4 まさかの天国

ー/ー



 私は真っ赤になり、慌ててバッグに片手を突っ込む。心臓が早鐘を打つ。どうしよう、どうしよう。
 私が必死にスマホを探している、まさにその時だった。

「切り忘れか?」

 鼓膜に凄まじく魅力的な声が突き刺さる。
 顔をあげると烏丸さんがすぐ目の前に立っていた。推しの視線がまっすぐ私を射抜いている。あり得ない状況に目眩がした。

「ふ、ふぁい!」 

 あまりのかっこよさに思わず声がうわずった。
 烏丸さんの眉根がグッと上がる。ふ、ふざけたわけじゃないんです。緊張してっ!
 なんて、言えない言い訳を頭の中で繰り返している間にも通知音は鳴り続けている。
 と、ふいに電子音が止まり、隣の女性がさっとスマホをバッグに戻しているのが見えた。

「ん? 君」

 烏丸さんが彼女に声をかける。
 彼女の膝は絵に描いたように震え始めた。
 私はハッとした。
 もし自分が、本気で烏丸商事に入りたいと思っていて、うっかりスマホの電源を切り忘れたら……。

 どれほど悔しく、そして怖いだろう。時が巻き戻れば、とつい思ってしまうはず。
 瞬間、私は立ち上がった。

「す、す、す、すみませんでしたっ!! サファリでは電源を落とすべきなのに、皆様の狩りを邪魔してしまいっ」

 まずは烏丸さんに、そして四方に頭を下げる。
 結局、どちらのスマホが鳴っていたのか、わからない。
 なら、必死にサバンナを駆ける彼女より、ただのツアー客である私が真摯に謝罪した方が傷は浅くて済むというものだ。

(あ、狩りとか言っちゃった……でも誰も気にしないよね)

 ぷっ、と誰かが噴き出す音が聞こえた。笑いはさざなみのように客席全体へと広がっていく。

「サファリって……何それ」
「狩りとか」
「ここをどこだと思ってんの」

 クスクス笑いに混じってそんな声が聞こえてきた。
 
(みんな、意外と聞いてるのね……)

 後悔したが、もう遅い。
 獣と獣がぶつかり合う緊張感漂うこの場所で、私はまずはスマホの、次に失笑の震源地になっていた。

 叱られてもしょうがない。そう思っていたのに、烏丸さんは意外な反応を見せた。

「サファリに狩り。会社説明会で求人ハントが始まったこの状況のことか?」

 なんと、説明を求めてきたのだ。問いと仮説を同時に出しているところが、時短の鬼を自負する彼らしい。
 私は両目を見開いた。

「そ、そうなんです!」
「ぴったりな例えだ。君は面白いな」

 しかも褒められた! 
 戸惑いのあまり、私は卒倒しそうになるのをぐっと堪えた。
 彼のおかげで笑いの波は止まり、感心したようなため息があちこちから聞こえてくる。
 猛獣なんて言ってごめんなさい。やっぱり王子様でした!
 私の心臓は、ドキドキと甘い音を立て始めた。緊張や恥ずかしさは当然あるけど、それ以上に、凄く嬉しい。しょうがないよね。人間だもの。推しに認められたら有頂天だよ。
 しかも、奇跡はまだまだ続く。
 烏丸さんは私の全身を舐めるように見た。

「白いワンピースにウェーブヘアか。ハンターらしくない格好だな。理由はあるのか?」

 まさかの推しが、私なんぞの情報を聞き出そうとしている……!

 どうしよう。不安になってきた。しかし場にそぐわぬ出で立ちについて弁明できるのはラッキーだと思い直す。

「私はその……ツアー客なので……」

 烏丸さんは白い歯を見せた。

「なるほど。観光客の視点か。さっきから君の態度は目立ってた。この場を楽しんでたんだな」

 目立ってた?
 って事は、彼の視界に私が入ってた、ってこと?

 嘘……!!!

 推し活をした事のある人間なら、推しに認知されるのが、どれほどの喜びかわかっていただけると思う。
 私は嬉しさのあまり、数センチほど体が浮いたような気分でいた。
 ところが、喜びと同時に、胃のあたりがしくしくする感じもあり、ハッとする。

(ちょっと待って。これはもしかして、何か悪いことの予兆?)

 そうだ。こんな僥倖が続くわけがない。
 私の脳は「目を覚ませ!」としきりに私に呼びかけていた。
 何かの気まぐれに烏丸さんは私に興味を持ったようだが、それには、深い意味などない。
 おそらくはサファリで珍獣を見つけた程度の事だろう。

(そうか。私もサファリの住人だったんだわ)

 それなのに自分だけ人間だと思い込んでいたなんて。
 そろそろ、いい加減、現実を見なきゃ。
 烏丸さんの笑顔は、クールな中にも茶目っ気があって、思わず見とれてしまうほど素敵だった。
 眼福である。でも、もう十分!

「ではでは失礼しました」

 今度こそ私は話を切り上げ、座ろうとした。天罰が与えられる前にわきまえないと。
 ところが、烏丸さんはさらなる質問を繰り出してきた。

「君、名前は?」
「私ですか!!!?」

 緊張のあまり場違いな大声をあげてしまった。

「そう。君の名前だ」 

 烏丸さんは魔王の目で私を見る。

倉田(くらた)ひかりです……」

 蚊の泣くような声でそう答える。

「倉田、ひかり……か」

 噛み締めるように烏丸さんは言う。
 尊すぎて、そして、あり得なすぎて私の頭の中は警戒音で満たされる。

 それなのに。

「経歴を教えろ。ざっとでいい」

 推しはさらなる要求を繰り出した。

 本当に意味がわからない。




次のエピソードへ進む 5 てんさいモード


みんなのリアクション

 私は真っ赤になり、慌ててバッグに片手を突っ込む。心臓が早鐘を打つ。どうしよう、どうしよう。
 私が必死にスマホを探している、まさにその時だった。
「切り忘れか?」
 鼓膜に凄まじく魅力的な声が突き刺さる。
 顔をあげると烏丸さんがすぐ目の前に立っていた。推しの視線がまっすぐ私を射抜いている。あり得ない状況に目眩がした。
「ふ、ふぁい!」 
 あまりのかっこよさに思わず声がうわずった。
 烏丸さんの眉根がグッと上がる。ふ、ふざけたわけじゃないんです。緊張してっ!
 なんて、言えない言い訳を頭の中で繰り返している間にも通知音は鳴り続けている。
 と、ふいに電子音が止まり、隣の女性がさっとスマホをバッグに戻しているのが見えた。
「ん? 君」
 烏丸さんが彼女に声をかける。
 彼女の膝は絵に描いたように震え始めた。
 私はハッとした。
 もし自分が、本気で烏丸商事に入りたいと思っていて、うっかりスマホの電源を切り忘れたら……。
 どれほど悔しく、そして怖いだろう。時が巻き戻れば、とつい思ってしまうはず。
 瞬間、私は立ち上がった。
「す、す、す、すみませんでしたっ!! サファリでは電源を落とすべきなのに、皆様の狩りを邪魔してしまいっ」
 まずは烏丸さんに、そして四方に頭を下げる。
 結局、どちらのスマホが鳴っていたのか、わからない。
 なら、必死にサバンナを駆ける彼女より、ただのツアー客である私が真摯に謝罪した方が傷は浅くて済むというものだ。
(あ、狩りとか言っちゃった……でも誰も気にしないよね)
 ぷっ、と誰かが噴き出す音が聞こえた。笑いはさざなみのように客席全体へと広がっていく。
「サファリって……何それ」
「狩りとか」
「ここをどこだと思ってんの」
 クスクス笑いに混じってそんな声が聞こえてきた。
(みんな、意外と聞いてるのね……)
 後悔したが、もう遅い。
 獣と獣がぶつかり合う緊張感漂うこの場所で、私はまずはスマホの、次に失笑の震源地になっていた。
 叱られてもしょうがない。そう思っていたのに、烏丸さんは意外な反応を見せた。
「サファリに狩り。会社説明会で求人ハントが始まったこの状況のことか?」
 なんと、説明を求めてきたのだ。問いと仮説を同時に出しているところが、時短の鬼を自負する彼らしい。
 私は両目を見開いた。
「そ、そうなんです!」
「ぴったりな例えだ。君は面白いな」
 しかも褒められた! 
 戸惑いのあまり、私は卒倒しそうになるのをぐっと堪えた。
 彼のおかげで笑いの波は止まり、感心したようなため息があちこちから聞こえてくる。
 猛獣なんて言ってごめんなさい。やっぱり王子様でした!
 私の心臓は、ドキドキと甘い音を立て始めた。緊張や恥ずかしさは当然あるけど、それ以上に、凄く嬉しい。しょうがないよね。人間だもの。推しに認められたら有頂天だよ。
 しかも、奇跡はまだまだ続く。
 烏丸さんは私の全身を舐めるように見た。
「白いワンピースにウェーブヘアか。ハンターらしくない格好だな。理由はあるのか?」
 まさかの推しが、私なんぞの情報を聞き出そうとしている……!
 どうしよう。不安になってきた。しかし場にそぐわぬ出で立ちについて弁明できるのはラッキーだと思い直す。
「私はその……ツアー客なので……」
 烏丸さんは白い歯を見せた。
「なるほど。観光客の視点か。さっきから君の態度は目立ってた。この場を楽しんでたんだな」
 目立ってた?
 って事は、彼の視界に私が入ってた、ってこと?
 嘘……!!!
 推し活をした事のある人間なら、推しに認知されるのが、どれほどの喜びかわかっていただけると思う。
 私は嬉しさのあまり、数センチほど体が浮いたような気分でいた。
 ところが、喜びと同時に、胃のあたりがしくしくする感じもあり、ハッとする。
(ちょっと待って。これはもしかして、何か悪いことの予兆?)
 そうだ。こんな僥倖が続くわけがない。
 私の脳は「目を覚ませ!」としきりに私に呼びかけていた。
 何かの気まぐれに烏丸さんは私に興味を持ったようだが、それには、深い意味などない。
 おそらくはサファリで珍獣を見つけた程度の事だろう。
(そうか。私もサファリの住人だったんだわ)
 それなのに自分だけ人間だと思い込んでいたなんて。
 そろそろ、いい加減、現実を見なきゃ。
 烏丸さんの笑顔は、クールな中にも茶目っ気があって、思わず見とれてしまうほど素敵だった。
 眼福である。でも、もう十分!
「ではでは失礼しました」
 今度こそ私は話を切り上げ、座ろうとした。天罰が与えられる前にわきまえないと。
 ところが、烏丸さんはさらなる質問を繰り出してきた。
「君、名前は?」
「私ですか!!!?」
 緊張のあまり場違いな大声をあげてしまった。
「そう。君の名前だ」 
 烏丸さんは魔王の目で私を見る。
「|倉田《くらた》ひかりです……」
 蚊の泣くような声でそう答える。
「倉田、ひかり……か」
 噛み締めるように烏丸さんは言う。
 尊すぎて、そして、あり得なすぎて私の頭の中は警戒音で満たされる。
 それなのに。
「経歴を教えろ。ざっとでいい」
 推しはさらなる要求を繰り出した。
 本当に意味がわからない。