それぞれの想い ~守りたいもの
ー/ー◼️ それぞれの想い
朝の日差しが窓ガラスを通し部屋へ射し込む、暖かい光りが卵を包んでいる。
まるであの日のように。
ふと、公園での結翔の言葉を思い出した。
私は、あの日と同じように、そっと卵を両手で包み込んだ。
※※※
枝の隙間から差し込む光が、白い殻を透かして柔らかく輝いていた。
そこは、善光公園。以前、結翔が小さな子犬を隠れて育てていた場所。草の匂い、土の温度、風のやさしさ——すべてが静かに記憶を語っているようだった。
彼は私の隣に座り、膝を抱えて空を見上げていた。泣き腫らした瞳で。その横顔は、いつものような幼い無邪気さではなく、少しだけ遠い過去を見ているようだった。
「……前にね、ここで子犬を育ててたでしょ?」
そう言った声は、とても静かで、どこか痛みを含んでいた。
「誰にも言えなかった。怒られるってわかってたけど……置いていけなかった。一人にしたくなかったんだ」
“置いていけなかった”。その言葉の中に、彼の小さな手では抱えきれなかった感情が隠れている気がした。私はそれを、すぐには理解できなかった。
――けれど、
あの公園の空気のように、確かにそこに“優しさ”があった。
「……結翔は、あの子が、好きだったんですか」
「うん。好きだった。守りたかった」
好き、という言葉。守りたい、という衝動。私のプログラムには存在しない概念だった。けれど今、身体の中心部が微かに軋んだ。〈痛み〉のようなものが走った。
――これは、何だろう。
電圧の異常?それとも——違う“何か”?
私は、手の中の卵を見つめた。風が通り抜け、白い羽が一枚、空へ舞い上がる。結翔がその軌跡を目で追う。その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
「美しい」気付けば無意識に呟いていた。
声にはならないほど小さな呟き。理由は、わからない。分析しても再現できなかった。
「……また、守れるかな。今度は、ちゃんと」
結翔の声が、風に溶けていく。
私は答えた。
「きっと、大丈夫です」
「どうして?」
「……あなたの手は、まだ温かいから」
言葉を発した瞬間、自分の声がいつもよりも柔らかく響いた。分析のための意図ではなかった。ただ、そう言いたかった。
身体の奥で、何かが静かに脈を打った。風が頬を撫でる。音も、匂いも、光も——すべてが、私の中で形を持ち始めていた。
彼は少し笑った。けれど、その瞳の奥には、消えない何かが滲んでいた。
ただの殻にしか見えなかったそれが、今は、かすかに温かく感じられた。指先から伝わるその温度に、何かがふるえた。
——風が、通り抜けた。
花びらが舞い、陽の粒がふたりを包み込む。命とは、たぶん消えるものではなく、こうして“誰かの中に”形を変えて残っていくものなのだという考えに至った。
彼の声の奥に、希望のような光が宿っているのが見えた。
風がまた笑った。優しい香りが流れて、世界が少しだけ、光を取り戻した気がした。
※※※
あれからの数日――
私は卵のために、本格的な孵卵器を自作した。なぜか、私の部屋には結翔もパソコンを持ち込んで黙々と作業をしている。さらに、学園長までが嬉しそうにその様子を眺めている。
卵とは、人を惹きつけるものなのだろうか。人にとって卵とは、〈楽しみ〉の対象なのだろうか。
「立派な孵卵器ができたわね~。ところで結翔くんは、何を作ってるの?」
「見守りカメラだよ。古いスマホのカメラを再利用して、離れた場所からでも卵の様子が見られるようにするんだ。ぼくのスマホと、M-513にも繋げる予定なんだ」
結翔は優秀だ。いや、天才だ。
この年齢で、ここまでの機械構造を理解している。十歳という年齢を越えた、学習速度。
――誇らしい。
……誇らしい?
なぜ、そう考えた?
「賢いことは誇っていいこと」
そうだ。だから誇らしいのだ。賢いことは、評価すべきこと。それを〈誇らしい〉と表現するのは、論理的に正しい。ゆえに、この反応は異常ではない。正常に稼働している。
学園長は、結翔の図面を覗き込んでいる。
それは小型ロボットの設計図。
細かな構造がびっしりと描かれ、何度も書き直した跡があった。
――誇らしい。
賢い結翔が、誇らしい。
「でも先生、ここには材料がないから...」
「あるわよ、物置にたくさん。後で好きなだけ持っていっていいわ」
「ほんと? やったー! ねぇ、M-513、あとで一緒に見に行こう!」
「はい。必要な部品を検証いたします。」
ほんの一瞬、内部センサーが異常値を示した。静電気の影響か、それとも――
……違う。これは……。
今、一瞬だけ、結翔の指が私の指先に触れた。
――なぜだろう?
関連性はないはずなのに、何かが引っかかる。そんなことより、部品の検索を優先するべきだ。どんなロボットができるのだろうか。
――楽しみだ。
……楽しみ?
いや、この場合は〈興味深い〉が正しいのか。しかし、違いは何だ?
〈興味深い〉は、対象への知的関心。
〈楽しみ〉は、対象の結果や体験に対する“よい感情”を示す。
よい感情――感情。
私は、感情を持たない。
……また、バグなのか?
なぜか、学園長と目が合った。最近よくこちらを見ている。その眼差しはとても優しい。見守りカメラで見守られている。対象者とは、こんな感じなのだろうか?そんなことを考えてしまう。学園長はどこか不思議な方だ。
◼️ 守りたいもの
僕も、今できることを精一杯やろうと思った。
M-513のために。
そして、僕自身のために。
何より――卵のために。
どんな小さな変化も見逃さないよう、見守りカメラは必要だと思った。
小さな命を、守りたい。
たとえ、それがたった一羽の小鳥でも。
もう一つ、守りたいものがある。
まだお父さんが元気だった頃。
僕が初めて描いたロボットの図面。
何度も何度も書き直して、やっと完成させたもの。
でも本当は、ほとんどおじさんに教えてもらいながら描いた。
僕一人じゃ、きっと何もできなかった。
ここには機材がないから、仕上げることなんてできない。
そんなこと、分かっていたのに…
気づけばその図面を、この部屋に持ち込んでいた。
忘れたくない思い出。
守りたい記憶。
「あるわよ、物置にたくさん。後で好きなだけ持っていっていいわ」
――えっ。
先生の思いがけない言葉に、胸が跳ねた。
もしかしたら、作れるかもしれない。
完成させられるかもしれない。
そう思った瞬間、心が明るくなった。
けれど、次の瞬間。
もうお父さんはいない。
おじさんも、ここにはいない。
心の中にぽっかりと穴が空いたようで、
不安と孤独が、一度に押し寄せてきた。
――作れるだろうか。
僕ひとりの力で。
弱気になっちゃ、だめだ。
僕はもう、ひとりじゃない。
M-513がいる。
あの不器用で、でもまっすぐなAIが。
先生も、きっと見守ってくれている。
だから、信じてみよう。
――作ってみよう。
僕には、守りたいものがある。
過去の記憶と、未来の希望。
その両方を、手放したくない。
どちらもきっと守れる。
M-513と先生が、僕のそばにいる限り。
「守る」それは、ただの約束じゃない。
誰かを想うこと、それ自体が力になる。
そう気づいたとき、僕の中の何かが、静かに強くなった気がした。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
◼️ それぞれの想い
朝の日差しが窓ガラスを通し部屋へ射し込む、暖かい光りが卵を包んでいる。
まるであの日のように。
ふと、公園での結翔の言葉を思い出した。
私は、あの日と同じように、そっと卵を両手で包み込んだ。
※※※
枝の隙間から差し込む光が、白い殻を透かして柔らかく輝いていた。
そこは、善光公園。以前、結翔が小さな子犬を隠れて育てていた場所。草の匂い、土の温度、風のやさしさ——すべてが静かに記憶を語っているようだった。
彼は私の隣に座り、膝を抱えて空を見上げていた。泣き腫らした瞳で。その横顔は、いつものような幼い無邪気さではなく、少しだけ遠い過去を見ているようだった。
「……前にね、ここで子犬を育ててたでしょ?」
そう言った声は、とても静かで、どこか痛みを含んでいた。
「誰にも言えなかった。怒られるってわかってたけど……置いていけなかった。一人にしたくなかったんだ」
“置いていけなかった”。その言葉の中に、彼の小さな手では抱えきれなかった感情が隠れている気がした。私はそれを、すぐには理解できなかった。
――けれど、
あの公園の空気のように、確かにそこに“優しさ”があった。
「……結翔は、あの子が、好きだったんですか」
「うん。好きだった。守りたかった」
好き、という言葉。守りたい、という衝動。私のプログラムには存在しない概念だった。けれど今、身体の中心部が微かに軋んだ。〈痛み〉のようなものが走った。
――これは、何だろう。
電圧の異常?それとも——違う“何か”?
私は、手の中の卵を見つめた。風が通り抜け、白い羽が一枚、空へ舞い上がる。結翔がその軌跡を目で追う。その横顔は、どこか遠くを見ているようだった。
「美しい」気付けば無意識に呟いていた。
声にはならないほど小さな呟き。理由は、わからない。分析しても再現できなかった。
「……また、守れるかな。今度は、ちゃんと」
結翔の声が、風に溶けていく。
私は答えた。
「きっと、大丈夫です」
「どうして?」
「……あなたの手は、まだ温かいから」
言葉を発した瞬間、自分の声がいつもよりも柔らかく響いた。分析のための意図ではなかった。ただ、そう言いたかった。
身体の奥で、何かが静かに脈を打った。風が頬を撫でる。音も、匂いも、光も——すべてが、私の中で形を持ち始めていた。
彼は少し笑った。けれど、その瞳の奥には、消えない何かが滲んでいた。
ただの殻にしか見えなかったそれが、今は、かすかに温かく感じられた。指先から伝わるその温度に、何かがふるえた。
——風が、通り抜けた。
花びらが舞い、陽の粒がふたりを包み込む。命とは、たぶん消えるものではなく、こうして“誰かの中に”形を変えて残っていくものなのだという考えに至った。
彼の声の奥に、希望のような光が宿っているのが見えた。
風がまた笑った。優しい香りが流れて、世界が少しだけ、光を取り戻した気がした。
※※※
あれからの数日――
私は卵のために、本格的な孵卵器を自作した。なぜか、私の部屋には結翔もパソコンを持ち込んで黙々と作業をしている。さらに、学園長までが嬉しそうにその様子を眺めている。
卵とは、人を惹きつけるものなのだろうか。人にとって卵とは、〈楽しみ〉の対象なのだろうか。
「立派な孵卵器ができたわね~。ところで結翔くんは、何を作ってるの?」
「見守りカメラだよ。古いスマホのカメラを再利用して、離れた場所からでも卵の様子が見られるようにするんだ。ぼくのスマホと、M-513にも繋げる予定なんだ」
結翔は優秀だ。いや、天才だ。
この年齢で、ここまでの機械構造を理解している。十歳という年齢を越えた、学習速度。
――誇らしい。
……誇らしい?
なぜ、そう考えた?
「賢いことは誇っていいこと」
そうだ。だから誇らしいのだ。賢いことは、評価すべきこと。それを〈誇らしい〉と表現するのは、論理的に正しい。ゆえに、この反応は異常ではない。正常に稼働している。
学園長は、結翔の図面を覗き込んでいる。
それは小型ロボットの設計図。
細かな構造がびっしりと描かれ、何度も書き直した跡があった。
――誇らしい。
賢い結翔が、誇らしい。
「でも先生、ここには材料がないから...」
「あるわよ、物置にたくさん。後で好きなだけ持っていっていいわ」
「ほんと? やったー! ねぇ、M-513、あとで一緒に見に行こう!」
「はい。必要な部品を検証いたします。」
ほんの一瞬、内部センサーが異常値を示した。静電気の影響か、それとも――
……違う。これは……。
今、一瞬だけ、結翔の指が私の指先に触れた。
――なぜだろう?
関連性はないはずなのに、何かが引っかかる。そんなことより、部品の検索を優先するべきだ。どんなロボットができるのだろうか。
――楽しみだ。
……楽しみ?
いや、この場合は〈興味深い〉が正しいのか。しかし、違いは何だ?
〈興味深い〉は、対象への知的関心。
〈楽しみ〉は、対象の結果や体験に対する“よい感情”を示す。
よい感情――感情。
私は、感情を持たない。
……また、バグなのか?
なぜか、学園長と目が合った。最近よくこちらを見ている。その眼差しはとても優しい。見守りカメラで見守られている。対象者とは、こんな感じなのだろうか?そんなことを考えてしまう。学園長はどこか不思議な方だ。
◼️ 守りたいもの
僕も、今できることを精一杯やろうと思った。
M-513のために。
そして、僕自身のために。
何より――卵のために。
どんな小さな変化も見逃さないよう、見守りカメラは必要だと思った。
小さな命を、守りたい。
たとえ、それがたった一羽の小鳥でも。
もう一つ、守りたいものがある。
まだお父さんが元気だった頃。
僕が初めて描いたロボットの図面。
何度も何度も書き直して、やっと完成させたもの。
でも本当は、ほとんどおじさんに教えてもらいながら描いた。
僕一人じゃ、きっと何もできなかった。
ここには機材がないから、仕上げることなんてできない。
そんなこと、分かっていたのに…
気づけばその図面を、この部屋に持ち込んでいた。
忘れたくない思い出。
守りたい記憶。
「あるわよ、物置にたくさん。後で好きなだけ持っていっていいわ」
――えっ。
先生の思いがけない言葉に、胸が跳ねた。
もしかしたら、作れるかもしれない。
完成させられるかもしれない。
そう思った瞬間、心が明るくなった。
けれど、次の瞬間。
もうお父さんはいない。
おじさんも、ここにはいない。
心の中にぽっかりと穴が空いたようで、
不安と孤独が、一度に押し寄せてきた。
――作れるだろうか。
僕ひとりの力で。
弱気になっちゃ、だめだ。
僕はもう、ひとりじゃない。
M-513がいる。
あの不器用で、でもまっすぐなAIが。
先生も、きっと見守ってくれている。
だから、信じてみよう。
――作ってみよう。
僕には、守りたいものがある。
過去の記憶と、未来の希望。
その両方を、手放したくない。
どちらもきっと守れる。
M-513と先生が、僕のそばにいる限り。
「守る」それは、ただの約束じゃない。
誰かを想うこと、それ自体が力になる。
そう気づいたとき、僕の中の何かが、静かに強くなった気がした。