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あいもかわらず 下ー原稿

ー/ー



「うわぁ綺麗、また出会えた。」
やはり遠回りはいいものだ。今まで何気なく過ごしていた世界を別の視点で見ることができる。世界は見る角度で表情を変える。ここでは、砂山から差し込む月光が美しいと感じたけれど、また別の世界では、また異なったものを美しいと感じる。そんな角度によって姿を見せ、現れたと思ったらすぐにどこかに隠れてしまう刹那を、カメラというものは永遠のものにしてくれる。自分がその時に美しいと感じたものを、世界から四角く切り取り、記憶しておいてくれる。私が覚えていなくても、カメラは覚えてくれている。人の感性とは、実に儚く、気まぐれなものだと私は思う。感性というものは人の奥底に眠り続け、ふと何かに対して美しいという感情を抱くと泡のようにものすごいスピードで沸き上がり、視認できるようになる。しかし、それは数ある泡の中の一つであり、時間が経つにつれ、記憶と共に沈んでいき、また、海底にひっそりと佇む無数の泡の中に埋もれてしまう。しかし、カメラは湧き上がった感性のその一瞬を写し取り、その脳の中に残しておいてくれる。人はその脳を時折覗くことで、己の奥底に眠ったままでいる感性と再会を果たすことができるのだ。だから私はカメラが大好きだ。父の死によって介護から解放され、この内灘町に越してからいざ何をしようと考えた時に、即決でフォトスタジオを選んだのは、ずっとカメラに触れていたかったからだ。どんな瞬間も逃したくなかった。気づけば私はカメラの向こうに広がる広大な海を眺めていた。寄せては返す波は穏やかで、一定のリズムで心地好い音を立てる。私はこの音が大好きで、よく海岸に来てはボーッと波を眺める。この海岸の写真もこれまでに何枚も撮っており、音まで記録できるわけではないが、写真を眺めて思い起こされる波音を時折楽しんでいる。写真というものは撮った時の記憶まで思い起こさせる。それは嫌な思い出でも同じこと。私はふと幼い頃の記憶を思い浮かべていた。幼い頃、家族三人でよく遊びに出掛けていた場所は、海だった。海辺に住んでいた貧乏な私たち家族は、家で作ったおにぎりを三つ持っていき、三人並んで海を眺めつつそれを食べるのが唯一と言ってもいい程の楽しみだった。私を必死に楽しませようと水をかけてきたり、一緒に砂山を作ったりして笑いかけてきた両親の顔が鮮明に浮かぶ。ダメだ、一度記憶の扉を開いてしまうとズルズルと引きずり込まれてしまう。芋づる式に思い出される記憶を払うように、頭を左右に激しく振る。ここに越してきて早一ヶ月、ここでの暮らしにも慣れてきたはずだ。過去とおさらばするために、私を知る人間が一人もいないここに越してきたはずなのに、自ら掘り返してどうする。今のカメラに触れ続けられる生活には満足している。目の前の波のように、毎日同じことを繰り返すだけの穏やかな日常がこのまま続けばいいと思っている。今の私にとって、それがいちばんの幸せだ。心機一転、また一から始めようと体に力を入れ立ち上がる。自転車を跨いだ私は全速力で自宅に向かう。砂浜に佇む砂山に別れを告げるように、過去と現在を断ち切るために。



時々奇妙な夢を見ることがある。上下も左右もわからない空間で、私は何かを探すように辺りを見回している。視界が暗闇に慣れていき、光の玉がひしめき合い、それぞれが美しい光を発している様子が見えてくる。いつもと同じ、湧いては吸い込まれていく光景をよそに、私は必死に視線を動かす。何を探しているのか、なぜ探しているのかは私にもわからない。それでも無我夢中で、どれも似たように見える光の玉を見比べていく。すると、私よりはるかに遠くのぼやけた空間に佇む一つに、目が引っかかった。周りの球体が煌々とした光を放つ中、それはただ一つ線香花火のような、今にも消え入りそうな弱々しい光を発していた。助けを求めるような、周りからの干渉を拒絶しているようなその様子に息を呑む。私の脳内は『美しい』という感情に満たされ、侵されていた。今すぐにでも近づき、その光に触れてみたい。私よりも遥か底の方にあるそれに近づこうと身体に力を入れる。しかし、全く前に進めない。この空間で私はただ漂うだけ。その状況にもどかしさを感じ、同時に怒りを感じる。カメラを持ち合わせていない私は、せめてでもこの目に焼き付けようとその光をじっと見続ける。すると、下を向いていた眼球が、ほんの少しずつではあるが、水平に近づいているように思えた。焦りを感じて周りの光景を見渡す。この空間内の私以外の全ての物体が上昇しているのか、私自身が下降しているのか。私を圧迫する浮力が徐々に力を増していることに絶望を感じ、絶叫する。
「嫌だ。やめてくれ!」
私の発した声は、自分の耳にも、靄がかかったように聞こえた。 まるで水の中で大声で叫んでいるような感覚。しかし、いくら口を動かそうとも私から泡は湧き上がらない。底知れぬ恐怖や身体中を圧迫される痛み、あの儚い光への焦がれが混ざり合い、取り乱しそうになる。私はなすすべもなく引きずり込まれていく。下へ、下へと。                                                                                                                  
体を打つ大きな衝撃と共に目を覚ます。目を開けると自室の天井が見えた。見慣れた顔に似た木目。どうやらベッドから落ちたようだ。そんなことを考えていると、はっとして壁掛け時計が指している時刻を確認する。寝起きの目はしばしばしており、うまく時刻が読めない。目を凝らしてみると、時計の長針は9時を指している。小鳥の囀りが絶望を誘う。はっとしたのは、あれ以降アラーム音がなっていない中で起きることが怖くなったからだ。また同じ失敗をしてしまったという呆れと、怒りを感じつつベッドの上にあるスマホにゆっくりと手を伸ばす。八つ当たりをするように力強く電源ボタンを押すと、すんなりとスマホの電源がついた。画面を見ると、時刻表示の横に(土)と表示されていた。思考が数秒停止する。そうだ、昨晩、明日は休みだからと酒をいつもより多めに煽ったのだった。我ながらなかなかに滑稽だ。一気に体全体の力が抜け、安心感から床に大の字になりながら目を閉じる。すると、今日はカーテンを閉め切っているはずなのに、瞼の裏にオーブのような、丸い光の残像のようなものが張り付いていることに気づいた。完全に機能しきっていない頭で不思議に思い、目を瞑りつつそれをじっと眺める。次第にそれは萎んでいき、やがて見えなくなった。とても綺麗な光だった。エメラルドグリーンと夕焼けの空の色が混ざったような、見たことのない綺麗な光。もう二度と見ることができないことに寂しさを感じ、それを写真として残せないことに憤りを感じた。そんなことを考えていると、他の感情に紛れていた痛みが身体中に蘇ってきた。仕方なく体を起こし、洗面台に向かう。いつも通り歯磨きをし、髭を剃って顔を洗い、寝癖を治す。ここ最近、徐々に自分の顔に活気が滲んできている気がする。海辺のこの街を選んだのは大正解だったかもしれない。この小さいアパートも洗濯機が共用なこと以外は十分なほどに暮らしやすい。晴れやかな気持ちでカーテンを開け放ち、トーストを焼く。その間に玄関のドアに入れられている新聞紙を取り、リビングのテーブルの上に放る。トーストが焼けるチンという心地よい音が聞こえると、それを取り出し、たっぷりとバターを塗る。コップに牛乳を注ぎ、トーストと共にテーブルの上に置く。
「いただきます。」
トーストをひとかじりすると、バターの濃厚な甘さが口の中に広がり、豊かな香りが鼻を突き抜ける。トーストを飲み込み、引っかかったものを牛乳で飲み下す。
「うんま。」
思わず声が漏れ出ていた。新聞では芸能人の薬物使用疑惑を取り扱うニュースが真っ先に目に飛び込んできた。紙面に敷き詰められた文字や写真などの情報が一気に飛び込んでくる。新聞の向こうの世界はこんなにも激しく動いているというのに、私は何て呑気な暮らしをしているのだろう。思わず笑みがこぼれる。この幸せがいつまでも続いてほしい。最後に気象情報の欄を確認し、今日は一日晴れるということを確認してから新聞を閉じた。食器を洗い、出かける準備をする。今日は晴れということで、山でも登ろうか。そんなことを考えながら斜めがけバッグに財布など、最低限のものを詰めていく。戸締りをした私は最後にカメラを手に取った。周りの人間から引かれることも多いが、私は平日も休日もカメラと共に過ごす。玄関の扉を開けると、爽やかな潮臭い風が私の髪の毛を揺らした。大きく息を吸い込む。外は予報通りの雲ひとつない快晴だ。胸が大きく高鳴った。鍵を閉めると、大きく一歩を踏み出す。新しい感性が湧き起こるような、新しい世界との出会いに対する期待を胸に。


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「うわぁ綺麗、また出会えた。」
やはり遠回りはいいものだ。今まで何気なく過ごしていた世界を別の視点で見ることができる。世界は見る角度で表情を変える。ここでは、砂山から差し込む月光が美しいと感じたけれど、また別の世界では、また異なったものを美しいと感じる。そんな角度によって姿を見せ、現れたと思ったらすぐにどこかに隠れてしまう刹那を、カメラというものは永遠のものにしてくれる。自分がその時に美しいと感じたものを、世界から四角く切り取り、記憶しておいてくれる。私が覚えていなくても、カメラは覚えてくれている。人の感性とは、実に儚く、気まぐれなものだと私は思う。感性というものは人の奥底に眠り続け、ふと何かに対して美しいという感情を抱くと泡のようにものすごいスピードで沸き上がり、視認できるようになる。しかし、それは数ある泡の中の一つであり、時間が経つにつれ、記憶と共に沈んでいき、また、海底にひっそりと佇む無数の泡の中に埋もれてしまう。しかし、カメラは湧き上がった感性のその一瞬を写し取り、その脳の中に残しておいてくれる。人はその脳を時折覗くことで、己の奥底に眠ったままでいる感性と再会を果たすことができるのだ。だから私はカメラが大好きだ。父の死によって介護から解放され、この内灘町に越してからいざ何をしようと考えた時に、即決でフォトスタジオを選んだのは、ずっとカメラに触れていたかったからだ。どんな瞬間も逃したくなかった。気づけば私はカメラの向こうに広がる広大な海を眺めていた。寄せては返す波は穏やかで、一定のリズムで心地好い音を立てる。私はこの音が大好きで、よく海岸に来てはボーッと波を眺める。この海岸の写真もこれまでに何枚も撮っており、音まで記録できるわけではないが、写真を眺めて思い起こされる波音を時折楽しんでいる。写真というものは撮った時の記憶まで思い起こさせる。それは嫌な思い出でも同じこと。私はふと幼い頃の記憶を思い浮かべていた。幼い頃、家族三人でよく遊びに出掛けていた場所は、海だった。海辺に住んでいた貧乏な私たち家族は、家で作ったおにぎりを三つ持っていき、三人並んで海を眺めつつそれを食べるのが唯一と言ってもいい程の楽しみだった。私を必死に楽しませようと水をかけてきたり、一緒に砂山を作ったりして笑いかけてきた両親の顔が鮮明に浮かぶ。ダメだ、一度記憶の扉を開いてしまうとズルズルと引きずり込まれてしまう。芋づる式に思い出される記憶を払うように、頭を左右に激しく振る。ここに越してきて早一ヶ月、ここでの暮らしにも慣れてきたはずだ。過去とおさらばするために、私を知る人間が一人もいないここに越してきたはずなのに、自ら掘り返してどうする。今のカメラに触れ続けられる生活には満足している。目の前の波のように、毎日同じことを繰り返すだけの穏やかな日常がこのまま続けばいいと思っている。今の私にとって、それがいちばんの幸せだ。心機一転、また一から始めようと体に力を入れ立ち上がる。自転車を跨いだ私は全速力で自宅に向かう。砂浜に佇む砂山に別れを告げるように、過去と現在を断ち切るために。
時々奇妙な夢を見ることがある。上下も左右もわからない空間で、私は何かを探すように辺りを見回している。視界が暗闇に慣れていき、光の玉がひしめき合い、それぞれが美しい光を発している様子が見えてくる。いつもと同じ、湧いては吸い込まれていく光景をよそに、私は必死に視線を動かす。何を探しているのか、なぜ探しているのかは私にもわからない。それでも無我夢中で、どれも似たように見える光の玉を見比べていく。すると、私よりはるかに遠くのぼやけた空間に佇む一つに、目が引っかかった。周りの球体が煌々とした光を放つ中、それはただ一つ線香花火のような、今にも消え入りそうな弱々しい光を発していた。助けを求めるような、周りからの干渉を拒絶しているようなその様子に息を呑む。私の脳内は『美しい』という感情に満たされ、侵されていた。今すぐにでも近づき、その光に触れてみたい。私よりも遥か底の方にあるそれに近づこうと身体に力を入れる。しかし、全く前に進めない。この空間で私はただ漂うだけ。その状況にもどかしさを感じ、同時に怒りを感じる。カメラを持ち合わせていない私は、せめてでもこの目に焼き付けようとその光をじっと見続ける。すると、下を向いていた眼球が、ほんの少しずつではあるが、水平に近づいているように思えた。焦りを感じて周りの光景を見渡す。この空間内の私以外の全ての物体が上昇しているのか、私自身が下降しているのか。私を圧迫する浮力が徐々に力を増していることに絶望を感じ、絶叫する。
「嫌だ。やめてくれ!」
私の発した声は、自分の耳にも、靄がかかったように聞こえた。 まるで水の中で大声で叫んでいるような感覚。しかし、いくら口を動かそうとも私から泡は湧き上がらない。底知れぬ恐怖や身体中を圧迫される痛み、あの儚い光への焦がれが混ざり合い、取り乱しそうになる。私はなすすべもなく引きずり込まれていく。下へ、下へと。                                                                                                                  
体を打つ大きな衝撃と共に目を覚ます。目を開けると自室の天井が見えた。見慣れた顔に似た木目。どうやらベッドから落ちたようだ。そんなことを考えていると、はっとして壁掛け時計が指している時刻を確認する。寝起きの目はしばしばしており、うまく時刻が読めない。目を凝らしてみると、時計の長針は9時を指している。小鳥の囀りが絶望を誘う。はっとしたのは、あれ以降アラーム音がなっていない中で起きることが怖くなったからだ。また同じ失敗をしてしまったという呆れと、怒りを感じつつベッドの上にあるスマホにゆっくりと手を伸ばす。八つ当たりをするように力強く電源ボタンを押すと、すんなりとスマホの電源がついた。画面を見ると、時刻表示の横に(土)と表示されていた。思考が数秒停止する。そうだ、昨晩、明日は休みだからと酒をいつもより多めに煽ったのだった。我ながらなかなかに滑稽だ。一気に体全体の力が抜け、安心感から床に大の字になりながら目を閉じる。すると、今日はカーテンを閉め切っているはずなのに、瞼の裏にオーブのような、丸い光の残像のようなものが張り付いていることに気づいた。完全に機能しきっていない頭で不思議に思い、目を瞑りつつそれをじっと眺める。次第にそれは萎んでいき、やがて見えなくなった。とても綺麗な光だった。エメラルドグリーンと夕焼けの空の色が混ざったような、見たことのない綺麗な光。もう二度と見ることができないことに寂しさを感じ、それを写真として残せないことに憤りを感じた。そんなことを考えていると、他の感情に紛れていた痛みが身体中に蘇ってきた。仕方なく体を起こし、洗面台に向かう。いつも通り歯磨きをし、髭を剃って顔を洗い、寝癖を治す。ここ最近、徐々に自分の顔に活気が滲んできている気がする。海辺のこの街を選んだのは大正解だったかもしれない。この小さいアパートも洗濯機が共用なこと以外は十分なほどに暮らしやすい。晴れやかな気持ちでカーテンを開け放ち、トーストを焼く。その間に玄関のドアに入れられている新聞紙を取り、リビングのテーブルの上に放る。トーストが焼けるチンという心地よい音が聞こえると、それを取り出し、たっぷりとバターを塗る。コップに牛乳を注ぎ、トーストと共にテーブルの上に置く。
「いただきます。」
トーストをひとかじりすると、バターの濃厚な甘さが口の中に広がり、豊かな香りが鼻を突き抜ける。トーストを飲み込み、引っかかったものを牛乳で飲み下す。
「うんま。」
思わず声が漏れ出ていた。新聞では芸能人の薬物使用疑惑を取り扱うニュースが真っ先に目に飛び込んできた。紙面に敷き詰められた文字や写真などの情報が一気に飛び込んでくる。新聞の向こうの世界はこんなにも激しく動いているというのに、私は何て呑気な暮らしをしているのだろう。思わず笑みがこぼれる。この幸せがいつまでも続いてほしい。最後に気象情報の欄を確認し、今日は一日晴れるということを確認してから新聞を閉じた。食器を洗い、出かける準備をする。今日は晴れということで、山でも登ろうか。そんなことを考えながら斜めがけバッグに財布など、最低限のものを詰めていく。戸締りをした私は最後にカメラを手に取った。周りの人間から引かれることも多いが、私は平日も休日もカメラと共に過ごす。玄関の扉を開けると、爽やかな潮臭い風が私の髪の毛を揺らした。大きく息を吸い込む。外は予報通りの雲ひとつない快晴だ。胸が大きく高鳴った。鍵を閉めると、大きく一歩を踏み出す。新しい感性が湧き起こるような、新しい世界との出会いに対する期待を胸に。