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◆○_△▽

ー/ー



「さ、さぁ~て、とぉ……あ、あー今日はそのぅ……えぇ久しぶりにどこか行かないかい? せっかく二人きり、なわけだし」

 ようやく暑さがまあまあ収まりを見せ、開け放したリビングの窓から十月の、(すず)やかで心地よいけど、反面少しの物悲しさみたいなのも含んだ風が柔らかく吹き込んできているものの。

「こ、心愛(ここあ)ちゃんもおふくろと何か買い物に行って、帰りにあのお気に入りの何とかっていうスイーツに行くとかで夜まで帰って来ないってことだしさ、ば、晩御飯も多分いらないんじゃあないかなぁ」

 必死だねぇ。いつもはその「心愛ちゃん」優先で動いているように感じられるけどねぇ。

 私からの返事を引き()れた変な笑顔で待っている、ここ数年で一斉撤退(いっせいてったい)を余儀なくされた(ひたい)()(ぎわ)に水か(あぶら)かその両方か分からない粒を散乱させ、かつそれらが天井からの落ち着いた暖色スポットライトの光を様々な角度に散乱させているという、大枠(おおわく)(くく)ると物悲しさにはカテゴライズされるだろうものの、涼やかさや心地よさからは完全真逆のベクトルを有した丸顔に/ハの字眉(じまゆ)に視点を合わせていると、うぅぅん、このヒトと結婚したのは何でなんだろう、という浮かばせてはいけない疑問がぷこり私の側頭葉(そくとうよう)辺りからシャボン玉のように浮き上がり、この無駄な開放感を持つ十二畳のリビングダイニングを横切って、小洒落(こじゃれ)たウォルナットの椅子の(カド)に当たって弾けた、ように感じた。

「いいけど別に。どこ行くの」

 私が寝そべっているずっしりみっしりとした黒革のソファは見た目も寝心地(ねごこち)もお気に入りだ。こういうの選ぶセンスはいいのに、こと自分のことになると残念な選択しか出来なくなり、そしてそれらが二乗三乗されていってしまうという負の連鎖でいっつも惨状を(さら)してしまう小太りの低身長の身体は今、モスグリーンの()に蛍光黄色で「Livestock(ライブストック) excrement(エクスクリメント) treatment(トリートメン) system(システム)」と目いっぱいに大書(たいしょ)された首元だるだるTシャツと(意味を調べてみたら『畜産排泄物(ちくさんはいせつぶつ)処理システム』だった。どないやねん)、何のためなのか執拗(しつよう)に「うかんむり」の漢字が勘亭流(かんていりゅう)にてびっしりと芳一(ほういち)的に書き連ねられた白いハーフパンツとに包まれ、ワックス艶々(つやつや)フローリングの上に所在なく(たたず)んでいるのだけれど。いやなんやねん。

 ヒトのことはあまり言えないけどそれでも最低限部屋着(へやぎ)としての名目(めいもく)は果たしているだろうシンプルな黒とグレーの薄手のスウェット上下でL字の長辺に体を投げ出した姿勢のまま、おなかの上で何とはなしにぽちぽちしていたスマホの画面と言うよりは、昨日塗ったネイルの仕上がり具合をブルーライトを背景にうっすら眺めていた私は、鼻から息を抜きながらもそう応えてあげる。視界の隅では、そ、そそそうだなーとか喜びを隠せていない顔で何やらタブレットで調べているようなフリをしているけど。

 何日か前から色々準備してたの知ってるんだなー、その端末、私も入れちゃうから。今どきPINに四桁しかも自分の誕生日とか設定しちゃダメでしょうよー、個人情報漏洩。ま、家庭内の平穏平和(へいおんへいわ)を維持するためには、そういうの、気づかないフリでいるのが(きち)なんだろうけど。脇が甘いのよ、文平(モンペー)くん。

 や、文平(やすなり)って読むんだよ、って初対面の時だかに言われたけれど、誰も初見じゃ読めないって。だから私はいちばん初めに頭によぎった「モンペーくん」でずっと通している。面と向かってそう呼ぶことはまあ無いけど。それより。

 仕事はわざわざ有休取って私の休みに合わせて。(いと)しの心愛ちゃんも、今日の朝から早々にばあばの所に行かせちゃって。うん、取ってつけられたような「せっかくの二人きり」。うぅんもしかしてぇ、冷えに冷え切っている私との関係をどうにかしたいとか思ってたりするのかな? それは別にいいんだけれど、全部が全部、消臭しきれないほどにわざとらしいのよねぇー。

 今日という日を選んだのも、そう。

 三年目ってことだよね? 自分は何も気づいてませんよ、みたいな顔とか素振りしてるけど、女の方が記念日とか普通に覚えているから。

 壊滅的に下手くそなサプライズ。その下手(へた)さの方が逆に驚き(サプライズ)だよねぇぇ、なんて思いつつも、実は少しだけきゅんとしている自分がいるのも感じている。下手くそであれ何であれ、こういうことが出来ちゃう男の人って、あんまり周りにはいないから。分かりやすかろうがなんだろうが、そこはあまり大した問題でもないって思っちゃえるほどには、このヒトのことが分かってきてはいるわけであって。この私には。

 と、ととととりあえずランドに行ってみようかぁ今日は水曜だし多分そこそこ()いているんじゃあないかなぁ、との白々しいことをのたまう四十間際(しじゅうまぎわ)の小太りおっさんだったけど、確かに空いてるかな。去年の夏に家族三人で行った時は土曜日だったこともあってめちゃくちゃ激混みだったし心愛ちゃんも暑さでぐったりしちゃったりで大変だったもんね。十月の今なら、気候としてはちょうどいいかも。

 よぉぉし、じゃあ行ってやりますかぁぁ。と、体を起こしつつぐいと肩甲骨(けんこうこつ)辺りを伸ばしながら、足元辺りに(ほう)ってたスリッパを突っかけると、私は(ちまた)の女性たちが費やすだろう時間の八分(はちぶん)の一くらいにて手早く身支度(みじたく)を済ませると、玄関先で何もせずただぽつり待っていた後ろ姿にお待たせぇ、とテンションを少し上げてあげつつ大袈裟に手を振ってみる。本日の私の()()ちは蛍光黄色(イエロー)よりは落ち着いて品のある華やか色感(いろかん)のレモンイエローが眩しい(ひざ)出るくらい(たけ)のワンピに黒革のごついシルエットのライダース。これでもかの甘辛(あまから)コーデで攻めてみました。年不相応(としふそうおう)とか思われちゃうかもだけど、ま、夢の国に行くんだもの、これくらいのはっちゃけかた、全然ありでしょ?

 スマホと定期入れだけを突っ込んだジルのポーチバッグはまあそれだけしか入らないくらいの低容量ではあるんだけど、雑誌付録とは思えないくらいに見た目が赤茶にぬめってて質感(しつかん)最高。夜更(よふ)かしして日付が変わると同時に瞬速の早押しにて予約したまでの甲斐はあった。と思う。どうよこの全体コーデ。分からんとは思うけ↑ど→。と、

 私を見たモンペーくんはと言うと、うぅん、さ、早希(サキ)はそういうのもすんなり着こなせるんだねぇ、い、いいねえ実にいいぃ……とかまたもこちらをも緊張させてくる緊張感を(ただよ)わせつつも、一応そんな不器用(ぶきよう)な称賛をしてくれるのだけれども。うぅん、もうちょっとすんなり言ってくれればいいのにねぇ。でも久しぶりの名前呼び。またちょっと嬉しい私がいる。

 それよりもその焦げ茶色と灰色の中間色みたいな、もさっとしたジャケットはどうにかならんもんかな……うへへ、今日の()がけに心愛ちゃんがわざわざパパに選んでくれたんだぁ、とか喜んでいるけど、そもそも着るもののまともな選択肢ってのが無いしなぁ……うぅぅんまあいいかもうそこは。

 夢の国の景観を(けが)さないことを祈りつつ、イチョウがほんのり黄色づいてきた駅までの大通りを二人並んで歩く。いろいろまくし立ててくる横からの必死感ただよう声には曖昧な返事をしつつ、なんか久々の開放感みたいなのに浮きだつ気持ちはうまく抑えきれてないかも。だって透き通るような黄緑と黄色の完璧なグラデーションを見せるこの時期の葉の色に視界上半分(うえはんぶん)くらいを覆われてたらねぇ。なっちゃうでしょ。それにこんな日常感ありきの非日常感を味わえるなんて思ってもみなかったわけだし、そこは感謝してるとこはある。と少し緩んだ口元のまま隣に目線をずらしたら、この涼しさの中でも玉の如き汗を並べておる上気した巨顔(きょがん)にぶつかってしまってせっかくの清々(スガスガ)しさが足元からガスガスと瓦解(がかい)していってしまうような、そんな前言撤回(ぜんげんてっかい)感が日常(いつも)通り漂ってきたところで私は今の数秒間の出来事を無かったかのように真顔でリセットすると、改札へのエスカレータに()を踏み出していく。

 運良く隣同士で座れた京葉線にて一路、舞浜……夢の国へ。

 まあ言うて、そこそこの混み具合だった。外国人旅行客ハンパなぁい。あっるぇ~()いてる予想出てたんだけどなぁああ……なんて隣で驚き嘆く声が(かす)れ漏れ出てくるけど、その脇の甘さも相変わらずハンパないわ。

 ファストパスを駆使して、人、人、人が群れなす園内を縦横無尽(じゅうおうむじん)に、なおかつ効率最優先で闊歩(かっぽ)する。まあ、まったくのガラ()きだったらそこまでありがたみは無かったかもだし、そこそこ回りたいところは全部回れたりで良かったとは思うんだけど、それより何より隣のヒトの緊張感が時間経つほどに否応(いやおう)増してくるのがビリビリとこちらまで伝わってくることの方が凄いわけで。

 ここまでサプライズを仕掛けるのが下手な人もいないんじゃないの? とか思いつつも私はもう気にせず目の前のアトラクションを思う存分楽しむことに集中するって決めてるわけで。時刻はそんなこんなであっさり六時。空の上の方から、薄暗闇(うすくらやみ)が降りてきて、辺りはそれに覆いかぶさられるように包まれ始めている。

 ば、晩めしはどうしようか、ってまた唐突に聞かれたけど「晩めし」は無いだろどこだと思ってんだ。それにあちこちでポップコーンやらティポトルタやらいなりチキンドッグとかをのべつまくなしで食べてるからそんなにおなかは減ってないし。て言うか予約とかしてないんだね、レストランとか。そこでその、いろいろ調べてた私へのプレゼント? を渡されるのかなとか思ってたけど。違うのかぁ……大丈夫かなぁ、諸々の段取り……とか、私が心配することじゃないにしろ、不安感はフアンフアンとプロペラのように私らの頭上で回転しているようでもあり。いやいや、詮無(せんな)いことを考えている場合じゃない。

 それよりも最重要案件、あと三十分くらいでパレードでしょうよ、場所取りしないでどうすんの。と、すっかりここの空気感に浮かれ上がった私は、行くよ、と頭の中に叩き込んできた穴場を目指して、その丸まった大きな背中を押して急ぐ。

 大きな樹がその屋根よりも高く囲む、とある屋外(やがい)トイレ前の、白い縁石花壇(えんせきかだん)の上。ほんとは登ったらダメなんだけど、パレードの間だけは見逃してくれる、みたい……運もあるらしいけど。進行ルートの周りにはもうかなりの人垣が出来ていて、低身長の私らの視界はそのままじゃあ下半分以上が覆われちゃっているけれど、その「足場」のひと区画に何とか二人して、きつきつだったけど乗っかることが出来たわけで。

 うん、いい感じ。前に連なる人たちの頭の上に目線が上がったから、パレードの全容がたぶん邪魔されずにばんと視界に入るだろうし、手ぇ振ったら応えてくれる率も、きっと(たか)しと見た。

 へぇぇえ、ここからだと本当、ちょうどいいなぁ……と、少し息を弾ませながら辺りを見回す丸い横顔の、輝かせた少年のような瞳はなんか少し笑えた。でもそうやって目線を……物理的にも、意識的にも、私の高さにすっと合わせてくれるところは……普段は随所(ずいしょ)に見せてしまうキョドいわざとらしさ無しで、こういう時にだけ自然にやってのけるところは、割と好きなところ、かも知れない。いや分からんけど。

 不安定な足場だから、自然と並んで体同士をくっつけてしまう。十二色(じゅうにしょく)の絵の具を使い尽くした後の筆洗いの中の水みたいな色をした、ごわごわな質感のジャケットの背中辺りを左手で掴むと、分厚い生地を内側から果敢(かかん)に突き抜けてきたような結構なしっとり感があったけれど、構わず握りしめた。私のレザージャケットの右肩にも、優しく乗せられた感触と湿った温かさが感じられてくる。

「……」

 しばらく無言でそうしていた。相変わらずの緊張からなのか、触れているところが徐々にガチガチに感じられてもくるんですけど。もぉう、落ち着いてってば。と、

「も、ももももう三年になるね」

 辺りのざわざわに、かき消されそうなほどの小声で、心配になるほどのぎこちない切り出し方で言うけど。まあもう知ってるよ、今日が三年目だってことは。

「こ、ここここれ三周年のプレゼント。ぼ、ぼぼ僕と心愛ちゃんとで選んだんだけど」

 ここで渡すんだ。それより、もうっ……自分で選んだって言えばいいのに。でも、ずっとポケットに入れてたのか、これまたしっとりして温かい()()のビロード小箱を開けてみたら、中には綺麗なピンクゴールドのイヤリング。あれ、タブレットで調べてた子供っぽい(がら)の腕時計と違う。それはちょっとの驚き(サプライズ)。気が変わってどっかのお店で買ったりしたのかな。でも、

 ハートを波が包んでいるようなデザイン。いいセンス。またも自分以外のものに発揮されるやつが炸裂したねぇ、とか、無理やり頭の中でそんな事を考えて気を()らしながら、少しの間、街灯(ライト)の光に色々な角度で当てつつ眺めていたら、見とれていたら。

「き、ききキミは、ぼ、ぼぼ僕のところに来て、し、幸せかい?」

 笑っちゃいそうになるほどの、英語の教科書みたいな構文調。何だかなぁ。でもそんな風にストレートに聞かれるとは思わなかったので、何て答えていいか逆に戸惑う。戸惑いながらも、聞いてくれたことが嬉しい自分は、やっぱりいるのだけれど。

「うん、まあそこそこ」

 でも口から(すべ)り出るのはそんな言葉だ。でも……そんな私のソルティーな反応(リアクション)にも、そっかー、そこそこってことはまずまずだなぁーとか喜んじゃうそのヒトは、

「……」

 やっぱり私にとっても、大切な人なわけであって。

「ねえ、それより……」

 これがいい機会かも。いつまでも(かたく)ななままでなんて、いいわけないもんね。私は少し緊張しながらも、さりげなく言葉を(つむ)ぎ出していく。

「パレード終わったら、トルバでソフト買ってよね、お父さん」

 う、ううううううん、ももももちろんさー、と、かなり上擦(うわず)った声でそう返事をすると、私の方から顔を()らして、あれぇまだかなーとか言いながらパレードが来る方へとその歪んだ顔を(そむ)けちゃうけど。やだ泣かないで? 夢の国だよ?

 ……この三年間、他人の私を大切に育ててくれてありがとう。

 面と向かっては「ねぇ」とか「あのさ」とかしか呼びかけられなかったけど、心の中では「モンペーくん」、だけじゃなくて、たまには「パパ」って呼んでたんだからね。

 でも、

 私もこの三年でとっくに「二分(にぶん)(いち)成人式」も終えた大人の仲間。これからは大人っぽく「お父さん」って呼ぶことに決めたの。

 いいでしょ? 私のお父さん。……これからも、よろしくね。

 歓声にいきなり体の全部が包まれた気がした。背伸びをしてみたら、お父さんの(さび)しくなった頭頂部(とうちょうぶ)の髪の毛を通して、光の行列がやって来たのが、はるか遠くに見えてくる。

(終)




みんなのリアクション

「さ、さぁ~て、とぉ……あ、あー今日はそのぅ……えぇ久しぶりにどこか行かないかい? せっかく二人きり、なわけだし」
 ようやく暑さがまあまあ収まりを見せ、開け放したリビングの窓から十月の、|涼《すず》やかで心地よいけど、反面少しの物悲しさみたいなのも含んだ風が柔らかく吹き込んできているものの。
「こ、|心愛《ここあ》ちゃんもおふくろと何か買い物に行って、帰りにあのお気に入りの何とかっていうスイーツに行くとかで夜まで帰って来ないってことだしさ、ば、晩御飯も多分いらないんじゃあないかなぁ」
 必死だねぇ。いつもはその「心愛ちゃん」優先で動いているように感じられるけどねぇ。
 私からの返事を引き|攣《つ》れた変な笑顔で待っている、ここ数年で|一斉撤退《いっせいてったい》を余儀なくされた|額《ひたい》の|生《は》え|際《ぎわ》に水か|脂《あぶら》かその両方か分からない粒を散乱させ、かつそれらが天井からの落ち着いた暖色スポットライトの光を様々な角度に散乱させているという、|大枠《おおわく》で|括《くく》ると物悲しさにはカテゴライズされるだろうものの、涼やかさや心地よさからは完全真逆のベクトルを有した丸顔に/ハの|字眉《じまゆ》に視点を合わせていると、うぅぅん、このヒトと結婚したのは何でなんだろう、という浮かばせてはいけない疑問がぷこり私の|側頭葉《そくとうよう》辺りからシャボン玉のように浮き上がり、この無駄な開放感を持つ十二畳のリビングダイニングを横切って、|小洒落《こじゃれ》たウォルナットの椅子の|角《カド》に当たって弾けた、ように感じた。
「いいけど別に。どこ行くの」
 私が寝そべっているずっしりみっしりとした黒革のソファは見た目も|寝心地《ねごこち》もお気に入りだ。こういうの選ぶセンスはいいのに、こと自分のことになると残念な選択しか出来なくなり、そしてそれらが二乗三乗されていってしまうという負の連鎖でいっつも惨状を|晒《さら》してしまう小太りの低身長の身体は今、モスグリーンの|地《じ》に蛍光黄色で「|Livestock《ライブストック》 |excrement《エクスクリメント》 |treatment《トリートメン》 |system《システム》」と目いっぱいに|大書《たいしょ》された首元だるだるTシャツと(意味を調べてみたら『|畜産排泄物《ちくさんはいせつぶつ》処理システム』だった。どないやねん)、何のためなのか|執拗《しつよう》に「うかんむり」の漢字が|勘亭流《かんていりゅう》にてびっしりと|芳一《ほういち》的に書き連ねられた白いハーフパンツとに包まれ、ワックス|艶々《つやつや》フローリングの上に所在なく|佇《たたず》んでいるのだけれど。いやなんやねん。
 ヒトのことはあまり言えないけどそれでも最低限|部屋着《へやぎ》としての|名目《めいもく》は果たしているだろうシンプルな黒とグレーの薄手のスウェット上下でL字の長辺に体を投げ出した姿勢のまま、おなかの上で何とはなしにぽちぽちしていたスマホの画面と言うよりは、昨日塗ったネイルの仕上がり具合をブルーライトを背景にうっすら眺めていた私は、鼻から息を抜きながらもそう応えてあげる。視界の隅では、そ、そそそうだなーとか喜びを隠せていない顔で何やらタブレットで調べているようなフリをしているけど。
 何日か前から色々準備してたの知ってるんだなー、その端末、私も入れちゃうから。今どきPINに四桁しかも自分の誕生日とか設定しちゃダメでしょうよー、個人情報漏洩。ま、家庭内の|平穏平和《へいおんへいわ》を維持するためには、そういうの、気づかないフリでいるのが|吉《きち》なんだろうけど。脇が甘いのよ、|文平《モンペー》くん。
 や、|文平《やすなり》って読むんだよ、って初対面の時だかに言われたけれど、誰も初見じゃ読めないって。だから私はいちばん初めに頭によぎった「モンペーくん」でずっと通している。面と向かってそう呼ぶことはまあ無いけど。それより。
 仕事はわざわざ有休取って私の休みに合わせて。|愛《いと》しの心愛ちゃんも、今日の朝から早々にばあばの所に行かせちゃって。うん、取ってつけられたような「せっかくの二人きり」。うぅんもしかしてぇ、冷えに冷え切っている私との関係をどうにかしたいとか思ってたりするのかな? それは別にいいんだけれど、全部が全部、消臭しきれないほどにわざとらしいのよねぇー。
 今日という日を選んだのも、そう。
 三年目ってことだよね? 自分は何も気づいてませんよ、みたいな顔とか素振りしてるけど、女の方が記念日とか普通に覚えているから。
 壊滅的に下手くそなサプライズ。その|下手《へた》さの方が逆に|驚き《サプライズ》だよねぇぇ、なんて思いつつも、実は少しだけきゅんとしている自分がいるのも感じている。下手くそであれ何であれ、こういうことが出来ちゃう男の人って、あんまり周りにはいないから。分かりやすかろうがなんだろうが、そこはあまり大した問題でもないって思っちゃえるほどには、このヒトのことが分かってきてはいるわけであって。この私には。
 と、ととととりあえずランドに行ってみようかぁ今日は水曜だし多分そこそこ|空《す》いているんじゃあないかなぁ、との白々しいことをのたまう|四十間際《しじゅうまぎわ》の小太りおっさんだったけど、確かに空いてるかな。去年の夏に家族三人で行った時は土曜日だったこともあってめちゃくちゃ激混みだったし心愛ちゃんも暑さでぐったりしちゃったりで大変だったもんね。十月の今なら、気候としてはちょうどいいかも。
 よぉぉし、じゃあ行ってやりますかぁぁ。と、体を起こしつつぐいと|肩甲骨《けんこうこつ》辺りを伸ばしながら、足元辺りに|放《ほう》ってたスリッパを突っかけると、私は|巷《ちまた》の女性たちが費やすだろう時間の|八分《はちぶん》の一くらいにて手早く|身支度《みじたく》を済ませると、玄関先で何もせずただぽつり待っていた後ろ姿にお待たせぇ、とテンションを少し上げてあげつつ大袈裟に手を振ってみる。本日の私の|出《い》で|立《た》ちは蛍光|黄色《イエロー》よりは落ち着いて品のある華やか|色感《いろかん》のレモンイエローが眩しい|膝《ひざ》出るくらい|丈《たけ》のワンピに黒革のごついシルエットのライダース。これでもかの|甘辛《あまから》コーデで攻めてみました。|年不相応《としふそうおう》とか思われちゃうかもだけど、ま、夢の国に行くんだもの、これくらいのはっちゃけかた、全然ありでしょ?
 スマホと定期入れだけを突っ込んだジルのポーチバッグはまあそれだけしか入らないくらいの低容量ではあるんだけど、雑誌付録とは思えないくらいに見た目が赤茶にぬめってて|質感《しつかん》最高。|夜更《よふ》かしして日付が変わると同時に瞬速の早押しにて予約したまでの甲斐はあった。と思う。どうよこの全体コーデ。分からんとは思うけ↑ど→。と、
 私を見たモンペーくんはと言うと、うぅん、さ、|早希《サキ》はそういうのもすんなり着こなせるんだねぇ、い、いいねえ実にいいぃ……とかまたもこちらをも緊張させてくる緊張感を|漂《ただよ》わせつつも、一応そんな|不器用《ぶきよう》な称賛をしてくれるのだけれども。うぅん、もうちょっとすんなり言ってくれればいいのにねぇ。でも久しぶりの名前呼び。またちょっと嬉しい私がいる。
 それよりもその焦げ茶色と灰色の中間色みたいな、もさっとしたジャケットはどうにかならんもんかな……うへへ、今日の|出《で》がけに心愛ちゃんがわざわざパパに選んでくれたんだぁ、とか喜んでいるけど、そもそも着るもののまともな選択肢ってのが無いしなぁ……うぅぅんまあいいかもうそこは。
 夢の国の景観を|汚《けが》さないことを祈りつつ、イチョウがほんのり黄色づいてきた駅までの大通りを二人並んで歩く。いろいろまくし立ててくる横からの必死感ただよう声には曖昧な返事をしつつ、なんか久々の開放感みたいなのに浮きだつ気持ちはうまく抑えきれてないかも。だって透き通るような黄緑と黄色の完璧なグラデーションを見せるこの時期の葉の色に視界|上半分《うえはんぶん》くらいを覆われてたらねぇ。なっちゃうでしょ。それにこんな日常感ありきの非日常感を味わえるなんて思ってもみなかったわけだし、そこは感謝してるとこはある。と少し緩んだ口元のまま隣に目線をずらしたら、この涼しさの中でも玉の如き汗を並べておる上気した|巨顔《きょがん》にぶつかってしまってせっかくの|清々《スガスガ》しさが足元からガスガスと|瓦解《がかい》していってしまうような、そんな|前言撤回《ぜんげんてっかい》感が|日常《いつも》通り漂ってきたところで私は今の数秒間の出来事を無かったかのように真顔でリセットすると、改札へのエスカレータに|歩《ほ》を踏み出していく。
 運良く隣同士で座れた京葉線にて一路、舞浜……夢の国へ。
 まあ言うて、そこそこの混み具合だった。外国人旅行客ハンパなぁい。あっるぇ~|空《す》いてる予想出てたんだけどなぁああ……なんて隣で驚き嘆く声が|掠《かす》れ漏れ出てくるけど、その脇の甘さも相変わらずハンパないわ。
 ファストパスを駆使して、人、人、人が群れなす園内を|縦横無尽《じゅうおうむじん》に、なおかつ効率最優先で|闊歩《かっぽ》する。まあ、まったくのガラ|空《す》きだったらそこまでありがたみは無かったかもだし、そこそこ回りたいところは全部回れたりで良かったとは思うんだけど、それより何より隣のヒトの緊張感が時間経つほどに|否応《いやおう》増してくるのがビリビリとこちらまで伝わってくることの方が凄いわけで。
 ここまでサプライズを仕掛けるのが下手な人もいないんじゃないの? とか思いつつも私はもう気にせず目の前のアトラクションを思う存分楽しむことに集中するって決めてるわけで。時刻はそんなこんなであっさり六時。空の上の方から、|薄暗闇《うすくらやみ》が降りてきて、辺りはそれに覆いかぶさられるように包まれ始めている。
 ば、晩めしはどうしようか、ってまた唐突に聞かれたけど「晩めし」は無いだろどこだと思ってんだ。それにあちこちでポップコーンやらティポトルタやらいなりチキンドッグとかをのべつまくなしで食べてるからそんなにおなかは減ってないし。て言うか予約とかしてないんだね、レストランとか。そこでその、いろいろ調べてた私へのプレゼント? を渡されるのかなとか思ってたけど。違うのかぁ……大丈夫かなぁ、諸々の段取り……とか、私が心配することじゃないにしろ、不安感はフアンフアンとプロペラのように私らの頭上で回転しているようでもあり。いやいや、|詮無《せんな》いことを考えている場合じゃない。
 それよりも最重要案件、あと三十分くらいでパレードでしょうよ、場所取りしないでどうすんの。と、すっかりここの空気感に浮かれ上がった私は、行くよ、と頭の中に叩き込んできた穴場を目指して、その丸まった大きな背中を押して急ぐ。
 大きな樹がその屋根よりも高く囲む、とある|屋外《やがい》トイレ前の、白い|縁石花壇《えんせきかだん》の上。ほんとは登ったらダメなんだけど、パレードの間だけは見逃してくれる、みたい……運もあるらしいけど。進行ルートの周りにはもうかなりの人垣が出来ていて、低身長の私らの視界はそのままじゃあ下半分以上が覆われちゃっているけれど、その「足場」のひと区画に何とか二人して、きつきつだったけど乗っかることが出来たわけで。
 うん、いい感じ。前に連なる人たちの頭の上に目線が上がったから、パレードの全容がたぶん邪魔されずにばんと視界に入るだろうし、手ぇ振ったら応えてくれる率も、きっと|高《たか》しと見た。
 へぇぇえ、ここからだと本当、ちょうどいいなぁ……と、少し息を弾ませながら辺りを見回す丸い横顔の、輝かせた少年のような瞳はなんか少し笑えた。でもそうやって目線を……物理的にも、意識的にも、私の高さにすっと合わせてくれるところは……普段は|随所《ずいしょ》に見せてしまうキョドいわざとらしさ無しで、こういう時にだけ自然にやってのけるところは、割と好きなところ、かも知れない。いや分からんけど。
 不安定な足場だから、自然と並んで体同士をくっつけてしまう。|十二色《じゅうにしょく》の絵の具を使い尽くした後の筆洗いの中の水みたいな色をした、ごわごわな質感のジャケットの背中辺りを左手で掴むと、分厚い生地を内側から|果敢《かかん》に突き抜けてきたような結構なしっとり感があったけれど、構わず握りしめた。私のレザージャケットの右肩にも、優しく乗せられた感触と湿った温かさが感じられてくる。
「……」
 しばらく無言でそうしていた。相変わらずの緊張からなのか、触れているところが徐々にガチガチに感じられてもくるんですけど。もぉう、落ち着いてってば。と、
「も、ももももう三年になるね」
 辺りのざわざわに、かき消されそうなほどの小声で、心配になるほどのぎこちない切り出し方で言うけど。まあもう知ってるよ、今日が三年目だってことは。
「こ、ここここれ三周年のプレゼント。ぼ、ぼぼ僕と心愛ちゃんとで選んだんだけど」
 ここで渡すんだ。それより、もうっ……自分で選んだって言えばいいのに。でも、ずっとポケットに入れてたのか、これまたしっとりして温かい|剥《む》き|身《み》のビロード小箱を開けてみたら、中には綺麗なピンクゴールドのイヤリング。あれ、タブレットで調べてた子供っぽい|柄《がら》の腕時計と違う。それはちょっとの|驚き《サプライズ》。気が変わってどっかのお店で買ったりしたのかな。でも、
 ハートを波が包んでいるようなデザイン。いいセンス。またも自分以外のものに発揮されるやつが炸裂したねぇ、とか、無理やり頭の中でそんな事を考えて気を|逸《そ》らしながら、少しの間、|街灯《ライト》の光に色々な角度で当てつつ眺めていたら、見とれていたら。
「き、ききキミは、ぼ、ぼぼ僕のところに来て、し、幸せかい?」
 笑っちゃいそうになるほどの、英語の教科書みたいな構文調。何だかなぁ。でもそんな風にストレートに聞かれるとは思わなかったので、何て答えていいか逆に戸惑う。戸惑いながらも、聞いてくれたことが嬉しい自分は、やっぱりいるのだけれど。
「うん、まあそこそこ」
 でも口から|滑《すべ》り出るのはそんな言葉だ。でも……そんな私のソルティーな|反応《リアクション》にも、そっかー、そこそこってことはまずまずだなぁーとか喜んじゃうそのヒトは、
「……」
 やっぱり私にとっても、大切な人なわけであって。
「ねえ、それより……」
 これがいい機会かも。いつまでも|頑《かたく》ななままでなんて、いいわけないもんね。私は少し緊張しながらも、さりげなく言葉を|紡《つむ》ぎ出していく。
「パレード終わったら、トルバでソフト買ってよね、お父さん」
 う、ううううううん、ももももちろんさー、と、かなり|上擦《うわず》った声でそう返事をすると、私の方から顔を|逸《そ》らして、あれぇまだかなーとか言いながらパレードが来る方へとその歪んだ顔を|背《そむ》けちゃうけど。やだ泣かないで? 夢の国だよ?
 ……この三年間、他人の私を大切に育ててくれてありがとう。
 面と向かっては「ねぇ」とか「あのさ」とかしか呼びかけられなかったけど、心の中では「モンペーくん」、だけじゃなくて、たまには「パパ」って呼んでたんだからね。
 でも、
 私もこの三年でとっくに「|二分《にぶん》の|一《いち》成人式」も終えた大人の仲間。これからは大人っぽく「お父さん」って呼ぶことに決めたの。
 いいでしょ? 私のお父さん。……これからも、よろしくね。
 歓声にいきなり体の全部が包まれた気がした。背伸びをしてみたら、お父さんの|寂《さび》しくなった|頭頂部《とうちょうぶ》の髪の毛を通して、光の行列がやって来たのが、はるか遠くに見えてくる。
(終)


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