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ようこそ! 史上最高のホテルへ!

ー/ー



 扉の向こう側には、見たこともない景色が広がっていた……。
 今まで見たことのない大きな台が目の前にあり、所狭しとフルーツが並べられていた。行儀よく両手で食べるものもいれば、寝そべって散らかすものもいる。身なりは皆整えられており、痩せているものはいない。
 なんとも不可思議だが、おそらく事実なのでどうしようもない。ボーっとしていると、近くから、不意に声をかけられる。

「よォ、新入り!」
「えっ......」
 びっくりして少し体が縮こまる。大きな声の主は、年齢こそ分からないものの、その態度からリーダー格の存在なのだろうと感じ取った。
「俺ァな、ジョージってんだ。ここのボスだ。あんたは?」
「え、っと……」
 名前……? 一体、自分は何ものなのだろうか、と自問する。今まで普通に暮らしていたはずだが、何故だか出てこない。そもそも、自分は何と呼ばれていたのだろうか。それすらもはっきりしない。
「あぁ、そうかそうか! 嬢ちゃんもか!」
「え? 私? どういうこと、ですか?」

 どうやらジョージが言うには、私のようなはっきりしないものがたくさんいるらしい。年齢こそ様々らしいのだが、名前や出自を自覚しているものはごくわずかだという。しかし、そんな事はどうでもよくなるのか、気が付けばここでの暮らしぶりをえらく気に入るそうなのだ。
「ンじゃ、まぁ、案内すっか!」
 私はジョージの後をついていくことにした。ここは俺らの理想郷だ、と彼は言う。まずは先ほどの食卓。食事は毎回決まった時間に出てくる。続いて別室。健康のために定期的な診察もある。そして個室。季節に応じて過ごしやすい部屋にもしてくれ、さらには娯楽も用意してくれるという、まさに何も言うことがない場所なのだ。
「でもな、これだけは気を付けてくれ」
「な、なんですか?」
 おそるおそる聞いてみる。ここまでしてくれるのだ、きっと事情があるに違いない。
「皆、一斉に寝る! そして一斉に起きる! これだけだ」
「……? ふぇ?」
 あまりの返答に思わず拍子抜けしてしまう。規則正しい生活に快適な部屋、こんな場所が本当にあっていいのか、と疑ってしまう。

 一通りの案内が終わった後、思い切って聞いてみることにした。
「あ、あの‼ なんで、私なんかが?」
 特筆すべき何かを持っているわけでもない。ただ何事もなく平穏に暮らせればいいな、とは思っていた。こんな素敵な場所にいてもいいのだろうか。
「あぁ、俺らはな。特別、だからだ」
「特別?」
 そう言うとジョージは、大きな窓に視線を向ける。
「あ……」
 今まで気づかなかったのが不思議なくらい、とても大きな窓がある。いや、そうじゃない。壁一面が窓になっているのだ。そこからは外の景色が見え、いくつかの視線を直に感じる。
「あれが外の世界だ。俺らはもう、行けないがな」
「そ、それは、ど、どういう?」
 行かない、じゃなくて『行けない』。どうもそれが気にかかる。だが、こんな至れり尽くせりの所なら、出ていく理由はないのだが。
「俺たちは身の安全を保障される。それは死ぬまで、だ」
「そ、そう、ですか」
 ジョージの言うことがイマイチピンとこない。死ぬまで面倒を見てくれるというのだろうか。
「安心しろ嬢ちゃん。きっと気に入るさ」
「そ、そうだと、いいのですが……」
 それだけ言い残すと、ジョージはどこかへ行ってしまった。

 しばらく辺りを見てみたが、先ほどと変わり映えしない景色だった。外からの視線は感じるものの、それはどちらかというと温かさを含んだものだった。
「私、どうすればいいんだろう?」
 なるようにしかならない、そう思えるほど大胆ではなかった。不安の方が大きかったが、ふと、空腹であることに気づいた。
「……何か、食べよう」
 最初に見た台に行ってみたところ、まだたっぷりとフルーツは残されていた。食欲があるなら、今のうちに食べておこう。
(美味しいな…)
 よほどお腹がすいていたのか、たくさん食べられそうだ。
「おっ! いい食べっぷりだ!」
「新しい仲間が増えたようだね」
「ウェ…っと。あ、どうも」
 ふいに後ろから声をかけられる。私は話しかけられやすいのかな。ただ、気さくな感じで接してくれるのはうれしい。せっかくだし、この場所について聞いてみることにした。

 詳しく話を聞く限りでは、ジョージの言っていることとほぼ変わらないことがわかった。彼らも私と同様、自分のことをあまり知らないらしい。だが、ここが快適すぎるあまり、どうも全く気にならないとのことだ。
「あの、ヘンな事聞くんですが。ここから出たいな、とか思ったことないんですか?」
 我ながらおかしな事を言ってしまった。あえて外に出る理由などないはずだ。なんでもそろう、暮らしに不自由しない。何も文句を言うことがないのだから。
「んー。ね……」
「ね。『出られない』んだよ、ね」
 一瞬だけ嫌な予感がした。ひょっとすると、ここは……。
「あ、違う違う。ヤバい場所とかじゃないよ」
「そうそう。でも最初は戸惑うんだよね、みんな」
 何かを隠そうというわけではなさそうだ。ただ、『出られない』というのが何を意図するのだろう。
「えっと、何で出られないんでしょう?」
「あぁ。実は、僕たちにもよく分からないんだ」
「うん。出たいとは思わないし、ね。まぁ、いいかな、って」
 おかしな雰囲気になってしまうのを嫌い、私はこれ以上聞くのをやめた。快適に過ごしている彼らに、私も馴染むようになるのだろうか、と考えた。

 あの出来事から時間がたち、私はジョージ達の気持ちが少しずつ分かるようになっていた。
 食事はたくさんあるし、バリエーションも豊富だ。少し体調を崩してしまったこともあるが、看病もしてくれた。何を言っているかは全く分からなかったが、心配してくれていた様子だった。ただ、一斉に起こされるのはしばらく慣れなかった。少し寝坊しても食事にありつけるのだが、そうすると決まって外から視線が注がれてしまう。不思議と悪い気がしなかったのは幸いだ。
 結局のところ、私もこの場所に順応してしまっているのだろう。そう感じたのは、『新入り』が入ってきたからだ。案内役はボスのジョージがすることになっているのだが、早く仲間として馴染めるようにするのが皆の役目なのだ。
 
 もう私は、外に出たいと思わなくなっていた。こんな居心地のいい場所で死ぬまで過ごしたい。本気でそう思えるようになっていた。そして今日も、何事もなく時間がたっていく。見慣れた外の風景からは、またしても視線が集まってくる。何を言っているか分からないけれど……、羨ましいのかな。


 
 大きな窓の向こう側では、多くの人たちが動物を見て楽しそうにしている。動物園は今日も大盛況だ。


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 扉の向こう側には、見たこともない景色が広がっていた……。
 今まで見たことのない大きな台が目の前にあり、所狭しとフルーツが並べられていた。行儀よく両手で食べるものもいれば、寝そべって散らかすものもいる。身なりは皆整えられており、痩せているものはいない。
 なんとも不可思議だが、おそらく事実なのでどうしようもない。ボーっとしていると、近くから、不意に声をかけられる。
「よォ、新入り!」
「えっ......」
 びっくりして少し体が縮こまる。大きな声の主は、年齢こそ分からないものの、その態度からリーダー格の存在なのだろうと感じ取った。
「俺ァな、ジョージってんだ。ここのボスだ。あんたは?」
「え、っと……」
 名前……? 一体、自分は何ものなのだろうか、と自問する。今まで普通に暮らしていたはずだが、何故だか出てこない。そもそも、自分は何と呼ばれていたのだろうか。それすらもはっきりしない。
「あぁ、そうかそうか! 嬢ちゃんもか!」
「え? 私? どういうこと、ですか?」
 どうやらジョージが言うには、私のようなはっきりしないものがたくさんいるらしい。年齢こそ様々らしいのだが、名前や出自を自覚しているものはごくわずかだという。しかし、そんな事はどうでもよくなるのか、気が付けばここでの暮らしぶりをえらく気に入るそうなのだ。
「ンじゃ、まぁ、案内すっか!」
 私はジョージの後をついていくことにした。ここは俺らの理想郷だ、と彼は言う。まずは先ほどの食卓。食事は毎回決まった時間に出てくる。続いて別室。健康のために定期的な診察もある。そして個室。季節に応じて過ごしやすい部屋にもしてくれ、さらには娯楽も用意してくれるという、まさに何も言うことがない場所なのだ。
「でもな、これだけは気を付けてくれ」
「な、なんですか?」
 おそるおそる聞いてみる。ここまでしてくれるのだ、きっと事情があるに違いない。
「皆、一斉に寝る! そして一斉に起きる! これだけだ」
「……? ふぇ?」
 あまりの返答に思わず拍子抜けしてしまう。規則正しい生活に快適な部屋、こんな場所が本当にあっていいのか、と疑ってしまう。
 一通りの案内が終わった後、思い切って聞いてみることにした。
「あ、あの‼ なんで、私なんかが?」
 特筆すべき何かを持っているわけでもない。ただ何事もなく平穏に暮らせればいいな、とは思っていた。こんな素敵な場所にいてもいいのだろうか。
「あぁ、俺らはな。特別、だからだ」
「特別?」
 そう言うとジョージは、大きな窓に視線を向ける。
「あ……」
 今まで気づかなかったのが不思議なくらい、とても大きな窓がある。いや、そうじゃない。壁一面が窓になっているのだ。そこからは外の景色が見え、いくつかの視線を直に感じる。
「あれが外の世界だ。俺らはもう、行けないがな」
「そ、それは、ど、どういう?」
 行かない、じゃなくて『行けない』。どうもそれが気にかかる。だが、こんな至れり尽くせりの所なら、出ていく理由はないのだが。
「俺たちは身の安全を保障される。それは死ぬまで、だ」
「そ、そう、ですか」
 ジョージの言うことがイマイチピンとこない。死ぬまで面倒を見てくれるというのだろうか。
「安心しろ嬢ちゃん。きっと気に入るさ」
「そ、そうだと、いいのですが……」
 それだけ言い残すと、ジョージはどこかへ行ってしまった。
 しばらく辺りを見てみたが、先ほどと変わり映えしない景色だった。外からの視線は感じるものの、それはどちらかというと温かさを含んだものだった。
「私、どうすればいいんだろう?」
 なるようにしかならない、そう思えるほど大胆ではなかった。不安の方が大きかったが、ふと、空腹であることに気づいた。
「……何か、食べよう」
 最初に見た台に行ってみたところ、まだたっぷりとフルーツは残されていた。食欲があるなら、今のうちに食べておこう。
(美味しいな…)
 よほどお腹がすいていたのか、たくさん食べられそうだ。
「おっ! いい食べっぷりだ!」
「新しい仲間が増えたようだね」
「ウェ…っと。あ、どうも」
 ふいに後ろから声をかけられる。私は話しかけられやすいのかな。ただ、気さくな感じで接してくれるのはうれしい。せっかくだし、この場所について聞いてみることにした。
 詳しく話を聞く限りでは、ジョージの言っていることとほぼ変わらないことがわかった。彼らも私と同様、自分のことをあまり知らないらしい。だが、ここが快適すぎるあまり、どうも全く気にならないとのことだ。
「あの、ヘンな事聞くんですが。ここから出たいな、とか思ったことないんですか?」
 我ながらおかしな事を言ってしまった。あえて外に出る理由などないはずだ。なんでもそろう、暮らしに不自由しない。何も文句を言うことがないのだから。
「んー。ね……」
「ね。『出られない』んだよ、ね」
 一瞬だけ嫌な予感がした。ひょっとすると、ここは……。
「あ、違う違う。ヤバい場所とかじゃないよ」
「そうそう。でも最初は戸惑うんだよね、みんな」
 何かを隠そうというわけではなさそうだ。ただ、『出られない』というのが何を意図するのだろう。
「えっと、何で出られないんでしょう?」
「あぁ。実は、僕たちにもよく分からないんだ」
「うん。出たいとは思わないし、ね。まぁ、いいかな、って」
 おかしな雰囲気になってしまうのを嫌い、私はこれ以上聞くのをやめた。快適に過ごしている彼らに、私も馴染むようになるのだろうか、と考えた。
 あの出来事から時間がたち、私はジョージ達の気持ちが少しずつ分かるようになっていた。
 食事はたくさんあるし、バリエーションも豊富だ。少し体調を崩してしまったこともあるが、看病もしてくれた。何を言っているかは全く分からなかったが、心配してくれていた様子だった。ただ、一斉に起こされるのはしばらく慣れなかった。少し寝坊しても食事にありつけるのだが、そうすると決まって外から視線が注がれてしまう。不思議と悪い気がしなかったのは幸いだ。
 結局のところ、私もこの場所に順応してしまっているのだろう。そう感じたのは、『新入り』が入ってきたからだ。案内役はボスのジョージがすることになっているのだが、早く仲間として馴染めるようにするのが皆の役目なのだ。
 もう私は、外に出たいと思わなくなっていた。こんな居心地のいい場所で死ぬまで過ごしたい。本気でそう思えるようになっていた。そして今日も、何事もなく時間がたっていく。見慣れた外の風景からは、またしても視線が集まってくる。何を言っているか分からないけれど……、羨ましいのかな。
 大きな窓の向こう側では、多くの人たちが動物を見て楽しそうにしている。動物園は今日も大盛況だ。