十四話 好きだ
ー/ー 左手が腰に回され、杏は大輔の胸元に抱きしめられる。
優しく温かい金茶色の光に包まれて、血を失い冷たくなっていた杏の身体が熱を取り戻す。
それどころか、全身が燃えるのではないかと思えるほど身体が、心が熱くなる。
大輔の腕の中で、杏は思い知った。
≪直観≫はやはり正しく、そしてやはり間違っていたのだと。
今まで抱いていたのはやはり恋ではなかった。恋になるための何かだった。
それはそうだ。
今まで混沌の妄執や芽衣の事でずっと苦しんでいたのだ。それがなくなったからといって、直ぐにその苦しみによる弊害がなくなるわけではない。
時間がかかる。
それに魂魄はまだ生きていた母を殺そうとしたのだ。自分を少しだけ信じられなくなっていたのもあるだろう。
それはたぶん、準備期間だったのだ。
その準備期間――その想いの蛹は、正しく羽化することも少なければ、そもそも羽化する事すら少ない。
≪直観≫はそれも予感していた。
そして杏自身がその想いを明確に知らなかったから、≪直観≫は杏の想いを否定したのだ。
けれど、
(熱い。苦しい。嬉しい。嫌だ。怖い。欲しい。辛い――)
あらゆる感情が入り乱れる。
(いつもみたいに優しく笑ってほしい。困ったように眉を八の字にして微笑んでほしい。幸せにしたい。幸せにしてほしい。触れたい。触れられたい。傷つけたくない。傷つけられたくない。優しくしたい。優しくしてほしい。頼ってほしい。頼りたい。甘えてほしい。甘えたい。自由でいてほしい。誰にも渡したくない――)
あらゆる想いが入り乱れる。
そしてそれは、
(お前が恋しくて、愛しい。これが恋でないなら、愛でないなら、なんなんだ!)
明確になった。
だからこそ、大輔の白衣により失った右腕や腹の孔が再生させられている杏は、憤怒で表情を歪めている大輔の横顔を見る。
「おい、なに黙ってんの? 杏に何したのさ。ねぇっ!」
「カハッ」
大輔は数十の戦術補助多蜂支援機で四肢を拘束した老婆の腹を殴る。纏っていた炎の甲冑はゴミのように消し飛ばされた。
「……まぁいい」
無言の老婆に呆れたのか、それとも溢れる怒気をようやく制御できたのか、大輔は冷徹な瞳を老婆に向ける。
おもむろに右手を脚に走らせたかと思うと、イーラ・グロブスを構え、老婆の頭に突き付ける。
「死ね――」
躊躇いなく引き金を引いた瞬間、
「待て、大輔っ!」
再生した右腕で杏はイーラ・グロブスを掴む。
それにより射出された銃弾は老婆の耳を掠った。遠くで爆発する。杏が逸らさなければ確実にその弾丸は老婆の脳天を撃ち抜き、そして頭を爆発で吹き飛ばしただろう。
その殺意を瞳の奥に湛えながら、大輔は困ったように眉を八の字にし、優しく杏を見た。
「……杏。こればかりは譲れないよ。敵だ。大切な友達を傷つけた。これからも傷つける。ここが日本であっても、僕の信念に則って殺す」
大輔のその言葉は本当に優しく、本気なのだろう。
それに言い知れぬ感情を抱いた杏は、けれどゆっくりと首を横に振る。
「駄目だ。大輔。よく見ろ。そこの老婆はそれを狙っている」
「分かってる。その上で殺すんだ」
分かってないなぁ……と頬を緩ませた杏は大輔の懐から出た。自分の足で立てると。自分一人で大丈夫だと。
守る必要はないと。
「杏。何をする――」
「すまないが、後ろの二人を治療を頼む。それ以外はアタシがやる。元々アタシが首を突っ込んだ事だ」
杏は大剣を握りしめる。
明確になった想いは、けれど向き合わなければ、ただのガラクタになり果てる。大切な想いは忘れ去られるから、常に意識して行動を起こすんだ。
(勇気が、一歩を踏み出す勇気を)
雪は凄いなぁ、と感慨深く口の中で呟いた杏は、握りしめた大剣を横に流す。
そして、杏は自らを信じ、
「アタシは大丈夫だ」
淡々と大剣を振るい、老婆の首を刎ねた。殺した。
逃げることもできた。そもそも杏はイネスを助けるためにアヤと戦ったのであって、この老婆は知らない。
もし老婆がイネスを生贄にすることを考えアヤに命令したのだとしても、それに対して何かをするべきとも思わない。最優先はイネスの安全だ。
けど、杏は≪直観≫で知っている。この老婆をこのまま放置すれば、自分だけでなく自分の大切な人に牙を剥くと。
大輔がこの老婆を殺そうとしたのもそれだ。
そしてまた、杏はバスでイネスに言ったのだ。自ら行動したのなら、他人にゆだねるべきではないと。
言った本人がそれを為さずしてどうする。理由はどうであれ、一度首を突っ込んだのであればやりきる。
もちろん、自分が死ぬ未来が見えているなら、そしてそれが最優先でないのであれば逃げるが、今は大丈夫。
負ける気がしないし、実際に負けない。
それに大輔がいる。
そんな保険を考えている自分に内心苦笑しながら、杏は首が刎ねられ血を吹き出す老婆を睨む。
大剣を握りしめ、体内の魔力を高める。
そして刎ね飛ばされた老婆の首が地面に落ちた時、
「クッ!」
先ほどの炎とは比べ物にならない高熱の白炎が顕現し、老婆を焼き尽くす。
いや、奪い尽くす。
燃えたその肉体は炎へと化し、煌々と輝く白炎の翼は天をも焦がす。右手には全ての邪悪を切り裂く炎の剣が、左手には全ての罪を審らかにする炎の天秤を持っていた。
天使だ。天使という外見がしっくりくる異形がそこにいた。
Φ
「『はkm滕bjsゎmwがら殺天かmw』」
「シッッ!」
炎と炎。
大輔が移動型聖星要塞で結界を展開してその戦いを隔離していなければ、ここら一帯が全て焼却させられていたであろう炎の嵐が天上を焼き尽くす。
杏と天使を象った異形が戦っているのだ。
杏に言われるがままにイネスとアヤを治療していた大輔は、複雑な表情でそれを見上げる。
「おかしくない? 一応あの霊力の異形、僕でも結構手こずりそうな奴だよ? なんで真面に戦えてるの?」
プラズマを発生させる超高温の炎を圧縮した白の羽根が、豪雨のごとく杏に降り注ぐ。だが、杏も同じく圧縮した超高温の火炎弾を放ち、相殺する。
瞬く間もなく天使の異形は、杏に接近。炎の剣を振り下ろすが、杏は≪白焔≫を纏った大剣を振り上げ、鍔迫り合い。
そのまま魂魄にダメージを与える≪白焔≫を噴き上げ、天使の異形に纏わりつかせる。
天使の異形は言葉にもならない叫びを上げると、空間にすら衝撃を与える爆発を放つ。
杏は歯噛みしつつも、爆風でそれをある程度防ぐ。多少内臓にダメージが入ったようだが、直ぐに回復する。
そもそも、
「どう考えても杏が人間をやめてる件について。え、なんで? なんで魔法少女衣装だけじゃなくて身体も炎になってるの? 変幻自在のようだし。っというか、あれ、何? なんで炎を噴き上げると傷が癒えてるの? 炎の化身か何かなの!?」
先ほどまでの杏とは桁違いの力を感じる。身に宿す魔力も、減るどころか益々増えているし、揮う炎は太陽とすら思える。
しかも、大輔が“天心眼”などで注意深く観察した限り、≪直観≫のレベルもおかしい。明らかに未来を視たような挙動を以て天使の異形の攻撃をいなしていく。
ぽかん、と口を開けて唖然としていた大輔は、首を振る。
「いや、分かってるよ。絶対大皇日女と接触した際の対混沌の妄執魔法外装の変質が原因だよね。うん、分かってる。いや、でもまさかここまでとは思わなかった。眠ってたし、悪いものではなかったら排除しなかったけど、うん。けど、やっぱりおかしくない? レベル1のスライムが突然レベル9999の魔王になるくらいにレベチしてるのは、流石におかしくない!?」
思わず普段は使わないギャル語を使うほどに混乱していた大輔は、ハッと何かに気が付く。
「というか、何かが杏に集まっている気がする……あれだ。大皇日女とかが持ってた思念系のエネルギーだ。杏からも発せられてるけど、それよりもさっきまで周囲になかった――」
そこまで言いながら、大輔は“天心眼”で周囲一帯を俯瞰する。
「あ、ヤバい。忘れてた。外界との遮断してないじゃん。世界の終焉パートワン的な光景、普通に丸見えじゃん」
周辺の村はもちろん、少し離れた街、いや半径百キロ近くの人間が杏と天使の異形の戦いを見上げていたのだ。
そして同時に気が付く。
「放出してる? どうやって? 一般人だよね? そんなエネルギー持ってなかったよね?」
杏に集まる思念系のエネルギーは、その光景を見上げている一般人から放出されていると。
特に、歳を取った人、いや、その異常な光景に対して恐怖だけでなく、畏れ祈ったりしている人たちがそれを多く放っている。
「なるほど、それか。杏の力がおかしなほどに昇華したのはそのエネルギーが原因か。でも何でそれが杏に集まってる? そもそも何の力もない一般人から――」
大輔がそのエネルギーが杏に害を与えないか念入りに調べようとした瞬間、
「ッ、どうしてこんな時に限って、面倒が次々と」
東、北、西のそれぞれの空が割れる。
杏が今戦っている天使の異形と同系統のエネルギーを持った存在が、東、北、西に現れる。
また、同じ場所に遠目からでも分かるくらいの巨大な異形――いや、化生が東、北、西で現れる。
面倒な、と大輔が顔を顰めた。それと同時に、カガミヒメに怒りが湧く。悠長に話してんじゃないよっ! と。
つまり、妖魔界を形成している封怨石の中でも特別重要なのが壊されたのだ。今は、リカバリーとして召喚したであろう巨大な化生が戦い、防いでいるが、いつ妖魔界が崩れ去るか。
色々な思考が大輔の脳裏を過るが、それでも大輔はここを離れることはない。
杏の戦いを見届けるのが、杏に何かあった時に直ぐに助けられるようにするのが最優先だからだ。
そもそも大輔としてはさっさと自分が戦って杏に異常がないかとかを調べたいところなのだが、今朝、冥土に進言された「杏様とウィオリナ様の想いを、どうかできるだけでいいので尊重してください」を考慮して我慢しているのだ。
が、いい加減大輔のしびれが切れそうになった時。
「これで終わりだっ!!」
「『かえf万えhjw空lあxmwけんwちたッッゥt!!!』」
天を衝く極光が迸ったかと思うと、焼けていた空が柔らかく茜色に包まれていた。炎が晴れたのだ。
炎を宿した天使の異形は灰となり、空へと消えた。
そして杏は、
「ちょっ!?」
自由落下していた。
覚醒魔法少女姿は解け、先ほどまで溢ればかりに感じていた力は全く感じない。制服が風に靡く。なのに杏は悲鳴一つ上げない。重力に身を任せている。
大輔は驚き、慌てて地面を蹴って跳ぶ。足元に障壁を作り出し、何度も空を駆けながら杏の落下位置へと滑り込む。
落ちる杏を両手で受け止め、
「ッ、重っ!」
「ッ。重くないっ! アタシは重くないぞっ!」
大輔は踏ん張る。
杏に衝撃がいかないように、何度も足元に何重もの障壁を展開し、数枚、数十枚と足場の障壁を割ながら衝撃を殺していく。
が、それは杏への衝撃であって大輔への衝撃ではない。大輔の両足には多大な負荷がかかる。
それでも大輔はふんならばっと力を入れ、耐えきる。ついでに失言で怒らせた杏の抗議をいなしていく。
……戦術補助多蜂支援機か何かで重力場を作り出し、自由落下を相殺すればいいものの、混乱やら何やらでそこまで頭が回っていないらしい。
そしてようやく地面に着地したところで完全に衝撃を殺すことができた。
大輔はお姫様抱っこしている杏を見やる。
「ええっと、立てる?」
「……立てない。アタシは重くないからな。このまま抱えてくれ」
重いと言われたことを根に持ったのか、杏はそう言って大輔の首に両腕を回し抱きつく。
うぐぅっと大輔は顔を顰める。
別に嫌だったわけでもない。ただ単に恥ずかしかったのだ。あと気まずい。
あれだけ激しい戦いをした存在とは思えないほど、柔らかく力ない杏の感触に大輔は何とも言えない気持ちになる。
と、頬を赤く染めた杏が大輔を見上げる。柔らかく口元は綻び、蒼穹の瞳は細められていた。
「大輔」
「……どうした――」
一言では語れない万感の想いとともに名前を呼ばれ、大輔は少し杏から視線を逸らしながら問い返そうとして。
故に、杏は大輔の首に回している両腕にグッと力を入れ、顔を近づけた。
「ふぇっ?」
大輔は大きく目を見開き、一拍間を置いて顔が真っ赤に染まる。柔らかな感触が残る頬を夕焼けの風が撫でた。
呆然と立ち尽くす。
「え? な、なん、なん、え? な、なんでっ?」
「唇だと絶対に無理だからな。いつかはそっちにしたいが、今はそこでいい」
「全く、身持ちが堅い」と呟きながら、杏は嬉しそうに頬を赤く染める。唇は流石に無理でも、頬になら問題ないと分かったから嬉しいのだ。それだけ自分を受け入れていると。
「そうじゃ、そうじゃなくて、え、なんで? へ? え? え?」
大輔は壊れた人形のように何度も言葉に詰まりながら、問い返す。眼鏡はずり落ちていて耳の先まで真っ赤だ。
そんな大輔の表情が見れて、杏はちょっとした安堵を覚えた。
それから呆然としている大輔の腕からゆっくりと降り、地面に立つ。
大輔に向き合う。潤んだ瞳で眼鏡の奥底に湛えられた優しい瞳を見つめる。
「好きだ。アタシはお前がたまらなく好きだ」
唖然として混乱していた大輔が息を飲む。その誠実な言葉に、想いに。
だから一変してスッと真剣な表情になった大輔は、ゆっくりと頭を下げた。申し訳なさそうに眉を八の字にする。
「ごめんなさい、杏。その気持ちには応えられない。僕は――」
――イザベラが……そう続けようとして、杏に遮られた。
杏は蒼穹の瞳に炎を宿す。もう、迷わない。怖いけど、自分を信じて進む。
「知ってる。知っているし、別に今そうならなくてもいい。だが、奪う、とまではいかないかもしれないが、それでも宣言する」
獲物を狙う猛獣のような獰猛な笑みを浮かべた杏は、大輔の顎を持ち上げる。
「好きにさせてやる。もう手放したくないと思わせてやる。告らせてやる」
杏は大輔の耳元でそうギラギラと言った。
≪直観≫を持っている杏は常に冷静を心がけている。けれど、本質は苛烈で猛烈。灼熱の炎の如く燃え盛る情熱を持っている。
そんな杏の声音にやられ、大輔は口をパクパクさせる。
そんな大輔の首筋をスッと撫でた杏は、悪戯が成功したような笑みを浮かべて大輔に背中を向けた。
治療されて気持ちよさそうに寝ていたイネスとアヤに駆け寄った。
大輔の丸眼鏡がずり落ちていた。東、北、西は世界の終焉パート2的な戦いが繰り広げられていた。
優しく温かい金茶色の光に包まれて、血を失い冷たくなっていた杏の身体が熱を取り戻す。
それどころか、全身が燃えるのではないかと思えるほど身体が、心が熱くなる。
大輔の腕の中で、杏は思い知った。
≪直観≫はやはり正しく、そしてやはり間違っていたのだと。
今まで抱いていたのはやはり恋ではなかった。恋になるための何かだった。
それはそうだ。
今まで混沌の妄執や芽衣の事でずっと苦しんでいたのだ。それがなくなったからといって、直ぐにその苦しみによる弊害がなくなるわけではない。
時間がかかる。
それに魂魄はまだ生きていた母を殺そうとしたのだ。自分を少しだけ信じられなくなっていたのもあるだろう。
それはたぶん、準備期間だったのだ。
その準備期間――その想いの蛹は、正しく羽化することも少なければ、そもそも羽化する事すら少ない。
≪直観≫はそれも予感していた。
そして杏自身がその想いを明確に知らなかったから、≪直観≫は杏の想いを否定したのだ。
けれど、
(熱い。苦しい。嬉しい。嫌だ。怖い。欲しい。辛い――)
あらゆる感情が入り乱れる。
(いつもみたいに優しく笑ってほしい。困ったように眉を八の字にして微笑んでほしい。幸せにしたい。幸せにしてほしい。触れたい。触れられたい。傷つけたくない。傷つけられたくない。優しくしたい。優しくしてほしい。頼ってほしい。頼りたい。甘えてほしい。甘えたい。自由でいてほしい。誰にも渡したくない――)
あらゆる想いが入り乱れる。
そしてそれは、
(お前が恋しくて、愛しい。これが恋でないなら、愛でないなら、なんなんだ!)
明確になった。
だからこそ、大輔の白衣により失った右腕や腹の孔が再生させられている杏は、憤怒で表情を歪めている大輔の横顔を見る。
「おい、なに黙ってんの? 杏に何したのさ。ねぇっ!」
「カハッ」
大輔は数十の戦術補助多蜂支援機で四肢を拘束した老婆の腹を殴る。纏っていた炎の甲冑はゴミのように消し飛ばされた。
「……まぁいい」
無言の老婆に呆れたのか、それとも溢れる怒気をようやく制御できたのか、大輔は冷徹な瞳を老婆に向ける。
おもむろに右手を脚に走らせたかと思うと、イーラ・グロブスを構え、老婆の頭に突き付ける。
「死ね――」
躊躇いなく引き金を引いた瞬間、
「待て、大輔っ!」
再生した右腕で杏はイーラ・グロブスを掴む。
それにより射出された銃弾は老婆の耳を掠った。遠くで爆発する。杏が逸らさなければ確実にその弾丸は老婆の脳天を撃ち抜き、そして頭を爆発で吹き飛ばしただろう。
その殺意を瞳の奥に湛えながら、大輔は困ったように眉を八の字にし、優しく杏を見た。
「……杏。こればかりは譲れないよ。敵だ。大切な友達を傷つけた。これからも傷つける。ここが日本であっても、僕の信念に則って殺す」
大輔のその言葉は本当に優しく、本気なのだろう。
それに言い知れぬ感情を抱いた杏は、けれどゆっくりと首を横に振る。
「駄目だ。大輔。よく見ろ。そこの老婆はそれを狙っている」
「分かってる。その上で殺すんだ」
分かってないなぁ……と頬を緩ませた杏は大輔の懐から出た。自分の足で立てると。自分一人で大丈夫だと。
守る必要はないと。
「杏。何をする――」
「すまないが、後ろの二人を治療を頼む。それ以外はアタシがやる。元々アタシが首を突っ込んだ事だ」
杏は大剣を握りしめる。
明確になった想いは、けれど向き合わなければ、ただのガラクタになり果てる。大切な想いは忘れ去られるから、常に意識して行動を起こすんだ。
(勇気が、一歩を踏み出す勇気を)
雪は凄いなぁ、と感慨深く口の中で呟いた杏は、握りしめた大剣を横に流す。
そして、杏は自らを信じ、
「アタシは大丈夫だ」
淡々と大剣を振るい、老婆の首を刎ねた。殺した。
逃げることもできた。そもそも杏はイネスを助けるためにアヤと戦ったのであって、この老婆は知らない。
もし老婆がイネスを生贄にすることを考えアヤに命令したのだとしても、それに対して何かをするべきとも思わない。最優先はイネスの安全だ。
けど、杏は≪直観≫で知っている。この老婆をこのまま放置すれば、自分だけでなく自分の大切な人に牙を剥くと。
大輔がこの老婆を殺そうとしたのもそれだ。
そしてまた、杏はバスでイネスに言ったのだ。自ら行動したのなら、他人にゆだねるべきではないと。
言った本人がそれを為さずしてどうする。理由はどうであれ、一度首を突っ込んだのであればやりきる。
もちろん、自分が死ぬ未来が見えているなら、そしてそれが最優先でないのであれば逃げるが、今は大丈夫。
負ける気がしないし、実際に負けない。
それに大輔がいる。
そんな保険を考えている自分に内心苦笑しながら、杏は首が刎ねられ血を吹き出す老婆を睨む。
大剣を握りしめ、体内の魔力を高める。
そして刎ね飛ばされた老婆の首が地面に落ちた時、
「クッ!」
先ほどの炎とは比べ物にならない高熱の白炎が顕現し、老婆を焼き尽くす。
いや、奪い尽くす。
燃えたその肉体は炎へと化し、煌々と輝く白炎の翼は天をも焦がす。右手には全ての邪悪を切り裂く炎の剣が、左手には全ての罪を審らかにする炎の天秤を持っていた。
天使だ。天使という外見がしっくりくる異形がそこにいた。
Φ
「『はkm滕bjsゎmwがら殺天かmw』」
「シッッ!」
炎と炎。
大輔が移動型聖星要塞で結界を展開してその戦いを隔離していなければ、ここら一帯が全て焼却させられていたであろう炎の嵐が天上を焼き尽くす。
杏と天使を象った異形が戦っているのだ。
杏に言われるがままにイネスとアヤを治療していた大輔は、複雑な表情でそれを見上げる。
「おかしくない? 一応あの霊力の異形、僕でも結構手こずりそうな奴だよ? なんで真面に戦えてるの?」
プラズマを発生させる超高温の炎を圧縮した白の羽根が、豪雨のごとく杏に降り注ぐ。だが、杏も同じく圧縮した超高温の火炎弾を放ち、相殺する。
瞬く間もなく天使の異形は、杏に接近。炎の剣を振り下ろすが、杏は≪白焔≫を纏った大剣を振り上げ、鍔迫り合い。
そのまま魂魄にダメージを与える≪白焔≫を噴き上げ、天使の異形に纏わりつかせる。
天使の異形は言葉にもならない叫びを上げると、空間にすら衝撃を与える爆発を放つ。
杏は歯噛みしつつも、爆風でそれをある程度防ぐ。多少内臓にダメージが入ったようだが、直ぐに回復する。
そもそも、
「どう考えても杏が人間をやめてる件について。え、なんで? なんで魔法少女衣装だけじゃなくて身体も炎になってるの? 変幻自在のようだし。っというか、あれ、何? なんで炎を噴き上げると傷が癒えてるの? 炎の化身か何かなの!?」
先ほどまでの杏とは桁違いの力を感じる。身に宿す魔力も、減るどころか益々増えているし、揮う炎は太陽とすら思える。
しかも、大輔が“天心眼”などで注意深く観察した限り、≪直観≫のレベルもおかしい。明らかに未来を視たような挙動を以て天使の異形の攻撃をいなしていく。
ぽかん、と口を開けて唖然としていた大輔は、首を振る。
「いや、分かってるよ。絶対大皇日女と接触した際の対混沌の妄執魔法外装の変質が原因だよね。うん、分かってる。いや、でもまさかここまでとは思わなかった。眠ってたし、悪いものではなかったら排除しなかったけど、うん。けど、やっぱりおかしくない? レベル1のスライムが突然レベル9999の魔王になるくらいにレベチしてるのは、流石におかしくない!?」
思わず普段は使わないギャル語を使うほどに混乱していた大輔は、ハッと何かに気が付く。
「というか、何かが杏に集まっている気がする……あれだ。大皇日女とかが持ってた思念系のエネルギーだ。杏からも発せられてるけど、それよりもさっきまで周囲になかった――」
そこまで言いながら、大輔は“天心眼”で周囲一帯を俯瞰する。
「あ、ヤバい。忘れてた。外界との遮断してないじゃん。世界の終焉パートワン的な光景、普通に丸見えじゃん」
周辺の村はもちろん、少し離れた街、いや半径百キロ近くの人間が杏と天使の異形の戦いを見上げていたのだ。
そして同時に気が付く。
「放出してる? どうやって? 一般人だよね? そんなエネルギー持ってなかったよね?」
杏に集まる思念系のエネルギーは、その光景を見上げている一般人から放出されていると。
特に、歳を取った人、いや、その異常な光景に対して恐怖だけでなく、畏れ祈ったりしている人たちがそれを多く放っている。
「なるほど、それか。杏の力がおかしなほどに昇華したのはそのエネルギーが原因か。でも何でそれが杏に集まってる? そもそも何の力もない一般人から――」
大輔がそのエネルギーが杏に害を与えないか念入りに調べようとした瞬間、
「ッ、どうしてこんな時に限って、面倒が次々と」
東、北、西のそれぞれの空が割れる。
杏が今戦っている天使の異形と同系統のエネルギーを持った存在が、東、北、西に現れる。
また、同じ場所に遠目からでも分かるくらいの巨大な異形――いや、化生が東、北、西で現れる。
面倒な、と大輔が顔を顰めた。それと同時に、カガミヒメに怒りが湧く。悠長に話してんじゃないよっ! と。
つまり、妖魔界を形成している封怨石の中でも特別重要なのが壊されたのだ。今は、リカバリーとして召喚したであろう巨大な化生が戦い、防いでいるが、いつ妖魔界が崩れ去るか。
色々な思考が大輔の脳裏を過るが、それでも大輔はここを離れることはない。
杏の戦いを見届けるのが、杏に何かあった時に直ぐに助けられるようにするのが最優先だからだ。
そもそも大輔としてはさっさと自分が戦って杏に異常がないかとかを調べたいところなのだが、今朝、冥土に進言された「杏様とウィオリナ様の想いを、どうかできるだけでいいので尊重してください」を考慮して我慢しているのだ。
が、いい加減大輔のしびれが切れそうになった時。
「これで終わりだっ!!」
「『かえf万えhjw空lあxmwけんwちたッッゥt!!!』」
天を衝く極光が迸ったかと思うと、焼けていた空が柔らかく茜色に包まれていた。炎が晴れたのだ。
炎を宿した天使の異形は灰となり、空へと消えた。
そして杏は、
「ちょっ!?」
自由落下していた。
覚醒魔法少女姿は解け、先ほどまで溢ればかりに感じていた力は全く感じない。制服が風に靡く。なのに杏は悲鳴一つ上げない。重力に身を任せている。
大輔は驚き、慌てて地面を蹴って跳ぶ。足元に障壁を作り出し、何度も空を駆けながら杏の落下位置へと滑り込む。
落ちる杏を両手で受け止め、
「ッ、重っ!」
「ッ。重くないっ! アタシは重くないぞっ!」
大輔は踏ん張る。
杏に衝撃がいかないように、何度も足元に何重もの障壁を展開し、数枚、数十枚と足場の障壁を割ながら衝撃を殺していく。
が、それは杏への衝撃であって大輔への衝撃ではない。大輔の両足には多大な負荷がかかる。
それでも大輔はふんならばっと力を入れ、耐えきる。ついでに失言で怒らせた杏の抗議をいなしていく。
……戦術補助多蜂支援機か何かで重力場を作り出し、自由落下を相殺すればいいものの、混乱やら何やらでそこまで頭が回っていないらしい。
そしてようやく地面に着地したところで完全に衝撃を殺すことができた。
大輔はお姫様抱っこしている杏を見やる。
「ええっと、立てる?」
「……立てない。アタシは重くないからな。このまま抱えてくれ」
重いと言われたことを根に持ったのか、杏はそう言って大輔の首に両腕を回し抱きつく。
うぐぅっと大輔は顔を顰める。
別に嫌だったわけでもない。ただ単に恥ずかしかったのだ。あと気まずい。
あれだけ激しい戦いをした存在とは思えないほど、柔らかく力ない杏の感触に大輔は何とも言えない気持ちになる。
と、頬を赤く染めた杏が大輔を見上げる。柔らかく口元は綻び、蒼穹の瞳は細められていた。
「大輔」
「……どうした――」
一言では語れない万感の想いとともに名前を呼ばれ、大輔は少し杏から視線を逸らしながら問い返そうとして。
故に、杏は大輔の首に回している両腕にグッと力を入れ、顔を近づけた。
「ふぇっ?」
大輔は大きく目を見開き、一拍間を置いて顔が真っ赤に染まる。柔らかな感触が残る頬を夕焼けの風が撫でた。
呆然と立ち尽くす。
「え? な、なん、なん、え? な、なんでっ?」
「唇だと絶対に無理だからな。いつかはそっちにしたいが、今はそこでいい」
「全く、身持ちが堅い」と呟きながら、杏は嬉しそうに頬を赤く染める。唇は流石に無理でも、頬になら問題ないと分かったから嬉しいのだ。それだけ自分を受け入れていると。
「そうじゃ、そうじゃなくて、え、なんで? へ? え? え?」
大輔は壊れた人形のように何度も言葉に詰まりながら、問い返す。眼鏡はずり落ちていて耳の先まで真っ赤だ。
そんな大輔の表情が見れて、杏はちょっとした安堵を覚えた。
それから呆然としている大輔の腕からゆっくりと降り、地面に立つ。
大輔に向き合う。潤んだ瞳で眼鏡の奥底に湛えられた優しい瞳を見つめる。
「好きだ。アタシはお前がたまらなく好きだ」
唖然として混乱していた大輔が息を飲む。その誠実な言葉に、想いに。
だから一変してスッと真剣な表情になった大輔は、ゆっくりと頭を下げた。申し訳なさそうに眉を八の字にする。
「ごめんなさい、杏。その気持ちには応えられない。僕は――」
――イザベラが……そう続けようとして、杏に遮られた。
杏は蒼穹の瞳に炎を宿す。もう、迷わない。怖いけど、自分を信じて進む。
「知ってる。知っているし、別に今そうならなくてもいい。だが、奪う、とまではいかないかもしれないが、それでも宣言する」
獲物を狙う猛獣のような獰猛な笑みを浮かべた杏は、大輔の顎を持ち上げる。
「好きにさせてやる。もう手放したくないと思わせてやる。告らせてやる」
杏は大輔の耳元でそうギラギラと言った。
≪直観≫を持っている杏は常に冷静を心がけている。けれど、本質は苛烈で猛烈。灼熱の炎の如く燃え盛る情熱を持っている。
そんな杏の声音にやられ、大輔は口をパクパクさせる。
そんな大輔の首筋をスッと撫でた杏は、悪戯が成功したような笑みを浮かべて大輔に背中を向けた。
治療されて気持ちよさそうに寝ていたイネスとアヤに駆け寄った。
大輔の丸眼鏡がずり落ちていた。東、北、西は世界の終焉パート2的な戦いが繰り広げられていた。
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