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バーニング・ポケット

ー/ー



 バッグヤードは窮屈で、混み合うエレベーターに乗ったように呼吸が浅くなる。
 そこかしこで山積みのダンボールには、出版社に返本予定の本がぎっしり詰まっている。

 バイトの休憩中、俺は気まぐれにうち1冊を手に取ってみた。
『成長したいなら、言い訳をやめなさい』とある。

 この手の本、まるで購買意欲が湧かないんだよな。広い層に刺さり得るテーマの割に、客が買ったことも見た試しがない。
 いったい誰が読むというのか。誰も読まないんじゃないか。
 みんな、同じように思っていないかな。

 俺はデフォルメされたおじさん教授が載った表紙をスマホで撮った。
〝こんな誰も読まない本を刷るくらいなら、その紙でトイレットペーパーを作れよ。完全に資源の無駄だわ〟
 そう、SNS上で吠えた。誰かの共感が欲しい。キラキラしてない大学生活の憂さ晴らしも兼ねている。

 呟く直前、親指が宙を泳いだ。
 普段、俺は後ろ向きであったり攻撃的な内容の発信は避けている。

 が、投稿に踏み切った。
 どうせ俺に影響力など皆無だ。毎日欠かさず上げている、道端に咲いた花や上手なラテアートといった、日常の小さな幸せを捉えた写真にいいねはほとんどつかない。勤務前に上げた、変わった形の雲の画像も例に漏れない。

 日常の小さな幸せに需要などない。
 刺激的な投稿の方が、反響があるかもしれない。
 これはそのテストだ。

「おい、いつまで休んでんだ」
 不意に背後から低い声が届いて、俺は尻の筋力でパイプ椅子を跳ねた。ふり返ると売り場に繋がるドアで店長が睨みを利かせている。
 スマホで時刻を確かめると休憩時間を5分過ぎていた。

「すみません、すぐに戻ります」
 スマホをロッカーにしまう時間も惜しんでズボンのポケットにねじ込む。緑のエプロンの紐を背後で蝶結びして5分、売れ筋本コーナーにPOPを飾ったとき、ポケットでスマホがぶるっと震えた。

 通知だ。
 さっきの投稿、いいねがついたかも。
 その可能性が過ると、新鮮なリンゴを囓ったようにぶわっと心に充足感が広がった。
 あの本に価値がないと思ったのは、俺だけじゃない。

 さらに2回スマホが震えた。
 自分比、反応がいい。誰がいいねをくれたのか。口元が卑しく緩む。
「なんだ、その不気味な顔は」
 店長に窘められた。接客スマイルとは呼べない笑顔になっていたようだ。自然な微笑みに徹する。

 それからさらに10分経たないうちに、スマホが10回震えた。

 妙だ。あまりに通知が多い。社交性に欠けた俺のアカウントのフォロワーは30人に満たない。この短時間で総数の3分の1以上がいいねをつけるのは非現実的だ。

 リアルの友達も少ない。立て続けにメッセージを受信したとも考えにくい。
 公式アプリ類は無用な訴求を嫌ってどれも通知を切っている。

 となると、さっきの投稿を見たフォロワーの誰かが拡散、それが不特定多数の、俺と直接は繋がりのないアカウントの目に触れてバズった、という線が妥当だ。

 店は混雑していないが、休憩時間をオーバーした立場だ。隙をうかがってスマホを盗み見る行為は憚られた。 

 小銭が転がる音で我に返る。余計なことを考えて、お釣りをトレーの外に落とした。
 業務に集中しようと思い直すも、依然、ポケットで震え続けるスマホが阻害する。

 ここまでは、求めていなかった。
 バズったと言えば聞こえは良いけど、実態は炎上だろ。

 さっきと違う意味で、接客スマイルの維持が困難だ。今は無理やり頬を吊り上げている。

 その後も精彩を欠いた。小説コーナーにラノベを並べた。文庫本に新書サイズのブックカバーをつけた。スマホの振動がポケットから腕にまで伝播して、リーダーの赤い光がブレてバーコードの読み取りに手間取った。

 通知の頻度は加速する。30分も経つころには、着信と紛うレベルでスマホが絶えず震え続けた。
 間違いない。炎上だ。

「お前、葬儀に参列してんのか」
 気づけば口が、真一文字になっていた。
 
〝私、この本に救われたんですけど〟
〝どう思うかは個人の自由でも、公の場で馬鹿にする必要なんてないんじゃないですか〟
 無意識のうちに自らを責めて、コンサートホールで叫んだように頭の中でわんわん反響する。

 バイトを後半も終えた。生きた心地がしない3時間だった。度重なる店長の叱責も、馴染みのない動物の鳴き声の如く耳に残らず流れていった。
 なおもポケットは小刻みに震える。

 もう身元を特定されているだろうか。顔写真こそ載せていないが、投稿を遡れば大学名や大まかな居住地、バイト先くらいは簡単に割り出せるだろう。
 果たしてクビだけで済むだろうか。流石に退学はないだろうが、就活に響く恐れはある。

 バックヤードに戻った。いつもなら手早く蝶結びの紐を解くが、着替える気力が湧かず、腰から落ちるようにパイプ椅子に座った。椅子が上げる甲高い悲鳴で、全身の神経がより一層強ばった。

 深呼吸を3回くり返して、ポケットからスマホを出す。
 案の定、見知らぬハンドルネームのコメントが画面を占めていた。

〝私も猫好きなんで、その感覚分かります〟
〝こういう何気ない幸せ、大切にしたいですね〟

 1人きりのバックヤードで「うん?」と声が漏れ出た。
 本をディスった投稿への反応ではない。

 画面を指で弾くようにしてSNSを開いて、自身が綴った投稿を見直す。

〝猫好きだから、こんな雲を見ただけで幸せ。まるでぐっすり眠った白猫〟

 青空にふわりと漂う丸い雲にちょこんと生えた、二つの三角の突起の画像が添えてある。

 バズったのは、猫の頭によく似た雲を収めた写真だった。

 自分と同じで、小さな幸せを大切にする人が実は大勢いる。
 そう実感できると、塞ぎ込んでいた気持ちが高々と大空に舞い上がるようだった。

 俺は共感の声をひとしきり堪能したのち、1つのいいねもつかない悪態をそっと消した。




みんなのリアクション

 バッグヤードは窮屈で、混み合うエレベーターに乗ったように呼吸が浅くなる。
 そこかしこで山積みのダンボールには、出版社に返本予定の本がぎっしり詰まっている。
 バイトの休憩中、俺は気まぐれにうち1冊を手に取ってみた。
『成長したいなら、言い訳をやめなさい』とある。
 この手の本、まるで購買意欲が湧かないんだよな。広い層に刺さり得るテーマの割に、客が買ったことも見た試しがない。
 いったい誰が読むというのか。誰も読まないんじゃないか。
 みんな、同じように思っていないかな。
 俺はデフォルメされたおじさん教授が載った表紙をスマホで撮った。
〝こんな誰も読まない本を刷るくらいなら、その紙でトイレットペーパーを作れよ。完全に資源の無駄だわ〟
 そう、SNS上で吠えた。誰かの共感が欲しい。キラキラしてない大学生活の憂さ晴らしも兼ねている。
 呟く直前、親指が宙を泳いだ。
 普段、俺は後ろ向きであったり攻撃的な内容の発信は避けている。
 が、投稿に踏み切った。
 どうせ俺に影響力など皆無だ。毎日欠かさず上げている、道端に咲いた花や上手なラテアートといった、日常の小さな幸せを捉えた写真にいいねはほとんどつかない。勤務前に上げた、変わった形の雲の画像も例に漏れない。
 日常の小さな幸せに需要などない。
 刺激的な投稿の方が、反響があるかもしれない。
 これはそのテストだ。
「おい、いつまで休んでんだ」
 不意に背後から低い声が届いて、俺は尻の筋力でパイプ椅子を跳ねた。ふり返ると売り場に繋がるドアで店長が睨みを利かせている。
 スマホで時刻を確かめると休憩時間を5分過ぎていた。
「すみません、すぐに戻ります」
 スマホをロッカーにしまう時間も惜しんでズボンのポケットにねじ込む。緑のエプロンの紐を背後で蝶結びして5分、売れ筋本コーナーにPOPを飾ったとき、ポケットでスマホがぶるっと震えた。
 通知だ。
 さっきの投稿、いいねがついたかも。
 その可能性が過ると、新鮮なリンゴを囓ったようにぶわっと心に充足感が広がった。
 あの本に価値がないと思ったのは、俺だけじゃない。
 さらに2回スマホが震えた。
 自分比、反応がいい。誰がいいねをくれたのか。口元が卑しく緩む。
「なんだ、その不気味な顔は」
 店長に窘められた。接客スマイルとは呼べない笑顔になっていたようだ。自然な微笑みに徹する。
 それからさらに10分経たないうちに、スマホが10回震えた。
 妙だ。あまりに通知が多い。社交性に欠けた俺のアカウントのフォロワーは30人に満たない。この短時間で総数の3分の1以上がいいねをつけるのは非現実的だ。
 リアルの友達も少ない。立て続けにメッセージを受信したとも考えにくい。
 公式アプリ類は無用な訴求を嫌ってどれも通知を切っている。
 となると、さっきの投稿を見たフォロワーの誰かが拡散、それが不特定多数の、俺と直接は繋がりのないアカウントの目に触れてバズった、という線が妥当だ。
 店は混雑していないが、休憩時間をオーバーした立場だ。隙をうかがってスマホを盗み見る行為は憚られた。 
 小銭が転がる音で我に返る。余計なことを考えて、お釣りをトレーの外に落とした。
 業務に集中しようと思い直すも、依然、ポケットで震え続けるスマホが阻害する。
 ここまでは、求めていなかった。
 バズったと言えば聞こえは良いけど、実態は炎上だろ。
 さっきと違う意味で、接客スマイルの維持が困難だ。今は無理やり頬を吊り上げている。
 その後も精彩を欠いた。小説コーナーにラノベを並べた。文庫本に新書サイズのブックカバーをつけた。スマホの振動がポケットから腕にまで伝播して、リーダーの赤い光がブレてバーコードの読み取りに手間取った。
 通知の頻度は加速する。30分も経つころには、着信と紛うレベルでスマホが絶えず震え続けた。
 間違いない。炎上だ。
「お前、葬儀に参列してんのか」
 気づけば口が、真一文字になっていた。
〝私、この本に救われたんですけど〟
〝どう思うかは個人の自由でも、公の場で馬鹿にする必要なんてないんじゃないですか〟
 無意識のうちに自らを責めて、コンサートホールで叫んだように頭の中でわんわん反響する。
 バイトを後半も終えた。生きた心地がしない3時間だった。度重なる店長の叱責も、馴染みのない動物の鳴き声の如く耳に残らず流れていった。
 なおもポケットは小刻みに震える。
 もう身元を特定されているだろうか。顔写真こそ載せていないが、投稿を遡れば大学名や大まかな居住地、バイト先くらいは簡単に割り出せるだろう。
 果たしてクビだけで済むだろうか。流石に退学はないだろうが、就活に響く恐れはある。
 バックヤードに戻った。いつもなら手早く蝶結びの紐を解くが、着替える気力が湧かず、腰から落ちるようにパイプ椅子に座った。椅子が上げる甲高い悲鳴で、全身の神経がより一層強ばった。
 深呼吸を3回くり返して、ポケットからスマホを出す。
 案の定、見知らぬハンドルネームのコメントが画面を占めていた。
〝私も猫好きなんで、その感覚分かります〟
〝こういう何気ない幸せ、大切にしたいですね〟
 1人きりのバックヤードで「うん?」と声が漏れ出た。
 本をディスった投稿への反応ではない。
 画面を指で弾くようにしてSNSを開いて、自身が綴った投稿を見直す。
〝猫好きだから、こんな雲を見ただけで幸せ。まるでぐっすり眠った白猫〟
 青空にふわりと漂う丸い雲にちょこんと生えた、二つの三角の突起の画像が添えてある。
 バズったのは、猫の頭によく似た雲を収めた写真だった。
 自分と同じで、小さな幸せを大切にする人が実は大勢いる。
 そう実感できると、塞ぎ込んでいた気持ちが高々と大空に舞い上がるようだった。
 俺は共感の声をひとしきり堪能したのち、1つのいいねもつかない悪態をそっと消した。


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