第7話:忘れ物の恋文(前編)

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 朝の光が窓から差し込み、部屋に温かい空気をもたらす。

 森野悠希(もりのゆうき)は、焼きたてのパンをテーブルに並べながら、キッチンからアキの仕事への準備を見守っていた。

「アキくん、お弁当、持っていく?」

「ん、今日はいい。ありがとう」

 高遠陽樹(たかとおはるき)は、少しだけ重そうな足取りで身支度を整えている。

 彼が最後に帰宅したのは、もう深夜を過ぎていた。

 ユウキは、最近のアキの様子に、胸の奥が締め付けられるような気がしていた。彼が無理をしていることは、誰の目にも明らかだった。

 アキは、仕事用のカバンを手に取り、ユウキに「行ってくる」と告げて玄関へと向かう。

 ユウキは、心配を悟られないように、明るく「いってらっしゃい!」と声をかけた。



 玄関の扉が静かに閉まる。
 ユウキは、もう一度アキの背中を見つめ、彼が完全に姿を消すまで、その場に立ち尽くしていた。

「あ、そうだ。アキくんのタブレット、充電しておいてあげなきゃ」

 ユウキは、テーブルの上の自分のタブレットに目をやる。

 そして、その隣に、アキがいつも仕事へ行くときに持っていく、見慣れた宇宙船のキーホルダーがついた鍵が置きっぱなしになっていることに気がついた。

「あれ…?アキくん、鍵…」

 ユウキは、鍵を手のひらに乗せて、じっと見つめる。

 いつも完璧に見えるアキの、少しだけ子供っぽい一面を感じて、ユウキは愛おしさを覚えた。

 しかし、それ以上に、彼の仕事の重圧が、ついにこんなところにも影響しているのではないかと、胸騒ぎが止まらなかった。

「やっぱり、最近忙しいからかな…」

 ユウキは、鍵を握りしめ、彼の帰りを待ち続けた。





 ---



 一方、高遠陽樹(たかとおはるき)は、運行管理室の静寂な空気に包まれていた。彼の指は、モニターに映し出された膨大なデータの上を滑るように動く。

 軌道エレベーターの運行状況を示す数値、宇宙空間の天候、そして乗客のバイタルデータ。それらすべてが、アキの監視下にあった。

「セクターC、気圧(きあつ)、わずかに低下(ていか)。調整(ちょうせい)開始(かいし)します」

 アキは、淡々(たんたん)と状況を報告する。

 彼の声は、まるでAIの音声のように感情(かんじょう)がなかった。

 彼にとって、この巨大なエレベーターは、感情を(はさ)む余地のない、完璧(かんぺき)なシステムだった。一秒の遅れも、一つのエラーも許されない。

 それが、彼の父親が命をかけて築き上げた、この「船」を守るということだった。

 業務の合間、アキはふと、ポケットの中をまさぐった。いつもそこにあるはずの鍵がない。

「…しまった」

 アキは、小さく(つぶや)いた。

 こんな初歩的なミスは、運行管理者になってから初めてのことだった。やはり、最近の激務が、無意識のうちに彼を(むしば)んでいるのだろうか。


 その時、デスクの上に置きっぱなしになっていた、見慣れないタブレットが目に入った。

 それは、カラフルな宇宙食のチューブが描かれた、ユウキらしい可愛らしいカバーがついていた。アキは、自分のものと間違えて、家から持ってきてしまったことに気がついた。

「…ユウキのだ」

 そう言って、タブレットを手に取ったとき、ふと画面が光った。

 ロック画面には、ユウキが描いたであろう、軌道エレベーターを笑顔で見上げる女の子のイラストが表示されている。その無邪気な絵に、アキの表情は少しだけ和らいだ。

「メモ…?」

 アキは、そのままタブレットのメモアプリに目が行く。そこには、ユウキが描いたであろう可愛らしいイラストと、最近出会った面白いお客さんの話が綴られていた。

『〇〇さん、宇宙でプロポーズ大成功!』

 ユウキの文字は、まるで彼女の声が聞こえてくるかのように、明るく弾んでいた。

 アキは、自分が管理する巨大で無機質な機械の裏側で、こんなにも多くの物語が生まれていることに改めて気づかされた。

『〇〇さんの宇宙食が地球の料理になったら…』

 そこには、先日誕生日パーティーでユウキが作ろうとしていた料理のことが書かれていた。

 アキは、あの日、ユウキがどれほどの愛情と情熱を持って、この日のために尽くしてくれたのかを再認識する。

『最近のアキくん、忙しそうで心配だなぁ…』

 ユウキの文字は、アキの胸に、じんわりと温かく染み渡った。それは、彼の仕事の原動力である「責任感」とは、また少し違う、温かいエネルギーだった。

 アキは、タブレットを手に、慌てて運行管理室を出た。向かうは、ユウキが働く地上駅だ。

「よし。今日の俺の仕事は…」

 アキは、そう呟くと、エレベーターに乗り込む。

「このタブレットを、愛しい人に届けることだ」

 ユウキの温かさを感じながら、アキは、エレベーターのドアが開くのを待っていた。




次のエピソードへ進む 第8話:忘れ物の恋文(後編)


みんなのリアクション

 朝の光が窓から差し込み、部屋に温かい空気をもたらす。
 森野悠希《もりのゆうき》は、焼きたてのパンをテーブルに並べながら、キッチンからアキの仕事への準備を見守っていた。
「アキくん、お弁当、持っていく?」
「ん、今日はいい。ありがとう」
 高遠陽樹《たかとおはるき》は、少しだけ重そうな足取りで身支度を整えている。
 彼が最後に帰宅したのは、もう深夜を過ぎていた。
 ユウキは、最近のアキの様子に、胸の奥が締め付けられるような気がしていた。彼が無理をしていることは、誰の目にも明らかだった。
 アキは、仕事用のカバンを手に取り、ユウキに「行ってくる」と告げて玄関へと向かう。
 ユウキは、心配を悟られないように、明るく「いってらっしゃい!」と声をかけた。
 玄関の扉が静かに閉まる。
 ユウキは、もう一度アキの背中を見つめ、彼が完全に姿を消すまで、その場に立ち尽くしていた。
「あ、そうだ。アキくんのタブレット、充電しておいてあげなきゃ」
 ユウキは、テーブルの上の自分のタブレットに目をやる。
 そして、その隣に、アキがいつも仕事へ行くときに持っていく、見慣れた宇宙船のキーホルダーがついた鍵が置きっぱなしになっていることに気がついた。
「あれ…?アキくん、鍵…」
 ユウキは、鍵を手のひらに乗せて、じっと見つめる。
 いつも完璧に見えるアキの、少しだけ子供っぽい一面を感じて、ユウキは愛おしさを覚えた。
 しかし、それ以上に、彼の仕事の重圧が、ついにこんなところにも影響しているのではないかと、胸騒ぎが止まらなかった。
「やっぱり、最近忙しいからかな…」
 ユウキは、鍵を握りしめ、彼の帰りを待ち続けた。
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 一方、高遠陽樹《たかとおはるき》は、運行管理室の静寂な空気に包まれていた。彼の指は、モニターに映し出された膨大なデータの上を滑るように動く。
 軌道エレベーターの運行状況を示す数値、宇宙空間の天候、そして乗客のバイタルデータ。それらすべてが、アキの監視下にあった。
「セクターC、気圧《きあつ》、わずかに低下《ていか》。調整《ちょうせい》を開始《かいし》します」
 アキは、淡々《たんたん》と状況を報告する。
 彼の声は、まるでAIの音声のように感情《かんじょう》がなかった。
 彼にとって、この巨大なエレベーターは、感情を挟《はさ》む余地のない、完璧《かんぺき》なシステムだった。一秒の遅れも、一つのエラーも許されない。
 それが、彼の父親が命をかけて築き上げた、この「船」を守るということだった。
 業務の合間、アキはふと、ポケットの中をまさぐった。いつもそこにあるはずの鍵がない。
「…しまった」
 アキは、小さく呟《つぶや》いた。
 こんな初歩的なミスは、運行管理者になってから初めてのことだった。やはり、最近の激務が、無意識のうちに彼を蝕《むしば》んでいるのだろうか。
 その時、デスクの上に置きっぱなしになっていた、見慣れないタブレットが目に入った。
 それは、カラフルな宇宙食のチューブが描かれた、ユウキらしい可愛らしいカバーがついていた。アキは、自分のものと間違えて、家から持ってきてしまったことに気がついた。
「…ユウキのだ」
 そう言って、タブレットを手に取ったとき、ふと画面が光った。
 ロック画面には、ユウキが描いたであろう、軌道エレベーターを笑顔で見上げる女の子のイラストが表示されている。その無邪気な絵に、アキの表情は少しだけ和らいだ。
「メモ…?」
 アキは、そのままタブレットのメモアプリに目が行く。そこには、ユウキが描いたであろう可愛らしいイラストと、最近出会った面白いお客さんの話が綴られていた。
『〇〇さん、宇宙でプロポーズ大成功!』
 ユウキの文字は、まるで彼女の声が聞こえてくるかのように、明るく弾んでいた。
 アキは、自分が管理する巨大で無機質な機械の裏側で、こんなにも多くの物語が生まれていることに改めて気づかされた。
『〇〇さんの宇宙食が地球の料理になったら…』
 そこには、先日誕生日パーティーでユウキが作ろうとしていた料理のことが書かれていた。
 アキは、あの日、ユウキがどれほどの愛情と情熱を持って、この日のために尽くしてくれたのかを再認識する。
『最近のアキくん、忙しそうで心配だなぁ…』
 ユウキの文字は、アキの胸に、じんわりと温かく染み渡った。それは、彼の仕事の原動力である「責任感」とは、また少し違う、温かいエネルギーだった。
 アキは、タブレットを手に、慌てて運行管理室を出た。向かうは、ユウキが働く地上駅だ。
「よし。今日の俺の仕事は…」
 アキは、そう呟くと、エレベーターに乗り込む。
「このタブレットを、愛しい人に届けることだ」
 ユウキの温かさを感じながら、アキは、エレベーターのドアが開くのを待っていた。