上手な笑い方
ー/ー 転校して数日が過ぎた。
転校の多い私は、十五歳ながらも色々と変わった人々を見てきた。
生まれて一度も散髪をした事のない男子や、極端に潔癖症なのに、誰も見ていないところで鼻をほじっていた女子など。
今回の中学で、クラスメイトで変わった特徴を持った生徒は見受けられず、ホッとしたような、がっかりしたような気分でいたある日、校庭で不自然な男子生徒を見つけた。
私は、教室の窓から花壇を見つめながら、転校初日に友人となった織絵に問いかける。
「あの、花壇の前で野球のグローブを付けてる人、なにやってるの?」
私が問うと、織絵は『さぁ、分からない』と首を捻る。
どうやら、この学園で有名な変わり者や名物キャラではないようだ。
「花壇の前にいる割には、花が好きそうに見えないよね。花に背を向けて、花を見ようとしてないし」
「花も、元気がないように見えるしね」
「えっ! 織絵はそこまで見えるの? ここからだと花の状態なんて分からないよ」
「視力検査なんて、簡単にクリアできるのだよ、私は」
と、胸を張って勝ち誇る。
「視力が良くても、成績があれだと親は喜ばないと思うけど」
「うるさい、黙れ。勉強をしてないからこの視力を保持できるんだ。とママに開き直ったら、その月はお小遣いを減らされた」
「そんな性格の親なら『次のテストで良い点をとったらお小遣いを上げて』て交渉したら受けるんじゃない?」
「そっか! それはありそう。ありがとう、友香。ナイス助言」
「その交渉がうまくいっても、テストで良い点をとれないと無意味だけどね」
「大丈夫、私には良い家庭教師がいるから」
と、織絵が私を見つめるから、私は視線を逸らした。
「なに、ただで教えてもらおうだなんて図々しいことは思ってないよ。代わりに、私があの男子生徒の謎を調べてあげる」
その条件を飲んだつもりはないが、返答を聞かずに織絵は違う生徒の元に移動してしまった。
私に拒否権はないらしい。
よく言えば積極的。悪く言えば強引な性格だから転校初日に友人になれたんだろうなと苦笑いを浮かべていると、織絵はクラスで私とあまり面識のない三森さんを連れて来た。
「三森さんが、あの生徒のことを知ってるんだって」
そう紹介された三森さんは、困った感じで私を見つめているので、強引に連れられてきたんだなと同情しつつ私の方から話しかける。
「あの男性と、友達なの?」
花壇の前に立つ生徒を指差し、問う。
「友達ではなく、部活仲間って感じです。私、野球部のマネージャーだから」
野球のグローブを付けているので、彼が野球部だと言われて驚きや意外性はなく、寧ろ納得がいった。
「で、なんで彼だけがあんなところに追いやられてるの? もしかして、落ちこぼれ? だとしても、あんなところに追いやったらイジメに思えるんだけど」
「それが、分からないんです」
私が質問をしているのに、私以上に状況を把握できていないように、三森さんが困惑している。
「黒崎君は……あっ、黒崎広樹が彼の名前なんですけど、黒崎君は一年の後半でレギュラーを取って、野球部の主軸だったんです。なのに、二週間前に突然部を辞めてしまって、それから朝と放課後は花壇の前で、ああやって立ってるようになったんです」
「部内で揉め事があったとか?」
「それはないと思います。うちは強豪ではないし、強さよりも仲の良さが売りみたいなチームだから。その中でも黒崎君は温厚な方だったし」
チームの主軸を任されていた彼が、どうして部を辞め、花壇の前で未練がましくグローブを着けているのか。私はその理由が気になって仕方がなかった。
◇
俺が一年の時、先輩達は凄い一年が入ってきたと驚いていた。
足が速く、肩も強い上にミート力が高い。
入部してすぐにレギュラーになっても、誰も不満を言わないほどの実力を俺は持っていた。
その時の先輩達の気持ちがどんなものだったのか、俺は今、身を持って味わっている。
また、金属と硬球がぶつかる心地良い音が聞こえる。
俺達が打っても、こんなに良い音を残しボールが飛んで行ったりしない。この音は俺達のような非力なものでは出すことの出来ないスラッガーの音だ。
先週、時期外れながらも入部してきた一年の石丸は、守備は素人レベルだが、バッティングは桁違いの力を持っていた。
俺のようにミート力が高いわけではないが、遠くに飛ばす力だけなら県でもトップクラスだろう。
「黒崎、お前を見た時も思ったが、奴もうちでは勿体無いな」
「いや、俺ぐらいの選手は強豪校に行ったら何人もいますよ。ただ、石丸ほどパワーを持ってる奴は少ないと思う」
「まぁ、石丸の場合は、うちみたいな弱小校以外だったら、まずは徹底的に守備練習をさせられるだろうな」
「高校野球には指名打者がありませんからね」
などと、三年の先輩と石丸を評していると、一際鋭い打球が放物線を描き飛んでいった。
「これも、場外ホームランだな」
「ですね」
「次は誰だ」
「あっ、俺だ」
特に野球部に力を入れてないので、野球部の練習場はそれほど大きくない。今まではそれでも支障がなかったが、石丸が入ってからは打球が場外に飛び出してしまうケースが多くなった。
その度に、ボールを拾いに部員が走らなくてはならない。その順番は五十音順になっており、今回は俺の番だった。
談笑しながらも打球の飛んだ方向はしっかりと見ていたので、迷わずに花壇のある方に向かい走った。流し打つとサッカー部の練習場に飛んで行くが、引っ張ると花壇の方に飛んで行く。
石丸は典型的なプルヒッター……引っ張り型なのでほとんどが花壇の方に飛んでいく。
花壇に辿り着くと、一人の女生徒がうずくまり、小刻みに震えていた。
どうやら、泣いているようだ。
まずい! 打球が身体のどこかに当たり怪我を負わせてしまったのだろうか? プロ野球でもファールボールが観客に当たり失明した事例がある。
大丈夫ですか?
そう声をかけながら近寄れば最善だと分かっているが、気が動転して上手く言葉が出ず、俺は何も声をかけられずに女生徒の近くに駆け寄った。
どこか怪我をしている箇所がないか、出血などしていないか女生徒を覗き見ると、女生徒は潰れた黄色い花を手に乗せ泣いていた。
すぐ近くに、ボールが転がっている。
「あの……ごめん……その花……飛んできたボールが原因?」
罪悪感から、まともな言葉が出てこない。
それでも、女生徒は無理に笑顔を作り俺にこう告げた。
「ここに来てくれたのが、あなたのような人で良かった」
「どういうこと?」
「この子が潰れてしまったとき、凄く悲しくて、涙が止まらなかったんです。でも、あなたは心から申し訳ないと思い、謝ってくれた。それだけで、凄く救われた気がするんです」
「でも、その花はもう……なんていうか、治せないだろ。どんなに申し訳ないと思い謝っても、取り返しがつかない」
「悪意があってやったことではないのだから、これは事故です。それに、この子が綺麗にここで咲いていたのを私が覚えてますし、あなたもこの子がここで咲いていたと過去形だけれど知ってくれた。それだけで、この子は幸せです」
女生徒は、黄色い花を土の上にゆっくりと置く。
俺はその姿を、神聖なる儀式を見るようにボッーと眺めていた。
実際、ボールを飛ばしたのは俺ではないので、俺には何も非がない。なのに、そんな考えが浮かばなくなるほど、女生徒の姿や振る舞いは神聖で、心の底から懺悔したくなる気分になる。
「この子の事を、これからも覚えていてくれたら嬉しいです。けれど、この子の事であなたが気に病む必要はないですよ」
とは言っても、はい、そうですかと開き直れるほど俺は神経が図太くない。
「私の顔を見てください」
女生徒が、俺を見つめ願う。
まじまじと顔を見ていなかったが、しっかりと顔を見るとなかなか綺麗な顔をしている。色素が薄い感じがするが、それがなんとなく彼女のイメージに合っている感じがした。
可愛いより、美人タイプかな? でも、少し幼い感じもする。
「私はまだ子供で幼稚なんで、感情が上手くコントロール出来ないんです。嬉しかったら笑うし、悲しかったらすぐに泣いてしまう。さっきは凄く悲しかったから涙が止まらなくなっちゃって」
と、彼女は恥ずかしそうに笑う。
「私は今、笑ってます。だから、あなたは気に病む必要はありません」
物静かな彼女の口調は、口調とは裏腹に力強さがあった。
そんな彼女の口調、態度に俺は一瞬にして惹かれていた。
翌日、俺は野球部の練習場ではなく、花壇に足を進めていた。
「あっ」
彼女は、俺の姿を見て軽く驚きの声を漏らす。
「こんにちは」
なんと声を掛けて良いか分からない俺は、取り敢えず挨拶だけしてみる。
「こんにちは」
彼女は、にっこりと笑い挨拶を返してくれる。
ウザがられるのではと危惧していたので、笑顔で挨拶を返してくれただけで心が充分に満たされる。
「今日は、どうしたんですか? 今日はまだ、こっちの方にボールは飛んできてませんよ」
「飛んで来てからじゃ、遅いから」
「えっ?」
彼女は、まったく意味が分からないと訴えるように疑問符を口にする。
「飛んで来たボールを、俺がここでキャッチする」
そう言って、はめているグローブを力強く叩く。
「野球部は?」
「辞めてきた」
「そんな、もったいない」
「もったいないって言えるほど、俺は上手くないからね。それよりも、花を守ってやるほうが大切だって、昨日の君を見ていて感じたんだ」
本当は、花よりも彼女の笑顔を守りたい。花を駄目にして彼女を悲しませたくないのだが、そんな臭い台詞を言えるほど俺は気障ではなかった。
「無茶苦茶です」
そう言いながら、彼女は可笑しそうに屈託なく笑った。
その笑顔が見られただけで、俺の選択は間違っていなかったと確信が持てた。
それからの一週間、俺は石丸が大飛球を飛ばすたびにボールをキャッチし、彼女から『ナイスキャッチ』と賛辞を貰い続けた。
特に進展はないけれど、穏やかな時間。
そんな時間がとても幸せで、無理に進展させるのに恐怖を感じていた。
進展させようとしたら、良い意味でも、悪い意味でも今のままではいられない。
何より、俺は彼女に惹かれているのだが、心のどこかで『良い意味での進展』さえも望まないようになっていた。
恋人同士になりラブラブな関係になるより、この穏やかな時間が長く続いてくれればいいと望んでいる心があり、自身の心がよく分からなくなっている。
「アドレスを交換しませんか?」
そう切り出したのは、意外にも俺の方からではなく彼女の方からだった。
なんとなく、俺は彼女と花壇の前で会っている時間に至福を覚えるようになっていた。
アドレスを交換してやり取りをしたら、そんな穏やか時間が崩れてしまう気がして、俺は思わず彼女からのありがたい誘いを保留という形で断ってしまった。
その日の別れ際、彼女は俺に問う。
「黒崎君は、花が好きですか?」
俺は、彼女と一緒の時間を共有しているうちに、花が好きになっていた。花に詳しくないから育てたりするのは無理だけれど、花を愛でるのは好きになっていた。
その思いを彼女に伝えると、彼女は『良かったです』と微笑み、俺達は別れた。
いつもは『また、明日』と言って別れるのに、その日の最後の言葉は『良かったです』で終わってしまった。
翌日、彼女は花壇に現れず、数日後、彼女が転校したと知った。
◇
三ヶ月ぶりにやってきたけれど、たった三ヶ月なので町並みは何一つ変わっていなかった。
たった三ヶ月……けれど、自分にとってはとても長い三ヶ月だった。
来ようと思えばもっと早く来れたのだけれど、踏ん切りがつかずに三ヶ月の時が過ぎていた。
振られたわけではないが、受け入れても貰えなかった。
同年代の子と比べてかなり奥手だと分かっている私にとって、転校前にアドレスの交換を頼んだのは、一世一代の告白だった。
転校した後も、黒崎君との関係を続けたかった。
関係を続けるのにもっとも適しているのがスマホでのやりとりだと思ったから、思い切ってアドレスの交換を頼んだけれど、交換できないまま終わってしまったので、転校してから一度も黒崎君と連絡が取れていない。
いきなり現われたら、黒崎君は驚いてくれるだろうか?
それとも、迷惑だと思われるだろうか?
期待と不安を胸に花壇に向かう。
校内に入っても、私はこの学校の制服を着てきているので変な目で見られずに済んでいる。逆に、私のことを知っている生徒が見たら、私を変な目で見ただろう。
転校した子が、どうしてここにいるのか? とか、よく似ている子がいるなとか。
花壇には、綺麗な花が咲き誇っていた。
ちゃんと、毎日手入れされていると一目で分かるほど、花が活き活きしている。
「花が、好きなんですか?」
花を眺めていると、女生徒が私に話しかけてきた。
「あなたは?」
「私は、三ヶ月ぐらい前からこの花を世話してるんです」
私が転校した後、黒崎君ではなくこの子が花の世話をしていたのか。
私以外に世話をする人がいないから、黒崎君にこの子達を託したけれど、まったく知らない子が世話をしていたのか。
「まだまだ未熟なんで、ちゃんと育ってくれてるか分からないけど」
と彼女は笑うが、この子達はしっかりと幸せそうに育っている。
しばらく、花を眺めていた。
私がアドレスの交換なんて要求したから、黒崎君は気まずくなって花壇に来なくなってしまったのだろうか?
気が着くと、彼女の横には『織絵』という友人が立っていた。
「今日は、黒崎君来ないの?」
織絵さんから出た名前に、私は驚き言葉をなくす。
「さっき、メールがあった。そろそろ来るって」
そっか、黒崎君はこの子にはアドレスを教えたのか。
これ以上ここにいても辛くなるだけだと判断した私は、彼女達に軽く声をかけてから帰ろうと思った。
帰ろうと思ったのに、タイミング悪く、最も聞きたくて、最も聞くのが辛い声が聞こえる。
「悪い、友香! 遅れた」
走って現れた黒崎君は、彼女に謝ってから私の存在に気付き、目を見開いて私を見つめた。
「久し振り、黒崎君」
そう、私は微笑む。
私はまだ子供で幼稚なんで、感情が上手くコントロール出来ないけれど、果たして、私は上手く笑えているだろうか?
了
転校の多い私は、十五歳ながらも色々と変わった人々を見てきた。
生まれて一度も散髪をした事のない男子や、極端に潔癖症なのに、誰も見ていないところで鼻をほじっていた女子など。
今回の中学で、クラスメイトで変わった特徴を持った生徒は見受けられず、ホッとしたような、がっかりしたような気分でいたある日、校庭で不自然な男子生徒を見つけた。
私は、教室の窓から花壇を見つめながら、転校初日に友人となった織絵に問いかける。
「あの、花壇の前で野球のグローブを付けてる人、なにやってるの?」
私が問うと、織絵は『さぁ、分からない』と首を捻る。
どうやら、この学園で有名な変わり者や名物キャラではないようだ。
「花壇の前にいる割には、花が好きそうに見えないよね。花に背を向けて、花を見ようとしてないし」
「花も、元気がないように見えるしね」
「えっ! 織絵はそこまで見えるの? ここからだと花の状態なんて分からないよ」
「視力検査なんて、簡単にクリアできるのだよ、私は」
と、胸を張って勝ち誇る。
「視力が良くても、成績があれだと親は喜ばないと思うけど」
「うるさい、黙れ。勉強をしてないからこの視力を保持できるんだ。とママに開き直ったら、その月はお小遣いを減らされた」
「そんな性格の親なら『次のテストで良い点をとったらお小遣いを上げて』て交渉したら受けるんじゃない?」
「そっか! それはありそう。ありがとう、友香。ナイス助言」
「その交渉がうまくいっても、テストで良い点をとれないと無意味だけどね」
「大丈夫、私には良い家庭教師がいるから」
と、織絵が私を見つめるから、私は視線を逸らした。
「なに、ただで教えてもらおうだなんて図々しいことは思ってないよ。代わりに、私があの男子生徒の謎を調べてあげる」
その条件を飲んだつもりはないが、返答を聞かずに織絵は違う生徒の元に移動してしまった。
私に拒否権はないらしい。
よく言えば積極的。悪く言えば強引な性格だから転校初日に友人になれたんだろうなと苦笑いを浮かべていると、織絵はクラスで私とあまり面識のない三森さんを連れて来た。
「三森さんが、あの生徒のことを知ってるんだって」
そう紹介された三森さんは、困った感じで私を見つめているので、強引に連れられてきたんだなと同情しつつ私の方から話しかける。
「あの男性と、友達なの?」
花壇の前に立つ生徒を指差し、問う。
「友達ではなく、部活仲間って感じです。私、野球部のマネージャーだから」
野球のグローブを付けているので、彼が野球部だと言われて驚きや意外性はなく、寧ろ納得がいった。
「で、なんで彼だけがあんなところに追いやられてるの? もしかして、落ちこぼれ? だとしても、あんなところに追いやったらイジメに思えるんだけど」
「それが、分からないんです」
私が質問をしているのに、私以上に状況を把握できていないように、三森さんが困惑している。
「黒崎君は……あっ、黒崎広樹が彼の名前なんですけど、黒崎君は一年の後半でレギュラーを取って、野球部の主軸だったんです。なのに、二週間前に突然部を辞めてしまって、それから朝と放課後は花壇の前で、ああやって立ってるようになったんです」
「部内で揉め事があったとか?」
「それはないと思います。うちは強豪ではないし、強さよりも仲の良さが売りみたいなチームだから。その中でも黒崎君は温厚な方だったし」
チームの主軸を任されていた彼が、どうして部を辞め、花壇の前で未練がましくグローブを着けているのか。私はその理由が気になって仕方がなかった。
◇
俺が一年の時、先輩達は凄い一年が入ってきたと驚いていた。
足が速く、肩も強い上にミート力が高い。
入部してすぐにレギュラーになっても、誰も不満を言わないほどの実力を俺は持っていた。
その時の先輩達の気持ちがどんなものだったのか、俺は今、身を持って味わっている。
また、金属と硬球がぶつかる心地良い音が聞こえる。
俺達が打っても、こんなに良い音を残しボールが飛んで行ったりしない。この音は俺達のような非力なものでは出すことの出来ないスラッガーの音だ。
先週、時期外れながらも入部してきた一年の石丸は、守備は素人レベルだが、バッティングは桁違いの力を持っていた。
俺のようにミート力が高いわけではないが、遠くに飛ばす力だけなら県でもトップクラスだろう。
「黒崎、お前を見た時も思ったが、奴もうちでは勿体無いな」
「いや、俺ぐらいの選手は強豪校に行ったら何人もいますよ。ただ、石丸ほどパワーを持ってる奴は少ないと思う」
「まぁ、石丸の場合は、うちみたいな弱小校以外だったら、まずは徹底的に守備練習をさせられるだろうな」
「高校野球には指名打者がありませんからね」
などと、三年の先輩と石丸を評していると、一際鋭い打球が放物線を描き飛んでいった。
「これも、場外ホームランだな」
「ですね」
「次は誰だ」
「あっ、俺だ」
特に野球部に力を入れてないので、野球部の練習場はそれほど大きくない。今まではそれでも支障がなかったが、石丸が入ってからは打球が場外に飛び出してしまうケースが多くなった。
その度に、ボールを拾いに部員が走らなくてはならない。その順番は五十音順になっており、今回は俺の番だった。
談笑しながらも打球の飛んだ方向はしっかりと見ていたので、迷わずに花壇のある方に向かい走った。流し打つとサッカー部の練習場に飛んで行くが、引っ張ると花壇の方に飛んで行く。
石丸は典型的なプルヒッター……引っ張り型なのでほとんどが花壇の方に飛んでいく。
花壇に辿り着くと、一人の女生徒がうずくまり、小刻みに震えていた。
どうやら、泣いているようだ。
まずい! 打球が身体のどこかに当たり怪我を負わせてしまったのだろうか? プロ野球でもファールボールが観客に当たり失明した事例がある。
大丈夫ですか?
そう声をかけながら近寄れば最善だと分かっているが、気が動転して上手く言葉が出ず、俺は何も声をかけられずに女生徒の近くに駆け寄った。
どこか怪我をしている箇所がないか、出血などしていないか女生徒を覗き見ると、女生徒は潰れた黄色い花を手に乗せ泣いていた。
すぐ近くに、ボールが転がっている。
「あの……ごめん……その花……飛んできたボールが原因?」
罪悪感から、まともな言葉が出てこない。
それでも、女生徒は無理に笑顔を作り俺にこう告げた。
「ここに来てくれたのが、あなたのような人で良かった」
「どういうこと?」
「この子が潰れてしまったとき、凄く悲しくて、涙が止まらなかったんです。でも、あなたは心から申し訳ないと思い、謝ってくれた。それだけで、凄く救われた気がするんです」
「でも、その花はもう……なんていうか、治せないだろ。どんなに申し訳ないと思い謝っても、取り返しがつかない」
「悪意があってやったことではないのだから、これは事故です。それに、この子が綺麗にここで咲いていたのを私が覚えてますし、あなたもこの子がここで咲いていたと過去形だけれど知ってくれた。それだけで、この子は幸せです」
女生徒は、黄色い花を土の上にゆっくりと置く。
俺はその姿を、神聖なる儀式を見るようにボッーと眺めていた。
実際、ボールを飛ばしたのは俺ではないので、俺には何も非がない。なのに、そんな考えが浮かばなくなるほど、女生徒の姿や振る舞いは神聖で、心の底から懺悔したくなる気分になる。
「この子の事を、これからも覚えていてくれたら嬉しいです。けれど、この子の事であなたが気に病む必要はないですよ」
とは言っても、はい、そうですかと開き直れるほど俺は神経が図太くない。
「私の顔を見てください」
女生徒が、俺を見つめ願う。
まじまじと顔を見ていなかったが、しっかりと顔を見るとなかなか綺麗な顔をしている。色素が薄い感じがするが、それがなんとなく彼女のイメージに合っている感じがした。
可愛いより、美人タイプかな? でも、少し幼い感じもする。
「私はまだ子供で幼稚なんで、感情が上手くコントロール出来ないんです。嬉しかったら笑うし、悲しかったらすぐに泣いてしまう。さっきは凄く悲しかったから涙が止まらなくなっちゃって」
と、彼女は恥ずかしそうに笑う。
「私は今、笑ってます。だから、あなたは気に病む必要はありません」
物静かな彼女の口調は、口調とは裏腹に力強さがあった。
そんな彼女の口調、態度に俺は一瞬にして惹かれていた。
翌日、俺は野球部の練習場ではなく、花壇に足を進めていた。
「あっ」
彼女は、俺の姿を見て軽く驚きの声を漏らす。
「こんにちは」
なんと声を掛けて良いか分からない俺は、取り敢えず挨拶だけしてみる。
「こんにちは」
彼女は、にっこりと笑い挨拶を返してくれる。
ウザがられるのではと危惧していたので、笑顔で挨拶を返してくれただけで心が充分に満たされる。
「今日は、どうしたんですか? 今日はまだ、こっちの方にボールは飛んできてませんよ」
「飛んで来てからじゃ、遅いから」
「えっ?」
彼女は、まったく意味が分からないと訴えるように疑問符を口にする。
「飛んで来たボールを、俺がここでキャッチする」
そう言って、はめているグローブを力強く叩く。
「野球部は?」
「辞めてきた」
「そんな、もったいない」
「もったいないって言えるほど、俺は上手くないからね。それよりも、花を守ってやるほうが大切だって、昨日の君を見ていて感じたんだ」
本当は、花よりも彼女の笑顔を守りたい。花を駄目にして彼女を悲しませたくないのだが、そんな臭い台詞を言えるほど俺は気障ではなかった。
「無茶苦茶です」
そう言いながら、彼女は可笑しそうに屈託なく笑った。
その笑顔が見られただけで、俺の選択は間違っていなかったと確信が持てた。
それからの一週間、俺は石丸が大飛球を飛ばすたびにボールをキャッチし、彼女から『ナイスキャッチ』と賛辞を貰い続けた。
特に進展はないけれど、穏やかな時間。
そんな時間がとても幸せで、無理に進展させるのに恐怖を感じていた。
進展させようとしたら、良い意味でも、悪い意味でも今のままではいられない。
何より、俺は彼女に惹かれているのだが、心のどこかで『良い意味での進展』さえも望まないようになっていた。
恋人同士になりラブラブな関係になるより、この穏やかな時間が長く続いてくれればいいと望んでいる心があり、自身の心がよく分からなくなっている。
「アドレスを交換しませんか?」
そう切り出したのは、意外にも俺の方からではなく彼女の方からだった。
なんとなく、俺は彼女と花壇の前で会っている時間に至福を覚えるようになっていた。
アドレスを交換してやり取りをしたら、そんな穏やか時間が崩れてしまう気がして、俺は思わず彼女からのありがたい誘いを保留という形で断ってしまった。
その日の別れ際、彼女は俺に問う。
「黒崎君は、花が好きですか?」
俺は、彼女と一緒の時間を共有しているうちに、花が好きになっていた。花に詳しくないから育てたりするのは無理だけれど、花を愛でるのは好きになっていた。
その思いを彼女に伝えると、彼女は『良かったです』と微笑み、俺達は別れた。
いつもは『また、明日』と言って別れるのに、その日の最後の言葉は『良かったです』で終わってしまった。
翌日、彼女は花壇に現れず、数日後、彼女が転校したと知った。
◇
三ヶ月ぶりにやってきたけれど、たった三ヶ月なので町並みは何一つ変わっていなかった。
たった三ヶ月……けれど、自分にとってはとても長い三ヶ月だった。
来ようと思えばもっと早く来れたのだけれど、踏ん切りがつかずに三ヶ月の時が過ぎていた。
振られたわけではないが、受け入れても貰えなかった。
同年代の子と比べてかなり奥手だと分かっている私にとって、転校前にアドレスの交換を頼んだのは、一世一代の告白だった。
転校した後も、黒崎君との関係を続けたかった。
関係を続けるのにもっとも適しているのがスマホでのやりとりだと思ったから、思い切ってアドレスの交換を頼んだけれど、交換できないまま終わってしまったので、転校してから一度も黒崎君と連絡が取れていない。
いきなり現われたら、黒崎君は驚いてくれるだろうか?
それとも、迷惑だと思われるだろうか?
期待と不安を胸に花壇に向かう。
校内に入っても、私はこの学校の制服を着てきているので変な目で見られずに済んでいる。逆に、私のことを知っている生徒が見たら、私を変な目で見ただろう。
転校した子が、どうしてここにいるのか? とか、よく似ている子がいるなとか。
花壇には、綺麗な花が咲き誇っていた。
ちゃんと、毎日手入れされていると一目で分かるほど、花が活き活きしている。
「花が、好きなんですか?」
花を眺めていると、女生徒が私に話しかけてきた。
「あなたは?」
「私は、三ヶ月ぐらい前からこの花を世話してるんです」
私が転校した後、黒崎君ではなくこの子が花の世話をしていたのか。
私以外に世話をする人がいないから、黒崎君にこの子達を託したけれど、まったく知らない子が世話をしていたのか。
「まだまだ未熟なんで、ちゃんと育ってくれてるか分からないけど」
と彼女は笑うが、この子達はしっかりと幸せそうに育っている。
しばらく、花を眺めていた。
私がアドレスの交換なんて要求したから、黒崎君は気まずくなって花壇に来なくなってしまったのだろうか?
気が着くと、彼女の横には『織絵』という友人が立っていた。
「今日は、黒崎君来ないの?」
織絵さんから出た名前に、私は驚き言葉をなくす。
「さっき、メールがあった。そろそろ来るって」
そっか、黒崎君はこの子にはアドレスを教えたのか。
これ以上ここにいても辛くなるだけだと判断した私は、彼女達に軽く声をかけてから帰ろうと思った。
帰ろうと思ったのに、タイミング悪く、最も聞きたくて、最も聞くのが辛い声が聞こえる。
「悪い、友香! 遅れた」
走って現れた黒崎君は、彼女に謝ってから私の存在に気付き、目を見開いて私を見つめた。
「久し振り、黒崎君」
そう、私は微笑む。
私はまだ子供で幼稚なんで、感情が上手くコントロール出来ないけれど、果たして、私は上手く笑えているだろうか?
了
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