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 ある日、庵が森から帰ってくると、台所にお母さまの姿がありませんでした。
 まだお部屋にいるのかな。そう思い、庵はお母さまの部屋に向かいました。たくさん遊んで、庵はお腹がぺこぺこなのでした。
 部屋の障子は閉まっていましたが、中からお母さまとお姉さまの声が聞こえてきました。
「庵は、まだ森にいるのかしら」
 お母さまです。ええ、たぶん。お姉さまの声が続きます。二人はまだ庵が森にいると思っているようでした。庵はなんだかおもしろくなって、部屋のそばで息を潜めました。急に障子を開けて、二人をびっくりさせてやろうと思ったのです。
「あの子ったら、きっとまだお友だちと遊んでいるのよ」
 お姉さまが言いました。リンくんの話題が出たことで、庵はなんだかドキドキしてきました。
「まあ。庵にお友だちができたの?」
 お母さまの驚いたような声が聞こえます。庵は、お母さまにはまだリンくんのことを話していません。今度お母さまにもお話してあげようと庵は思いました。
「とんでもない。あの子にお友だちなんて、できるはずないわ」
 お姉さまが不思議なことを言います。いつかのときのように、くすくすと笑いながら。どういうこと? おかあさまも不思議そうに訊ねました。
「あの子ったら、あんまりお友だちが欲しいものだから、頭の中で想像のお友だちを作っちゃったのよ。それで、その子が本当にいるもんだと思って毎日遊んでいるの」
「まあ、そうだったの」
「ええ。この間、嬉しそうにわたしに報告してきたわ。自分が想像した通りの男の子がある日突然目の前に現れた、なんて。名前まで同じだって言うのよ。そんなこと、あるはずないのにね」
「小さいころにはよくあることだわ。でも、よかったじゃないの、あの子が楽しそうにしているなら。いい? (しお)ちゃん。庵に意地悪なことを言ったりしちゃだめよ。本当のことを知ったら、あの子、きっと悲しむわ」
「えー? どうしよっかなあ」
「こら、ふざけないの。今は何も言わずにそっとしておいてあげなさい。たとえ空想であっても、あの子にとっては大切なお友だちなのだから。庵がもう少しおとなになったら、その子はきっと自然と消える。会えるのは今だけなの。だからその間は、庵の好きにさせておいてあげましょう。ね?」
 二人はその後も何か話をしていたようでしたが、庵の耳にはもう何も入ってきませんでした。二人が立ち上がる音がして、庵は逃げるように走って家を飛び出しました。
 赤紫色の空がだんだんと黒く染まっていきます。
 森の中は静かでした。
 時折り吹く風が木々の葉をさやさやと揺らす音に混じって、庵のすすり泣く声が聞こえていました。
 庵は丸太に一人で座っていました。それはリンくんとお話をするときに、よく二人で一緒に座っていた丸太でした。
 お母さまたちの言うことを、庵は完全に信じたわけではありません。けれど心のどこかで、そうかもしれないと思ってしまう自分もいるのでした。おとなになったら消える。二人はそう言っていました。リンくんが消えてしまうなんて、考えただけで庵は涙が止まらなくなります。おとなになりたくない。庵は思いました。一時はあれほど憧れていたことが、今はただ不安で、恐ろしくて仕方がないのでした。
「いおちゃん」
 リンくんの声が聞こえました。はっとして顔を上げると、庵の前にリンくんが立っています。いつからそこにいたのか、庵にはわかりません。
「リンくん……どうして?」
「なんでだろう。なんとなくいおちゃんのことが気になって、戻ってきたんだ」
 リンくんはそう言いました。リンくんの優しさに庵は嬉しくなります。でも一方で、これもただ自分がリンくんにそう言わせているだけなのではないかと、不安な気持ちにもなるのでした。
「いおちゃん……泣いてるの?」
 リンくんが心配そうに庵の顔を覗き込みます。涙まじりの声で、庵は言いました。
「お母さまたちが……いつかリンくんがいなくなるって、そう言うの」
「ぼくが?」
 うん、と消え入りそうな声で庵は言います。
「ぼくは、いなくならないよ」
「本当?」
「うん、本当」
「いおと、ずっと一緒にいてくれる?」
「うん。いおちゃんとずっと一緒にいる。いおちゃんと毎日一緒に遊んで、おとなになったら、いおちゃんと結婚するんだ」
「いや!」庵はぶんぶん首を振りました。「いお、おとなになんかなりたくない!」
「いおちゃん?」
「だって……だってお母さまたちが、おとなになったらリンくん消えちゃうって、会えるのは今だけだって、そう言って……」
 庵の目から、また涙が溢れ出てきました。おとなになることを想像すると、お母さまたちの言っていたことがどうしても庵の胸を過るのでした。
「いおちゃん」
 リンくんが言いました。
「それじゃあぼくたち、今すぐ結婚しよう」
「え?」
 庵が顔を上げると、真剣な顔をしたリンくんが庵のことを見つめていました。
「結婚をした二人は、ずっと一緒にいられるんだ。そうしたら、おとなになっても、おじいさんおばあさんになっても、ぼくたちはいつまでもずっと一緒だよ」
「でも、結婚するには、結婚指輪が必要だって、お母さまが……」
「これ」
 リンくんはズボンのポケットに手を入れ、何かを取り出しました。リンくんの手のひらに乗っていたのは、針金で作った二つの小さな指輪でした。
「この間うまく作れなかったから、あの後、家に帰って作ったんだ。いつか、いおちゃんにあげようと思って」
「リンくん……」
 庵の目に、また涙が浮かびました。それは先ほどまでとは違った涙でした。
 リンくんは庵の手をとって、庵を優しく立ち上がらせてくれました。
「ええと……ちかいますか?」
「え、なあに?」
「わかんない。結婚をするときには、こうやって相手にきくんだって。いおちゃんは『はい』って言って」
「うん、わかった」
「いおちゃん、あなたはちかいますか?」
「はい!」
 庵は勢いよく手を挙げて答えました。
「いおちゃんも、ぼくにきいて」
「わかった。えっと……リンくん、ちかいますか?」
「はい。ちかいます」
 リンくんは手に持った針金の指輪を庵の指につけてくれました。庵も、リンくんの指に指輪を通します。
「これでいいの?」
「うん。これでぼくといおちゃんは結婚した。これからは、ずっと一緒だよ」
「やったあ!」
 嬉しくて、庵はぴょんぴょん跳ね回ります。顔は涙で濡れたままでしたが、リンくんのお陰で、心はもうすっかり元気なのでした。
「リンくんは、やっぱりアルカナマントだったんだね」
 あるかな? 不思議そうにリンくんは首を傾げます。そんなリンくんをよそに、庵は魔法少女メアちゃんになったつもりで大きな声で魔法を唱えるのでした。


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 ある日、庵が森から帰ってくると、台所にお母さまの姿がありませんでした。
 まだお部屋にいるのかな。そう思い、庵はお母さまの部屋に向かいました。たくさん遊んで、庵はお腹がぺこぺこなのでした。
 部屋の障子は閉まっていましたが、中からお母さまとお姉さまの声が聞こえてきました。
「庵は、まだ森にいるのかしら」
 お母さまです。ええ、たぶん。お姉さまの声が続きます。二人はまだ庵が森にいると思っているようでした。庵はなんだかおもしろくなって、部屋のそばで息を潜めました。急に障子を開けて、二人をびっくりさせてやろうと思ったのです。
「あの子ったら、きっとまだお友だちと遊んでいるのよ」
 お姉さまが言いました。リンくんの話題が出たことで、庵はなんだかドキドキしてきました。
「まあ。庵にお友だちができたの?」
 お母さまの驚いたような声が聞こえます。庵は、お母さまにはまだリンくんのことを話していません。今度お母さまにもお話してあげようと庵は思いました。
「とんでもない。あの子にお友だちなんて、できるはずないわ」
 お姉さまが不思議なことを言います。いつかのときのように、くすくすと笑いながら。どういうこと? おかあさまも不思議そうに訊ねました。
「あの子ったら、あんまりお友だちが欲しいものだから、頭の中で想像のお友だちを作っちゃったのよ。それで、その子が本当にいるもんだと思って毎日遊んでいるの」
「まあ、そうだったの」
「ええ。この間、嬉しそうにわたしに報告してきたわ。自分が想像した通りの男の子がある日突然目の前に現れた、なんて。名前まで同じだって言うのよ。そんなこと、あるはずないのにね」
「小さいころにはよくあることだわ。でも、よかったじゃないの、あの子が楽しそうにしているなら。いい? |栞《しお》ちゃん。庵に意地悪なことを言ったりしちゃだめよ。本当のことを知ったら、あの子、きっと悲しむわ」
「えー? どうしよっかなあ」
「こら、ふざけないの。今は何も言わずにそっとしておいてあげなさい。たとえ空想であっても、あの子にとっては大切なお友だちなのだから。庵がもう少しおとなになったら、その子はきっと自然と消える。会えるのは今だけなの。だからその間は、庵の好きにさせておいてあげましょう。ね?」
 二人はその後も何か話をしていたようでしたが、庵の耳にはもう何も入ってきませんでした。二人が立ち上がる音がして、庵は逃げるように走って家を飛び出しました。
 赤紫色の空がだんだんと黒く染まっていきます。
 森の中は静かでした。
 時折り吹く風が木々の葉をさやさやと揺らす音に混じって、庵のすすり泣く声が聞こえていました。
 庵は丸太に一人で座っていました。それはリンくんとお話をするときに、よく二人で一緒に座っていた丸太でした。
 お母さまたちの言うことを、庵は完全に信じたわけではありません。けれど心のどこかで、そうかもしれないと思ってしまう自分もいるのでした。おとなになったら消える。二人はそう言っていました。リンくんが消えてしまうなんて、考えただけで庵は涙が止まらなくなります。おとなになりたくない。庵は思いました。一時はあれほど憧れていたことが、今はただ不安で、恐ろしくて仕方がないのでした。
「いおちゃん」
 リンくんの声が聞こえました。はっとして顔を上げると、庵の前にリンくんが立っています。いつからそこにいたのか、庵にはわかりません。
「リンくん……どうして?」
「なんでだろう。なんとなくいおちゃんのことが気になって、戻ってきたんだ」
 リンくんはそう言いました。リンくんの優しさに庵は嬉しくなります。でも一方で、これもただ自分がリンくんにそう言わせているだけなのではないかと、不安な気持ちにもなるのでした。
「いおちゃん……泣いてるの?」
 リンくんが心配そうに庵の顔を覗き込みます。涙まじりの声で、庵は言いました。
「お母さまたちが……いつかリンくんがいなくなるって、そう言うの」
「ぼくが?」
 うん、と消え入りそうな声で庵は言います。
「ぼくは、いなくならないよ」
「本当?」
「うん、本当」
「いおと、ずっと一緒にいてくれる?」
「うん。いおちゃんとずっと一緒にいる。いおちゃんと毎日一緒に遊んで、おとなになったら、いおちゃんと結婚するんだ」
「いや!」庵はぶんぶん首を振りました。「いお、おとなになんかなりたくない!」
「いおちゃん?」
「だって……だってお母さまたちが、おとなになったらリンくん消えちゃうって、会えるのは今だけだって、そう言って……」
 庵の目から、また涙が溢れ出てきました。おとなになることを想像すると、お母さまたちの言っていたことがどうしても庵の胸を過るのでした。
「いおちゃん」
 リンくんが言いました。
「それじゃあぼくたち、今すぐ結婚しよう」
「え?」
 庵が顔を上げると、真剣な顔をしたリンくんが庵のことを見つめていました。
「結婚をした二人は、ずっと一緒にいられるんだ。そうしたら、おとなになっても、おじいさんおばあさんになっても、ぼくたちはいつまでもずっと一緒だよ」
「でも、結婚するには、結婚指輪が必要だって、お母さまが……」
「これ」
 リンくんはズボンのポケットに手を入れ、何かを取り出しました。リンくんの手のひらに乗っていたのは、針金で作った二つの小さな指輪でした。
「この間うまく作れなかったから、あの後、家に帰って作ったんだ。いつか、いおちゃんにあげようと思って」
「リンくん……」
 庵の目に、また涙が浮かびました。それは先ほどまでとは違った涙でした。
 リンくんは庵の手をとって、庵を優しく立ち上がらせてくれました。
「ええと……ちかいますか?」
「え、なあに?」
「わかんない。結婚をするときには、こうやって相手にきくんだって。いおちゃんは『はい』って言って」
「うん、わかった」
「いおちゃん、あなたはちかいますか?」
「はい!」
 庵は勢いよく手を挙げて答えました。
「いおちゃんも、ぼくにきいて」
「わかった。えっと……リンくん、ちかいますか?」
「はい。ちかいます」
 リンくんは手に持った針金の指輪を庵の指につけてくれました。庵も、リンくんの指に指輪を通します。
「これでいいの?」
「うん。これでぼくといおちゃんは結婚した。これからは、ずっと一緒だよ」
「やったあ!」
 嬉しくて、庵はぴょんぴょん跳ね回ります。顔は涙で濡れたままでしたが、リンくんのお陰で、心はもうすっかり元気なのでした。
「リンくんは、やっぱりアルカナマントだったんだね」
 あるかな? 不思議そうにリンくんは首を傾げます。そんなリンくんをよそに、庵は魔法少女メアちゃんになったつもりで大きな声で魔法を唱えるのでした。