これまで以上にないパワフルな相手。最大のサイズで『手合わせ』をした相手は狐川であったのだが、狐川以上の
体躯がある訳ではないのにも拘らず、拳から放たれる圧がこれまでの比ではなかったのだ。
殺すために戦うのと、力を確かめるために戦うのとでは力の振るい方に違いが出るのは当然であるが、それにしても圧倒的なものであった。かつて清志郎を相手にした時とは違う、戦いを徹底的に楽しむ後先考えない振るい方をするために、全てにおいて力の
箍が外れていたのだ。
拳を何度もガードで受けるものの、全ての一撃があまりにも重すぎてガードを壊される上に派手に吹き飛ばされてしまう。
しかも部屋の性質上、善吉がいるであろう方向は無限に空間が広がり続けている仕様であるために、間合いを取ろうとすぐさま詰められて拳を叩き込まれる。
何とかやり過ごそうにも、付け焼刃同然の
効率的戦闘法を行う前に、単純な暴力で距離を即座に詰められるため、限界が存在した。
やり返すべく意表を突いた蹴りを繰り出すも、実に赤子の手をひねるように止められる。力の差が如実に表れている現状に、底知れない無力感を覚えていたのだ。
「どうしました、
灰崎廉治! それが力の底ですか?」
「だ・か・ら! 俺はお前みたいな筋力ゴリラと違って、境遇以外ほんのちょっぴり恵まれているほどの一般人なんだッつうの!!」
しかし、体と感覚はそうではない。徐々に、灰崎の体感ではあるが……拳の軌道が見えてきていたのだ。
体感速度は一切変わらない。恐怖感は一切変わらない。だが、それでもここに着弾するであろう軌道が見えてきていたのだ。相手がそう見えるように拳を振るう、戦闘の天才なのかもしれないが、どのようにカウンターを叩き込めばいいか、などと単純な思考なら脳内で遂行することが可能になっていたのだ。
これが、ものの一分の間に経験した成長。
殺意満点の拳を何とか回避しながら、叩き込むは意表を突く膝裏への蹴り。一瞬だけバランスを崩させ、てこの原理を用いて強靭な脚を掬う。
ほんの少し、宙へと浮いた呉の胴体部に叩き込むは、直下の正拳突き。人体の急所・鳩尾に対し的確に叩き込む。これで大抵の相手はどうにかなるのだろう。相対している相手が……その『大抵』に当てはまらない場合は最悪だが。
そして、呉はその『大抵』に当てはまらないどころか――さらに常軌を逸した適応力を見せていた。
なんと、その正拳突きを片手で受け止めていたのだ。
「今の動きは、悪くなかったですよ? 生存本能に揺さぶりをかければ……
灰崎廉治は成長するんですね」
「――
虚構だろオイ」
その受け止めた拳を軽く捻りながら、遠方へ投げ飛ばす呉。自分の攻撃がここまで通用しない状況があるのか、と心の底から絶望していた。嫌な冷や汗を掻く中、ゆっくりと立ち上がる呉は、ただ首を鳴らすだけで特に雰囲気に飲まれている様子もなく、ただ普段の自分のままに振舞っているだけであった。
「だが、まだ足りません。楽しみにしていたんですから……もっと楽しませてくださいよ。それこそが……私の欲望なのですから!!」
「だから……何度言えば分かるんだっつーの!!」
痺れる腕を振るいながら、果敢にも呉に向かっていく灰崎。
しかし、その瞬間。これまでにないほどの悪寒を感じ取った。ここまでの成長のうち、『軌道』が見えるようになった今、それ以上があるものか、と考えていたが――それがまさに今であった。
そう、『攻撃の意思』が見えるようになっていたのだ。誰相手でも見えるようになっている訳ではないが、今こうして気を張っている状況だけかもしれないが……灰崎の下顎丁度に着弾する、確実な死を齎す一撃が来る予感がしたのだ。
咄嗟にブレーキをかけ、拳の着弾予測を消す動きをすると、呉は酷く喜んでいた。
「――今のはまぐれではないことくらい分かっています。今……拳の軌道が分かりましたね?」
「……嘘言っても信じてもらえねェだろうから、アンタの感覚が正しいんだと思うことにするよ」
より一般人に近い感覚を持つ千尋も、その二人のやり取りに奇妙な納得感を覚えていた。自分がそこまで戦えない存在だからこそ、二人の動きがテレビでよく見るような格闘家の動きなどが稚拙に見えるような、常軌を逸した攻防劇に心打たれていたのだ。
お互い、後方に下がり、再び向き合うのだった。
「――
灰崎廉治。貴方は自分が思うよりも……一般人の域を離れ始めている。善吉様を除いて……現状相手にしたどの極道よりも、底知れぬ強さを感じますよ」
「……どこまで卑下しても褒めてくれんだ。自己肯定感の低い俺でも生きていていいんだと思わせてくれるな、全く」
「まさか。貴方のような強い存在こそこの世に存在するべきです。私が部下を捨てた理由も……結局のところそれも関わっていますから」
首を傾げる灰崎。本当に分かっていない様子の灰崎を嘲笑しながらも、大手を広げこれまでの経緯を語り始めるのだった。
「――私は、元より『弱者』という存在が嫌いでした。だから相手どることもしないし、本当の顔を見せることもしなかったのですよ。非情のように見えたでしょうが……結局は、強者との戦いのために全ての活力を使っていたために、そもそも興味関心が湧かなかった、と言った方が正しいでしょうか」