甲高く調子外れな歌声を二人分引き連れて、道士姿の賊は暮らし慣れた山寨の広間へとなだれ込んだ。
彼の頬もまた陽気に赤らみ、ここの所の険しい顔つきが嘘のように眉間の皺が消えている。
「兄貴ぃ、史進とこの酒は、うまかったなぁ」
「俺はぁ、酒を注いでくれたお嬢さんが、かわいかったと思った!」
「なんだ、楊春はああいう女が好みか! ははは!」
すっかり史進と意気投合した少華山の三頭領は、飲んで食っての愉快な宴を繰り広げ、名残惜しげに引きとめる史進に手を振りようやく史家村を後にする頃には、もはや空の端が白みはじめていた。
何もかもがおかしくなって笑い転げながら山寨に帰ってきた頭領たちの姿に子分たちは驚き、ただ死ぬつもりでふもとへと向かった兄貴たちが全員五体満足で帰ってきた奇跡に首をかしげるのだった。
「はあ、まったく……まったく」
羽扇を半ば振り回すように揺らしながら、朱武は大王の座にどかりと座る。
いったい、こんなにも愉快な夜を迎えたのは幾日ぶりだったろう。それもひとえに、あの気持ちの良い若者のおかげに他ならない。すっかり羽目をはずして広間の床を転がりまわる弟たちも、寨に帰る道すがら、しきりに史進を誉めそやしていた。
「泣き落としのようにはなったが、あんな策でも取らなければ、今頃俺たち三人の首が衙門の軒先にぶら下がっていたところだ」
「良かったぜ、俺の首はまだ、体と離れたくないって言ってるからな」
「そもそもは、達兄が武兄の言うことを聞かなかったからさ」
「だぁから、悪かったって。その話はもうよしてくれよ。でも、おかげであんなにうまい酒を飲めて、好漢を知ることもできたじゃねえか」
「そのとおり」
軽口を言い合う兄弟たちを羽扇で指しながら、朱武は何度も深く頷く。
「田舎の粋がった若造かと思っていたが、史大郎の義侠を解する人柄、俺もまったく感じ入った。民を苦しめる役人たちがのさばるこの華陰にも、あんな男がいるとは喜ばしい限りだ」
「朱武の兄貴ったら、この山に来てからというもの毎晩、眉毛を逆立てていたからな。こんな愉快そうな兄貴を見たのは、徐州から夜逃げしたあの日以来だ」
それは楊春も、そして陳達とて同じだったろう。
少華山を乗っ取り、義賊の旗を掲げたあの日以来、虐げられる民と腐り果てた役人たちを想って苦悩しない日などなかった。
平気で悪がまかりとおる鬱々とした世の気風に、抗っているのはもしや自分たちだけなのだろうかと、歯がゆさに涙を流した日もあった。
だが今日、こんなにも近くに同じ義憤を抱く好漢がいることを知った。突き抜ける空のような志を秘めた、若き龍を知ったのだ。
「なあ、このままで終わっては、今度は俺たちの義侠がすたってしまう。どうだろう、ひとつ、命を救い酒を酌み交わしてくれた礼の品を後日送るというのは」
「兄貴、そりゃいい考えだ」
どんぐり眼を輝かせ、陳達が笑う。この豪気な笑顔を救い、少華山の憂いを吹き飛ばしてくれた男のためならば、どれだけ財を手放しても惜しくはなかった。
「旦那さま、旦那さま、お客様がいらしてますよ」
遠慮がちな衣擦れの音とともに使用人が小声で史進を呼びに来たのは、夜もとっぷり更けた頃だった。
「客? こんな時間に、いったい誰だ」
ちょうど夜着に着替えようとしていた史進の、剥き出しの刺青を恐々と横目に見やりながら、大人しい使用人はさらに声をひそめる。
「それが……例の、少華山からのお使いなんです」
「何? それを先に言ってくれよ!」
大慌てで身だしなみを整えた史進は、まろぶように部屋を出る。
すでに夕餉で満腹になり、あとは眠るだけとのんびりしていたのだが、あの三頭領からの使いとあれば追い帰すわけにはいかない。こんな夜更けにやってきたのも、人目を避けるためであろう。
「すまん、待たせた!」
「うわぁ、史進殿」
勢い良く門扉を開ければ、門前で待っていた少華山の子分二人組はびっくりしてあとずさったが、史進の顔を認めると、すぐに跪いて拱手する。
「挨拶はいいから、立ってくれ。朱武たちからの使いだな?」
「ええ、そうです。山寨の三頭領から先日のお礼の品を託され、山を下って参りました。このような夜更けにお訪ねするしかなかったこと、どうかお許しください」
「そんなことは気にするなよ。それより、三頭領は元気にやっているかい?」
「史進殿に命をお助けいただき、酒を酌み交わしてお帰りになってからというもの、前にもまして三頭領は意気揚々としておられます。それに、毎日史家村の方を向いて線香を焚き、俺たち子分衆にもいつも史進殿の豪傑ぶりを嬉しそうに語っておられるのです」
心の内に慕った男に初めて出会う小娘の如く、松明に照らし出された子分たちの顔は輝いている。
まったく線香まであげるとは大げさなような気もするが、それほどまでに想われるのに悪い気はしない。
史進とて、小さな村の中で力を持て余す日々に一筋の光明が差したようなあの日を思い出せば、未だに胸が高鳴るのだ。
「そこで三頭領は、史進殿のために礼物を用意し、くれぐれもよろしくと俺たちに言付けられたのです。どうぞ、こちらをお納めください」
手下が懐に温めていた包みを取り出し、結び目を解く――中から出てきたのは、金子だった。
「お、おい、待ってくれ」
ぎょっとして、思わず男の手を押し返す。
「三十両も、もらえない」
三頭領の義理堅さはありがたいが、今は金には困っていない。それに、山寨のほうが金はなにかと入用だろう。
「で、ですが史進殿……これは少華山の心からの礼。三頭領だけでなく、俺たちも貴方にはすっかり敬服し、感謝しているのです。それにこれを持って帰ったとなれば、俺たちが尻叩きの刑にされちまいます」
「史進殿、どうか俺たちの心を汲んでください」
「わかった、わかったよ。俺のような若造に心を尽くしてもらって感謝すると、三頭領に伝えてくれ」
泣き出しそうな男たちの剣幕に、ついに史進も金子を受け取った。朱武たちの心からの礼物とあれば、これ以上拒むのも礼を失するであろう。
「それより、わざわざここまで足を運んでくれたんだ。おいお前、こいつらに酒と、それから銀子を。少し中で休んでから帰ればいいよ」
「そんな、恐れ多いことを」
「そう遠慮するな。俺も、山寨の様子を聞きたいんだ」
再三辞退しようとする子分たちを強引に引きずり込み、史進は彼らに酒を振る舞い存分に話を聞き出し――そしてこの日から、大きな志を持つ小さな村の若き主と、彼がかつてお縄にしようとしていた山賊の頭領たちとの間には、密やかなやり取りが続くことになった。
半月ほど経ったある夜には、またも子分が史進の屋敷の門を叩き、大粒の見事な真珠を連ねた飾りを差し出した。これほどまでの心遣いを受けっぱなしと言うわけにもいくまいと、史進はお返しに、錦の上着を贈ることに決めた。
装いに関してはこだわりのあった父が通いつめていた店で紅錦を自ら選び、それをこちらも贔屓の仕立て屋に持ちこむ。
三枚の上着はそれぞれ趣向を変え、朱武には知性を感じさせるゆったりとしたものを、陳達にはその武勇に見合うような力強いつくりのものを、楊春には彼のしなやかな身体にぴったりと合う動きやすいものを……と史進自ら逐一注文をつけて仕立てさせた。
そうして仕上がった上着のほかに、丸々とした羊を三匹煮たものや自家製の酒を王四たち使用人に持たせて山寨にやらせれば、大喜びした少華山の面々にたっぷりともてなしを受けた王四たちは、「三頭領は、旦那さまによろしくと何度もおっしゃっていましたよ」と顔を赤くしながら銀子を手に帰ってきたのだった。
こうして、史進の贈り物を携えた王四と、三頭領の贈り物を携えた少華山の子分たちがしょっちゅう行き来を繰り返すようになってから時は過ぎ、気がつけば季節は中秋を迎える頃となっていた。
「なあ、王四」
「はい、なんでしょう」
いつもの通り、史進が使用人たちに作らせた料理や買ってきた器などがぎっしり詰め込まれた行李を慎重に点検する王四の背中を眺めながら、史進は顎の先をかいた。
「もうすぐ、十五夜だ」
「そうですね……ああ、これは曲がってしまうから、こちらに入れ替えて……」
三頭領と出会う契機となったあの日以来、また史家村は平和で穏やかな日々に包まれている。
民はみな畑を耕し、たまに街へ出てはささやかな売り買いをして、儲かった日にはうまいものを食べる。
史進の屋敷にも村の民を養うだけの十分な蓄えがあり、今のところ特段大きな心配事もない。不穏な気が立ちこめるこの時世に、なんと幸せなことだろう。
だが、その幸せを大人しく噛みしめながら悠々と暮らしていきたいと願うほど、史進の心は枯れていなかった。
一歩外に出れば、地位と財に力を借りた悪人たちに民は脅かされ、生きるために善人が盗賊になり果てている。
いったい今、この国で何が起きているのか。そして、これからこの国はどうなってゆくのか。王進が去った今、己がそんなことを大真面目に語り合えるのは、朱武たちだけだ。
「十五夜の宴に……俺は、少華山の三頭領を招きたいと思う」
せわしなく贈り物の上を行き来していた王四の手がぴくりと止まり、老いた顔がこちらを振り返る。
三頭領と別れてから随分時が経つが、未だに贈り物のやり取りを欠かさないところを見れば、彼らも史進との縁を切るつもりはないようだ。
それに、今や史家村の民も皆、少華山の賊が善良な民は傷つけないことをわかっている。
中秋の夜くらい、いつもは人目を忍んで生きる得難い友と愉快に飲み明かし、そしてこの浮世に感じている鬱憤を語り明かすことを誰が責められよう。
「……旦那様、きっと三頭領も喜ばれましょうね」
しばし思案顔で固まっていた王四も、史進の心中を察したのか深く頷いて同意した。
「そうとなれば、さっそく招待状をしたためられた方がよろしいかと。この贈り物を届けるときに、一緒に持って行きましょう」
「ああ、わかったよ。さすが、お前はいつも気が利くな」
王四の薄い肩を何度も叩くと、史進は満面に笑みを浮かべた。持つべきものは、信頼できる使用人だ――きっと中秋の宴は、愉快なものになるだろう。