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鏡の中の私 ②

ー/ー



 曇天にわずかな光が差し込む、そんな静かな午後のこと。
 鏡の中の私は、私にこう言った。

「あなたには才能があるのに……本当は美術学校に行きたいのでしょ?」

 鏡の中の私は、私が隠してきた夢を見抜いていた。
 正直、芸術系の学校に進学したいという夢を私はもっていた。
 けれども、私は養子であった。産みの親については何も知らされていない。

 里親は、私を実の子のようにかわいがり、育ててくれた。
 だからこそ……これ以上、経済的に負担をかけさせては申し訳ないと思った。
 すぐに就職することが、育ての親に対する孝行だと思ったのだ。

「無理よ」

 私は小さく呟いた。

「絵を描いて生活なんて、できるはずがない」

 鏡の中の私は、微動だにせず私を見つめ返す。
 鏡の向こうの私に潜む熱が、私にかすかな疼きをもたらした。

「一生後悔して生きていくの?」

 その問いかけは、甘美な誘惑にも聞こえ、また、容赦ない断罪のようにも聞こえた。

「私は、絵で生きていくと決めたよ」

 鏡の中の私にそう言われたこともあって、私は本格的にキャンバスに向かい合ってみることにした。

 絵の具を絞り出し、筆先に色を含ませる。
 その瞬間、描きたいという衝動が心の中で跳ね回った。
 私は夢中になって描き続けた。
 目の前のキャンバスと対話を続けた。
 色が重なり、形が生まれ、消えてはまた新たな像を結ぶ。
 その反復に酔わされるうち、夜の静寂はいつしか薄明の光に押し流され、窓の外には新しい朝がひそやかに訪れていたことに気付けずにいた。

 鳥の囀りが耳に届いて初めて、私は夜が明けたことに気付いたのだった。
 私は描いた絵を、鏡の中の私に見せた。

「素晴らしいわ!」

 彼女は微笑みながら語った。

「この色使い、この構図、あなたには才能があるわ!」

 彼女の言葉に背中を押され、私はついに退職を決意した。
 一度きりの人生。後悔なんてしたくない。
 美術学校の夜間コースに身を置き、昼間はカフェでアルバイトを始めた。
 収入は減ったが、心は軽やかだった。

 夜毎に新しい技術や出会った絵描き仲間について鏡の中の私に話すと、彼女はその全てを共有しているかのように頷き、微笑んだ。
 いつしか私は、鏡の中の私こそが私の内に潜む「真の私」であると感じるようになっていった。
 鏡の向こうの彼女は、私の弱さと願望を映しながら、いつでも私を導いてくれていた。

 筆を取るたびに、鏡の中の彼女は静かに微笑み、私の中の迷いを溶かしてくれた。
 キャンバスに残る色は、私と鏡の中の私とが、共に描いた証ともいえた。






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 曇天にわずかな光が差し込む、そんな静かな午後のこと。
 鏡の中の私は、私にこう言った。
「あなたには才能があるのに……本当は美術学校に行きたいのでしょ?」
 鏡の中の私は、私が隠してきた夢を見抜いていた。
 正直、芸術系の学校に進学したいという夢を私はもっていた。
 けれども、私は養子であった。産みの親については何も知らされていない。
 里親は、私を実の子のようにかわいがり、育ててくれた。
 だからこそ……これ以上、経済的に負担をかけさせては申し訳ないと思った。
 すぐに就職することが、育ての親に対する孝行だと思ったのだ。
「無理よ」
 私は小さく呟いた。
「絵を描いて生活なんて、できるはずがない」
 鏡の中の私は、微動だにせず私を見つめ返す。
 鏡の向こうの私に潜む熱が、私にかすかな疼きをもたらした。
「一生後悔して生きていくの?」
 その問いかけは、甘美な誘惑にも聞こえ、また、容赦ない断罪のようにも聞こえた。
「私は、絵で生きていくと決めたよ」
 鏡の中の私にそう言われたこともあって、私は本格的にキャンバスに向かい合ってみることにした。
 絵の具を絞り出し、筆先に色を含ませる。
 その瞬間、描きたいという衝動が心の中で跳ね回った。
 私は夢中になって描き続けた。
 目の前のキャンバスと対話を続けた。
 色が重なり、形が生まれ、消えてはまた新たな像を結ぶ。
 その反復に酔わされるうち、夜の静寂はいつしか薄明の光に押し流され、窓の外には新しい朝がひそやかに訪れていたことに気付けずにいた。
 鳥の囀りが耳に届いて初めて、私は夜が明けたことに気付いたのだった。
 私は描いた絵を、鏡の中の私に見せた。
「素晴らしいわ!」
 彼女は微笑みながら語った。
「この色使い、この構図、あなたには才能があるわ!」
 彼女の言葉に背中を押され、私はついに退職を決意した。
 一度きりの人生。後悔なんてしたくない。
 美術学校の夜間コースに身を置き、昼間はカフェでアルバイトを始めた。
 収入は減ったが、心は軽やかだった。
 夜毎に新しい技術や出会った絵描き仲間について鏡の中の私に話すと、彼女はその全てを共有しているかのように頷き、微笑んだ。
 いつしか私は、鏡の中の私こそが私の内に潜む「真の私」であると感じるようになっていった。
 鏡の向こうの彼女は、私の弱さと願望を映しながら、いつでも私を導いてくれていた。
 筆を取るたびに、鏡の中の彼女は静かに微笑み、私の中の迷いを溶かしてくれた。
 キャンバスに残る色は、私と鏡の中の私とが、共に描いた証ともいえた。