3 運命の再会

ー/ー



 1ヶ月前、5年勤めた音楽教室をやめた。

「音大も出てないのに生意気なのよ。ずるい女。皆そう言ってる、男に媚びて居座ってる、って」

 先輩講師に面と向かってそう言われ、ああ、これ以上は無理だと退職を決めた。短大の秘書課出身なのは事実だし、それ以外は……そう見えるなら受け入れるしかない。

「また言われちゃったな。ずるいって」

 まだ癒えきっていないトラウマが疼き、午前中はウキウキで歩いていたホールへの道を今はうなだれながら歩いている。
 烏丸商事が第一志望だったという隣席の女性。
 はじめて会ったその人からまさかのトラウマワードが出るなんて。
 私ってそんなに……いや、やめよう。自分を下げても仕方ない。土曜日

(……応援したかっただけなんだけどなあ)

 色々考えすぎて空回り、結果的に彼女の足を引っ張った上に烏丸さんに注目され、謎の採用をいただいてしまった。
 彼女が不信感を持つのも仕方ない気がする。
 自分だって狐につままれた気分だもの。

(烏丸さん……一体何を考えてるんだろう)

 ほんの数時間ではっきりわかった。烏丸さんは、ちょっと常人離れした感性の持ち主で。
 地に足をつけたい私とは住む世界が違いすぎる。いくらあの美声を間近で聞ける可能性があるとしても、その下で働くなんて考えられない。

(そうだ。声……)

 ペンダントの点滅が目に入った。
 録音中になっている。慌ててオフに。削除しようかな。なんだか変なケチがついてしまったし……。

(いやいや、やっぱりもったいないか)

 あの声は好きだ。全てを忘れて保存しよう。前向きにならなきゃ。


 横断歩道の前で、信号待ちをしていたら、正面の老人が目に入った。
 大きなバックパックを背負い、ゆらゆらと体を揺らしている。
 信号が青になるが、その人は渡ろうとしなかった。

「あの、大丈夫ですか?」

 声をかけると、その人は

「大丈夫……じゃない」

 そう言うと、私の肩に全体重をかけてくる。
 触れ合った額がとても熱い。

(熱だ)
「しっかり!!! あ、誰か、救急車を!」

 私は彼を支えながら叫んだ。

 ◇ ◇ ◇

 男性は軽い熱中症だった。
 退職した後バードウォッチングにはまり、公園のはしごをしている途中だったのだそう。

「ありがとう。あんたは命の恩人じゃ」

 点滴に繋がれた彼はそう言った。日に焼けた肌に笑いじわ。回復しているようでホッとする。

「処置が良かったと医者が言っておった。病院まで付き添ってくれて本当にあんたは優しい子じゃの」
「いえいえ、でもそう言っていただけると嬉しいです」

 臆面もなく褒められて、頬がほころぶ。
 今日は色々あったけれど、いい一日だったかも。

「わしは趣味で占いをやっておるんじゃ。お礼にあんたの未来を見てあげよう。ちょいとバックパックを空けてくれんかの。おお、そう、それじゃ」

 男性にタロットを渡すと、片方の手だけで上手にシャッフルし、サイドテーブルにカードを並べた。占いなんて初めてでドキドキする。

「おお、なんと!」

 カードをめくると男性は両目を見開いた。

「あの、いい方でしょうか、悪い方でしょうか」

 私はごくりと唾を飲む。

「吉報じゃ。あんたは今日、運命の相手と巡り合う」
「運命の相手……」

 烏丸さんの顔が浮かんでドキッとした。いや、まさか。
 確かに推しには会えたけれど、その後の出来事で黒歴史化された。

「そう。あんたのような優しくて利発な人間に相応しい素晴らしい人間じゃ」
「今日……ですよね?」

 今はもう夕方6時を過ぎている。この先誰かと遭遇する可能性は少ない気がするのだが。
 と、ノックと共に「失礼します」と誰かの声が聞こえてきた。
 無駄に耳がよい私。
 その声に聞き覚えがありすぎて、心臓が一瞬止まるかと思った。

「おお、怜。久しぶりじゃの」

 男性はにこやかな笑みを、入ってきた人に向けている。
 れ、怜……って、まさか。
 と、点滴にマジックで書き込まれた名前が目に入る。

(カラスマタツキ……烏丸!?)

 どっ、どっ、と血液が逆流する。もしかしてこの人、烏丸さんの関係者!?
 年齢からして、お祖父様か、それとも、元社長とか!????
 髪の毛で顔を隠し、横目で見ると、想像通りの人が立っていた。

(烏丸さんだわっ!!!!)

 無機質な病室がいきなりパリコレに変わってしまう圧倒的な存在感。
 そして……。

「いい加減、大人しくしていてください。お祖父様……いえ、会長。もうお年なんですから」

 なんと仮説が2つとも当たっている!
 最悪中の最悪だった。

「怜、素晴らしい人を紹介しよう。わしを助けてくれた人じゃ」

 どうやらタツキさんが彼を呼んだらしい。
「運命の人」という言葉が頭をよぎり、顔が一瞬で赤くなった。 
 
「……君は」

 烏丸さんが私を見ている。白いワンピースに長い髪……。
 そんなビジュアル、どこにでもあるよね!
 私は背中を丸め俯きながら、

「ただの通りすがりですっ! では!!」

 早口で言うとダッシュで病室をあとにした。


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 1ヶ月前、5年勤めた音楽教室をやめた。
「音大も出てないのに生意気なのよ。ずるい女。皆そう言ってる、男に媚びて居座ってる、って」
 先輩講師に面と向かってそう言われ、ああ、これ以上は無理だと退職を決めた。短大の秘書課出身なのは事実だし、それ以外は……そう見えるなら受け入れるしかない。
「また言われちゃったな。ずるいって」
 まだ癒えきっていないトラウマが疼き、午前中はウキウキで歩いていたホールへの道を今はうなだれながら歩いている。
 烏丸商事が第一志望だったという隣席の女性。
 はじめて会ったその人からまさかのトラウマワードが出るなんて。
 私ってそんなに……いや、やめよう。自分を下げても仕方ない。土曜日
(……応援したかっただけなんだけどなあ)
 色々考えすぎて空回り、結果的に彼女の足を引っ張った上に烏丸さんに注目され、謎の採用をいただいてしまった。
 彼女が不信感を持つのも仕方ない気がする。
 自分だって狐につままれた気分だもの。
(烏丸さん……一体何を考えてるんだろう)
 ほんの数時間ではっきりわかった。烏丸さんは、ちょっと常人離れした感性の持ち主で。
 地に足をつけたい私とは住む世界が違いすぎる。いくらあの美声を間近で聞ける可能性があるとしても、その下で働くなんて考えられない。
(そうだ。声……)
 ペンダントの点滅が目に入った。
 録音中になっている。慌ててオフに。削除しようかな。なんだか変なケチがついてしまったし……。
(いやいや、やっぱりもったいないか)
 あの声は好きだ。全てを忘れて保存しよう。前向きにならなきゃ。
 横断歩道の前で、信号待ちをしていたら、正面の老人が目に入った。
 大きなバックパックを背負い、ゆらゆらと体を揺らしている。
 信号が青になるが、その人は渡ろうとしなかった。
「あの、大丈夫ですか?」
 声をかけると、その人は
「大丈夫……じゃない」
 そう言うと、私の肩に全体重をかけてくる。
 触れ合った額がとても熱い。
(熱だ)
「しっかり!!! あ、誰か、救急車を!」
 私は彼を支えながら叫んだ。
 ◇ ◇ ◇
 男性は軽い熱中症だった。
 退職した後バードウォッチングにはまり、公園のはしごをしている途中だったのだそう。
「ありがとう。あんたは命の恩人じゃ」
 点滴に繋がれた彼はそう言った。日に焼けた肌に笑いじわ。回復しているようでホッとする。
「処置が良かったと医者が言っておった。病院まで付き添ってくれて本当にあんたは優しい子じゃの」
「いえいえ、でもそう言っていただけると嬉しいです」
 臆面もなく褒められて、頬がほころぶ。
 今日は色々あったけれど、いい一日だったかも。
「わしは趣味で占いをやっておるんじゃ。お礼にあんたの未来を見てあげよう。ちょいとバックパックを空けてくれんかの。おお、そう、それじゃ」
 男性にタロットを渡すと、片方の手だけで上手にシャッフルし、サイドテーブルにカードを並べた。占いなんて初めてでドキドキする。
「おお、なんと!」
 カードをめくると男性は両目を見開いた。
「あの、いい方でしょうか、悪い方でしょうか」
 私はごくりと唾を飲む。
「吉報じゃ。あんたは今日、運命の相手と巡り合う」
「運命の相手……」
 烏丸さんの顔が浮かんでドキッとした。いや、まさか。
 確かに推しには会えたけれど、その後の出来事で黒歴史化された。
「そう。あんたのような優しくて利発な人間に相応しい素晴らしい人間じゃ」
「今日……ですよね?」
 今はもう夕方6時を過ぎている。この先誰かと遭遇する可能性は少ない気がするのだが。
 と、ノックと共に「失礼します」と誰かの声が聞こえてきた。
 無駄に耳がよい私。
 その声に聞き覚えがありすぎて、心臓が一瞬止まるかと思った。
「おお、怜。久しぶりじゃの」
 男性はにこやかな笑みを、入ってきた人に向けている。
 れ、怜……って、まさか。
 と、点滴にマジックで書き込まれた名前が目に入る。
(カラスマタツキ……烏丸!?)
 どっ、どっ、と血液が逆流する。もしかしてこの人、烏丸さんの関係者!?
 年齢からして、お祖父様か、それとも、元社長とか!????
 髪の毛で顔を隠し、横目で見ると、想像通りの人が立っていた。
(烏丸さんだわっ!!!!)
 無機質な病室がいきなりパリコレに変わってしまう圧倒的な存在感。
 そして……。
「いい加減、大人しくしていてください。お祖父様……いえ、会長。もうお年なんですから」
 なんと仮説が2つとも当たっている!
 最悪中の最悪だった。
「怜、素晴らしい人を紹介しよう。わしを助けてくれた人じゃ」
 どうやらタツキさんが彼を呼んだらしい。
「運命の人」という言葉が頭をよぎり、顔が一瞬で赤くなった。 
「……君は」
 烏丸さんが私を見ている。白いワンピースに長い髪……。
 そんなビジュアル、どこにでもあるよね!
 私は背中を丸め俯きながら、
「ただの通りすがりですっ! では!!」
 早口で言うとダッシュで病室をあとにした。