第9話:アキの仕事に触れる日(前編)
ー/ーその日は、年に一度開催される、全社員向けの「軌道エレベーター見学デー」だった。
普段、コンシェルジュとして働く森野悠希が立ち入ることのない、厳重なセキュリティで守られた場所。それが、恋人である高遠陽樹が働く、運行管理室だった。
ユウキは、胸の高鳴りを抑えきれずに、エレベーターを乗り継いでいた。
普段は華やかなコンコースや展望台で働く彼女にとって、この静かで無機質な空間は、まるで違う惑星にいるようだった。エレベーターのドアが開くたびに、目の前に広がる景色は、どんどん人工的で複雑なものに変わっていく。
「ユウキさん、楽しみですね!私も初めてなんです、運行管理室!」
隣を歩く同僚のルナ=ヴァレンタインが、興奮気味に話しかけてきた。
「うん!アキくんが働いているところ、ちゃんと見るの初めてだから、なんだかドキドキするね」
ユウキは、そう言って微笑んだ。ルナも同じように目を輝かせていた。
ユウキたちの仕事は、人々の笑顔を間近で見ることだ。
しかし、アキの仕事は、その笑顔の裏側にある、無数のデータと向き合うこと。
ユウキは、アキがどんな場所で、どんな顔で働いているのか、ずっと知りたかったのだ。
最後のセキュリティチェックを終え、分厚い扉の向こう側へと足を踏み入れる。そこは、まるで宇宙船のブリッジのような空間だった。
壁一面に並んだ巨大なモニターには、エレベーターの運行状況、各セクターの気圧や温度、そして無数の乗客のバイタルデータが、リアルタイムで表示されている。
世界各国から集まった運行管理者たちが、真剣な眼差しでモニターを睨み、キーボードを叩いている。
彼らの間を、アキは、まるで水を滑るように、静かに動いていた。
「…アキくん」
ユウキは、思わず小さく呟いた。
その呟きを、アキが聞き逃すはずがなかった。
彼は、一瞬だけモニターから視線を外し、ユウキに気づくと、少しだけ口角を上げ、こっそり手を振ってくれた。
その表情は、仕事中の張り詰めた顔とは全く違う、優しいアキの顔だった。
「…えっ…アキさん…?」
ユウキの隣にいたルナは、アキの意外な行動に、目を丸くした。
「ユウキさん!アキさん、ユウキさんにこっそり手を振ってましたよ!」
ルナは、面白そうにユウキをからかった。ユウキは、顔を真っ赤にして、ルナの口を慌てて押さえる。
「ちょっ…ルナ!大声出さないでよ!…もう、見ないでよ!」
「ラブラブですね~!私、アキさんがそんなに可愛らしい人だとは知りませんでした!」
ルナは、さらにユウキをからかうように、楽しそうに笑う。
ユウキは、真っ赤になった顔を両手で覆い、アキから隠れるようにして、その場に立ち尽くしていた。
自宅で見る、少しだけ不器用で、時折可愛らしいアキの姿とは、全く違う。
彼は、言葉を発することなく、ただひたすらにモニターと向き合っている。その横顔は、張り詰めた糸のように緊張し、彼の背中からは、言葉にできないほどの重圧が伝わってきた。
ユウキは、その場に立ち尽くし、ただアキの姿を見つめていた。アキが操作するモニターには、一秒一秒、何万もの数値が更新されていく。その数値の一つが、もしも異常を示したら…アキの、そして彼が守るすべての人の命運が、一瞬で変わってしまうのかもしれない。
ユウキは、自分の仕事との違いに愕然とした。
彼女の仕事は、お客様の不安を和らげ、笑顔を引き出すことだ。
もしも失敗したとしても、誰かの命が失われることはない。
しかし、アキの仕事は、一つのミスが、取り返しのつかない結果を招く。
「…すごい…」
ユウキは、静かにそう呟いた。アキの仕事は、彼女が思っていたよりも、ずっと孤独で、ずっと重いものだった。それでも、彼は、その重圧に耐え、ただひたすらに、人々の夢を守り続けている。
ユウキは、アキの真剣な横顔を見つめながら、彼の責任感の根底にあるものを理解した。それは、彼が幼い頃から抱き続けてきた、父親の夢だ。
そして、今、その夢は、ユウキの、そしてエレベーターに乗るすべての人々の「希望」へと繋がっている。
ユウキは、この巨大な機械が、アキという一人の人間によって、温かい血を通わせているのだと、改めて実感した。
彼の背中は、決して無機質な機械を動かすだけのものではなかった。
それは、人々の夢を乗せた「船」の、たった一人の「船長」の背中だった。
「…アキくん、頑張ってね」
ユウキは、心の中で、アキにそっと語りかけた。
彼女の眼差しは、尊敬と、そして深い愛情に満ちていた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
その日は、年に一度開催される、全社員向けの「軌道エレベーター見学デー」だった。
普段、コンシェルジュとして働く森野悠希《もりのゆうき》が立ち入ることのない、厳重なセキュリティで守られた場所。それが、恋人である高遠陽樹《たかとおはるき》が働く、運行管理室だった。
ユウキは、胸の高鳴りを抑えきれずに、エレベーターを乗り継いでいた。
普段は華やかなコンコースや展望台で働く彼女にとって、この静かで無機質な空間は、まるで違う惑星にいるようだった。エレベーターのドアが開くたびに、目の前に広がる景色は、どんどん人工的で複雑なものに変わっていく。
「ユウキさん、楽しみですね!私も初めてなんです、運行管理室!」
隣を歩く同僚のルナ=ヴァレンタインが、興奮気味に話しかけてきた。
「うん!アキくんが働いているところ、ちゃんと見るの初めてだから、なんだかドキドキするね」
ユウキは、そう言って微笑んだ。ルナも同じように目を輝かせていた。
ユウキたちの仕事は、人々の笑顔を間近で見ることだ。
しかし、アキの仕事は、その笑顔の裏側にある、無数のデータと向き合うこと。
ユウキは、アキがどんな場所で、どんな顔で働いているのか、ずっと知りたかったのだ。
最後のセキュリティチェックを終え、分厚い扉の向こう側へと足を踏み入れる。そこは、まるで宇宙船のブリッジのような空間だった。
壁一面に並んだ巨大なモニターには、エレベーターの運行状況、各セクターの気圧や温度、そして無数の乗客のバイタルデータが、リアルタイムで表示されている。
世界各国から集まった運行管理者たちが、真剣な眼差しでモニターを睨《にら》み、キーボードを叩いている。
彼らの間を、アキは、まるで水を滑るように、静かに動いていた。
「…アキくん」
ユウキは、思わず小さく呟いた。
その呟きを、アキが聞き逃すはずがなかった。
彼は、一瞬だけモニターから視線を外し、ユウキに気づくと、少しだけ口角を上げ、こっそり手を振ってくれた。
その表情は、仕事中の張り詰めた顔とは全く違う、優しいアキの顔だった。
「…えっ…アキさん…?」
ユウキの隣にいたルナは、アキの意外な行動に、目を丸くした。
「ユウキさん!アキさん、ユウキさんにこっそり手を振ってましたよ!」
ルナは、面白そうにユウキをからかった。ユウキは、顔を真っ赤にして、ルナの口を慌てて押さえる。
「ちょっ…ルナ!大声出さないでよ!…もう、見ないでよ!」
「ラブラブですね~!私、アキさんがそんなに可愛らしい人だとは知りませんでした!」
ルナは、さらにユウキをからかうように、楽しそうに笑う。
ユウキは、真っ赤になった顔を両手で覆い、アキから隠れるようにして、その場に立ち尽くしていた。
自宅で見る、少しだけ不器用で、時折可愛らしいアキの姿とは、全く違う。
彼は、言葉を発することなく、ただひたすらにモニターと向き合っている。その横顔は、張り詰めた糸のように緊張し、彼の背中からは、言葉にできないほどの重圧が伝わってきた。
ユウキは、その場に立ち尽くし、ただアキの姿を見つめていた。アキが操作するモニターには、一秒一秒、何万もの数値が更新されていく。その数値の一つが、もしも異常を示したら…アキの、そして彼が守るすべての人の命運が、一瞬で変わってしまうのかもしれない。
ユウキは、自分の仕事との違いに愕然とした。
彼女の仕事は、お客様の不安を和らげ、笑顔を引き出すことだ。
もしも失敗したとしても、誰かの命が失われることはない。
しかし、アキの仕事は、一つのミスが、取り返しのつかない結果を招く。
「…すごい…」
ユウキは、静かにそう呟いた。アキの仕事は、彼女が思っていたよりも、ずっと孤独で、ずっと重いものだった。それでも、彼は、その重圧に耐え、ただひたすらに、人々の夢を守り続けている。
ユウキは、アキの真剣な横顔を見つめながら、彼の責任感の根底にあるものを理解した。それは、彼が幼い頃から抱き続けてきた、父親の夢だ。
そして、今、その夢は、ユウキの、そしてエレベーターに乗るすべての人々の「希望」へと繋がっている。
ユウキは、この巨大な機械が、アキという一人の人間によって、温かい血を通わせているのだと、改めて実感した。
彼の背中は、決して無機質な機械を動かすだけのものではなかった。
それは、人々の夢を乗せた「船」の、たった一人の「船長」の背中だった。
「…アキくん、頑張ってね」
ユウキは、心の中で、アキにそっと語りかけた。
彼女の眼差しは、尊敬と、そして深い愛情に満ちていた。