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第11回

ー/ー



「待ちや、巳麻」

「わがきみ……!」

 事ここに至り、まだこの愚劣極まりない魔断に執着をみせる主人に不満の表情で振り返る。
 ここまで愚弄され、軽んじられて。そんな者を眷属として迎え入れるなど納得できない――そう、目で訴えてくる巳麻に、誘は傷の具合をはかるように目元に指を添えたまま、すげなく告げた。

「先に手出しは控えるよう申しつけてあろう。これは、私とその者との間でのこと。おまえなどがロをさしはさむことではない。
 これ以上の介入は無用ぞ」
「ですが……」
「不服かえ?」

 細く開かれたまぶたの奥、闇の瞳が静かに圧する。

 本来魘魅は己の創造主である魅妖に絶対服従である。誘はその奔放な性質と嗜好(しこう)から、割合立場を逸脱した増長を大目にみてきていたようだが、気分を損なっている今はとてもその寛大さをみせる気にはなれないらしい。

 自分を疎む主からの殺気に押され、身を固くした巳麻からふいと目をそらし。誘は何か、うまくいかないと小さくつぶやくと舌打ちをもらした。眉をひそめ、ロ元を歪めるといら立ちまぎれに宙を薙ぐ。
 その顔が、ふと思い出したように上がった。思いついた何かを求めて周囲へ向けられた視線は、固唾を呑んで見守る巳麻を探り当て、止まる。

「おお巳麻。あの危うきさなか、身を呈して私を守ろうとしたそなたの忠誠は、もちろん忘れてはおらぬ。そなたは良き従者じゃ。
 したが巳麻、もうひとたび私のために、その身を呈することはできぬかえ?」
「偉大なるわがきみ。この世に比肩するものなき誘さま御為(おんため)であられますならば、何を(いと)いましょう。
 どうぞ、いかようなことでも私めにお命じくださいませ」

 即答し、その足下へ身を寄せる。膝をつき、頭を垂れた柔順な態度に誘は満足そうにうなずくと、あごに手をかけて上を向かせた。

「では遠慮のうもらうとしよう」
「……ああっ!」

 誘の非道な行為に声を上げたのは、壁に身を預けたままでいた凍稀だった。
 シャナの顔面より目をえぐり出すさまを目の当たりにして、一瞬で正気づく。

 巳麻自身は何の苦痛も不満も感じている様子はなかった。陶然となった表情は、むしろそうして主の役に立てたことに歓喜すらしているようだ。

 取り出された2つの眼球は、誘の手の中で蒸発したように音もたてず消滅した。間をあけず、誘が再び両のまぶたを大きく開く。
 そこには金で縁どられた明るい緑の瞳がつやつやと照りを放っていた。

「き、さまあ……っ!!」

 凄まじい勢いで全身を駆け巡った憤怒の炎は、到底はかり知れるものではない。
 怒声上げて立ち上がる――いや、立とうとしたのだ。すぐさまあの目を取り返してやると。

 けれども膝を伸び切らせる直前、誘の放った力が凍稀の全身を縛し、再度その場に両手をつかせた。

「待たせたのう凍稀。
 なるほど、飼い犬も手綱を緩めれば手を噛むだけの牙は持つ。それだけの気概なしで何ゆえ私の従者がつとまろうそ。ましてそれを御してこそ、主たる私の度量も知れようもの。
 そのような顔をして……さぞ苦しかろう。したが心配は要らぬ。残った左も抜き、新たなカを空いた両の眼窩(がんか)に嵌めこもうぞ。私の寵愛を受けるにふさわしい、印としてな。
 それある限り、わが闇に属する者でおまえに膝を屈せぬ者は現れぬ。さすればいかに無分刑なことをしていたか、おまえも知ることができよう。が、恥じ入るには及ばぬ。皆、多少の差こそあれ、はじめに見せる未知なるものへの恐れは、おまえの見せた愚行とさして変わりはせぬのだから」

 おまえと巳麻は、さぞ似合いの一対としてわが両脇に並び立つであろう――そう告げながら、ゆっくりと歩を進めてくる。楽しげに、この一時すらも存分に味わおうとするかのように。

 私が、悪いのか……。

 凍稀は身も心も凍りつく思いで、誘と、その後ろに見える闇色の目をしたシャナの姿をかわるがわる見つめた。

 私が、誘から目を奪ったから。そこにとどめてあった力を散らし、解き放ったから。あいつは、シャナの目を奪った……。

 涙がこぼれた。歯の根が合わず、奥歯がカチカチと小さな音をたてているのが聞こえる。

 なんということをしてしまったのだろう。二度と取り返しはつかない。自分は、なんて、愚かなことを……。

「そのように泣かずともよい。なにも嘆くことはないのじゃ。痛みなど、感じた刹那に失われる浮薄なもの。二度とそのようなものに(わずら)わされることのない力を授けてやろう。
 今度のことに対する仕置きはそのあと、ゆうるりと、な……」

 そのときのことを胸に思い描いてか、クク、と笑い、ひんやりとした冷たい手で両の頬をはさみ取られる。
 乱れてかぶさった髪を左右に分けた指が、残った左の眼球をえぐり出そうと近付いたときだ。

 邪魔するように、横から何かが誘の手に向かって投げつけられた。

「!」

 気配に気付くことのできなかったあせりもあらわに、さっとそちらへ向き直る。直後。

「やけに静かになったなあと思えば、何やってるんだおまえはっ!」

 一体いつからいたものか。吹き荒れた誘の力によって全壊し、もはや部屋の入り口としての形跡は一切なくなった所から、ひょっこり姿を現した者が、呆れた声で投げてくる。

 完全に動きを封じられた凍稀にとって絶体絶命の、かなり深刻な状況であったこのとき。
 妙に真剣さが足りない分、どこか間の抜けた響きとなって聞こえたそれを発した者は。
 暗紅色の髪に赤玉色の双眸、そして類いまれな美貌を持つ、男だった。


◆◆◆


「ああもお。信じらんないね、俺は!!」

 ずかずかずか。……そうでないかとうすうす思ってはいたのだが。
 もしかして、本当に、相当鈍いのではないかと、見ている凍稀のほうが思わず心配してしまいそうになるほど男は場の空気もへったくれもないと、無防備に、あるいは無神経に、さもなくば傲然(ごうぜん)と、歩み寄ってきた。

 崩れた柱や床の穴など、邪魔な障害をひょひょいと避け、十歩ほど手前で止まる。

 男は、まず奥に控えている巳麻を見、誘を見、それから凍稀に目を戻して、こうなった経緯を悟れたというように腰に手をあて、深々とため息をついた。

「あのなあ……おまえ、あれだけ言った俺の言葉を、一体なんだと思ってたんだ? そもそも、はじめから分かっていたはずじゃないのか?
 おまえは何をしに来た? ここへ。こいつらの前へ。
 そうなりにか?」

 身も心もずたずたに裂かれ、傷ついた者だというのにまるで容赦のない、手厳しい言葉を投げつける。
 内在する力の圧倒的な差を感じさせる分、魅魎に負けるとも劣らぬ冷たい光で紅い瞳は彼を下に見て、答えを声に出して言ってみろと迫っていた。

 絶世の美貌という強烈な存在感は、それだけで他を威圧するものだ。

 気圧され、促されるまま言おうとするが、それは、今の自分の姿を思うととても口にできるものではなかった。
 右目を失ったあげく、体の自由も奪われて指1本動かすこともできずにいた、己の不甲斐なさを恥じるよう強く唇をかむ。

「違うだろ。違いすぎてるだろ、今のおまえは。
 なら、どうすべきかくらい分かるな。いくらもの分かりが悪いったって、救いようのないばかってわけじゃあるまいし」

 傷ついた者を相手に用いるには少々不適切と思えるほど無神経な言葉ではあったけれど、今の凍稀には必要な叱咤(しった)で、男は凍稀の心を押していた。
 まだやれる、と。

「またしてもおまえか」

 横で、憎々しげに誘がそんな言葉を吐く。

「よほどその生気、喰われたいとみゆる」
「はっ。喰うだって?」

 まるで面白い冗談でも聞いたように男が吹き出す。

「言うじゃないか。そんな姿でまだ食い気が先に立つとは、あんたの食欲もなかなか根性座ってるね」

 どこまでも茶化そうとする響きを捨てようとしない、男の軽ロが終わるか終わらないかのうちに、早くも誘と男の境で火花が散った。

 誘の放った力の風と、それを防ぐ盾として噴き上がった男の火炎がぶつかる。
 強烈な力のぶつかり合いに空間が激しく反応して、室内の空気が2人を中心に渦を巻く。引き裂かれ、ねじれゆく金属音に似た共振。対流する流れに飲まれ、浮き上がった礫片は渦の中心へ行きつく前に重圧に耐えかねて粉塵と化し、床はさらなる加重に耐えかねてすり鉢状に沈んでいく。

「……くっ……」

 通常であればまず起こり得ないことに、誘が歯軋りする。

 たとえ何百年かけて内なる力を純化し、高めていようと、主たる人間がいなければ本力を引き出せない魔断などが、魅妖である自分と渡り合えるだけの力を導けるはずはないのだ。

 自分の放つ力のほうが弱まっている――それが先に受け、まだ己の内でくすぶっている凍稀の力によるものであることも同時に悟る。

「ええい……!」

 本来の自分であれば男を圧倒するほどの力を導けるはずが、それもできず、魔断ごときと拮抗するなど、無様な姿をさらしていることにますます自尊心を傷つけられた思いで憤る誘を前に、とうにこうなると見越していた男が余裕の笑みを浮かべる。

「おまえたちはいつもそうだ。相手を格下となめてかかって、状況判断が甘い」

 との言葉にカッと頭の中が朱に染まる。

 魔断ごときと力で押しあうなど、こんな茶番、いつまでもしていられるものか!

 不快気に目を細めると、誘はそれまでそそぎこんでいた力を全て横へ流した。
 ようやく与えられた行き場目指し、狂喜するように地を爆走した力は巨大な爆烈音をたてて壁にぶつかり、柱ともども一瞬でそれを破砕してしまう。天井ごと崩れた壁のたてる重い地響きに、他の側壁は悲嘱さながら亀裂をよりいっそう深めた。蜘蛛の巣状態でなんとか持ちこたえていた床がついに耐えかね、あちこちでがらがらと音をたてて陥没してゆく。

 天井が崩れてこないのが不思議に思えるほど、部屋は長引く闘いに崩壊しきっていた。


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「わがきみ……!」
 事ここに至り、まだこの愚劣極まりない魔断に執着をみせる主人に不満の表情で振り返る。
 ここまで愚弄され、軽んじられて。そんな者を眷属として迎え入れるなど納得できない――そう、目で訴えてくる巳麻に、誘は傷の具合をはかるように目元に指を添えたまま、すげなく告げた。
「先に手出しは控えるよう申しつけてあろう。これは、私とその者との間でのこと。おまえなどがロをさしはさむことではない。
 これ以上の介入は無用ぞ」
「ですが……」
「不服かえ?」
 細く開かれたまぶたの奥、闇の瞳が静かに圧する。
 本来魘魅は己の創造主である魅妖に絶対服従である。誘はその奔放な性質と|嗜好《しこう》から、割合立場を逸脱した増長を大目にみてきていたようだが、気分を損なっている今はとてもその寛大さをみせる気にはなれないらしい。
 自分を疎む主からの殺気に押され、身を固くした巳麻からふいと目をそらし。誘は何か、うまくいかないと小さくつぶやくと舌打ちをもらした。眉をひそめ、ロ元を歪めるといら立ちまぎれに宙を薙ぐ。
 その顔が、ふと思い出したように上がった。思いついた何かを求めて周囲へ向けられた視線は、固唾を呑んで見守る巳麻を探り当て、止まる。
「おお巳麻。あの危うきさなか、身を呈して私を守ろうとしたそなたの忠誠は、もちろん忘れてはおらぬ。そなたは良き従者じゃ。
 したが巳麻、もうひとたび私のために、その身を呈することはできぬかえ?」
「偉大なるわがきみ。この世に比肩するものなき誘さま|御為《おんため》であられますならば、何を|厭《いと》いましょう。
 どうぞ、いかようなことでも私めにお命じくださいませ」
 即答し、その足下へ身を寄せる。膝をつき、頭を垂れた柔順な態度に誘は満足そうにうなずくと、あごに手をかけて上を向かせた。
「では遠慮のうもらうとしよう」
「……ああっ!」
 誘の非道な行為に声を上げたのは、壁に身を預けたままでいた凍稀だった。
 シャナの顔面より目をえぐり出すさまを目の当たりにして、一瞬で正気づく。
 巳麻自身は何の苦痛も不満も感じている様子はなかった。陶然となった表情は、むしろそうして主の役に立てたことに歓喜すらしているようだ。
 取り出された2つの眼球は、誘の手の中で蒸発したように音もたてず消滅した。間をあけず、誘が再び両のまぶたを大きく開く。
 そこには金で縁どられた明るい緑の瞳がつやつやと照りを放っていた。
「き、さまあ……っ!!」
 凄まじい勢いで全身を駆け巡った憤怒の炎は、到底はかり知れるものではない。
 怒声上げて立ち上がる――いや、立とうとしたのだ。すぐさまあの目を取り返してやると。
 けれども膝を伸び切らせる直前、誘の放った力が凍稀の全身を縛し、再度その場に両手をつかせた。
「待たせたのう凍稀。
 なるほど、飼い犬も手綱を緩めれば手を噛むだけの牙は持つ。それだけの気概なしで何ゆえ私の従者がつとまろうそ。ましてそれを御してこそ、主たる私の度量も知れようもの。
 そのような顔をして……さぞ苦しかろう。したが心配は要らぬ。残った左も抜き、新たなカを空いた両の|眼窩《がんか》に嵌めこもうぞ。私の寵愛を受けるにふさわしい、印としてな。
 それある限り、わが闇に属する者でおまえに膝を屈せぬ者は現れぬ。さすればいかに無分刑なことをしていたか、おまえも知ることができよう。が、恥じ入るには及ばぬ。皆、多少の差こそあれ、はじめに見せる未知なるものへの恐れは、おまえの見せた愚行とさして変わりはせぬのだから」
 おまえと巳麻は、さぞ似合いの一対としてわが両脇に並び立つであろう――そう告げながら、ゆっくりと歩を進めてくる。楽しげに、この一時すらも存分に味わおうとするかのように。
 私が、悪いのか……。
 凍稀は身も心も凍りつく思いで、誘と、その後ろに見える闇色の目をしたシャナの姿をかわるがわる見つめた。
 私が、誘から目を奪ったから。そこにとどめてあった力を散らし、解き放ったから。あいつは、シャナの目を奪った……。
 涙がこぼれた。歯の根が合わず、奥歯がカチカチと小さな音をたてているのが聞こえる。
 なんということをしてしまったのだろう。二度と取り返しはつかない。自分は、なんて、愚かなことを……。
「そのように泣かずともよい。なにも嘆くことはないのじゃ。痛みなど、感じた刹那に失われる浮薄なもの。二度とそのようなものに|煩《わずら》わされることのない力を授けてやろう。
 今度のことに対する仕置きはそのあと、ゆうるりと、な……」
 そのときのことを胸に思い描いてか、クク、と笑い、ひんやりとした冷たい手で両の頬をはさみ取られる。
 乱れてかぶさった髪を左右に分けた指が、残った左の眼球をえぐり出そうと近付いたときだ。
 邪魔するように、横から何かが誘の手に向かって投げつけられた。
「!」
 気配に気付くことのできなかったあせりもあらわに、さっとそちらへ向き直る。直後。
「やけに静かになったなあと思えば、何やってるんだおまえはっ!」
 一体いつからいたものか。吹き荒れた誘の力によって全壊し、もはや部屋の入り口としての形跡は一切なくなった所から、ひょっこり姿を現した者が、呆れた声で投げてくる。
 完全に動きを封じられた凍稀にとって絶体絶命の、かなり深刻な状況であったこのとき。
 妙に真剣さが足りない分、どこか間の抜けた響きとなって聞こえたそれを発した者は。
 暗紅色の髪に赤玉色の双眸、そして類いまれな美貌を持つ、男だった。
◆◆◆
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 ずかずかずか。……そうでないかとうすうす思ってはいたのだが。
 もしかして、本当に、相当鈍いのではないかと、見ている凍稀のほうが思わず心配してしまいそうになるほど男は場の空気もへったくれもないと、無防備に、あるいは無神経に、さもなくば|傲然《ごうぜん》と、歩み寄ってきた。
 崩れた柱や床の穴など、邪魔な障害をひょひょいと避け、十歩ほど手前で止まる。
 男は、まず奥に控えている巳麻を見、誘を見、それから凍稀に目を戻して、こうなった経緯を悟れたというように腰に手をあて、深々とため息をついた。
「あのなあ……おまえ、あれだけ言った俺の言葉を、一体なんだと思ってたんだ? そもそも、はじめから分かっていたはずじゃないのか?
 おまえは何をしに来た? ここへ。こいつらの前へ。
 そうなりにか?」
 身も心もずたずたに裂かれ、傷ついた者だというのにまるで容赦のない、手厳しい言葉を投げつける。
 内在する力の圧倒的な差を感じさせる分、魅魎に負けるとも劣らぬ冷たい光で紅い瞳は彼を下に見て、答えを声に出して言ってみろと迫っていた。
 絶世の美貌という強烈な存在感は、それだけで他を威圧するものだ。
 気圧され、促されるまま言おうとするが、それは、今の自分の姿を思うととても口にできるものではなかった。
 右目を失ったあげく、体の自由も奪われて指1本動かすこともできずにいた、己の不甲斐なさを恥じるよう強く唇をかむ。
「違うだろ。違いすぎてるだろ、今のおまえは。
 なら、どうすべきかくらい分かるな。いくらもの分かりが悪いったって、救いようのないばかってわけじゃあるまいし」
 傷ついた者を相手に用いるには少々不適切と思えるほど無神経な言葉ではあったけれど、今の凍稀には必要な|叱咤《しった》で、男は凍稀の心を押していた。
 まだやれる、と。
「またしてもおまえか」
 横で、憎々しげに誘がそんな言葉を吐く。
「よほどその生気、喰われたいとみゆる」
「はっ。喰うだって?」
 まるで面白い冗談でも聞いたように男が吹き出す。
「言うじゃないか。そんな姿でまだ食い気が先に立つとは、あんたの食欲もなかなか根性座ってるね」
 どこまでも茶化そうとする響きを捨てようとしない、男の軽ロが終わるか終わらないかのうちに、早くも誘と男の境で火花が散った。
 誘の放った力の風と、それを防ぐ盾として噴き上がった男の火炎がぶつかる。
 強烈な力のぶつかり合いに空間が激しく反応して、室内の空気が2人を中心に渦を巻く。引き裂かれ、ねじれゆく金属音に似た共振。対流する流れに飲まれ、浮き上がった礫片は渦の中心へ行きつく前に重圧に耐えかねて粉塵と化し、床はさらなる加重に耐えかねてすり鉢状に沈んでいく。
「……くっ……」
 通常であればまず起こり得ないことに、誘が歯軋りする。
 たとえ何百年かけて内なる力を純化し、高めていようと、主たる人間がいなければ本力を引き出せない魔断などが、魅妖である自分と渡り合えるだけの力を導けるはずはないのだ。
 自分の放つ力のほうが弱まっている――それが先に受け、まだ己の内でくすぶっている凍稀の力によるものであることも同時に悟る。
「ええい……!」
 本来の自分であれば男を圧倒するほどの力を導けるはずが、それもできず、魔断ごときと拮抗するなど、無様な姿をさらしていることにますます自尊心を傷つけられた思いで憤る誘を前に、とうにこうなると見越していた男が余裕の笑みを浮かべる。
「おまえたちはいつもそうだ。相手を格下となめてかかって、状況判断が甘い」
 との言葉にカッと頭の中が朱に染まる。
 魔断ごときと力で押しあうなど、こんな茶番、いつまでもしていられるものか!
 不快気に目を細めると、誘はそれまでそそぎこんでいた力を全て横へ流した。
 ようやく与えられた行き場目指し、狂喜するように地を爆走した力は巨大な爆烈音をたてて壁にぶつかり、柱ともども一瞬でそれを破砕してしまう。天井ごと崩れた壁のたてる重い地響きに、他の側壁は悲嘱さながら亀裂をよりいっそう深めた。蜘蛛の巣状態でなんとか持ちこたえていた床がついに耐えかね、あちこちでがらがらと音をたてて陥没してゆく。
 天井が崩れてこないのが不思議に思えるほど、部屋は長引く闘いに崩壊しきっていた。