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@55話

ー/ー





 嫌がる瑞稀を引っ張って、音色はいかにもプロレタリアート(労働者階級)の最下層が集まるような立ち飲み屋へと入った。


 


「音色さん、何でまたこんなところへ?」


「瑞稀さん()もう、いい加減、呼び捨てしてください」


 


『も』という言葉に一颯を思い出す。『そういえば、労働契約を結んだ時から一颯は呼び捨てに変えてたな』なんて一歩出遅れている自分に苦笑いを浮かべる。


 


「この近くだったら、俺の知ってるバーとかあったのに……」


 


 瑞稀はまだこの期に及んで入るのを躊躇っている。小綺麗な恰好をしている自分には、お世辞にも綺麗とは言えない店も客も不釣り合い過ぎてどうも敷居が高い。今日の音色はブルージーンズのラフな装いで、メイクもナチュラルでその可愛らしい顔立ち以外は目立ってはいない。


 


「いいんです、こういうところじゃないと、私払えませんから」


「お金のことは気にしなくていいのに、俺が払うから……」


「昔言われたんです。『財布を出さないブスは最低のブスだ』って。だから私、初めっからご馳走してもらう気なんてないですよっ」


 


 そう言って音色は悪戯に舌を出して微笑む。そんなことで瑞稀の心はまた掴まれる。


 


「誰? そんなことを言った奴は」


「……昔の彼氏」


 


 またも音色の笑顔に影を落とす。慌てた瑞稀は『そんな奴が言ったことなんてもう忘れちゃえよ』両手をポケットに突っ込んで、明後日(あさって)に向かって呟いた。


 


(お昼も予約しておいてくれていたなんて……やっぱりこれは『デート』なのかな?!)


 


 音色は目の前の瑞稀を視界に取り込んで頭に浮かんだ八尋を消去した。暖簾を潜ってカウンターの下にハンドポシェットを置くと、壁に貼られたシミの多い年季の入ったメニューを眺める。


 


「とりあえず、生二つ!」


 


 気まずそうに暖簾を潜った瑞稀が入ると同時に、カウンター越しでこちらを見ていたご主人に指を二本突き出して見せた。




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 嫌がる瑞稀を引っ張って、音色はいかにも|プロレタリアート《労働者階級》の最下層が集まるような立ち飲み屋へと入った。
「音色さん、何でまたこんなところへ?」
「瑞稀さん|も《●》もう、いい加減、呼び捨てしてください」
『も』という言葉に一颯を思い出す。『そういえば、労働契約を結んだ時から一颯は呼び捨てに変えてたな』なんて一歩出遅れている自分に苦笑いを浮かべる。
「この近くだったら、俺の知ってるバーとかあったのに……」
 瑞稀はまだこの期に及んで入るのを躊躇っている。小綺麗な恰好をしている自分には、お世辞にも綺麗とは言えない店も客も不釣り合い過ぎてどうも敷居が高い。今日の音色はブルージーンズのラフな装いで、メイクもナチュラルでその可愛らしい顔立ち以外は目立ってはいない。
「いいんです、こういうところじゃないと、私払えませんから」
「お金のことは気にしなくていいのに、俺が払うから……」
「昔言われたんです。『財布を出さないブスは最低のブスだ』って。だから私、初めっからご馳走してもらう気なんてないですよっ」
 そう言って音色は悪戯に舌を出して微笑む。そんなことで瑞稀の心はまた掴まれる。
「誰? そんなことを言った奴は」
「……昔の彼氏」
 またも音色の笑顔に影を落とす。慌てた瑞稀は『そんな奴が言ったことなんてもう忘れちゃえよ』両手をポケットに突っ込んで、|明後日《あさって》に向かって呟いた。
(お昼も予約しておいてくれていたなんて……やっぱりこれは『デート』なのかな?!)
 音色は目の前の瑞稀を視界に取り込んで頭に浮かんだ八尋を消去した。暖簾を潜ってカウンターの下にハンドポシェットを置くと、壁に貼られたシミの多い年季の入ったメニューを眺める。
「とりあえず、生二つ!」
 気まずそうに暖簾を潜った瑞稀が入ると同時に、カウンター越しでこちらを見ていたご主人に指を二本突き出して見せた。