第12回
ー/ー
「相手を間違えるなよ」
はたしてどこに本気を隠しているものか。
互いに牙を交えたこのとき、ないはずはないのに、全く邪気というものを感じさせない、屈託のない声で笑ってそう言うと、男は肩を竦めて見せた。
「俺は手を出す気はないと言ったはずだ。……まあちょい先に指1つ分くらい出したけど、あれはあんまり情けない姿をさらしてたこいつへのハンデということで大目に見てくれよな。
もう邪魔はしないから、勝手に2人でやってくれ」
相変わらず人を食ったようなロ調でそう告げて。男は自分の口にした言葉どおり傍親者に徹すべく足元に落としていた荷物をすくい取り、すたすた脇の方へ退いていってしまった。
代わるようにその後ろで身をよろめかせたのは、凍稀である。
男が姿を現して彼のほうに誘の注意がそれた時点で凍稀を縛する力は均衡を崩して消えていたため、誘もさして驚いてはいなかった。
右の目から流れる血で半面を赤く染めて、体中に裂傷を負いながらも、凍稀の身を包む自銀の気の流れは衰えてはいない。それどころか、誘を見据える怒りに燃えた目には気高さすら感じ取れて、誘の目はいささか不機嫌に締まった。
その程度の力しか持たないくせに、生意気にも自尊心だけは一人前を気取るかと。
それは誘にとって、自分への侮辱にほかならない。
そのことにすら気付かない高慢さには、いいかげん興冷めがくるというものだ。
「いざ、なぎ……」
そんな彼女を前にして、その名を口にする。
これだけの破壊と痛手を与えた者への感嘆からでも畏怖からでもない。それだけの力を持ちながら、平然と他人を傷つける――殺戮に用いることを選び、あまつさえ喜んでいる、残虐さへの怒りからだ。
誘も、さすがにその声に含まれた意味が気付けないほど愚かではない。
うやまうでも畏怖するでもない声で名を呼ばれることほど不愉快なことはない。
ましてやそれが、下等な輩からの非難であるならなおのこと、許しがたいというものだ。
自分に意見できるだけの身かどうかも考えずにしてくるとはおこがましいにもほどがあろう。
今までとは全く違う、殺意をも孕んだ眼差しが凍稀に向けられていた。
凍稀の手が、先の魘魅の攻撃の際、消滅した剣に代わる得物を求めて無意識のうちに床をすべる。
その手元に転がってきたのは、手のひら大の透明な球だった。
翠がかった中心で青白い気の渦を巻いた、見覚えのある球体。
「貸してやるよ」
なぜこれがここにあるのか。思わず振り返った凍稀に目配せひとつ。笑って、「貸し1つな」と男の唇が動く。
つくづく豪胆というか。突き抜けて場違いなほど余裕たっぷりのその姿には、形容しがたい安堵めいたものまで感じてしまう。
今、こうしてこの場にともにいてくれることに感謝さえしながら、凍稀は再び誘へと向き直った。
「凍稀。この私に、あくまで逆らおうというのかえ?」
今までのものとは全く違う、冷めた、殺意そのものの静かな問いかけが耳朶を打つ。
これが屈する最後の機会という、その確認に、凍稀は吠えるように即答した。
「私が心を捧げる主はシャナ1人! わが身もだ! 命の貴さも知ることのできない愚かな魅魎などに渡すものは、髪一筋たりと持ち合わせてはいない!!」
宿敵である魅魎の姿を捉えたただひとつの銀瞳から、ありったけの力を導いて。
凍稀は素早く口呪をつぶやき球を反応させて球内に道を開くと、それを媒体として誘の真上に封魔のための陣を異空より召還した。
「なっ!?」
突如空間を歪ませて出現した陣を誘はふり仰ぐ。
碧翠色の輝きを明滅させるそれが、自分などはるかに上回る、高等な力の具現であることを彼女が悟るのとほぼ同時に、陣は雷さながらの白光を放って床にもうひとつの陣を描いて完全に固定された。
それを知らせるように凍稀の手元、球内に縮図のような陣と、そこに囚われた誘の姿が浮かびあがる。
「永劫の闇に、還れ、魅妖!!」
かみしめるようにつぶやく。凍稀の顔はしかし、謄利を目前とした者には不似合いな、苦痛に歪んでいた。
竜心珠は本来退魔法師の管轄の呪物である。しかも、退魔法師数人がかりでようやく発動させることができる物。
ましてや内側に秘められた、その想像を絶するほどの強大な力を操るだけの力量が自分にないのは凍稀自身、知りつくしている。
暴走させたなら、終わりだ。
封魔に必要な力を導く一方で、過剰な力の流出をくい止める――そのことに全神経を集中していたせいで、凍稀は完全に失念していた。もう一人、己の消減すら厭わないほど誘に心を捧げた魘魅・巳麻がこの場にいることを。
「誘さまーーっ!!」
負の気を帯びたものは触れただけで消滅を余儀なくされる浄化の光の艦に、ためらいもなく飛び込んでゆく。誘の体を突き飛ばして陣外へ出した直後、身代わりとなった巳麻の全身を、数十の浄光が上下から貫いた。
「ひああああああーーーーーっ!!」
不浄のもの一切を焼き払い、消誠させる光。
己の体を串刺しにした数多の光矢に堪えかねて悲鳴を上げる。
卑小な妖鬼や魍鬼なら瞬時に消減しただろうが、なまじ力を持つ魘魅であるだけに、彼女の浄化には時間を要する。それが彼女にとってどれだけ凄絶な生き地獄であるかは、彼女の苦悶する姿を見れば察するに余りある。
「あ、ああ……っ、あああああああああーーーーーーーーーっっ」
「……シャナ……!!」
熟した果実のように皮膚という皮膚が再生した先から弾けて割れる激痛に、身を縮め、悲喝を上げ続ける彼女を見て、凍稀の集中力が揺らいだ。
「このばかっ!」
ほぼ同時に男の叱責が飛んでくる。
「おまえ、いまさら何考えてる! よく見ろ! あれがおまえの主か? おまえの愛した女か! おまえは外見に惚れたとでもいうのか!!」
まるで、固形物で後頭部を殴られたような衝撃だった。
自分が愛したのはシャナの心だ。蜂蜜色の髪でも、金と緑の瞳でもなく。
決して何者にも揺らがされることのない、高潔な、魂そのもの。
そうだ、あれは抜け殻。
魅魎が、死んだシャナから奪い取っただけの、ただの肉塊にすぎない。
シャナはもう、どこにもいないのだ。
「……つけろよ、決着を。どれほど苦しみを伴おうと、それが生き延びてしまった俺たちにできる唯一の贖罪なんだ」
再び封魔にかかった凍稀の背後、だれに告げるでもない声で、低く、男が言葉を落とした……。
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互いに牙を交えたこのとき、ないはずはないのに、全く邪気というものを感じさせない、屈託のない声で笑ってそう言うと、男は肩を竦めて見せた。
「俺は手を出す気はないと言ったはずだ。……まあちょい先に指1つ分くらい出したけど、あれはあんまり情けない姿をさらしてたこいつへのハンデということで大目に見てくれよな。
もう邪魔はしないから、勝手に2人でやってくれ」
相変わらず人を食ったようなロ調でそう告げて。男は自分の口にした言葉どおり傍親者に徹すべく足元に落としていた荷物をすくい取り、すたすた脇の方へ退いていってしまった。
代わるようにその後ろで身をよろめかせたのは、凍稀である。
男が姿を現して彼のほうに誘の注意がそれた時点で凍稀を縛する力は均衡を崩して消えていたため、誘もさして驚いてはいなかった。
右の目から流れる血で半面を赤く染めて、体中に裂傷を負いながらも、凍稀の身を包む自銀の気の流れは衰えてはいない。それどころか、誘を見据える怒りに燃えた目には気高さすら感じ取れて、誘の目はいささか不機嫌に締まった。
その程度の力しか持たないくせに、生意気にも自尊心だけは一人前を気取るかと。
それは誘にとって、自分への侮辱にほかならない。
そのことにすら気付かない高慢さには、いいかげん興冷めがくるというものだ。
「いざ、なぎ……」
そんな彼女を前にして、その名を口にする。
これだけの破壊と痛手を与えた者への感嘆からでも畏怖からでもない。それだけの力を持ちながら、平然と他人を傷つける――|殺戮《さつりく》に用いることを選び、あまつさえ喜んでいる、残虐さへの怒りからだ。
誘も、さすがにその声に含まれた意味が気付けないほど愚かではない。
うやまうでも畏怖するでもない声で名を呼ばれることほど不愉快なことはない。
ましてやそれが、下等な輩からの非難であるならなおのこと、許しがたいというものだ。
自分に意見できるだけの身かどうかも考えずにしてくるとはおこがましいにもほどがあろう。
今までとは全く違う、殺意をも|孕《はら》んだ眼差しが凍稀に向けられていた。
凍稀の手が、先の魘魅の攻撃の際、消滅した剣に代わる得物を求めて無意識のうちに床をすべる。
その手元に転がってきたのは、手のひら大の透明な球だった。
翠がかった中心で青白い気の渦を巻いた、見覚えのある球体。
「貸してやるよ」
なぜこれがここにあるのか。思わず振り返った凍稀に目配せひとつ。笑って、「貸し1つな」と男の唇が動く。
つくづく豪胆というか。突き抜けて場違いなほど余裕たっぷりのその姿には、形容しがたい安堵めいたものまで感じてしまう。
今、こうしてこの場にともにいてくれることに感謝さえしながら、凍稀は再び誘へと向き直った。
「凍稀。この私に、あくまで逆らおうというのかえ?」
今までのものとは全く違う、冷めた、殺意そのものの静かな問いかけが|耳朶《じだ》を打つ。
これが屈する最後の機会という、その確認に、凍稀は吠えるように即答した。
「私が心を捧げる主はシャナ1人! わが身もだ! 命の貴さも知ることのできない愚かな魅魎などに渡すものは、髪一筋たりと持ち合わせてはいない!!」
宿敵である魅魎の姿を捉えたただひとつの銀瞳から、ありったけの力を導いて。
凍稀は素早く口呪をつぶやき球を反応させて球内に道を開くと、それを媒体として誘の真上に封魔のための陣を異空より召還した。
「なっ!?」
突如空間を|歪《ひず》ませて出現した陣を誘はふり仰ぐ。
碧翠色の輝きを明滅させるそれが、自分などはるかに上回る、高等な力の具現であることを彼女が悟るのとほぼ同時に、陣は雷さながらの白光を放って床にもうひとつの陣を描いて完全に固定された。
それを知らせるように凍稀の手元、球内に縮図のような陣と、そこに囚われた誘の姿が浮かびあがる。
「永劫の闇に、還れ、魅妖!!」
かみしめるようにつぶやく。凍稀の顔はしかし、謄利を目前とした者には不似合いな、苦痛に歪んでいた。
竜心珠は本来退魔法師の管轄の呪物である。しかも、退魔法師数人がかりでようやく発動させることができる物。
ましてや内側に秘められた、その想像を絶するほどの強大な力を操るだけの力量が自分にないのは凍稀自身、知りつくしている。
暴走させたなら、終わりだ。
封魔に必要な力を導く一方で、過剰な力の流出をくい止める――そのことに全神経を集中していたせいで、凍稀は完全に失念していた。もう一人、己の消減すら厭わないほど誘に心を捧げた魘魅・巳麻がこの場にいることを。
「誘さまーーっ!!」
負の気を帯びたものは触れただけで消滅を余儀なくされる浄化の光の艦に、ためらいもなく飛び込んでゆく。誘の体を突き飛ばして陣外へ出した直後、身代わりとなった巳麻の全身を、数十の浄光が上下から貫いた。
「ひああああああーーーーーっ!!」
不浄のもの一切を焼き払い、消誠させる光。
己の体を串刺しにした数多の光矢に堪えかねて悲鳴を上げる。
卑小な妖鬼や魍鬼なら瞬時に消減しただろうが、なまじ力を持つ魘魅であるだけに、彼女の浄化には時間を要する。それが彼女にとってどれだけ凄絶な生き地獄であるかは、彼女の苦悶する姿を見れば察するに余りある。
「あ、ああ……っ、あああああああああーーーーーーーーーっっ」
「……シャナ……!!」
熟した果実のように皮膚という皮膚が再生した先から弾けて割れる激痛に、身を縮め、悲喝を上げ続ける彼女を見て、凍稀の集中力が揺らいだ。
「このばかっ!」
ほぼ同時に男の叱責が飛んでくる。
「おまえ、いまさら何考えてる! よく見ろ! あれがおまえの主か? おまえの愛した女か! おまえは外見に惚れたとでもいうのか!!」
まるで、固形物で後頭部を殴られたような衝撃だった。
自分が愛したのはシャナの心だ。蜂蜜色の髪でも、金と緑の瞳でもなく。
決して何者にも揺らがされることのない、高潔な、魂そのもの。
そうだ、あれは抜け殻。
魅魎が、死んだシャナから奪い取っただけの、ただの肉塊にすぎない。
シャナはもう、どこにもいないのだ。
「……つけろよ、決着を。どれほど苦しみを伴おうと、それが生き延びてしまった俺たちにできる唯一の|贖罪《しょくざい》なんだ」
再び封魔にかかった凍稀の背後、だれに告げるでもない声で、低く、男が言葉を落とした……。