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#4

ー/ー



「逃げるように出て行ったかと思ったら夕飯にはきっちり帰るんだから、人間も犬もあったもんじゃない。タローもお目付け役をお願いしたんだからしっかりしてくれないと困るじゃないか」

 少年はこっそり部屋に戻ろうとしたのだが残念なことに母親に気付かれてしまっていた。しかしその顔は相棒と仲良く叱られる羽目になったのに飄々としており、むしろ犬の方が大袈裟にしょげている。
 その光景を見て自宅の書斎を改造して作り上げた研究室から出て来たばかりの父親は可笑しそうに笑った。今も昔も狩りを生業とするネリット族にとってこの時期は脂ののったアザラシを狩る絶好の季節なのだが、呑気に安楽椅子に座る父の姿から、最早春までの保存食を作る必要がないという考えが伝わって来て子供の中の疑念が深くした。

「まあまあ、そう怒らなくてもいいじゃないか。子供なんだから自由に遊ばせてやっても」
「なにが自由ですか。貴方ときたら家庭をもって子供が出来ても必ず週に一回は飲みに出る癖に。十年を束の間って表現できるのは妖精とセドナ様くらいのものよ?それに冬以外は学校で働いていても、村の男ならこの時期は狩りに出ている筈なのに貴方ときたら今更何の役にも立たない研究ばっかり、ちょっと聞いてるの!?」

 少年は父親が藪蛇だったと後悔しながら自室に逃げる背とそれを追う母親がリビングから出て行くのを見送るという一連の流れが可笑しくて、暖かい暖炉の前で身を横たえる犬と目を合わせる。犬には表情筋などほぼ無いはずなのに不思議とタローも笑っているように見えた。
 願わくばテレビや新聞で伝えられている回避不能という世界の終わりまでの一ヶ月間が、どうか永久凍土の根雪ように重たく空気でなく、今日のような書物と笑顔に彩られた日々であることを静かに祈りながら、ライアンはパンを噛み千切り普段より若干香り高いスープを喉にくぐらせた。
 そして母はおそらく違うが、少なくとも父は【流星症候群】であると確信した。

 あと一ヶ月と少しで金星の欠片が世界に落ちる。それが世界の終わる日で【流星症候群】の生まれるきっかけとなった。
 症候群と言ってもこれは厳密に言うと病気ではない。どうしようもない結末を知った上で何も知らない風に振舞うべきだと考えた者が提唱し、インターネットで造られた造語である。
 曰く、田舎町や情報管理の厳しい国の人間は知らないのだからいつも通り過ごさせるべきだ。先進国で既に色々見て知ってしまった我々も、最期の日まで明るく笑っていられるように暗い話題を出すべきではない。

 大体そんな内容である。
 これが世界中に拡散された事で世界は二分された。
 投稿者に賛同しその輪を広げようとする者と、全人類が最期に日を意識して生きるべきであると豪語する者。前者を【日常派】、後者を【周知派】と呼ぶ。そして両勢力が互いをニュースで頭がおかしくなった者とし、侮蔑の念を込めて【流星症候群】と馬鹿にしていた。
 冬休みに入るまで大きな町で過ごしていた少年は周知派寄りの日和見勢だったが、村に帰って来た瞬間本当に自分の考えが正しいのか分からなくなっていた。
 原因は村の皆が笑顔だったからだ。
 人類最後の日を知っているのか知らないのかすら分からない。知ったうえで笑顔なら村中が日常派だし、知らないのであれば自然な笑顔なのだから曇らせたくはなかった。

 少年は村に帰って来てから毎日自室のベッドの上で悶々としていた。皆知るべきだと思うが知らないままの方が幸せな気がすると。
 今も夕飯を腹に収めてから自室のベッドの上で漫画を読むも、半年前までのように物語の中に没入できずにいる。



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「逃げるように出て行ったかと思ったら夕飯にはきっちり帰るんだから、人間も犬もあったもんじゃない。タローもお目付け役をお願いしたんだからしっかりしてくれないと困るじゃないか」
 少年はこっそり部屋に戻ろうとしたのだが残念なことに母親に気付かれてしまっていた。しかしその顔は相棒と仲良く叱られる羽目になったのに飄々としており、むしろ犬の方が大袈裟にしょげている。
 その光景を見て自宅の書斎を改造して作り上げた研究室から出て来たばかりの父親は可笑しそうに笑った。今も昔も狩りを生業とするネリット族にとってこの時期は脂ののったアザラシを狩る絶好の季節なのだが、呑気に安楽椅子に座る父の姿から、最早春までの保存食を作る必要がないという考えが伝わって来て子供の中の疑念が深くした。
「まあまあ、そう怒らなくてもいいじゃないか。子供なんだから自由に遊ばせてやっても」
「なにが自由ですか。貴方ときたら家庭をもって子供が出来ても必ず週に一回は飲みに出る癖に。十年を束の間って表現できるのは妖精とセドナ様くらいのものよ?それに冬以外は学校で働いていても、村の男ならこの時期は狩りに出ている筈なのに貴方ときたら今更何の役にも立たない研究ばっかり、ちょっと聞いてるの!?」
 少年は父親が藪蛇だったと後悔しながら自室に逃げる背とそれを追う母親がリビングから出て行くのを見送るという一連の流れが可笑しくて、暖かい暖炉の前で身を横たえる犬と目を合わせる。犬には表情筋などほぼ無いはずなのに不思議とタローも笑っているように見えた。
 願わくばテレビや新聞で伝えられている回避不能という世界の終わりまでの一ヶ月間が、どうか永久凍土の根雪ように重たく空気でなく、今日のような書物と笑顔に彩られた日々であることを静かに祈りながら、ライアンはパンを噛み千切り普段より若干香り高いスープを喉にくぐらせた。
 そして母はおそらく違うが、少なくとも父は【流星症候群】であると確信した。
 あと一ヶ月と少しで金星の欠片が世界に落ちる。それが世界の終わる日で【流星症候群】の生まれるきっかけとなった。
 症候群と言ってもこれは厳密に言うと病気ではない。どうしようもない結末を知った上で何も知らない風に振舞うべきだと考えた者が提唱し、インターネットで造られた造語である。
 曰く、田舎町や情報管理の厳しい国の人間は知らないのだからいつも通り過ごさせるべきだ。先進国で既に色々見て知ってしまった我々も、最期の日まで明るく笑っていられるように暗い話題を出すべきではない。
 大体そんな内容である。
 これが世界中に拡散された事で世界は二分された。
 投稿者に賛同しその輪を広げようとする者と、全人類が最期に日を意識して生きるべきであると豪語する者。前者を【日常派】、後者を【周知派】と呼ぶ。そして両勢力が互いをニュースで頭がおかしくなった者とし、侮蔑の念を込めて【流星症候群】と馬鹿にしていた。
 冬休みに入るまで大きな町で過ごしていた少年は周知派寄りの日和見勢だったが、村に帰って来た瞬間本当に自分の考えが正しいのか分からなくなっていた。
 原因は村の皆が笑顔だったからだ。
 人類最後の日を知っているのか知らないのかすら分からない。知ったうえで笑顔なら村中が日常派だし、知らないのであれば自然な笑顔なのだから曇らせたくはなかった。
 少年は村に帰って来てから毎日自室のベッドの上で悶々としていた。皆知るべきだと思うが知らないままの方が幸せな気がすると。
 今も夕飯を腹に収めてから自室のベッドの上で漫画を読むも、半年前までのように物語の中に没入できずにいる。