」
「ああ......そうだな」
 今日は、二〇三五年十二月三十一日。
 そして、「エターナル・クエスト」のサービス最終日だ。
 三ヶ月前、運営から突然の発表があった。
「諸般の事情により、サービスを終了します」
 理由は明かされなかった。ただ、終わる、と。
 俺は、信じられなかった。
 このゲームが、終わる?
 この世界が、消える?
 ギルドの仲間たちも、みんなショックを受けていた。
 でも、受け入れるしかなかった。
 だから今日、俺たちは最後の冒険に出ることにした。
「じゃあ、行くか」
 魔法使いタイプのウィザードが、杖を掲げる。
「最後のダンジョン、クリアしようぜ」
 俺たちは、ギルドハウスを出た。
 街は、いつもと変わらない。
 NPCたちが、いつも通りに歩いている。
 空は青く、風が心地よい。
 でも、これが最後だ。
 あと数時間で、この世界は消える。
 最深部ダンジョン、「終焉の迷宮」。
 俺たちは、何度も挑戦して、やっと辿り着いた場所だ。
 ブレイドが先頭で敵を引きつけ、ウィザードが魔法で攻撃する。
 リリィが回復し、俺がトドメを刺す。
 完璧な連携。
 十年間、一緒に戦ってきた仲間たちだからこそできる、息の合った戦い方。
「よし、ボス部屋だ!」
 ブレイドが叫ぶ。
 扉を開けると、そこには巨大なドラゴンがいた。
 ラスボス、「永遠の竜王」。
 戦闘が始まる。
 ドラゴンの攻撃は苛烈だ。
 でも、俺たちは諦めない。
 リリィの回復が間に合わない。
 ウィザードのMPが尽きかける。
 ブレイドの体力がレッドゾーンに入る。
 それでも、俺たちは戦い続ける。
 最後の、最後まで。
 そして——
「やった!」
 ドラゴンが崩れ落ちる。
 俺たちは、勝った。
 画面に、「CONGRATULATIONS」の文字が浮かぶ。
 エンディングムービーが流れる。
 俺たちは、黙ってそれを見ていた。
 誰も、何も言わなかった。
 ただ、この瞬間を、心に刻もうとしていた。
 ムービーが終わる。
 俺たちは、ギルドハウスに戻った。
「......終わったな」
 ブレイドが、呟く。
「ああ」
 俺も、頷く。
 リリィが、泣いているような声で言う。
「みんな、ありがとう。十年間、楽しかったです」
「こっちこそ、ありがとう」
 ウィザードも、いつになく真面目な声だ。
 俺は、三人を見つめる。
 アバターの姿しか知らない。
 本当の顔も、名前も、年齢も、性別すら知らない。
 でも、俺にとって、彼らは本当の仲間だった。
「じゃあな、みんな」
 俺は、言った。
「現実世界でも、元気でな」
「ああ、お前もな、ゼロ」
 ブレイドが答える。
「また、どこかで会えるといいですね」
 リリィが、微笑む。
「次のゲームでも、一緒に遊ぼうぜ」
 ウィザードが、拳を突き出す。
 俺は、その拳に、自分の拳を合わせた。
 ブレイドも、リリィも、拳を合わせる。
 四つの拳が、画面の中で重なる。
「じゃあ、ログアウトするか」
 ブレイドが言う。
 一人ずつ、光になって消えていく。
 ウィザード、リリィ、ブレイド。
 最後に、俺だけが残った。
 俺は、メニュー画面を開く。
 「ログアウト」のボタンをクリックする。
 いつもなら、すぐに現実世界に戻る。
 でも——
 何も起こらない。
 俺は、もう一度クリックする。
 やはり、何も起こらない。
「......バグか?」
 俺は呟く。
 でも、画面に、見慣れない文字が浮かんだ。
『ログアウトできません』
 は?
 俺は、混乱する。
 何度もクリックする。
 でも、やはりログアウトできない。
 そして、画面に、新しい文字が浮かぶ。
『あなたは最初から、ここにいました』
 意味がわからない。
 何を言っているんだ?
 俺は、必死に考える。
 「最初から、ここにいた」?
 そんなわけがない。
 俺は、現実世界に住んでいる。
 毎日、ログインして、ログアウトしている。
 でも——
 ふと、気づく。
 俺は、「現実世界」のことを、思い出せない。
 どんな部屋に住んでいる?
 何の仕事をしている?
 家族は?友人は?
 何も、思い出せない。
 いや、違う。
 思い出せないんじゃない。
 最初から、知らないんだ。
 俺が覚えているのは、「エターナル・クエスト」の中のことだけ。
 十年間、ずっと、ここにいた。
 画面に、また文字が浮かぶ。
『患者番号0309、神代蒼様』
『意識レベル、上昇を確認』
『VR療法、第3652日目』
 VR......療法?
 画面が、変わる。
 ゲームの世界ではない、白い部屋。
 医療機器が並んでいる。
 そして、ベッドに横たわる、一人の男。
 チューブに繋がれ、目を閉じている。
 俺は、その男を見て、息を呑んだ。
 それは——俺だった。
 画面に、説明が表示される。
『神代蒼、29歳』
『十年前、交通事故により重度の脳損傷』
『意識不明の重体』
『VR医療システム「エターナル・ケア」により、意識の維持を試みる』
 俺は、理解した。
 俺は、十年前から、ずっとベッドの上にいたんだ。
 「エターナル・クエスト」は、俺の脳が作り出した世界。
 いや、違う。
 医療用VRシステムが、俺の意識を保つために作った、仮想世界。
 ブレイドも、リリィも、ウィザードも——
 全部、プログラムだったのか?
 いや、もしかしたら、医師やスタッフのアバターだったのかもしれない。
 俺が「ゲーム」だと思っていたものは、リハビリテーション。
 俺が「冒険」だと思っていたものは、脳の活動を促すためのプログラム。
 十年間。
 俺は、ずっと、ここにいた。
 画面に、新しいメッセージが表示される。
『神代蒼様』
『VRシステムのサービス終了に伴い、現実世界への復帰プログラムを開始します』
『これより、段階的に覚醒を促します』
『現実世界で、お待ちしております』
 現実世界。
 俺は、十年ぶりに、現実に戻れるんだ。
 目を開けることができるんだ。
 でも——
 俺は、ログアウトボタンの前で、手を止めた。
 現実世界には、何がある?
 俺は、29歳だ。
 でも、意識があったのは19歳まで。
 十年間のブランク。
 仕事は?ない。
 友人は?忘れられているだろう。
 家族は?もしかしたら、俺のことを諦めているかもしれない。
 それに——
 俺は、この十年間、「エターナル・クエスト」の中で生きてきた。
 ここで、笑って、泣いて、怒って、喜んで。
 仲間たちと、冒険した。
 プログラムだったとしても。
 作られた世界だったとしても。
 俺にとって、ここが「現実」だった。
 俺は、メニュー画面を見つめる。
 「ログアウト」のボタン。
 クリックすれば、現実に戻れる。
 でも——
 俺は、クリックしなかった。
 代わりに、メッセージ欄に、文字を打ち込む。
『もう少しだけ、ここにいさせてください』
 送信する。
 数秒後、返信が来る。
『神代様、現実世界には、あなたを待っている人がいます』
『ご両親、ご兄弟、そして——』
 画面に、写真が表示される。
 若い女性。
 俺より少し年下に見える。
 笑顔で、俺の——ベッドの上の俺の——手を握っている。
『婚約者の、七海奏様です』
 婚約者?
 俺には、そんな記憶はない。
 でも、写真の女性は、確かに俺の手を握っている。
 そして、泣いている。
 メッセージが続く。
『七海様は、十年間、毎日あなたのお見舞いに来ています』
『あなたの回復を、信じて』
 十年間。
 毎日。
 俺が、仮想世界で遊んでいる間。
 誰かが、現実世界で、俺を待っていた。
 画面を見つめる。
 写真の女性を、見つめる。
 俺は——
 ログアウトボタンに、手を伸ばした。
 でも。
 クリックする直前、俺は止まった。
 ふと、思ったんだ。
 現実世界に戻ったとして、俺は「神代蒼」として生きられるのか?
 十年間のブランク。
 失った時間。
 変わってしまった世界。
 それに——
 もしかしたら、「現実世界」も、別の仮想世界かもしれない。
 VRの中のVR。
 終わりのない、入れ子構造。
 俺は、どこまで行っても、「本当の現実」には辿り着けないんじゃないか?
 画面を見る。
 写真の女性を見る。
 彼女は、本当に存在するのか?
 それとも、俺を現実に引き戻すための、プログラムが用意した「餌」なのか?
 わからない。
 何が本当で、何が嘘なのか。
 でも——
 俺は、決めた。
 ログアウトボタンを、クリックする。
 画面が、白く染まる。
 そして——
エピローグ
 目を開ける。
 天井が見える。
 白い、病院の天井。
 体が、重い。
 動かない。
 でも、感覚がある。
 呼吸ができる。
 心臓が、鳴っている。
「......蒼!」
 声が聞こえる。
 女性の声。
 顔を、そちらに向ける。
 ゆっくりと。
 そこには、写真で見た女性がいた。
 七海奏。
 俺の、婚約者。
 彼女は、泣いていた。
 でも、笑っていた。
「蒼......目を、開けたのね......!」
 俺は、何か言おうとする。
 でも、声が出ない。
 十年間、使っていなかった声帯。
 それでも、俺は言おうとする。
「......おかえり、なさい」
 奏が、俺の手を握る。
「ずっと、待ってたよ」
 俺は、彼女の手の温もりを感じる。
 これは、本物だ。
 プログラムじゃない。
 データじゃない。
 本物の、温もり。
 俺は、やっと、声を出す。
「......ただいま」
 かすれた、小さな声。
 でも、確かに、俺の声。
 奏は、また泣いた。
 俺も、泣いた。
 十年ぶりの、現実世界。
 十年ぶりの、本当の涙。
 窓の外を見る。
 青い空。
 白い雲。
 これが、現実なのか?
 それとも、また別の仮想世界なのか?
 俺には、まだわからない。
 でも——
 奏の手の温もり。
 この感覚。
 これだけは、本物だと信じたい。
 俺は、彼女の手を、握り返した。
 そして、もう一度、言う。
「ただいま」
 これが、俺の最後のログアウト。
 そして、新しい人生の、ログイン。
(了)