表示設定
表示設定
目次 目次




第21話 超悪戯ホワイトキャット

ー/ー



「おかえりニャ」

 今、この瞬間の私の脱力感が分かるだろうか。
 ファイド刑事さんとも別れて、一旦あの窮屈な空間からも解放されて、ようやくして高級ホテルの最高クラスの部屋に戻ってきた、このタイミングでだ。

 食堂で唐突に消えてしまったチェイサーと次に会えるのはいつになるだろう。もし会うことができたなら今度こそ元の世界に帰る手段を教えてほしい。
 そんなことを考えていた、そのタイミングでだ。

「帰ってたの、チェイサーちゃん」

 いつからそこにいたのかは定かではないにしても、すっかり自分のテリトリーとしているつもりなのか、ベッドの上で丸くなり、尻尾もモフモフとくつろいでいるチェイサーの姿がそこにあった。

 チェイサーさえ協力的であれば、私は直ぐにでも元の世界に帰ることができる。
 ファイド刑事さんには悪いけれど、監視下に置かれながらの生活は望んでいるものではない。今帰れるなら今帰りたいくらいなのだ。

「食後のデザートはいかがだったかニャ」

 もしかしなくとも食堂の呪い事件のことを言っているのだろうか。だとすると、あまりおいしいものではなかったことだけは確かだ。
 口から血をゲロゲロと吐き出す光景が目に焼き付いてまだ吐き気がする。

「別に姿を消すことはなかったんじゃないの?」
「酒のない席にチェイサーは不要だと思ったまでニャ」

 特に悪びれる様子もない。心の底からどうでもよく、そして関わり合いにもなりたくなかったという意思表示の現れとも見える。猫からしてみれば、知らない誰かが呪いでのたうちまわる姿なんて見たくないだろうし。

「あの場所で何が起こるのか察知したみたいにいなくなったけど」
「血の臭いには敏感だからニャア」

 確かに、血のしたたるステーキ肉を豪快に食べていただけに説得力はある。その理屈でいうと逃げる理由という意味では説得力は皆無なのだけれども。
 逆に、興奮して血を吐き散らかす被害者に噛みつきそうなくらい。

「ところでルック。訊きたいことは特にないのかニャ」
「あなたと円滑に、そして理想的な交渉ができる方法を訊ねたいわ」

 チェイサーは顔を洗い、あくびをし、体勢を変えつつまた丸くなる。扇情的な態度をとるばかりだけど、神経を逆なでする意志は多分なくて、本当にあまり関心がないというのが本音に違いない。

 あんなにガツガツとステーキをおかわりして、私の分のステーキにまで手をつけた泥棒猫だというのに、このふてぶてしさは見習ってもいいくらいだ。

「交渉したいなら、一つ条件ニャ」
「条件?」
 急にすくりと立ち上がり、こちらに向き直る。

「この世界にいる、あるものを探してほしいのニャア。もし、それを見つけることができたのなら、元の世界に帰る道しるべを教えてやるのニャ」
「あるもの……? それを見つけ出せればいいの? それって一体どんなもの? どういう場所にあるものなの?」

 そこまでを訊ねると、またチェイサーは丸くなってしまう。
 のれんに腕押し、糠に釘、チェイサーに質問といったところか。

 全てが全てふざけている気まぐれ猫なところはあるけれど、一応は向こうの提示した条件だ。万が一、億が一でも可能性があるのなら乗るべきか。
 これで存在し得ない概念のようなものだったら引っぱたいてやるけど。

 おそらく、何かを探してほしいというのも本音で、その何かがこの世界の何処かにあるというのもウソではないのだと思う。
 少なくとも、その発言をするまでは真剣な眼差しをしていたし。

 肝心のソレが何であるかを答えないのはどういう了見なのだろう。
 もう一度問い訊ねようともしてみたが、驚くべきことにチェイサーは既に寝入ってしまっていた。なんということだろう。図々しさの極みだ。

 よほどベッドの上が心地よいと見た。
 毛布を剥いでしまおうとも考えたが、この状況でチェイサーの機嫌を損ねることのリスクを考慮したらそれもできなかった。

 というか、完全にベッドを自分のものにしている。
 やはりというべきなのか、今夜、私はソファの方で寝るしかなさそうだ。
 一緒に寝ることは難しい。私もそこまで寝相は良くないし。

 それに何より、このメス猫と添い寝することが精神的にもキツいのも本音だ。
 何のことないように言葉を交わしているように思えるが、恐ろしく恐ろしい。
 相手は妖怪か、怪異か、物の怪か。得体の知れない存在だ。

 例えそのようなことがないという保証があったとしても、傍にいることで魂を吸い取られてしまったり、頭からバリバリむしゃむしゃ食べられてしまったり、どんなことをされるのか分かったものではない。

 もしもチェイサーに未知なる道なるものを見る力がなかったとしたら、こんな部屋にもいられるわけがない。可能な限りの距離を置いておきたい。
 でも、私にとってチェイサーは唯一の希望。この猫又はいつまた気まぐれでいなくなるかも分からないのだから、目の届く範囲にいることが賢明だ。

 ああ。ああ。ああ。

 今、この瞬間の私の脱力感が分かるだろうか。
 もう間もなく家に帰れるかもしれないという微かな希望と、もう間もなく怪物の胃袋の中に収まるかもしれないという絶望が隣り合わせのこの状況。

 元の世界に帰れる条件を突きつけられておきながらも、その肝心の条件の中身を一切教えてもらえないというこの状況。

 はたして、チェイサーが求めているものとは、どんなものなのだろう。
 願わくば、とてつもなくくだらないものであってほしい。
 ねこじゃらしとかその辺りで。

 しかし、あのチェイサーがわざわざ真剣に持ちかけてきた条件だ。
 かぐや姫のごとく、無茶振りに等しい無理難題のような気がしてならない。
 この世界において、剣術も魔術も会得していない、しがない探偵でしかない私にとって、この世界にある何かを探すことは、その時点でもう困難を極める。

 こんな異世界で、探偵風情に何ができるというのか。

 だのに、この白猫ときたら何とお気楽な寝顔を晒すことか。
 可愛らしく、愛らしい、その無防備な表情の裏側を垣間見ている身としては、ますます脳みそのしわが捻れて拗れるばかり。

 今日という日はまた長かった。
 全身から力が抜けていくかのよう。
 そろそろ物事を考えることさえも怠くなってきた。

 私は、結局しょうがなくソファに腰を下ろし、ブランケットを羽織る。
 そのまま横になったら、あたかも身体が隅から隅まで溶けてしまっていくような、そんな感覚に襲われた。

 こうして朝を迎えたら元の世界に戻っていないだろうか。
 確か、昨日の夜もそんなことを考えていたような気がする。
 それで朝を迎えて、異世界という現実は離れてはくれなかったけど。

 明日はどうしたものだろうね。
 早いところチェイサーの言う探し物を探さなきゃ。
 何のヒントもなかったら、ファイド刑事のいるギルドの拠点に行かなきゃ。

 自由に行動できるような気がしないけれども、ファイド刑事にもああいう条件を突きつけられている以上、私は従うしかない。
 まさかファイド刑事もそこまで白状とは思いたくはないのだけれど、私が反抗するならば私の処刑を見逃す選択肢が掻き消えていくのも時間の問題か。

 ああ、憂鬱。なんて憂鬱。
 この、超悪戯好きの白い猫さえ。
 このチェイサーさえ協力的だったらこんなことにはならなかっただろうに。

 私は、途方もないネガティブに打ちひしがれながらも、ブランケットを頭までグッと被り、疲労と眠気を混ぜ込んで意識を飛ばすことにした。
 嫌みな猫が夢の中にまで現れないことをただただ祈りながら。


次のエピソードへ進む 第22話 あなたのせいで、謎が増える


みんなのリアクション

「おかえりニャ」
 今、この瞬間の私の脱力感が分かるだろうか。
 ファイド刑事さんとも別れて、一旦あの窮屈な空間からも解放されて、ようやくして高級ホテルの最高クラスの部屋に戻ってきた、このタイミングでだ。
 食堂で唐突に消えてしまったチェイサーと次に会えるのはいつになるだろう。もし会うことができたなら今度こそ元の世界に帰る手段を教えてほしい。
 そんなことを考えていた、そのタイミングでだ。
「帰ってたの、チェイサーちゃん」
 いつからそこにいたのかは定かではないにしても、すっかり自分のテリトリーとしているつもりなのか、ベッドの上で丸くなり、尻尾もモフモフとくつろいでいるチェイサーの姿がそこにあった。
 チェイサーさえ協力的であれば、私は直ぐにでも元の世界に帰ることができる。
 ファイド刑事さんには悪いけれど、監視下に置かれながらの生活は望んでいるものではない。今帰れるなら今帰りたいくらいなのだ。
「食後のデザートはいかがだったかニャ」
 もしかしなくとも食堂の呪い事件のことを言っているのだろうか。だとすると、あまりおいしいものではなかったことだけは確かだ。
 口から血をゲロゲロと吐き出す光景が目に焼き付いてまだ吐き気がする。
「別に姿を消すことはなかったんじゃないの?」
「酒のない席にチェイサーは不要だと思ったまでニャ」
 特に悪びれる様子もない。心の底からどうでもよく、そして関わり合いにもなりたくなかったという意思表示の現れとも見える。猫からしてみれば、知らない誰かが呪いでのたうちまわる姿なんて見たくないだろうし。
「あの場所で何が起こるのか察知したみたいにいなくなったけど」
「血の臭いには敏感だからニャア」
 確かに、血のしたたるステーキ肉を豪快に食べていただけに説得力はある。その理屈でいうと逃げる理由という意味では説得力は皆無なのだけれども。
 逆に、興奮して血を吐き散らかす被害者に噛みつきそうなくらい。
「ところでルック。訊きたいことは特にないのかニャ」
「あなたと円滑に、そして理想的な交渉ができる方法を訊ねたいわ」
 チェイサーは顔を洗い、あくびをし、体勢を変えつつまた丸くなる。扇情的な態度をとるばかりだけど、神経を逆なでする意志は多分なくて、本当にあまり関心がないというのが本音に違いない。
 あんなにガツガツとステーキをおかわりして、私の分のステーキにまで手をつけた泥棒猫だというのに、このふてぶてしさは見習ってもいいくらいだ。
「交渉したいなら、一つ条件ニャ」
「条件?」
 急にすくりと立ち上がり、こちらに向き直る。
「この世界にいる、あるものを探してほしいのニャア。もし、それを見つけることができたのなら、元の世界に帰る道しるべを教えてやるのニャ」
「あるもの……? それを見つけ出せればいいの? それって一体どんなもの? どういう場所にあるものなの?」
 そこまでを訊ねると、またチェイサーは丸くなってしまう。
 のれんに腕押し、糠に釘、チェイサーに質問といったところか。
 全てが全てふざけている気まぐれ猫なところはあるけれど、一応は向こうの提示した条件だ。万が一、億が一でも可能性があるのなら乗るべきか。
 これで存在し得ない概念のようなものだったら引っぱたいてやるけど。
 おそらく、何かを探してほしいというのも本音で、その何かがこの世界の何処かにあるというのもウソではないのだと思う。
 少なくとも、その発言をするまでは真剣な眼差しをしていたし。
 肝心のソレが何であるかを答えないのはどういう了見なのだろう。
 もう一度問い訊ねようともしてみたが、驚くべきことにチェイサーは既に寝入ってしまっていた。なんということだろう。図々しさの極みだ。
 よほどベッドの上が心地よいと見た。
 毛布を剥いでしまおうとも考えたが、この状況でチェイサーの機嫌を損ねることのリスクを考慮したらそれもできなかった。
 というか、完全にベッドを自分のものにしている。
 やはりというべきなのか、今夜、私はソファの方で寝るしかなさそうだ。
 一緒に寝ることは難しい。私もそこまで寝相は良くないし。
 それに何より、このメス猫と添い寝することが精神的にもキツいのも本音だ。
 何のことないように言葉を交わしているように思えるが、恐ろしく恐ろしい。
 相手は妖怪か、怪異か、物の怪か。得体の知れない存在だ。
 例えそのようなことがないという保証があったとしても、傍にいることで魂を吸い取られてしまったり、頭からバリバリむしゃむしゃ食べられてしまったり、どんなことをされるのか分かったものではない。
 もしもチェイサーに未知なる道なるものを見る力がなかったとしたら、こんな部屋にもいられるわけがない。可能な限りの距離を置いておきたい。
 でも、私にとってチェイサーは唯一の希望。この猫又はいつまた気まぐれでいなくなるかも分からないのだから、目の届く範囲にいることが賢明だ。
 ああ。ああ。ああ。
 今、この瞬間の私の脱力感が分かるだろうか。
 もう間もなく家に帰れるかもしれないという微かな希望と、もう間もなく怪物の胃袋の中に収まるかもしれないという絶望が隣り合わせのこの状況。
 元の世界に帰れる条件を突きつけられておきながらも、その肝心の条件の中身を一切教えてもらえないというこの状況。
 はたして、チェイサーが求めているものとは、どんなものなのだろう。
 願わくば、とてつもなくくだらないものであってほしい。
 ねこじゃらしとかその辺りで。
 しかし、あのチェイサーがわざわざ真剣に持ちかけてきた条件だ。
 かぐや姫のごとく、無茶振りに等しい無理難題のような気がしてならない。
 この世界において、剣術も魔術も会得していない、しがない探偵でしかない私にとって、この世界にある何かを探すことは、その時点でもう困難を極める。
 こんな異世界で、探偵風情に何ができるというのか。
 だのに、この白猫ときたら何とお気楽な寝顔を晒すことか。
 可愛らしく、愛らしい、その無防備な表情の裏側を垣間見ている身としては、ますます脳みそのしわが捻れて拗れるばかり。
 今日という日はまた長かった。
 全身から力が抜けていくかのよう。
 そろそろ物事を考えることさえも怠くなってきた。
 私は、結局しょうがなくソファに腰を下ろし、ブランケットを羽織る。
 そのまま横になったら、あたかも身体が隅から隅まで溶けてしまっていくような、そんな感覚に襲われた。
 こうして朝を迎えたら元の世界に戻っていないだろうか。
 確か、昨日の夜もそんなことを考えていたような気がする。
 それで朝を迎えて、異世界という現実は離れてはくれなかったけど。
 明日はどうしたものだろうね。
 早いところチェイサーの言う探し物を探さなきゃ。
 何のヒントもなかったら、ファイド刑事のいるギルドの拠点に行かなきゃ。
 自由に行動できるような気がしないけれども、ファイド刑事にもああいう条件を突きつけられている以上、私は従うしかない。
 まさかファイド刑事もそこまで白状とは思いたくはないのだけれど、私が反抗するならば私の処刑を見逃す選択肢が掻き消えていくのも時間の問題か。
 ああ、憂鬱。なんて憂鬱。
 この、超悪戯好きの白い猫さえ。
 このチェイサーさえ協力的だったらこんなことにはならなかっただろうに。
 私は、途方もないネガティブに打ちひしがれながらも、ブランケットを頭までグッと被り、疲労と眠気を混ぜ込んで意識を飛ばすことにした。
 嫌みな猫が夢の中にまで現れないことをただただ祈りながら。