十三話 杏に何してるのさ?
ー/ー 杏は走る。足元を爆発させ、爆風で山を駆ける。
アヤがわざとらしく残した魔力の痕跡を辿る。
例えそれが罠だとしても、≪直観≫が判断した。それがイネスを助けるための最適だと。
そして数分後。
山の頂上。護符やしめ縄が巻かれた巨大な岩――封怨石があり、少し開けたそこにアヤはいた。
封怨石の前にイネスを寝かし、その周辺に様々な骨董品を並べている。
空を駆けていた杏は不意打ちと言わんばかりに≪灼熱≫で火炎弾を作り出し、射出する。
「チッ」
見えない壁によって弾かれた。たぶん、結界だろう。
そう判断した杏は懐にしまっていたキーホルダーサイズの大剣を取り出し、元の大きさに戻す。自由落下し、結界に大剣を振り下ろす。
「イネスを返してもらうぞ!」
「……ふむ。コイツが私の仲間だとは思わないのか?」
「あり得んっ!」
イネスは一般人だ。ファンタジー的な力は使えないし、単なる女性だ。≪直観≫が判断した。
杏は質量と重力による力にプラスして、爆炎による加速で結界に罅を入れる。
さらにその罅に≪灼熱≫による火炎弾で追撃する――
「〝魔書・グリモワール――二。属性指定――風。閲覧実行〟」
「クッ」
――前に、アヤが強風を引き起こし、杏を吹き飛ばした。
空中で回転しながら、杏は態勢を整え、着地する。
「全く。こっちには人質がいるというのに、ずいぶんと手荒な行動だ」
「なら、解放しろ」
「そうしたいのは山々だがね、私もそうはいかないのさ。儀式を完成させるために涙を忍んで生贄にしなければならないのさ」
嫌だ嫌だと首を横に振りながら、アヤは手を止めない。無造作に並べた骨董品に意味を与えるが如く、近くにあった木の枝で幾何学模様を描いていく。
それが何か。それで何が起こるのか。その被害は。イネスがどうなるのか。
数秒の間で、杏は考えられる可能性全てを≪直観≫で篩にかけていく。杏の凄さは≪直観≫そのものではなく、意識していることに予感を与える≪直観≫を使いこなせる思考と精神力。
だからこそ、杏が最適解を導き出す前に、幾何学模様――魔術陣を描き終えたアヤはニヤリと嗤った。
「ふむ。ちょっとした余興をしようではないか」
「ッ。なに――」
おもむろに懐から十本のナイフを取り出したアヤは、何の感慨もなくイネスに向かって投擲した。
イネスの腹に突き刺さり、血が溢れる。
「貴様ぁッッ!!」
頭が真っ白になる。杏は激高する。怒りに顔を歪め、思考を狭めていく。
なりふり構わず結界に突撃し、大剣を叩きつける。何度も何度も。
轟音が響くが、結界は罅が入るだけで、破れない。それどころか、随時修復されていく。
血を地面に垂れ流しているイネスの近くに座り込んだアヤは、平然と杏に笑いかける。
「そう怒るな。ただのタイマー代わりさ。儀式には太陽の位置が関係していてね。ちょうどイネスが出血多量死か、もしくはショック死するのがタイムリミット。それまでに君は私を殺せ。じゃないと、イネスは死ぬし、君が予感していることが訪れる。拘束は無駄だぞ」
まるで杏の≪直観≫を知っているかのような言い草を放ったアヤは、どんどん青ざめていくイネスの頬を優しく撫でる。その瞳には愛情と友情があって、されど狂気もあった。
それに気が付くことなく、結界の中にいるイネスへの影響を考える余裕を失ってきた杏は、体を深紅に光らせ、覚醒魔法少女姿になる。
そのまま大剣に超高温の炎を纏わせ、プラズマすら発生させるその大剣で結界を振り下ろそうとする。
が、
「本末転倒だな」
「ッ!」
イネスが腹から流している血が焦げていた。酷い臭いを垂れ流しながら、蒸発しようとしていた。
杏はショックを受けたように目を見開き、そして。
「〝魔導・グリモワール――三。属性指定――水。状態――放出。範囲――二から十〟」
「クッ」
文字通りの冷や水を浴びせられた。
杏の上空に魔術陣が浮かび上がり、大量の水が放出される。アヤの言葉に、イネスの光景に呆然としていた杏はその水を浴びる。
同時にそれは大剣が纏う超高熱の炎にも触れた。
「ガアァッッ!!」
故に、一気に放出された水は水蒸気になり、膨張した空気が超爆発となって杏を吹き飛ばす。地がえぐれ、土塊が弾丸となる。
パリンッと何かが割れた音とくぐもったアヤの苦悶が聞こえたが、呆然していた事により防御ができていなかった杏はそれどころではない。
「がふっ」
土煙と水蒸気に包まれ、煙った視界の中、地に這いつくばり血反吐を吐く。外傷はそこまで酷くないが、超至近距離で起きた水蒸気爆発の衝撃を直に受けたのだ。
骨や内臓にそれなりにダメージが入った。そもそも、それで済んでいるのは、杏が魔法少女という生物だからに他ならない。
そして数秒遅れて、土煙と山頂の冷たい空気によって水蒸気が水滴へと変わり、雨粒へと変わって血反吐を洗い流した。
白の雨が視界を真っ白に染める。
そんな中、痛みで顔を歪めていた杏は、それでも大剣を支えにゆっくりと立ち上がる。
その小さな炎が浮かんでいる蒼穹の瞳に情けなさやら悔しさやらを宿す。
自覚した。
(やっぱりアタシは弱い。イネスを助けることすらままならないほど弱い)
確かに杏は力がある。吸血鬼を倒す力はあるだろう。
だが、今まで共に戦ってきた存在は、雪や望などといった魔法少女、ウィオリナ、大輔に冥土。
彼らは力があって、自らを守れた。
だから杏の余波を受けなかった。
核兵器は抑止力としては誰かを守ることができるかもしれないが、その力を行使した際に誰かを助けることはできない。一切合切全てを焼き尽くすだけ。
一般人であるイネスには、助けるために杏が揮う力そのものが脅威となる。
当たり前だが使いどころを間違えれば、力は欠陥品となるのだ。
そしてそれは≪直観≫にも言える。
(……頼りすぎだ。いつも≪直観≫に頼ってきたから、冷静を失った時、真面な行動がとれない。思考と経験が積み重なってない。そもそも母さんの時に知ったじゃないか。与えてくれる予感はあくまで自分の知識内でしかないんだ。依存するものではないんだ)
そう冷たく自覚した杏は、されど大剣を握りしめる。≪直観≫を発動させる。
依存するものではない。そう自覚したなら、使わないではなく、どう使うかを考えるべきだ。≪直観≫の他にも思考や経験にも頼る。
(研ぎませろ)
冷たい雨が杏の思考を冷徹にしていく。静かに燃え盛る炎のような芯が杏の胸中に広がっていく。
(最優先はイネスを助けることだ。アイツを殺すが殺さまいが関係ない。儀式の阻止は二の次。一刻も早く結界を砕き、治療する)
杏は虚空から透明な液体が入った試験管を取り出す。あおる。
すれば、全身を蝕んでいた痛みが消える。
回復薬だ。大輔が念のために、多種多様な回復薬を詰め込んだ小さな異空間庫の幻想具を杏に持たせていたのだ。
杏が大剣を構える。
そして視界を白く染め上げていた白き雨が晴れ、太陽が見えた。
結界は既に無かった。
「〝魔書・グリモワール――零。黒き神よ。黒き深淵よ――」
「シッ!」
結界でも完璧に余波を防ぎきれなかったのだろう。土埃や血で全身を汚しながら、アヤは古い本を手に持ち、嗤う。
対して杏は無表情。
一瞬を研ぎ澄まして足元に発動させた爆炎で音速を超える速さで駆ける。同時に≪直観≫と今までの経験から割り出した爆炎をアヤの周囲に展開。
音速による衝撃波を打消し、そのままアヤを奪取。
アヤと自分たちとの間に超高温の火炎の壁を作り出し、自らが盾になることでその火炎の壁によって焼かれる空気がイネスに与える影響を最小限に。
片手でイネスの腹に刺さったナイフを抜き去り、もう片方の手で虚空から召喚した試験管に入った回復薬をぶちまける。何度も何度も。
血が、ある程度止まる。
この間、三秒。
杏はイネスを抱きかかえ、そしてその場を離脱した。
けれど、アヤは呪文をやめない。
「――我が身を喰らい、今こそ、この異端なる聖域を打ち砕き給うッ!!〟」
「なッ!?」
杏は思い出した。寺でのアヤの言葉を。
アヤは杏に「生贄になりたかったら、追って来い」と言った。
そもそも何故イネスが生贄なのか。
杏は≪直観≫で知っている。イネスは特別な力を持っている存在ではないと。特別な儀式の生贄に選ばれる力など持っていないと。
つまり必要なのは人を捧げるということ。
例えば、そこら辺の一般人だろうが、それこそ杏だろうが。生贄は誰でもいいのだ。
そしてそれはアヤにも同じこと。
魔術陣から這い出た黒き炎に飲み込まれたアヤを見て、杏はそう確信した。
それと同時に、
「……ア……ヤ。一人にシナイで」
抱きかかえていたイネスが、苦悶の表情でそう漏らした。
青白い顔はとても綺麗で土埃一つない。地面と接触していた部分だけが少し汚れているだけ。
そもそも大輔から渡された回復薬とはいえ、飲まない事には大した効力は発揮しない。振りかけても多少の切り傷が治るくらいだ。
なのに、あれだけ血を流していた腹の傷は既に塞がっていて、しかも傷跡を見た限りナイフは心臓や肺、肝臓や腎臓など。致命傷となりうる場所に刺さっていなかった。
「ッ」
何かを予感した杏は息を飲み、近くの木の影にイネスを優しく寝かせると、無言のまま黒炎に飲まれているアヤへ走り出す。
が、既に時遅し。
黒炎が晴れ、全身が焼かれたアヤが倒れる。
それと同時に、金属同士が擦れるようなつんざく音が響いたかと思うと、封怨石の周囲から四枚の鋼鉄の羽根が浮き上がり、そして砕けた。
全身が焼かれ虫の息でしかないアヤを抱きかかえた杏が瞠目する。
「あれは冥土の――」
「ようやくですか。ったく、所詮は異端。烏丸郭も含めて全く役に立ちませんか」
「ッッァア!!??」
≪直観≫の警戒すらもすり抜けた。
杏の右腕が千切れた。右腕が玩具のように潰され、あらぬ方へ飛ぶ。血が噴水の如く噴き出る。腹にも拳ほどの孔が空く。
一拍おいて、杏が激痛に声を上げる。脳が史上最大の警戒アラートを響かせ、意識が点滅する。
体から力が抜け、膝を突く。死にかけのアヤが腕からこぼれ落ちる。
それでも杏は、行動した。
「火炎……弾ッ!!」
点滅する意識の中、自分を攻撃した敵を≪直観≫で割り出し、そこに放てる限りの火炎弾を放つ。
同時に、魔力全てを練りだし、渾身の身体強化。グッと立ち上がりアヤを片腕で抱きかかえ、イネスの近くへ退避。
虚空から回復薬を取り出し、既に呼吸が止まっているアヤへ振りかける。飲ませる。振りかける。飲ませる。振りかける。飲ませる。
アヤが呼吸を取り戻した。
だから、間髪入れず杏は回復薬をあおる。取り出し、飲む。取り出し、飲む。飲む。飲む。飲む。
血がようやく止まった。
それでも失った血の量は尋常ではないし、意識は朦朧としている。右腕はないし、腹に孔は空いている。
死ぬかもしれない。
「流石、我が神が敵と判断した化け物。首を斬らねば死にませんか」
無数の火炎弾は意味が無かったようだ。
土煙の向こうからシスター服姿の老婆が現れる。風貌を見る限り、日本人。
白髪は酷くくすんでいて、その濁った黒の瞳は爛々と妖しく輝く。狂信ともいうべき鋭い眼光を湛えている。
そんな老婆はゆっくりとした足取りで、封怨石へ歩く。
「全く。本来は異端共で解放というのが筋書でしたのに。やはり、祈力が眠るこの地では難しかったですか。しかし、人形やアナタまでもが出しゃばるとは想定外でした」
シスター姿に似合わない、欲にまみれた声音でそう悪態を吐いたその老婆は、封怨石に触れる。
高らかに唱える。
「父と子と聖霊の名の許に――神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。――その御力を揮わせ給うッ!」
顕現したのは炎だ。神の代行とすら思える灼熱が現われた。
体に力が入らない杏は、それでもイネスとアヤを守るために自らの前に≪灼熱≫で火炎の壁を展開し、その熱波を防ごうとする。
けれど、
「切り裂き給うっ!」
封怨石が両断された。火炎の壁が狼に吹き飛ばされた藁の家の如く消え去り、高温の暴風が襲い掛かる。
「ッッアァアアアアア!!」
咄嗟に杏はイネスとアヤを抱きかかえ、庇う。背中が火炎に焼かれ、神経が焼ききれ、声にならない叫びが響き渡る。
ようやく高熱の暴風が止む。
杏は点滅する視界で、それを見た。
高熱の白い炎の二翼を侍らして浮き、哄笑する老婆を。
右手に炎の剣を。左手に炎の天秤を持ち、シスター服は炎の甲冑へと変わっていた。人外をその身に宿していた。
「アハハ。アハハハハ! これは狼煙! さぁ、魔法少女っ! 我が神がこの地を手に入れる最初の犠牲になりな――」
妖しく歪む天を展望した老婆は、イネスとアヤを背に庇い力なく立つ杏を見下ろし、右手に持つ炎の剣を振り下ろそうして。
だから、
「杏に何してるのさ?」
渦巻く金茶色の光から、片手が伸びた。
灰色の手袋を嵌めたその片手は炎の剣を止め、同時に金茶色の衝撃波を放ち、炎の剣を消し飛ばす。老婆が錐揉みしながら吹き飛ばされる。
もう片方の手が杏の腰に回された。
「……ぁ」
金属で補強された白衣が杏の身を包み、黒のシャツが首筋を撫で、柔らかな匂いが鼻の奥をくすぐる。優しく身体をギュっと抱きしめられる。
丸眼鏡の奥の瞳に、怒りを宿したその存在は。
「だい……すけっ」
大輔だった。
======================================
公開可能情報
・神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。:ダニエル書、10章13―21。
この世界は現実世界にとても似た世界です。昔の書物の内容がほとんど似ていたとしても、現実の団体や宗教とは無関係です。某書物とかの描写を出すか悩んだのですが、出すことにしましたので。
アヤがわざとらしく残した魔力の痕跡を辿る。
例えそれが罠だとしても、≪直観≫が判断した。それがイネスを助けるための最適だと。
そして数分後。
山の頂上。護符やしめ縄が巻かれた巨大な岩――封怨石があり、少し開けたそこにアヤはいた。
封怨石の前にイネスを寝かし、その周辺に様々な骨董品を並べている。
空を駆けていた杏は不意打ちと言わんばかりに≪灼熱≫で火炎弾を作り出し、射出する。
「チッ」
見えない壁によって弾かれた。たぶん、結界だろう。
そう判断した杏は懐にしまっていたキーホルダーサイズの大剣を取り出し、元の大きさに戻す。自由落下し、結界に大剣を振り下ろす。
「イネスを返してもらうぞ!」
「……ふむ。コイツが私の仲間だとは思わないのか?」
「あり得んっ!」
イネスは一般人だ。ファンタジー的な力は使えないし、単なる女性だ。≪直観≫が判断した。
杏は質量と重力による力にプラスして、爆炎による加速で結界に罅を入れる。
さらにその罅に≪灼熱≫による火炎弾で追撃する――
「〝魔書・グリモワール――二。属性指定――風。閲覧実行〟」
「クッ」
――前に、アヤが強風を引き起こし、杏を吹き飛ばした。
空中で回転しながら、杏は態勢を整え、着地する。
「全く。こっちには人質がいるというのに、ずいぶんと手荒な行動だ」
「なら、解放しろ」
「そうしたいのは山々だがね、私もそうはいかないのさ。儀式を完成させるために涙を忍んで生贄にしなければならないのさ」
嫌だ嫌だと首を横に振りながら、アヤは手を止めない。無造作に並べた骨董品に意味を与えるが如く、近くにあった木の枝で幾何学模様を描いていく。
それが何か。それで何が起こるのか。その被害は。イネスがどうなるのか。
数秒の間で、杏は考えられる可能性全てを≪直観≫で篩にかけていく。杏の凄さは≪直観≫そのものではなく、意識していることに予感を与える≪直観≫を使いこなせる思考と精神力。
だからこそ、杏が最適解を導き出す前に、幾何学模様――魔術陣を描き終えたアヤはニヤリと嗤った。
「ふむ。ちょっとした余興をしようではないか」
「ッ。なに――」
おもむろに懐から十本のナイフを取り出したアヤは、何の感慨もなくイネスに向かって投擲した。
イネスの腹に突き刺さり、血が溢れる。
「貴様ぁッッ!!」
頭が真っ白になる。杏は激高する。怒りに顔を歪め、思考を狭めていく。
なりふり構わず結界に突撃し、大剣を叩きつける。何度も何度も。
轟音が響くが、結界は罅が入るだけで、破れない。それどころか、随時修復されていく。
血を地面に垂れ流しているイネスの近くに座り込んだアヤは、平然と杏に笑いかける。
「そう怒るな。ただのタイマー代わりさ。儀式には太陽の位置が関係していてね。ちょうどイネスが出血多量死か、もしくはショック死するのがタイムリミット。それまでに君は私を殺せ。じゃないと、イネスは死ぬし、君が予感していることが訪れる。拘束は無駄だぞ」
まるで杏の≪直観≫を知っているかのような言い草を放ったアヤは、どんどん青ざめていくイネスの頬を優しく撫でる。その瞳には愛情と友情があって、されど狂気もあった。
それに気が付くことなく、結界の中にいるイネスへの影響を考える余裕を失ってきた杏は、体を深紅に光らせ、覚醒魔法少女姿になる。
そのまま大剣に超高温の炎を纏わせ、プラズマすら発生させるその大剣で結界を振り下ろそうとする。
が、
「本末転倒だな」
「ッ!」
イネスが腹から流している血が焦げていた。酷い臭いを垂れ流しながら、蒸発しようとしていた。
杏はショックを受けたように目を見開き、そして。
「〝魔導・グリモワール――三。属性指定――水。状態――放出。範囲――二から十〟」
「クッ」
文字通りの冷や水を浴びせられた。
杏の上空に魔術陣が浮かび上がり、大量の水が放出される。アヤの言葉に、イネスの光景に呆然としていた杏はその水を浴びる。
同時にそれは大剣が纏う超高熱の炎にも触れた。
「ガアァッッ!!」
故に、一気に放出された水は水蒸気になり、膨張した空気が超爆発となって杏を吹き飛ばす。地がえぐれ、土塊が弾丸となる。
パリンッと何かが割れた音とくぐもったアヤの苦悶が聞こえたが、呆然していた事により防御ができていなかった杏はそれどころではない。
「がふっ」
土煙と水蒸気に包まれ、煙った視界の中、地に這いつくばり血反吐を吐く。外傷はそこまで酷くないが、超至近距離で起きた水蒸気爆発の衝撃を直に受けたのだ。
骨や内臓にそれなりにダメージが入った。そもそも、それで済んでいるのは、杏が魔法少女という生物だからに他ならない。
そして数秒遅れて、土煙と山頂の冷たい空気によって水蒸気が水滴へと変わり、雨粒へと変わって血反吐を洗い流した。
白の雨が視界を真っ白に染める。
そんな中、痛みで顔を歪めていた杏は、それでも大剣を支えにゆっくりと立ち上がる。
その小さな炎が浮かんでいる蒼穹の瞳に情けなさやら悔しさやらを宿す。
自覚した。
(やっぱりアタシは弱い。イネスを助けることすらままならないほど弱い)
確かに杏は力がある。吸血鬼を倒す力はあるだろう。
だが、今まで共に戦ってきた存在は、雪や望などといった魔法少女、ウィオリナ、大輔に冥土。
彼らは力があって、自らを守れた。
だから杏の余波を受けなかった。
核兵器は抑止力としては誰かを守ることができるかもしれないが、その力を行使した際に誰かを助けることはできない。一切合切全てを焼き尽くすだけ。
一般人であるイネスには、助けるために杏が揮う力そのものが脅威となる。
当たり前だが使いどころを間違えれば、力は欠陥品となるのだ。
そしてそれは≪直観≫にも言える。
(……頼りすぎだ。いつも≪直観≫に頼ってきたから、冷静を失った時、真面な行動がとれない。思考と経験が積み重なってない。そもそも母さんの時に知ったじゃないか。与えてくれる予感はあくまで自分の知識内でしかないんだ。依存するものではないんだ)
そう冷たく自覚した杏は、されど大剣を握りしめる。≪直観≫を発動させる。
依存するものではない。そう自覚したなら、使わないではなく、どう使うかを考えるべきだ。≪直観≫の他にも思考や経験にも頼る。
(研ぎませろ)
冷たい雨が杏の思考を冷徹にしていく。静かに燃え盛る炎のような芯が杏の胸中に広がっていく。
(最優先はイネスを助けることだ。アイツを殺すが殺さまいが関係ない。儀式の阻止は二の次。一刻も早く結界を砕き、治療する)
杏は虚空から透明な液体が入った試験管を取り出す。あおる。
すれば、全身を蝕んでいた痛みが消える。
回復薬だ。大輔が念のために、多種多様な回復薬を詰め込んだ小さな異空間庫の幻想具を杏に持たせていたのだ。
杏が大剣を構える。
そして視界を白く染め上げていた白き雨が晴れ、太陽が見えた。
結界は既に無かった。
「〝魔書・グリモワール――零。黒き神よ。黒き深淵よ――」
「シッ!」
結界でも完璧に余波を防ぎきれなかったのだろう。土埃や血で全身を汚しながら、アヤは古い本を手に持ち、嗤う。
対して杏は無表情。
一瞬を研ぎ澄まして足元に発動させた爆炎で音速を超える速さで駆ける。同時に≪直観≫と今までの経験から割り出した爆炎をアヤの周囲に展開。
音速による衝撃波を打消し、そのままアヤを奪取。
アヤと自分たちとの間に超高温の火炎の壁を作り出し、自らが盾になることでその火炎の壁によって焼かれる空気がイネスに与える影響を最小限に。
片手でイネスの腹に刺さったナイフを抜き去り、もう片方の手で虚空から召喚した試験管に入った回復薬をぶちまける。何度も何度も。
血が、ある程度止まる。
この間、三秒。
杏はイネスを抱きかかえ、そしてその場を離脱した。
けれど、アヤは呪文をやめない。
「――我が身を喰らい、今こそ、この異端なる聖域を打ち砕き給うッ!!〟」
「なッ!?」
杏は思い出した。寺でのアヤの言葉を。
アヤは杏に「生贄になりたかったら、追って来い」と言った。
そもそも何故イネスが生贄なのか。
杏は≪直観≫で知っている。イネスは特別な力を持っている存在ではないと。特別な儀式の生贄に選ばれる力など持っていないと。
つまり必要なのは人を捧げるということ。
例えば、そこら辺の一般人だろうが、それこそ杏だろうが。生贄は誰でもいいのだ。
そしてそれはアヤにも同じこと。
魔術陣から這い出た黒き炎に飲み込まれたアヤを見て、杏はそう確信した。
それと同時に、
「……ア……ヤ。一人にシナイで」
抱きかかえていたイネスが、苦悶の表情でそう漏らした。
青白い顔はとても綺麗で土埃一つない。地面と接触していた部分だけが少し汚れているだけ。
そもそも大輔から渡された回復薬とはいえ、飲まない事には大した効力は発揮しない。振りかけても多少の切り傷が治るくらいだ。
なのに、あれだけ血を流していた腹の傷は既に塞がっていて、しかも傷跡を見た限りナイフは心臓や肺、肝臓や腎臓など。致命傷となりうる場所に刺さっていなかった。
「ッ」
何かを予感した杏は息を飲み、近くの木の影にイネスを優しく寝かせると、無言のまま黒炎に飲まれているアヤへ走り出す。
が、既に時遅し。
黒炎が晴れ、全身が焼かれたアヤが倒れる。
それと同時に、金属同士が擦れるようなつんざく音が響いたかと思うと、封怨石の周囲から四枚の鋼鉄の羽根が浮き上がり、そして砕けた。
全身が焼かれ虫の息でしかないアヤを抱きかかえた杏が瞠目する。
「あれは冥土の――」
「ようやくですか。ったく、所詮は異端。烏丸郭も含めて全く役に立ちませんか」
「ッッァア!!??」
≪直観≫の警戒すらもすり抜けた。
杏の右腕が千切れた。右腕が玩具のように潰され、あらぬ方へ飛ぶ。血が噴水の如く噴き出る。腹にも拳ほどの孔が空く。
一拍おいて、杏が激痛に声を上げる。脳が史上最大の警戒アラートを響かせ、意識が点滅する。
体から力が抜け、膝を突く。死にかけのアヤが腕からこぼれ落ちる。
それでも杏は、行動した。
「火炎……弾ッ!!」
点滅する意識の中、自分を攻撃した敵を≪直観≫で割り出し、そこに放てる限りの火炎弾を放つ。
同時に、魔力全てを練りだし、渾身の身体強化。グッと立ち上がりアヤを片腕で抱きかかえ、イネスの近くへ退避。
虚空から回復薬を取り出し、既に呼吸が止まっているアヤへ振りかける。飲ませる。振りかける。飲ませる。振りかける。飲ませる。
アヤが呼吸を取り戻した。
だから、間髪入れず杏は回復薬をあおる。取り出し、飲む。取り出し、飲む。飲む。飲む。飲む。
血がようやく止まった。
それでも失った血の量は尋常ではないし、意識は朦朧としている。右腕はないし、腹に孔は空いている。
死ぬかもしれない。
「流石、我が神が敵と判断した化け物。首を斬らねば死にませんか」
無数の火炎弾は意味が無かったようだ。
土煙の向こうからシスター服姿の老婆が現れる。風貌を見る限り、日本人。
白髪は酷くくすんでいて、その濁った黒の瞳は爛々と妖しく輝く。狂信ともいうべき鋭い眼光を湛えている。
そんな老婆はゆっくりとした足取りで、封怨石へ歩く。
「全く。本来は異端共で解放というのが筋書でしたのに。やはり、祈力が眠るこの地では難しかったですか。しかし、人形やアナタまでもが出しゃばるとは想定外でした」
シスター姿に似合わない、欲にまみれた声音でそう悪態を吐いたその老婆は、封怨石に触れる。
高らかに唱える。
「父と子と聖霊の名の許に――神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。――その御力を揮わせ給うッ!」
顕現したのは炎だ。神の代行とすら思える灼熱が現われた。
体に力が入らない杏は、それでもイネスとアヤを守るために自らの前に≪灼熱≫で火炎の壁を展開し、その熱波を防ごうとする。
けれど、
「切り裂き給うっ!」
封怨石が両断された。火炎の壁が狼に吹き飛ばされた藁の家の如く消え去り、高温の暴風が襲い掛かる。
「ッッアァアアアアア!!」
咄嗟に杏はイネスとアヤを抱きかかえ、庇う。背中が火炎に焼かれ、神経が焼ききれ、声にならない叫びが響き渡る。
ようやく高熱の暴風が止む。
杏は点滅する視界で、それを見た。
高熱の白い炎の二翼を侍らして浮き、哄笑する老婆を。
右手に炎の剣を。左手に炎の天秤を持ち、シスター服は炎の甲冑へと変わっていた。人外をその身に宿していた。
「アハハ。アハハハハ! これは狼煙! さぁ、魔法少女っ! 我が神がこの地を手に入れる最初の犠牲になりな――」
妖しく歪む天を展望した老婆は、イネスとアヤを背に庇い力なく立つ杏を見下ろし、右手に持つ炎の剣を振り下ろそうして。
だから、
「杏に何してるのさ?」
渦巻く金茶色の光から、片手が伸びた。
灰色の手袋を嵌めたその片手は炎の剣を止め、同時に金茶色の衝撃波を放ち、炎の剣を消し飛ばす。老婆が錐揉みしながら吹き飛ばされる。
もう片方の手が杏の腰に回された。
「……ぁ」
金属で補強された白衣が杏の身を包み、黒のシャツが首筋を撫で、柔らかな匂いが鼻の奥をくすぐる。優しく身体をギュっと抱きしめられる。
丸眼鏡の奥の瞳に、怒りを宿したその存在は。
「だい……すけっ」
大輔だった。
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公開可能情報
・神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。:ダニエル書、10章13―21。
この世界は現実世界にとても似た世界です。昔の書物の内容がほとんど似ていたとしても、現実の団体や宗教とは無関係です。某書物とかの描写を出すか悩んだのですが、出すことにしましたので。
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