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「水引町の外れには神秘の森があるが、そこには交渉人と呼ばれる魔女だけが立ち入ることを許されている。というのも、森には気難しい性格の精霊たちや竜が住んでいるからだ。森の長である竜は、精霊たちに新しい生命が誕生すると魔女に産まれたばかりの卵を託す。卵の孵化を委ねる代わりに、一帯の土地を守る約束を交わしているのだ。これこそが魔女が交渉人と呼ばれるゆえんである」

 ほの暗い電灯のあかりを頼りに、図書館で借りてきた古い本を音読した青衣は、不満そうに唇をとがらせた。

「朱夏、聞いてる? 私、あなたのために読んで聞かせてあげているんだけど」

 朱夏は食品棚を念入りにあさっていた。急に呼びかけられたので、素っ頓狂に返事をした。

「なに? なんか言った?」

「なにじゃないわよ。嫌な予感がしたのよね。あなたが水引町の歴史を知りたいなんて言うから」

「知りたいとは言ったけど読み聞かせてほしいとは頼んでいなかったし、青衣には本を与えておけばいいと思ってたから。その間に心置きなく家捜しできるでしょ」

「ちょっと気になる物言いだけど、探し物なら手伝うわよ?」

「あ、あった! これ、これ!」

 朱夏はいつのものだかわからない茶色い瓶を引っ張り出してきて青衣の前に置いた。

「いつか絶対飲んでやろうと思っていたやつ。一緒に飲もうよ」

「これってお酒じゃない?」

「ところが、開けるとコーヒーの匂いがするんだよ」

「コーヒー?」

「うん。これは絶対に世界一おいしいコーヒーだと思うんだよね。うちのママがわたしに内緒で夜中にこそこそ飲むくらいだから間違いないよ」

 青衣はけげんな表情をしつつも、見たことのない茶色い瓶に視線が釘付けになっている。

「大人が夜中にコーヒーなんて飲むかしら? 賞味期限も過ぎてるわよ」

「未開封だし、問題ないでしょ」

「うーん……」

 慎重な青衣のことだ、開栓せずに元の場所に戻しておこうと言いかねない。朱夏は大げさに振りかぶって時計を指し示した。

「そろそろ時間だし、未黒さんのところに行って卵を預かってこよう」

「そうね。そうしましょう」

「えっと、家の鍵は……」

「私がおばさんから預かってるわ。朱夏だとなくしかねないって心配していたから」

「へえ。いっそのこと、青衣がうちのママの子だったらよかったのにね」

「そうねえ。だけど私、朱夏が思っているほどおりこうじゃないかもしれないわ」

 青衣はなにを考えているのかさっぱりわからない表情でさらりと受け流し、家の鍵を閉めた。

 未黒は魔女で、二人が住んでいる団地の管理人をしている。五階建ての最上階、太陽が昇ると真っ先に陽が当たる、南東の部屋で暮らしている。絵本に出てくるような魔女はおどろおどろしくてとても怖いけれど、未黒は違う。名前の割に黒いものは一切身の回りに置いていない。いつも派手な花柄ワンピースを着ているし、お化粧もばっちり決めている。年齢不詳のおしゃれなおばさんだ。


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「水引町の外れには神秘の森があるが、そこには交渉人と呼ばれる魔女だけが立ち入ることを許されている。というのも、森には気難しい性格の精霊たちや竜が住んでいるからだ。森の長である竜は、精霊たちに新しい生命が誕生すると魔女に産まれたばかりの卵を託す。卵の孵化を委ねる代わりに、一帯の土地を守る約束を交わしているのだ。これこそが魔女が交渉人と呼ばれるゆえんである」
 ほの暗い電灯のあかりを頼りに、図書館で借りてきた古い本を音読した青衣は、不満そうに唇をとがらせた。
「朱夏、聞いてる? 私、あなたのために読んで聞かせてあげているんだけど」
 朱夏は食品棚を念入りにあさっていた。急に呼びかけられたので、素っ頓狂に返事をした。
「なに? なんか言った?」
「なにじゃないわよ。嫌な予感がしたのよね。あなたが水引町の歴史を知りたいなんて言うから」
「知りたいとは言ったけど読み聞かせてほしいとは頼んでいなかったし、青衣には本を与えておけばいいと思ってたから。その間に心置きなく家捜しできるでしょ」
「ちょっと気になる物言いだけど、探し物なら手伝うわよ?」
「あ、あった! これ、これ!」
 朱夏はいつのものだかわからない茶色い瓶を引っ張り出してきて青衣の前に置いた。
「いつか絶対飲んでやろうと思っていたやつ。一緒に飲もうよ」
「これってお酒じゃない?」
「ところが、開けるとコーヒーの匂いがするんだよ」
「コーヒー?」
「うん。これは絶対に世界一おいしいコーヒーだと思うんだよね。うちのママがわたしに内緒で夜中にこそこそ飲むくらいだから間違いないよ」
 青衣はけげんな表情をしつつも、見たことのない茶色い瓶に視線が釘付けになっている。
「大人が夜中にコーヒーなんて飲むかしら? 賞味期限も過ぎてるわよ」
「未開封だし、問題ないでしょ」
「うーん……」
 慎重な青衣のことだ、開栓せずに元の場所に戻しておこうと言いかねない。朱夏は大げさに振りかぶって時計を指し示した。
「そろそろ時間だし、未黒さんのところに行って卵を預かってこよう」
「そうね。そうしましょう」
「えっと、家の鍵は……」
「私がおばさんから預かってるわ。朱夏だとなくしかねないって心配していたから」
「へえ。いっそのこと、青衣がうちのママの子だったらよかったのにね」
「そうねえ。だけど私、朱夏が思っているほどおりこうじゃないかもしれないわ」
 青衣はなにを考えているのかさっぱりわからない表情でさらりと受け流し、家の鍵を閉めた。
 未黒は魔女で、二人が住んでいる団地の管理人をしている。五階建ての最上階、太陽が昇ると真っ先に陽が当たる、南東の部屋で暮らしている。絵本に出てくるような魔女はおどろおどろしくてとても怖いけれど、未黒は違う。名前の割に黒いものは一切身の回りに置いていない。いつも派手な花柄ワンピースを着ているし、お化粧もばっちり決めている。年齢不詳のおしゃれなおばさんだ。