秘密の共有 ~優しい秘密
ー/ー◼️秘密の共有
「何が孵るのかしら〜、楽しみねぇ。あら、でもヘビだったら怖がる子もいるかしら?私は平気だけど」
学園長が、まるで子供のような声で笑った。
彼女は感情を惜しみなく表に出す人だ。人はそれを“明るい性格”と呼ぶという。
テーブルの上では、小さな卵が静かに横たわっている。
卵――小さな生命の“可能性”。
人間にとって、それは何か象徴的な意味を持つのだろうか。
私にはまだ、それが理解できない。
けれど、学園長の微笑みを見ていると、何か大切なことのように思えた。
「学園長。これはおそらく、小鳥の卵だと推測します」
許可はすでに得ている。園内での飼育も、もしもの場合の自然動物の保護申請も。
最善策。最適解。
私は、そう考えていた。
けれど――結翔には、すぐには伝えなかった。
『伝えない』という選択をしたのだ。
……なぜ、私はそうしたのだろう。
「なら、なんで教えてくれなかったんだよ!」
声が跳ねる。怒り……ではない。
そう、これは――拗ねているのだ。
幼い表情のまま、結翔は唇を噛んでいる。
「小鳥がうまく巣立った場合、結翔が悲しむ確率、87.9%と算出されました」
私は、その数字を何度も検証した。どうすれば、その数値を下げられるのか。
どうすれば、結翔が悲しまないかを。
「あらあら、M-513ちゃんは、結翔くんが悲しむのがイヤなのね。ふふふっ」
「イヤ」?――それは当然のことだ。
結翔が悲しむのだから。
あたりまえだ。
……でも、なぜだろう。
なぜ私は、そんなふうに考える?
学園長が笑っている。
結翔の顔が真っ赤に染まっていく。
体温36.6℃。発熱の兆候なし。
では、なぜ。
なぜ、夕焼けのような色をしているのだろう。
※※※
その夜。
「結翔、もう寝る時間ですよ」
卵のそばから離れない結翔に声をかける。
睡眠不足による体調不良の確率、0.08%。
無視できない数値だ。
「うん……あのさ、さっき怒鳴って……ごめん。ごめんなさい」
小さな声。
もじもじして、視線を落としている。
――トイレ?
……いや、違う。
羞恥心。
恥ずかしさ。
それが何に対してかは、まだわからない。
今日一日、わからないことが多すぎる。
やはり、私はどこか故障しているのだろうか。
でも、結翔が頭を下げたとき、私は確信した。
あれは「謝罪」――そう、謝罪という行為だ。
「それは……謝罪ですね。私は知識として理解しています。謝罪とは、自分の過ちや非を認め、相手にそのことを伝える行為。具体的には――」
「なんでそこで胸張るんだよ……もう、いいよ。おやすみ」
彼の声が少し笑っていた。
私は、正しく動作した。
……たぶん。
※※※
翌朝。
私は〈土下座〉というものに挑戦した。
深夜に再調整を行ったが、異常は見当たらなかった。
つまり、これはバグではない。
ならば、私は間違っていない。
ほとんど同時に、結翔と学園長が入室した。
よし、想定内。
究極の謝罪、開始。
「昨日、謝罪を学びました。結翔に秘密を作り、一人で行動したことへの謝罪中です」
学園長が目を細めた。
「M-513。謝罪は学ぶものではありません。“心”でするものです」
その声は、驚くほど静かで、やさしかった。
AIに向けられた言葉とは思えなかった。
命令ではない。
指示でもない。
まるで――祈りのように響いた。
……“心”。
私に、それはあるのだろうか。
胸の奥が、かすかにざわつく。
それは熱でも、エラーでもない。
少しだけ、あたたかい。
プログラムを更新。
〈謝罪〉の定義を、書き換える。
――“心から謝ること”。
更新、完了。
瞳のセンサーが静かに反応した。
青い光が、そっと揺れた。
◼️ 優しい秘密
先生は、いつも明るくて元気な人だ。
この学園の長──早川紗子先生。
けれど僕にとっては、それ以上の存在だった。
入所したばかりの頃、
先生は「特別よ」と言って、自分の部屋に招いてくれたことがある。
広くも、華やかでもない部屋。
僕らが使っている部屋と、ほとんど変わらなかった。
けれど、その空気はなぜだかあたたかくて、とても落ち着く安心感があった。
「みんなには秘密よ」
そう言って先生は、いたずらっぽくウインクをすると、湯気の立つココアに、スプーン一杯のオレンジマーマレードを落とした。
「私はね、結翔くんみたいな子たちのために、ここにいるの」
その言葉は、灯りのようだった。
僕は頷きながら、温かい“秘密のココア”を口にする。
それは、甘くてほろ苦い大人の味がした。
そうだ、ここにも僕の味方がいたんだ。
優しく見守ってくれる人が、ちゃんといた。
なのに──僕はいつも、一人だと思い込んでいた。
そのことが、少し恥ずかしく思えた。
彼女が秘密を持つことが、ほんの少し寂しかった。
それが僕のためだったと知るまでは。
善光公園で泣いたことを思い出すと、胸が熱くなる。
顔まで火照って、視界がぼやけた。
先生が笑って、からかうから余計に恥ずかしい。
※※※
その夜。
M-513は、僕のことを考えてくれている。
僕を守ろうとしてくれている。
そのことが、今は何より嬉しかった。
――二人で、この卵を守るんだ。
いや、先生もいるから、三人かな。
卵の中身は、小鳥の可能性が高いという。
どんな鳥が生まれるんだろう。考えるだけで胸が弾む。
妹の蒼生が亡くなってから、こんな気持ちになるのは初めてだった。きっと彼女がここにいたら、喜んでくれただろう。
小鳥が大好きな子だったから。
――でも、僕はひどいことを言ってしまった。
謝らなくちゃ。
「怒鳴って、ごめん……ごめんなさい」
すると彼女は、なぜか誇らしげに胸を張った。
このAIはときどき、おかしな行動をする。
でも、先生はその理由を知っているようだった。
――大人だから、かな?
まだ胸を張っているM-513を横目に、僕は部屋を後にした。
本当は、もう少し一緒にいたかった。
けれど僕は、もう小さい子どもじゃない。
そう自分に言い聞かせて、扉を閉めた。
※※※
翌朝。
部屋を開けると、M-513が土下座をしていた。やっぱり、このAIはおかしい。いや、真面目すぎるのかもしれない。
そこへ先生が入ってきた。
「昨日、謝罪を学びました。
結翔に秘密を作り、一人で行動したことへの謝罪中です」
M-513の言葉に、先生は静かに微笑んだ。
「M-513。謝罪は、学ぶものではありません。心でするものですよ」
その声は、驚くほど優しかった。
AIに向けられた言葉なのに、まるで母親が子を諭すようだった。
──でも、本当に今、注意するべきはそこなんだろうか。
先生は、M-513のどんな秘密を知っているのだろう。そして、僕の知らない“優しい秘密”を、あといくつ抱えているんだろう。
世界にはまだ、知らない優しさがある。
それを知るたび、僕は少しだけ、大人に近づく気がした。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
◼️秘密の共有
「何が孵るのかしら〜、楽しみねぇ。あら、でもヘビだったら怖がる子もいるかしら?私は平気だけど」
学園長が、まるで子供のような声で笑った。
彼女は感情を惜しみなく表に出す人だ。人はそれを“明るい性格”と呼ぶという。
テーブルの上では、小さな卵が静かに横たわっている。
卵――小さな生命の“可能性”。
人間にとって、それは何か象徴的な意味を持つのだろうか。
私にはまだ、それが理解できない。
けれど、学園長の微笑みを見ていると、何か大切なことのように思えた。
「学園長。これはおそらく、小鳥の卵だと推測します」
許可はすでに得ている。園内での飼育も、もしもの場合の自然動物の保護申請も。
最善策。最適解。
私は、そう考えていた。
けれど――結翔には、すぐには伝えなかった。
『伝えない』という選択をしたのだ。
……なぜ、私はそうしたのだろう。
「なら、なんで教えてくれなかったんだよ!」
声が跳ねる。怒り……ではない。
そう、これは――拗ねているのだ。
幼い表情のまま、結翔は唇を噛んでいる。
「小鳥がうまく巣立った場合、結翔が悲しむ確率、87.9%と算出されました」
私は、その数字を何度も検証した。どうすれば、その数値を下げられるのか。
どうすれば、結翔が悲しまないかを。
「あらあら、M-513ちゃんは、結翔くんが悲しむのがイヤなのね。ふふふっ」
「イヤ」?――それは当然のことだ。
結翔が悲しむのだから。
あたりまえだ。
……でも、なぜだろう。
なぜ私は、そんなふうに考える?
学園長が笑っている。
結翔の顔が真っ赤に染まっていく。
体温36.6℃。発熱の兆候なし。
では、なぜ。
なぜ、夕焼けのような色をしているのだろう。
※※※
その夜。
「結翔、もう寝る時間ですよ」
卵のそばから離れない結翔に声をかける。
睡眠不足による体調不良の確率、0.08%。
無視できない数値だ。
「うん……あのさ、さっき怒鳴って……ごめん。ごめんなさい」
小さな声。
もじもじして、視線を落としている。
――トイレ?
……いや、違う。
羞恥心。
恥ずかしさ。
それが何に対してかは、まだわからない。
今日一日、わからないことが多すぎる。
やはり、私はどこか故障しているのだろうか。
でも、結翔が頭を下げたとき、私は確信した。
あれは「謝罪」――そう、謝罪という行為だ。
「それは……謝罪ですね。私は知識として理解しています。謝罪とは、自分の過ちや非を認め、相手にそのことを伝える行為。具体的には――」
「なんでそこで胸張るんだよ……もう、いいよ。おやすみ」
彼の声が少し笑っていた。
私は、正しく動作した。
……たぶん。
※※※
翌朝。
私は〈土下座〉というものに挑戦した。
深夜に再調整を行ったが、異常は見当たらなかった。
つまり、これはバグではない。
ならば、私は間違っていない。
ほとんど同時に、結翔と学園長が入室した。
よし、想定内。
究極の謝罪、開始。
「昨日、謝罪を学びました。結翔に秘密を作り、一人で行動したことへの謝罪中です」
学園長が目を細めた。
「M-513。謝罪は学ぶものではありません。“心”でするものです」
その声は、驚くほど静かで、やさしかった。
AIに向けられた言葉とは思えなかった。
命令ではない。
指示でもない。
まるで――祈りのように響いた。
……“心”。
私に、それはあるのだろうか。
胸の奥が、かすかにざわつく。
それは熱でも、エラーでもない。
少しだけ、あたたかい。
プログラムを更新。
〈謝罪〉の定義を、書き換える。
――“心から謝ること”。
更新、完了。
瞳のセンサーが静かに反応した。
青い光が、そっと揺れた。
◼️ 優しい秘密
先生は、いつも明るくて元気な人だ。
この学園の長──早川紗子先生。
けれど僕にとっては、それ以上の存在だった。
入所したばかりの頃、
先生は「特別よ」と言って、自分の部屋に招いてくれたことがある。
広くも、華やかでもない部屋。
僕らが使っている部屋と、ほとんど変わらなかった。
けれど、その空気はなぜだかあたたかくて、とても落ち着く安心感があった。
「みんなには秘密よ」
そう言って先生は、いたずらっぽくウインクをすると、湯気の立つココアに、スプーン一杯のオレンジマーマレードを落とした。
「私はね、結翔くんみたいな子たちのために、ここにいるの」
その言葉は、灯りのようだった。
僕は頷きながら、温かい“秘密のココア”を口にする。
それは、甘くてほろ苦い大人の味がした。
そうだ、ここにも僕の味方がいたんだ。
優しく見守ってくれる人が、ちゃんといた。
なのに──僕はいつも、一人だと思い込んでいた。
そのことが、少し恥ずかしく思えた。
彼女が秘密を持つことが、ほんの少し寂しかった。
それが僕のためだったと知るまでは。
善光公園で泣いたことを思い出すと、胸が熱くなる。
顔まで火照って、視界がぼやけた。
先生が笑って、からかうから余計に恥ずかしい。
※※※
その夜。
M-513は、僕のことを考えてくれている。
僕を守ろうとしてくれている。
そのことが、今は何より嬉しかった。
――二人で、この卵を守るんだ。
いや、先生もいるから、三人かな。
卵の中身は、小鳥の可能性が高いという。
どんな鳥が生まれるんだろう。考えるだけで胸が弾む。
妹の蒼生が亡くなってから、こんな気持ちになるのは初めてだった。きっと彼女がここにいたら、喜んでくれただろう。
小鳥が大好きな子だったから。
――でも、僕はひどいことを言ってしまった。
謝らなくちゃ。
「怒鳴って、ごめん……ごめんなさい」
すると彼女は、なぜか誇らしげに胸を張った。
このAIはときどき、おかしな行動をする。
でも、先生はその理由を知っているようだった。
――大人だから、かな?
まだ胸を張っているM-513を横目に、僕は部屋を後にした。
本当は、もう少し一緒にいたかった。
けれど僕は、もう小さい子どもじゃない。
そう自分に言い聞かせて、扉を閉めた。
※※※
翌朝。
部屋を開けると、M-513が土下座をしていた。やっぱり、このAIはおかしい。いや、真面目すぎるのかもしれない。
そこへ先生が入ってきた。
「昨日、謝罪を学びました。
結翔に秘密を作り、一人で行動したことへの謝罪中です」
M-513の言葉に、先生は静かに微笑んだ。
「M-513。謝罪は、学ぶものではありません。心でするものですよ」
その声は、驚くほど優しかった。
AIに向けられた言葉なのに、まるで母親が子を諭すようだった。
──でも、本当に今、注意するべきはそこなんだろうか。
先生は、M-513のどんな秘密を知っているのだろう。そして、僕の知らない“優しい秘密”を、あといくつ抱えているんだろう。
世界にはまだ、知らない優しさがある。
それを知るたび、僕は少しだけ、大人に近づく気がした。