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(十二)

ー/ー



 秋の夜は長い。もうすぐ満ちる月の下、史進から中秋の宴の誘いを受けてひどく喜んだ少華山の三頭領は、十杯ほどの酒を飲み干すまで、王四を離そうとしなかった。
 (なんとも気持ちの良い夜だが、さっさと帰って、旦那さまに返書を届けなくてはな)
 赤らんだ顔に吹き付ける夜風はそよとして、懐で硬質な音をたてる銀子の重さもまた心地よい。
 祖父から三代、黙々と史家に仕えてきた王四の日常は、節制を続けるだけの至極単調なものだった。
 どこで米がいくらとれたとか、どこぞの家の誰が結婚するから贈り物がいくら必要だとか、そんな細々とした計算をただ繰り返し、史家の台所を守る日々。
 三人の兄はそれぞれ武芸の腕がたったから、先代の旦那の口添えで街に出て行った。だが、自分は帳簿をつけることしか能のない男だった。ほかに何も取柄はなく、史家の使用人をやめれば最後、大した稼ぎを得られるはずもなかった。
 だが、少華山の山賊どもと出会ってから、王四の日常は少しばかり変わった。
 無頼に憧れる若き主が彼らと親交を持ったおかげで、山寨との行き来を任された王四の懐には、これまでの倍の銀子が転がり込むようになった。
 そして、国の各地から集まった男たちと交わるうち、今まで王四の知らなかった世界との繋がりすらできるようになっていた。
 (あの頭が空っぽな坊やも、いい加減、少しは大人になったろう)
 懐にしまい込んだ銀子を握りしめ、王四は思う。
 山賊どもとのやり取りで得た銀子は、こんな田舎を捨て、残り少ない余生を自分のためにだけ使えるくらいには貯まっている。
 史家には使用人が大勢いるのだし、自分一人がいなくなったとて、何を困ることがある? これまで散々迷惑をかけられ、散々に面倒を見てやったのだ。もうそろそろ、好きにさせてもらってもいい頃だろう――
 「あれ、王四さんじゃないか!」
 山道の途中でやおらに声をかけてきた男は、いつも史家の屋敷に贈り物を運んでくる子分の一人だった。陽気な髭面からは、離れていても分かるほどぷんぷんと酒の匂いが漂ってくる。
 「なあ、久しぶりじゃないか。少し飲んで行かないかい? もちろん、俺たちのおごりさ」
 彼の指さす先には、少華山の手の者が営んでいるのであろう酒屋の灯りが揺れている。この男は、かつて西京河南府(さいけいかなんふ)で商売をやっていたらしい。
 「では、お言葉に甘えて少しだけ」
 へらりと笑った王四の頭からは、面倒ごとばかり起こす若き主の顔はすっかり消え去っていた。

 秋の夜は長い。日の出ている時間などあっという間に過ぎ去るのに、獲物は一向に姿を見せない。
 山賊どもから姿を隠すように夜な夜な山の裾野を駆け回っては、なんとか獲物を探す李吉に、村の者たちは冷たい。あの武芸しか能のない史家の若造だけでなく、いまや村中の者が度胸のない奴と己を馬鹿にしているのだ。
 「ハッ、獣たちだって山賊どもに怯えてるのさ、俺だけじゃないさね」
 細い目を精一杯ぎょろぎょろと光らせながら、李吉はおっかなびっくり辺りを見回す。雲間から不規則にそそぐ月明りにいくら目を凝らしても、獣の気配は見当たらない。
 「ちぇ、今日も手ぶらかぃ」
 大げさに肩を落とし、こうなれば腹いせにどこかの間抜けの家から少しばかりの小粒をくすねて一杯やろうかと諦めたその時。
 草が擦れるような音が、確かに聞こえた。
 「い、今頃になって出てきやがった!」
 随分と重たい音だったから、もしかすると猪か、それとも……人間か。村の者ならばいいが、山賊野郎だったら命を取られるかもわからない。それでもなんとか獲物を仕留めたい一心の李吉は、どうにか己を叱咤し、音の聞こえた林の中へと分け入っていく。
 「……なんだ、史大郎のところの王四の爺じゃねえかぃ。何をこんなとこで寝ているんだか」
 こわごわと闇の中を見つめているうち、大きな音をあげた張本人が草っぱらで大の字になっていることに気付く。肩透かしをくらった李吉は悪態をつきながらその人影に近づいた。
 「ったく、気持ち良く酔っぱらいやがってよぅ。こちとら酒を飲む金さえありゃしねぇ……ん? こりゃあ……!」
 気に食わない野郎と言えど、一応は見知った人間とあれば声をかけねばなるまいと、王四の体に手をかけた李吉は、彼の胴巻から何か光るものが覗いているのに気が付いた。それは、自分のような貧乏猟師など、一生かかっても手にできないような量の銀子だった。
 「ひぃ、こいつぁ、運がいい! この野郎、使用人のくせに、どこからこんな大金をくすねてきたんだぃ、え?」
 涎さえ垂らしそうな勢いで、李吉は王四の胴巻を剥がしにかかる。こんなに幸せそうな顔で寝こけているのだ、きっとこの中にはたんまりと銀子を隠しこんでいるに違いない。どうせなら全部くすねて明日は隣まちの賭場に行き、この儲けをさらに倍にしてやろう――
 「……なんだ、こりゃあ?」
 小粒の一つも逃すまいと丹念に胴巻を振っていると、銀子のほかに、なにやら文のようなものがかさりと零れ落ちる。
 常ならば金目のもの以外にはまったく気も取られない李吉だったが、今宵ばかりは、何故かこの文にやたらと気が引かれた。多少は字を読める故、表に書かれた神経質そうな文字が「九紋龍史進殿」と綴っていたことに気が付いたからかもしれない。
 
 ――それが偶然の出来心であったのか、宿命であったのか、今となっては誰一人知る者はない。
 
 李吉のがさついた指先が、するりと王四の文を開く。書き連ねられた細かい文字をすべて理解することはできなかったが、猟師の鋭くずる賢い小さな眼の中にはすぐに、その字が滑りこんできた。
 「少華山の朱武、陳達、楊春より史家村の史進殿へ? おいおい、なんだぃ、こりゃあ……!」
 月明かりを当てて何度眺めても、見間違いなどではない。この文は、山賊どもから史家の若造へ宛てられたものだ。李吉は間抜け面で寝こける王四の顔をもう一度覗き込み、唇を舐めた。乾いて逆立った薄皮が、舌の先を掠める。
 「へっ……へへ、とんでもねぇもんを見つけちまったよぅ。こないだ易者のやつが、今年こそ俺に大金が転がり込むとか抜かしていたが、まさかこんなこととは思わなかったね」
 王四がまったく起きる気配もないことを再三確かめると、李吉は静かに山賊の文を懐へ滑りこませた。
 「けっ、史大郎のくそがきめ、いつだか俺が丘乙郎を探していったときには盗みの下見じゃないかとぬかしやがったが、なんだ、自分こそ盗人どもと仲良くしていやがったんじゃないかぃ。さぁて、しみったれた猟師家業とも、今日でおさらばさね……」
 音もなく山を駆け下りた李吉は、まっすぐに華陰県の衙門を目指してひた走った。意気地なしの役人どもが、少華山の三頭領の首にかけたは三千貫――それがすべて李吉のものになるのは、もうすぐだ。



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 秋の夜は長い。もうすぐ満ちる月の下、史進から中秋の宴の誘いを受けてひどく喜んだ少華山の三頭領は、十杯ほどの酒を飲み干すまで、王四を離そうとしなかった。
 (なんとも気持ちの良い夜だが、さっさと帰って、旦那さまに返書を届けなくてはな)
 赤らんだ顔に吹き付ける夜風はそよとして、懐で硬質な音をたてる銀子の重さもまた心地よい。
 祖父から三代、黙々と史家に仕えてきた王四の日常は、節制を続けるだけの至極単調なものだった。
 どこで米がいくらとれたとか、どこぞの家の誰が結婚するから贈り物がいくら必要だとか、そんな細々とした計算をただ繰り返し、史家の台所を守る日々。
 三人の兄はそれぞれ武芸の腕がたったから、先代の旦那の口添えで街に出て行った。だが、自分は帳簿をつけることしか能のない男だった。ほかに何も取柄はなく、史家の使用人をやめれば最後、大した稼ぎを得られるはずもなかった。
 だが、少華山の山賊どもと出会ってから、王四の日常は少しばかり変わった。
 無頼に憧れる若き主が彼らと親交を持ったおかげで、山寨との行き来を任された王四の懐には、これまでの倍の銀子が転がり込むようになった。
 そして、国の各地から集まった男たちと交わるうち、今まで王四の知らなかった世界との繋がりすらできるようになっていた。
 (あの頭が空っぽな坊やも、いい加減、少しは大人になったろう)
 懐にしまい込んだ銀子を握りしめ、王四は思う。
 山賊どもとのやり取りで得た銀子は、こんな田舎を捨て、残り少ない余生を自分のためにだけ使えるくらいには貯まっている。
 史家には使用人が大勢いるのだし、自分一人がいなくなったとて、何を困ることがある? これまで散々迷惑をかけられ、散々に面倒を見てやったのだ。もうそろそろ、好きにさせてもらってもいい頃だろう――
 「あれ、王四さんじゃないか!」
 山道の途中でやおらに声をかけてきた男は、いつも史家の屋敷に贈り物を運んでくる子分の一人だった。陽気な髭面からは、離れていても分かるほどぷんぷんと酒の匂いが漂ってくる。
 「なあ、久しぶりじゃないか。少し飲んで行かないかい? もちろん、俺たちのおごりさ」
 彼の指さす先には、少華山の手の者が営んでいるのであろう酒屋の灯りが揺れている。この男は、かつて|西京河南府《さいけいかなんふ》で商売をやっていたらしい。
 「では、お言葉に甘えて少しだけ」
 へらりと笑った王四の頭からは、面倒ごとばかり起こす若き主の顔はすっかり消え去っていた。
 秋の夜は長い。日の出ている時間などあっという間に過ぎ去るのに、獲物は一向に姿を見せない。
 山賊どもから姿を隠すように夜な夜な山の裾野を駆け回っては、なんとか獲物を探す李吉に、村の者たちは冷たい。あの武芸しか能のない史家の若造だけでなく、いまや村中の者が度胸のない奴と己を馬鹿にしているのだ。
 「ハッ、獣たちだって山賊どもに怯えてるのさ、俺だけじゃないさね」
 細い目を精一杯ぎょろぎょろと光らせながら、李吉はおっかなびっくり辺りを見回す。雲間から不規則にそそぐ月明りにいくら目を凝らしても、獣の気配は見当たらない。
 「ちぇ、今日も手ぶらかぃ」
 大げさに肩を落とし、こうなれば腹いせにどこかの間抜けの家から少しばかりの小粒をくすねて一杯やろうかと諦めたその時。
 草が擦れるような音が、確かに聞こえた。
 「い、今頃になって出てきやがった!」
 随分と重たい音だったから、もしかすると猪か、それとも……人間か。村の者ならばいいが、山賊野郎だったら命を取られるかもわからない。それでもなんとか獲物を仕留めたい一心の李吉は、どうにか己を叱咤し、音の聞こえた林の中へと分け入っていく。
 「……なんだ、史大郎のところの王四の爺じゃねえかぃ。何をこんなとこで寝ているんだか」
 こわごわと闇の中を見つめているうち、大きな音をあげた張本人が草っぱらで大の字になっていることに気付く。肩透かしをくらった李吉は悪態をつきながらその人影に近づいた。
 「ったく、気持ち良く酔っぱらいやがってよぅ。こちとら酒を飲む金さえありゃしねぇ……ん? こりゃあ……!」
 気に食わない野郎と言えど、一応は見知った人間とあれば声をかけねばなるまいと、王四の体に手をかけた李吉は、彼の胴巻から何か光るものが覗いているのに気が付いた。それは、自分のような貧乏猟師など、一生かかっても手にできないような量の銀子だった。
 「ひぃ、こいつぁ、運がいい! この野郎、使用人のくせに、どこからこんな大金をくすねてきたんだぃ、え?」
 涎さえ垂らしそうな勢いで、李吉は王四の胴巻を剥がしにかかる。こんなに幸せそうな顔で寝こけているのだ、きっとこの中にはたんまりと銀子を隠しこんでいるに違いない。どうせなら全部くすねて明日は隣まちの賭場に行き、この儲けをさらに倍にしてやろう――
 「……なんだ、こりゃあ?」
 小粒の一つも逃すまいと丹念に胴巻を振っていると、銀子のほかに、なにやら文のようなものがかさりと零れ落ちる。
 常ならば金目のもの以外にはまったく気も取られない李吉だったが、今宵ばかりは、何故かこの文にやたらと気が引かれた。多少は字を読める故、表に書かれた神経質そうな文字が「九紋龍史進殿」と綴っていたことに気が付いたからかもしれない。
 ――それが偶然の出来心であったのか、宿命であったのか、今となっては誰一人知る者はない。
 李吉のがさついた指先が、するりと王四の文を開く。書き連ねられた細かい文字をすべて理解することはできなかったが、猟師の鋭くずる賢い小さな眼の中にはすぐに、その字が滑りこんできた。
 「少華山の朱武、陳達、楊春より史家村の史進殿へ? おいおい、なんだぃ、こりゃあ……!」
 月明かりを当てて何度眺めても、見間違いなどではない。この文は、山賊どもから史家の若造へ宛てられたものだ。李吉は間抜け面で寝こける王四の顔をもう一度覗き込み、唇を舐めた。乾いて逆立った薄皮が、舌の先を掠める。
 「へっ……へへ、とんでもねぇもんを見つけちまったよぅ。こないだ易者のやつが、今年こそ俺に大金が転がり込むとか抜かしていたが、まさかこんなこととは思わなかったね」
 王四がまったく起きる気配もないことを再三確かめると、李吉は静かに山賊の文を懐へ滑りこませた。
 「けっ、史大郎のくそがきめ、いつだか俺が丘乙郎を探していったときには盗みの下見じゃないかとぬかしやがったが、なんだ、自分こそ盗人どもと仲良くしていやがったんじゃないかぃ。さぁて、しみったれた猟師家業とも、今日でおさらばさね……」
 音もなく山を駆け下りた李吉は、まっすぐに華陰県の衙門を目指してひた走った。意気地なしの役人どもが、少華山の三頭領の首にかけたは三千貫――それがすべて李吉のものになるのは、もうすぐだ。