第32話 ザコのくせに生意気だ

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 むせかえるような花の蜜の匂いが強烈に鼻を刺激してくる。ようやく太い枝の橋を渡り終えて巨大蜂(ビッグホーネット)の巣のぶら下がっている場所まで辿り着けた。
 やはり間近で見ると下で見ていたときと違い、かなりの大きさだ。それはまあ、あれだけバカデカい蜂どもが数百匹と生活しているのだから当然といえば当然。

 見たところ、枝伝いに巣の中に入るのは容易だった。
 あの巨大蜂どもが頻繁に出入りできる構造になっているようで、都合のいいところに大きめの穴がいくつも空いている。
 中を覗き込んでみると空洞で、もはやちょっとした洞窟のようになっていた。

「いよいよでふね……」
「ああ、気を引き締めていけよ……」

 慎重に、慎重に、気を配りつつ、巣の入り口へとゆっくり歩を進める。
 ブゥーン、ブゥーンとあの羽音も近づいてくる。
 さて、あと何匹くらい残っているんだろうな。

「ひぃぃ……まだあんなに……」
 コリウスが足を震え上がらせてるが、今さらここで引き返すわけにもいかない。

 蜂の習性など種族によって異なるが、巨大蜂はそれなりに複雑だ。同じ巨大蜂の中でもいくつか役割が分かれている。

 まず、注意すべき守衛の蜂は巣の周辺を巡回している。丁度先ほどコリウスを襲っていたのが守衛だ。大抵はそのまま巣に持ち帰られて餌になるが、危険な外敵と認識すると仲間を呼ぶ。

 本来はこの守衛に見つからないように巣に侵入するのが正規ルートだ。どうやら予定外のトラブルにより、まとめて駆除してしまったわけだが……。
 ともかく巣の中に入れば守衛は追ってこない。何故なら違う役割の蜂が待ち構えているからだ。

 それが門番の蜂。基本的にコイツらは巣の入り口付近から離れることはない。
 数は多くないらしいが、守衛よりも数倍は強いのだとか。
 ただし、この門番は追い払うのが専門で、必要以上に追いかけてはこない。

 門番をかいくぐって入り口より奥まで進めば、逃げ切れるということだ。
 つまり、守衛に見つからないように巣に侵入し、門番を振り切って奥へ侵入することが一般的な極上蜜(ローヤルゼリー)の採取方法になる。

 無論、他の役割の蜂もいるが、巣の増築や修繕、餌探しに、蜜を生成、はたまた子育て要員となっており、殆ど攻撃性がないものばかり。交戦する可能性も低い。
 せいぜい、蜂の巣の中で迷子にならないよう気をつけるだけだ。

 差し当たっての問題は、当初の予定とかなりズレてしまっていること。
 本当なら守衛の蜂と極力交戦を避け、魔石を温存しつつ、門番の蜂をどうにか排除するつもりでいた。何せ門番が一番厄介なのだから。

 ところが、だ。
 なんということだろう。門番と戦えるほどの魔石が既にない。
 何故、温存しておくべき大切な魔石がなくなってしまったのだろうな。
 なあ、コリウス?

「ひっ! お姉さん目が怖いですっ」

 さて、ではどうやって侵入するかと言ったらもう残された手段は少ない。
 魔法で撃退できないのであれば、一気に突っ走るしかない。

「いいか、よぉぉぉく聞け。門番の巨大蜂は倒せる状態じゃない。だから巣に入ったら真っ直ぐ壁の横穴を目指して逃げろ。間違っても火炎魔法を放ったりするな。逃げるんだぞ。いいな?」
 口を酸っぱくして、くどくくどく言い放つ。コリウスもさすがに無言でコクコクコクコクと壊れたオモチャのように首を縦に振る。

「逃げそびれたら死ぬ。その覚悟を決めろ。でなければここで待て」
「わ、分かりました。ボクも男です。覚悟は決めます」
 足がガクガク震えていなければまだカッコいいのだが、顔つきは悪くないな。
 本当に逃げ遅れたりでもしたら置いていくしかない。ダメだったのならここまでの縁だったと思うまでだ。

「よし、じゃあ入るぞ。ミモザ、コリウス、準備はいいな?」
「ふぁい!」
「はい!」
 二人分の返事を確認し、我は巣の中へと侵入を開始する。

「走れ!!」
 とびきりふやけた木の板のようなふにゃふにゃの踏み心地の床を蹴り、ところどころから蜜の漏れている巣の中を走る。
 ズッズッズと、思っていた以上に足場が悪い。

 当然だが、門番の蜂には見つかる。見える限りでは二匹。ブゥーン、ブゥーンと空洞の中、羽音が反響しながら接近してくるが、相手にはしない。

「うひぃぃぃ!! 来てるぅぅぅ!!」
 後方からコリウスの慌てふためく情けない悲鳴が聞こえてくる。

 振り切れない速度ではない。このまま突っ走って横穴に飛び込めば、門番はその先へは追ってこないのだから、好機はある。

「――あでっ」
 びちゃ、という粘性を帯びた音が聞こえた。
 まさか、と思い咄嗟に振り返ると、そこには……

「ふぇぇ……ねとねとれしゅぅぅ……」
 ミモザが蜜だまりの中に突っ込んでいた。これはまずい。これはヤバい。
 蜜の粘性がよほどなのか、身動きも取れていない様子だ。
 すぐ真後ろには巨大蜂も迫ってきている。

「ミモザ!」
「ミモザさんっ!」

 我先にとミモザのもとへと向かう。蜜まみれで倒れるミモザに手を差し伸べる。
 ふと、そこで気付く。我の後ろにいたコリウスは何処に消えた?
 最後尾がミモザじゃなかったのか?

「うおおおおおおぉぉぉぉっ!!!!」
 その雄叫びで上を見上げた。
 なんとあろうことか、あのコリウスが巨大蜂に掴まっていた。
 巨大蜂に捕獲されたわけじゃない。自分から体当たりしていったんだ。
 なんて無茶なことを。

 相手は猛毒を持っている蜂だと説明したはずだったが、聞いていなかったのか?
 コリウスは巨大蜂の胴にがっしりと抱きつき、バランスのとれない蜂は巣の空洞の中を不規則にグルングルンと飛び回っている。

 しかしいつまでも悠長に眺めている暇はない。ミモザを引き抜かねば。

「ふぇぇぇん……ごめんなしゃい……」
「謝るのは後で聞く! ふんぬ!」
 力任せに、でろでろの蜜の中からミモザを救出し、立ち上がらせる。

「走れ! 向こうに穴がある! その先なら大丈夫だ!」
「はいっ!」
 蜜だらけでねとねとと走り去るミモザを見届ける猶予もない。
 頭上にはコリウスの抱きついている蜂と、我の目の前まで迫ってきている蜂。
 さらには、増援もやってきてしまったようだ。

「チッ……! 星々の挿入歌(エクラルミナ)っ!」
 我の手から拡散して放たれる魔法弾が、巨大蜂に数発、直撃する。
 大した威力はない。しかし、怯ませるには十分のはずだ。

「うわああああぁぁぁぁ!!!!」
 巨大蜂ごと、上からコリウスが落ちてくる。
 ズデンと床に着地する。床が柔らかくてよかったな、コリウス。
 しかし、巨大蜂は目を回しているだけでまだ生きている。

「立て、コリウス。フラフラしていると追いつかれるぞ」
「は、はぃぃぃ……」
 こちらもすっかり目を回してしまっているが、のそりと立ち上がり、そしてよれよれではあったが、横穴に向かって走り出す。

 コイツ、巨大蜂にしがみつきながらよくもまあ手を離さなかったものだ。
 あれだけブンブンとデタラメに飛び回られたら振り落とされてしまいそうなものだろうに。フン、ミモザを守るのに必死だったということか。
 ザコのくせに生意気だ。

 我の魔法で上手いこと攪乱できたのか、巨大蜂は増えはしたものの、追いつかれる前にどうにか横穴へと逃げ込むことができた。
 奥へ、奥へ、奥へ。
 巣穴の通路を進んでいくと、羽音が遠ざかっていくのを感じる。

 なんとか逃げ切ることができたな。そう思った辺りで、目の前に立っていたのは、身体についた蜜をどうにか落とそうとしているミモザだった。

「あ、あの、コリウスくん……さっきはありがとうございましゅ」
 やれやれ、小僧には借りができてしまったな。


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みんなのリアクション

 むせかえるような花の蜜の匂いが強烈に鼻を刺激してくる。ようやく太い枝の橋を渡り終えて巨大蜂《ビッグホーネット》の巣のぶら下がっている場所まで辿り着けた。
 やはり間近で見ると下で見ていたときと違い、かなりの大きさだ。それはまあ、あれだけバカデカい蜂どもが数百匹と生活しているのだから当然といえば当然。
 見たところ、枝伝いに巣の中に入るのは容易だった。
 あの巨大蜂どもが頻繁に出入りできる構造になっているようで、都合のいいところに大きめの穴がいくつも空いている。
 中を覗き込んでみると空洞で、もはやちょっとした洞窟のようになっていた。
「いよいよでふね……」
「ああ、気を引き締めていけよ……」
 慎重に、慎重に、気を配りつつ、巣の入り口へとゆっくり歩を進める。
 ブゥーン、ブゥーンとあの羽音も近づいてくる。
 さて、あと何匹くらい残っているんだろうな。
「ひぃぃ……まだあんなに……」
 コリウスが足を震え上がらせてるが、今さらここで引き返すわけにもいかない。
 蜂の習性など種族によって異なるが、巨大蜂はそれなりに複雑だ。同じ巨大蜂の中でもいくつか役割が分かれている。
 まず、注意すべき守衛の蜂は巣の周辺を巡回している。丁度先ほどコリウスを襲っていたのが守衛だ。大抵はそのまま巣に持ち帰られて餌になるが、危険な外敵と認識すると仲間を呼ぶ。
 本来はこの守衛に見つからないように巣に侵入するのが正規ルートだ。どうやら予定外のトラブルにより、まとめて駆除してしまったわけだが……。
 ともかく巣の中に入れば守衛は追ってこない。何故なら違う役割の蜂が待ち構えているからだ。
 それが門番の蜂。基本的にコイツらは巣の入り口付近から離れることはない。
 数は多くないらしいが、守衛よりも数倍は強いのだとか。
 ただし、この門番は追い払うのが専門で、必要以上に追いかけてはこない。
 門番をかいくぐって入り口より奥まで進めば、逃げ切れるということだ。
 つまり、守衛に見つからないように巣に侵入し、門番を振り切って奥へ侵入することが一般的な極上蜜《ローヤルゼリー》の採取方法になる。
 無論、他の役割の蜂もいるが、巣の増築や修繕、餌探しに、蜜を生成、はたまた子育て要員となっており、殆ど攻撃性がないものばかり。交戦する可能性も低い。
 せいぜい、蜂の巣の中で迷子にならないよう気をつけるだけだ。
 差し当たっての問題は、当初の予定とかなりズレてしまっていること。
 本当なら守衛の蜂と極力交戦を避け、魔石を温存しつつ、門番の蜂をどうにか排除するつもりでいた。何せ門番が一番厄介なのだから。
 ところが、だ。
 なんということだろう。門番と戦えるほどの魔石が既にない。
 何故、温存しておくべき大切な魔石がなくなってしまったのだろうな。
 なあ、コリウス?
「ひっ! お姉さん目が怖いですっ」
 さて、ではどうやって侵入するかと言ったらもう残された手段は少ない。
 魔法で撃退できないのであれば、一気に突っ走るしかない。
「いいか、よぉぉぉく聞け。門番の巨大蜂は倒せる状態じゃない。だから巣に入ったら真っ直ぐ壁の横穴を目指して逃げろ。間違っても火炎魔法を放ったりするな。逃げるんだぞ。いいな?」
 口を酸っぱくして、くどくくどく言い放つ。コリウスもさすがに無言でコクコクコクコクと壊れたオモチャのように首を縦に振る。
「逃げそびれたら死ぬ。その覚悟を決めろ。でなければここで待て」
「わ、分かりました。ボクも男です。覚悟は決めます」
 足がガクガク震えていなければまだカッコいいのだが、顔つきは悪くないな。
 本当に逃げ遅れたりでもしたら置いていくしかない。ダメだったのならここまでの縁だったと思うまでだ。
「よし、じゃあ入るぞ。ミモザ、コリウス、準備はいいな?」
「ふぁい!」
「はい!」
 二人分の返事を確認し、我は巣の中へと侵入を開始する。
「走れ!!」
 とびきりふやけた木の板のようなふにゃふにゃの踏み心地の床を蹴り、ところどころから蜜の漏れている巣の中を走る。
 ズッズッズと、思っていた以上に足場が悪い。
 当然だが、門番の蜂には見つかる。見える限りでは二匹。ブゥーン、ブゥーンと空洞の中、羽音が反響しながら接近してくるが、相手にはしない。
「うひぃぃぃ!! 来てるぅぅぅ!!」
 後方からコリウスの慌てふためく情けない悲鳴が聞こえてくる。
 振り切れない速度ではない。このまま突っ走って横穴に飛び込めば、門番はその先へは追ってこないのだから、好機はある。
「――あでっ」
 びちゃ、という粘性を帯びた音が聞こえた。
 まさか、と思い咄嗟に振り返ると、そこには……
「ふぇぇ……ねとねとれしゅぅぅ……」
 ミモザが蜜だまりの中に突っ込んでいた。これはまずい。これはヤバい。
 蜜の粘性がよほどなのか、身動きも取れていない様子だ。
 すぐ真後ろには巨大蜂も迫ってきている。
「ミモザ!」
「ミモザさんっ!」
 我先にとミモザのもとへと向かう。蜜まみれで倒れるミモザに手を差し伸べる。
 ふと、そこで気付く。我の後ろにいたコリウスは何処に消えた?
 最後尾がミモザじゃなかったのか?
「うおおおおおおぉぉぉぉっ!!!!」
 その雄叫びで上を見上げた。
 なんとあろうことか、あのコリウスが巨大蜂に掴まっていた。
 巨大蜂に捕獲されたわけじゃない。自分から体当たりしていったんだ。
 なんて無茶なことを。
 相手は猛毒を持っている蜂だと説明したはずだったが、聞いていなかったのか?
 コリウスは巨大蜂の胴にがっしりと抱きつき、バランスのとれない蜂は巣の空洞の中を不規則にグルングルンと飛び回っている。
 しかしいつまでも悠長に眺めている暇はない。ミモザを引き抜かねば。
「ふぇぇぇん……ごめんなしゃい……」
「謝るのは後で聞く! ふんぬ!」
 力任せに、でろでろの蜜の中からミモザを救出し、立ち上がらせる。
「走れ! 向こうに穴がある! その先なら大丈夫だ!」
「はいっ!」
 蜜だらけでねとねとと走り去るミモザを見届ける猶予もない。
 頭上にはコリウスの抱きついている蜂と、我の目の前まで迫ってきている蜂。
 さらには、増援もやってきてしまったようだ。
「チッ……! |星々の挿入歌《エクラルミナ》っ!」
 我の手から拡散して放たれる魔法弾が、巨大蜂に数発、直撃する。
 大した威力はない。しかし、怯ませるには十分のはずだ。
「うわああああぁぁぁぁ!!!!」
 巨大蜂ごと、上からコリウスが落ちてくる。
 ズデンと床に着地する。床が柔らかくてよかったな、コリウス。
 しかし、巨大蜂は目を回しているだけでまだ生きている。
「立て、コリウス。フラフラしていると追いつかれるぞ」
「は、はぃぃぃ……」
 こちらもすっかり目を回してしまっているが、のそりと立ち上がり、そしてよれよれではあったが、横穴に向かって走り出す。
 コイツ、巨大蜂にしがみつきながらよくもまあ手を離さなかったものだ。
 あれだけブンブンとデタラメに飛び回られたら振り落とされてしまいそうなものだろうに。フン、ミモザを守るのに必死だったということか。
 ザコのくせに生意気だ。
 我の魔法で上手いこと攪乱できたのか、巨大蜂は増えはしたものの、追いつかれる前にどうにか横穴へと逃げ込むことができた。
 奥へ、奥へ、奥へ。
 巣穴の通路を進んでいくと、羽音が遠ざかっていくのを感じる。
 なんとか逃げ切ることができたな。そう思った辺りで、目の前に立っていたのは、身体についた蜜をどうにか落とそうとしているミモザだった。
「あ、あの、コリウスくん……さっきはありがとうございましゅ」
 やれやれ、小僧には借りができてしまったな。