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#3

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 人間の感覚では記録もないほど大昔、長命種に合わせて言えばほんの少し前までこの地はアラスカと呼ばれていた。今となってはよほど森奥に引きこもり世俗と離れて暮らしてきた怪異でなければ使わない地名で、人間はもちろんほとんどの生物からスピリッツだとかネイティブだとか不安定な名で呼ばれる土地がライアンの故郷だ。

 彼は長い冬休み以外大きな町の大きな学校へ通うべくにホームステイしており、今こうして実家に帰っているのは仕方なくだった。本当はずっと町の大きな図書館で本を読んでいたかったのだが、なんでも世界がもうすぐ終わるだとかで軒並み閉店、学校も閉校。父の伝手で紹介してもらったホストファミリーも一族で最期を迎えたいだろうと気を回したところ、実家以外他に行く当てがなくなってしまったのだ。

「本当に終わっちゃうのかな。タローはどう思う?」

 漫画を読み終え現実に戻ってきた少年は人間の言葉を介さない犬の背に語りかける。半年前から知っていたとはいえ実感が持てず、いまいち不安になりきれぬまま犬の背を撫でるが無口な彼は振り向きもしない。
 大きな犬は頼りない主の為にじっと外を見張り続けていた。この村は北方民族であるネリット族が大半を占めており、彼らにとって犬は生活における重要なパートナーだった。

 その昔少年の生まれるよりずっと前。まだ村が貧しかった頃は一家に一匹か二匹だったらしく狩りはともかく運搬用に犬ゾリを出すためには隣から犬を借りることもあったそうだが、今は車がありソリを引く必要が無くなったため、レジャーや民族文化継承を目的としている家以外では犬を飼う必要もなくなっている。それでもネリット族が犬を飼うのは、やはり神話の時代から一緒にいた相棒を傍らに侍らすことで精神的な安息が得られるからだろう。子供が生まれて暫くすると犬を飼うという外国の風習が地元の文化とほどよくかみ合い、ライアンの五歳の誕生日に相棒として家に招かれ九歳の成犬となったマラミュートは、彼の半身とも言うべき存在となっている。

 カマクラ内でタローが振り向き小さく鳴いたので少年は借りた本から顔を上げ、いつの間にか入り口の向こうがオレンジだったことで急いで帰路に着いた。

 少年が道すがらに目にしたのは粗野な屋台にくたびれたキッチンカー。昼間から酒をかっくらい広場の隅にゲロを吐き、ひとしきり胃の中の物をぶちまけたらまた濃い味付けのアザラシやクジラの肉を肴に飲み直す大人達。そして幼い頃は共に遊んでいたが、少年が留学してから疎遠となってしまいどう声をかければいいのか分からない村の子供達。
 朝方通り過ぎた時はキャンディーケイン柄の派手な門に灯の入っていない暗い電灯がぶら下がっているだけの静謐だった広場は、今や立ち並んだ屋台で無料で配られる酒とツマミでハイになった大人達の哄笑に幼い声で奏でられる民謡、端っこでは異臭と喧嘩の怒号の支配する混沌のるつぼで、普段はきっちりしている近所の大人達の様子が少年の心にようやく本当に世界が終わる実感をもたらしていた。

 ——誰が【流星症候群】なのか分からない以上、合わせて元気に振舞わなきゃ。

 少年は目の合った村人に適当に挨拶を返しながら帰路に着く。
 表向きの笑顔に対する鬱屈した内情。決して自分の心内を悟られぬよう、久しぶりと声を掛けてくる同輩達の誘いを親を理由に断り、広場に尾を引く気持ちを振り切るようにして自宅へと駆けだした。


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 人間の感覚では記録もないほど大昔、長命種に合わせて言えばほんの少し前までこの地はアラスカと呼ばれていた。今となってはよほど森奥に引きこもり世俗と離れて暮らしてきた怪異でなければ使わない地名で、人間はもちろんほとんどの生物からスピリッツだとかネイティブだとか不安定な名で呼ばれる土地がライアンの故郷だ。
 彼は長い冬休み以外大きな町の大きな学校へ通うべくにホームステイしており、今こうして実家に帰っているのは仕方なくだった。本当はずっと町の大きな図書館で本を読んでいたかったのだが、なんでも世界がもうすぐ終わるだとかで軒並み閉店、学校も閉校。父の伝手で紹介してもらったホストファミリーも一族で最期を迎えたいだろうと気を回したところ、実家以外他に行く当てがなくなってしまったのだ。
「本当に終わっちゃうのかな。タローはどう思う?」
 漫画を読み終え現実に戻ってきた少年は人間の言葉を介さない犬の背に語りかける。半年前から知っていたとはいえ実感が持てず、いまいち不安になりきれぬまま犬の背を撫でるが無口な彼は振り向きもしない。
 大きな犬は頼りない主の為にじっと外を見張り続けていた。この村は北方民族であるネリット族が大半を占めており、彼らにとって犬は生活における重要なパートナーだった。
 その昔少年の生まれるよりずっと前。まだ村が貧しかった頃は一家に一匹か二匹だったらしく狩りはともかく運搬用に犬ゾリを出すためには隣から犬を借りることもあったそうだが、今は車がありソリを引く必要が無くなったため、レジャーや民族文化継承を目的としている家以外では犬を飼う必要もなくなっている。それでもネリット族が犬を飼うのは、やはり神話の時代から一緒にいた相棒を傍らに侍らすことで精神的な安息が得られるからだろう。子供が生まれて暫くすると犬を飼うという外国の風習が地元の文化とほどよくかみ合い、ライアンの五歳の誕生日に相棒として家に招かれ九歳の成犬となったマラミュートは、彼の半身とも言うべき存在となっている。
 カマクラ内でタローが振り向き小さく鳴いたので少年は借りた本から顔を上げ、いつの間にか入り口の向こうがオレンジだったことで急いで帰路に着いた。
 少年が道すがらに目にしたのは粗野な屋台にくたびれたキッチンカー。昼間から酒をかっくらい広場の隅にゲロを吐き、ひとしきり胃の中の物をぶちまけたらまた濃い味付けのアザラシやクジラの肉を肴に飲み直す大人達。そして幼い頃は共に遊んでいたが、少年が留学してから疎遠となってしまいどう声をかければいいのか分からない村の子供達。
 朝方通り過ぎた時はキャンディーケイン柄の派手な門に灯の入っていない暗い電灯がぶら下がっているだけの静謐だった広場は、今や立ち並んだ屋台で無料で配られる酒とツマミでハイになった大人達の哄笑に幼い声で奏でられる民謡、端っこでは異臭と喧嘩の怒号の支配する混沌のるつぼで、普段はきっちりしている近所の大人達の様子が少年の心にようやく本当に世界が終わる実感をもたらしていた。
 ——誰が【流星症候群】なのか分からない以上、合わせて元気に振舞わなきゃ。
 少年は目の合った村人に適当に挨拶を返しながら帰路に着く。
 表向きの笑顔に対する鬱屈した内情。決して自分の心内を悟られぬよう、久しぶりと声を掛けてくる同輩達の誘いを親を理由に断り、広場に尾を引く気持ちを振り切るようにして自宅へと駆けだした。