第5話 :『境界の執行者』
ー/ートゥルル…… 理央は電話に出た。
「……はい。……はい。…………そうでしたか。ご連絡ありがとうございました」
「どこからだ?」 理央が電話を切るのをみて、俺は聞いてみた。
「『ネクサス・フューチャー』からでした」
「で? なんだって?」
「……それが、学習データ、および市民モニターの選定プロセスに問題はなかったそうです」
「……そうか……」
「……ネクサスも、環境団体も、そして毎朝新聞もシロでした。……阿久津さん、我々は何か根本的な見落としをしているのかもしれません」 理央も困惑を隠せない様子だった。
システムは正常。工作組織も存在しない。なのに、AIは「国民の総意」として、あの村を消そうとしている。じゃあ、その「国民の総意」とやらは、どこから湧いてきたんだ?
その時だった。交差点の大型ビジョンから、大音量の音楽と映像が流れ出した。
『興行収入200億円突破! 社会現象を巻き起こした超人気アニメ、ついに完結編!』
派手なエフェクトと共に、アニメのキャラクターたちが画面を縦横無尽に飛び回る。今、若者を中心に絶大な人気を誇るダークファンタジー、『境界の執行者』のCMだ。俺は興味もなく通り過ぎようとしたが、理央が足を止めた。 「……あっ」 「どうした? 新人、お前もアニメなんか見るのか?」 「違います。……見てください、あの敵キャラクター」
理央が指差した先。画面の中で、主人公たちが戦っている「怪物」が映し出されていた。それは、田舎の農家のような服装をした、猫背の老人の姿をしていた。だが、次の瞬間、老人の口が裂け、醜悪な蜘蛛のような姿に変貌し、主人公に襲いかかる。
『騙されるな! そいつは人間じゃない!』 『同情したら喰われるぞ! 叩き斬れ!』
主人公の美少年が叫び、必殺技を放つ。老人の姿をした怪物が断末魔を上げ、村ごと炎に包まれていく。美しい作画。カタルシスのある演出。だが、俺は記者だった頃の勘で、背筋が凍りつくのを感じた。
「……おい、理央。このアニメのストーリーを教えてくれ」
「……はい」
疑念を抱きつつ、理央はタブレットを操作し、『境界の執行者』のあらすじを検索した。そして、その内容に目を見開いた。
「このアニメの設定……『地方の限界集落には、人間に擬態した怪物“土蜘蛛”が潜んでいる』『彼らは老人になりすまし、同情を誘って若者を食い物にする』……」
SNSの感想欄が、画面に滝のように流れる。 『土蜘蛛マジでキモい』 『田舎のジジババって全員これに見えるわw』 『早く封鎖しろ』 『あんな村、リアルにあったら絶対行きたくない。消滅させて正解』
「……これなのか?」 俺は呻いた。
「AIは、この『感想』を民意として学習したってのか?」
理央は、慌てて再びネクサス・フューチャーに電話をかけていた。 「……はい。……そうです、急いで確認してください。市民モニターの方々の趣味嗜好、特に『映像コンテンツ』の視聴履歴と、アンケート回答の相関関係を!」
短い沈黙の後、スピーカーから漏れる理央の息が飲まれた。
「……やはり、そうですか……。いえ、結構です」
通話を切った理央が、青ざめた顔で俺を見た。
「……阿久津さん、ビンゴです。例の市民モニターの視聴履歴とSNS発言をクロスチェックしました。このアニメは社会現象になっているだけあって、モニターの約6割が視聴済みでした」
「6割か。まあ、流行りもんならそんなもんか?」
「問題はその内訳です。アニメを『見ていない』モニターの賛成率は52%。意見は真っ二つに割れています。……ですが」
理央は震える声で続けた。
「アニメを『見ていた』モニターの賛成率は、99.8%。……ほぼ全員が『賛成』に回っています」
「……なっ」
「統計学的にありえません。これはもう、嗜好の偏りというレベルじゃない。このアニメを見た人間は、理屈抜きで『あの村は危険だ』『排除しなければならない』という強烈なバイアス(思考の偏り)を植え付けられているんです」
政治工作も、サイバー攻撃も必要なかった。ただ、「面白いアニメ」を作って流行らせ、日本人の深層心理に「地方の老人=排除すべき敵」というイメージを植え付ければよかったのだ。AI宰相は、その汚染された「1000人の民意」を忠実に実行したに過ぎない。
「……阿久津さん。このアニメの制作委員会、メインスポンサーは……」 理央が絶望的な声で告げる。 「……大陸系の巨大資本・国営メディアグループの、100%子会社です」
俺はタバコを取り出したが、火をつける気力も起きなかった。法には触れてねえ。ただのアニメだ。表現の自由だ。だが、俺たちは負けたんだ。
街頭ビジョンの前で、若者たちがアニメの決め台詞を真似して笑っている。 『再起動! ゴミは消毒だ!』
その無邪気な笑顔の裏で、地図から静かに村が消えていく。
「……行こうぜ、理央」 「どこへですか? 本庁へ報告を?」 「いや……酒だ。飲まなきゃやってられねえ」
俺は雑踏の中に背を向けた。この国はもう、俺たちの守るべき「日本」じゃなくなっちまったのかもしれねえ。ネオンサインの光が、俺の影をどこまでも薄く、長く伸ばしていた。
「……はい。……はい。…………そうでしたか。ご連絡ありがとうございました」
「どこからだ?」 理央が電話を切るのをみて、俺は聞いてみた。
「『ネクサス・フューチャー』からでした」
「で? なんだって?」
「……それが、学習データ、および市民モニターの選定プロセスに問題はなかったそうです」
「……そうか……」
「……ネクサスも、環境団体も、そして毎朝新聞もシロでした。……阿久津さん、我々は何か根本的な見落としをしているのかもしれません」 理央も困惑を隠せない様子だった。
システムは正常。工作組織も存在しない。なのに、AIは「国民の総意」として、あの村を消そうとしている。じゃあ、その「国民の総意」とやらは、どこから湧いてきたんだ?
その時だった。交差点の大型ビジョンから、大音量の音楽と映像が流れ出した。
『興行収入200億円突破! 社会現象を巻き起こした超人気アニメ、ついに完結編!』
派手なエフェクトと共に、アニメのキャラクターたちが画面を縦横無尽に飛び回る。今、若者を中心に絶大な人気を誇るダークファンタジー、『境界の執行者』のCMだ。俺は興味もなく通り過ぎようとしたが、理央が足を止めた。 「……あっ」 「どうした? 新人、お前もアニメなんか見るのか?」 「違います。……見てください、あの敵キャラクター」
理央が指差した先。画面の中で、主人公たちが戦っている「怪物」が映し出されていた。それは、田舎の農家のような服装をした、猫背の老人の姿をしていた。だが、次の瞬間、老人の口が裂け、醜悪な蜘蛛のような姿に変貌し、主人公に襲いかかる。
『騙されるな! そいつは人間じゃない!』 『同情したら喰われるぞ! 叩き斬れ!』
主人公の美少年が叫び、必殺技を放つ。老人の姿をした怪物が断末魔を上げ、村ごと炎に包まれていく。美しい作画。カタルシスのある演出。だが、俺は記者だった頃の勘で、背筋が凍りつくのを感じた。
「……おい、理央。このアニメのストーリーを教えてくれ」
「……はい」
疑念を抱きつつ、理央はタブレットを操作し、『境界の執行者』のあらすじを検索した。そして、その内容に目を見開いた。
「このアニメの設定……『地方の限界集落には、人間に擬態した怪物“土蜘蛛”が潜んでいる』『彼らは老人になりすまし、同情を誘って若者を食い物にする』……」
SNSの感想欄が、画面に滝のように流れる。 『土蜘蛛マジでキモい』 『田舎のジジババって全員これに見えるわw』 『早く封鎖しろ』 『あんな村、リアルにあったら絶対行きたくない。消滅させて正解』
「……これなのか?」 俺は呻いた。
「AIは、この『感想』を民意として学習したってのか?」
理央は、慌てて再びネクサス・フューチャーに電話をかけていた。 「……はい。……そうです、急いで確認してください。市民モニターの方々の趣味嗜好、特に『映像コンテンツ』の視聴履歴と、アンケート回答の相関関係を!」
短い沈黙の後、スピーカーから漏れる理央の息が飲まれた。
「……やはり、そうですか……。いえ、結構です」
通話を切った理央が、青ざめた顔で俺を見た。
「……阿久津さん、ビンゴです。例の市民モニターの視聴履歴とSNS発言をクロスチェックしました。このアニメは社会現象になっているだけあって、モニターの約6割が視聴済みでした」
「6割か。まあ、流行りもんならそんなもんか?」
「問題はその内訳です。アニメを『見ていない』モニターの賛成率は52%。意見は真っ二つに割れています。……ですが」
理央は震える声で続けた。
「アニメを『見ていた』モニターの賛成率は、99.8%。……ほぼ全員が『賛成』に回っています」
「……なっ」
「統計学的にありえません。これはもう、嗜好の偏りというレベルじゃない。このアニメを見た人間は、理屈抜きで『あの村は危険だ』『排除しなければならない』という強烈なバイアス(思考の偏り)を植え付けられているんです」
政治工作も、サイバー攻撃も必要なかった。ただ、「面白いアニメ」を作って流行らせ、日本人の深層心理に「地方の老人=排除すべき敵」というイメージを植え付ければよかったのだ。AI宰相は、その汚染された「1000人の民意」を忠実に実行したに過ぎない。
「……阿久津さん。このアニメの制作委員会、メインスポンサーは……」 理央が絶望的な声で告げる。 「……大陸系の巨大資本・国営メディアグループの、100%子会社です」
俺はタバコを取り出したが、火をつける気力も起きなかった。法には触れてねえ。ただのアニメだ。表現の自由だ。だが、俺たちは負けたんだ。
街頭ビジョンの前で、若者たちがアニメの決め台詞を真似して笑っている。 『再起動! ゴミは消毒だ!』
その無邪気な笑顔の裏で、地図から静かに村が消えていく。
「……行こうぜ、理央」 「どこへですか? 本庁へ報告を?」 「いや……酒だ。飲まなきゃやってられねえ」
俺は雑踏の中に背を向けた。この国はもう、俺たちの守るべき「日本」じゃなくなっちまったのかもしれねえ。ネオンサインの光が、俺の影をどこまでも薄く、長く伸ばしていた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
トゥルル…… 理央は電話に出た。
「……はい。……はい。…………そうでしたか。ご連絡ありがとうございました」
「……はい。……はい。…………そうでしたか。ご連絡ありがとうございました」
「どこからだ?」 理央が電話を切るのをみて、俺は聞いてみた。
「『ネクサス・フューチャー』からでした」
「で? なんだって?」
「……それが、学習データ、および市民モニターの選定プロセスに問題はなかったそうです」
「……そうか……」
「で? なんだって?」
「……それが、学習データ、および市民モニターの選定プロセスに問題はなかったそうです」
「……そうか……」
「……ネクサスも、環境団体も、そして毎朝新聞もシロでした。……阿久津さん、我々は何か根本的な見落としをしているのかもしれません」 理央も困惑を隠せない様子だった。
システムは正常。工作組織も存在しない。なのに、AIは「国民の総意」として、あの村を消そうとしている。じゃあ、その「国民の総意」とやらは、どこから湧いてきたんだ?
その時だった。交差点の大型ビジョンから、大音量の音楽と映像が流れ出した。
『興行収入200億円突破! 社会現象を巻き起こした超人気アニメ、ついに完結編!』
派手なエフェクトと共に、アニメのキャラクターたちが画面を縦横無尽に飛び回る。今、若者を中心に絶大な人気を誇るダークファンタジー、『境界の執行者』のCMだ。俺は興味もなく通り過ぎようとしたが、理央が足を止めた。 「……あっ」 「どうした? 新人、お前もアニメなんか見るのか?」 「違います。……見てください、あの敵キャラクター」
理央が指差した先。画面の中で、主人公たちが戦っている「怪物」が映し出されていた。それは、田舎の農家のような服装をした、猫背の老人の姿をしていた。だが、次の瞬間、老人の口が裂け、醜悪な蜘蛛のような姿に変貌し、主人公に襲いかかる。
『騙されるな! そいつは人間じゃない!』 『同情したら喰われるぞ! 叩き斬れ!』
主人公の美少年が叫び、必殺技を放つ。老人の姿をした怪物が断末魔を上げ、村ごと炎に包まれていく。美しい作画。カタルシスのある演出。だが、俺は記者だった頃の勘で、背筋が凍りつくのを感じた。
「……おい、理央。このアニメのストーリーを教えてくれ」
「……はい」
疑念を抱きつつ、理央はタブレットを操作し、『境界の執行者』のあらすじを検索した。そして、その内容に目を見開いた。
「……はい」
疑念を抱きつつ、理央はタブレットを操作し、『境界の執行者』のあらすじを検索した。そして、その内容に目を見開いた。
「このアニメの設定……『地方の限界集落には、人間に擬態した怪物“土蜘蛛”が潜んでいる』『彼らは老人になりすまし、同情を誘って若者を食い物にする』……」
SNSの感想欄が、画面に滝のように流れる。 『土蜘蛛マジでキモい』 『田舎のジジババって全員これに見えるわw』 『早く封鎖しろ』 『あんな村、リアルにあったら絶対行きたくない。消滅させて正解』
「……これなのか?」 俺は呻いた。
「AIは、この『感想』を民意として学習したってのか?」
「AIは、この『感想』を民意として学習したってのか?」
理央は、慌てて再びネクサス・フューチャーに電話をかけていた。 「……はい。……そうです、急いで確認してください。市民モニターの方々の趣味嗜好、特に『映像コンテンツ』の視聴履歴と、アンケート回答の相関関係を!」
短い沈黙の後、スピーカーから漏れる理央の息が飲まれた。
「……やはり、そうですか……。いえ、結構です」
「……やはり、そうですか……。いえ、結構です」
通話を切った理央が、青ざめた顔で俺を見た。
「……阿久津さん、ビンゴです。例の市民モニターの視聴履歴とSNS発言をクロスチェックしました。このアニメは社会現象になっているだけあって、モニターの約6割が視聴済みでした」
「6割か。まあ、流行りもんならそんなもんか?」
「問題はその内訳です。アニメを『見ていない』モニターの賛成率は52%。意見は真っ二つに割れています。……ですが」
理央は震える声で続けた。
「アニメを『見ていた』モニターの賛成率は、99.8%。……ほぼ全員が『賛成』に回っています」
「……なっ」
「統計学的にありえません。これはもう、嗜好の偏りというレベルじゃない。このアニメを見た人間は、理屈抜きで『あの村は危険だ』『排除しなければならない』という強烈なバイアス(思考の偏り)を植え付けられているんです」
政治工作も、サイバー攻撃も必要なかった。ただ、「面白いアニメ」を作って流行らせ、日本人の深層心理に「地方の老人=排除すべき敵」というイメージを植え付ければよかったのだ。AI宰相は、その汚染された「1000人の民意」を忠実に実行したに過ぎない。
「……阿久津さん。このアニメの制作委員会、メインスポンサーは……」 理央が絶望的な声で告げる。 「……大陸系の巨大資本・国営メディアグループの、100%子会社です」
俺はタバコを取り出したが、火をつける気力も起きなかった。法には触れてねえ。ただのアニメだ。表現の自由だ。だが、俺たちは負けたんだ。
街頭ビジョンの前で、若者たちがアニメの決め台詞を真似して笑っている。 『再起動《リブート》! ゴミは消毒だ!』
その無邪気な笑顔の裏で、地図から静かに村が消えていく。
「……行こうぜ、理央」 「どこへですか? 本庁へ報告を?」 「いや……酒だ。飲まなきゃやってられねえ」
俺は雑踏の中に背を向けた。この国はもう、俺たちの守るべき「日本」じゃなくなっちまったのかもしれねえ。ネオンサインの光が、俺の影をどこまでも薄く、長く伸ばしていた。