第1章 捨てる神あれば拾う神あり-3
ー/ー 駆の大学の最寄り駅と、私の住んでいるマンションのある最寄り駅は渋谷で乗り換え一時間以上かかる。そこそこ混んでいる電車に乗っている間、私達は小声でひそひそと互いのことを色々と話し合った。
駆は岩手県出身であり、母方の実家は盛岡近郊の町で不動産業を営んでいるらしかった。家長であるお祖母さんが社長で、その長女である駆のお母さんがいずれその後を継ぐことが決まっているそうだ。あり得ないほど厳しいお父さんは実は婿養子で、キャリア官僚の中でも優秀な人材が多い事で知られている警察官僚らしい。お母さんと結婚してからほとんど単身赴任をしていて、今はたまたま東京の官舎に住んでいたのだが、駆の留年の話をお母さんから聞きつけ昨日の早朝賃貸マンションをいきなり訪ねてきて、厳しい追及というか尋問を行い最終的にFQⅢのことがバレてしまったそうだ。
「黙ってれば分からなかったよね?」
と私が尋ねると、駆は整った顔に情けなさそうな笑みを浮かべた。
「オレ、父さんには嘘はつけないんだ。ついたとしても絶対にバレてしまう。だって相手は現役の警察官なんだよ」
「まあ、そうだよね……」
「それに部屋中にオレの好きなもの広がってたから、それが怒りに拍車をかけたみたいで……」
「オレの好きなものって?」
駆の表情が更に情けなさを増す。
「大人買いした少女漫画一式に、『ひっそりぐらし』の大量のぬいぐるみ……」
『ひっそりぐらし』とはパステルカラーの丸っこくて愛らしいキャラクター達なのだが、各キャラとも実は切ない設定があって単純に子ども向けとは言えない奥深さがある。だが男子大学生の部屋に少女漫画と共に大量に置いてあったら確かに驚きはするだろう。
駆は外見とは正反対に少女趣味の持ち主だったようだ。昭和な親父気質なお父さんはそれも許せなかったのだろうか。『今まで養ってやった分まで返せとは言わないが、成人してまで自分を律することができないない息子をこれ以上養う必要はない。今後は自力で生活しろ、勘当だ、今日で親子の縁は切れた』と言い残して去って行ったそうだ。
「お父さんは留年の理由が何だったら納得したんだろう?」
私はあまりにも理不尽すぎる話に憤慨する。駆は手で顔を覆った。
「分からないよ……オレと父さんは巡り合わせが悪かったとしか言いようがないくらい相性が悪いんだ。父さんによく似た三つ年上の兄さんは頭もすごく良くて、両親の期待に応え続けてるっていうのに……」
駆のお兄さんはT大法学部を卒業後、お父さんと同じ警察官僚の道を順調に歩んでいるそうだ。聞かされる話がいちいち現実離れしていて、私は眩暈がしそうだった。先ほど駆からK大の学生証を見せてもらっていなければ、にわかには信じられない話だった。
「少女漫画もひっそりぐらしだって何も悪くないよ! 悪いのはその分からず屋のお父さんなんだからね!」
私は拳を握り締め、力説した。
「私だって少女漫画は愛好しているし、ひっそりぐらしのぬいぐるみくらい二つ三つ持ってるよ。男がそれを好きだったからってどこが悪いの!」
私の亡くなった父もなかなかのオタクで、少女漫画にはそこそこ詳しかった。正直そんな父を侮辱された気分だ。
「女々しいって言われたよ……」
駆のお父さんのジェンダー観が古すぎて、私は文字通り卒倒しそうになった。それってオタク全般に喧嘩売ってないか。私は念のために質問する。
「君はただ少女漫画やひっそりぐらしが好きなだけだよね?」
「うん、昔から少女漫画や可愛いものが大好きだったんだ……でも家ではゲームもそうだけど漫画を読むのは禁じられていたし、可愛いキャラグッズとか小遣いで買っても女っぽいって否定され続けた……」
「そんな……」
私は胸がつぶれそうな気分になった。
「だからオレ、親にバレないように通っていたピアノの先生の家でだけ少女漫画を読ませてもらったり、友達の家でこっそりゲームを貸してもらったり、親に隠れてあれこれすることが常態化してしまっていたんだ……」
駆は、聞いているだけで辛くなってくる子どもの頃の話をぼそぼそとする。私は心からの同情を込めて言った。
「君は抑圧されすぎだよ。だから一人暮らしした時の反動がものすごかったんだね……」
確かにクラスに一人くらいは駆みたいな生徒がいたように思う。家の躾が厳しくて、ゲームをさせてもらえないから友達の家に行ってはむさぼるようにゲームで遊んでいた。皆も可哀そうだから自分の携帯ゲーム機を貸してあげるんだけど、貸したらなかなか戻ってこないから結局遠巻きにしてしまったりとか。実際私も親が教育熱心でゲームで遊べなかった男子に、うちに遊びに来る度に余った携帯ゲーム機を貸してあげていた。あの子は結局私立中学受験勉強のために時間を奪われ、うちに遊びに来ることすらできなくなっていたけど、今頃元気でやっているんだろうか。
「大学入ってすぐ衝動的に少女漫画やひっそりぐらしのぬいぐるみを大人買いしたのは良かったけど、同級生に趣味がバレるのが怖くて部屋に誰も招待できなくて……」
駆は弱々しく笑った。
「実はそんなに気にすることじゃなかったのかも」
「確かにバカな男子でそういうことをからかうのもいるけど、そんなバカとは付き合わなければいいだけだし」
と私が言うと、駆はずけずけ言う私に驚いたようだった。
「アルファさんってそういう事言うタイプだったんだ」
「だって本当の事じゃない。いい年して人の趣味に首突っ込むヤツはバカなんだよ」
駆は目を見開き隣に座っている私の顔をまじまじと見つめている。まるで駆の中でパラダイムシフトでも起こっているかのようだった。
「……オレが悪い訳じゃないって言ってるの?」
「あったり前じゃん。漫画やぬいぐるみはお小遣いかアルバイトしたお金で買ったんでしょ? 万引きしたならともかく」
「そんなこと絶対にするはずない!」
警察官の息子である駆は強く否定する。私は安心させるように優しく笑みを浮かべてみせた。
「なら、うちでは堂々と飾っていいからね。もしかして気にしてた?」
駆は小さく頷くと、両手で目を覆った。
「……オレ……嬉しいんだ……今までずっと自分の趣味に罪の意識を抱いていた……どうして自分は父さんが求めるような男らしい趣味を持てないんだろうって……なのにアルファさんがいいって言ってくれる……それがこんなにも嬉しいことだなんて思わなかった……」
駆の低く穏やかな声が震えていた。もしかして駆、泣いている? それに気が付き私は動揺した。それなりに混んでいる電車内でイケメンにさめざめと泣かれたら私はどうすればいいんだ。 私は考えあぐねた末、ショルダーバッグの中から清潔なミニタオルを取り出すと駆の膝の上にこそっと置いた。恋人ならそっと寄り添うとか、手を握るとかありなのだろうが、私達はまだ直接対面二度目のほぼ他人なのだ。それでも会話が弾んだのは、ゲームチャットでずっと交流していたからなのだろう。
だがよくよく考えてみると、親から勘当されたといって普通ゲーム仲間に助けを求めるだろうか。求めるとしたらまずは親しい友人や恋人、サークル仲間なのではないか。もしかすると駆はリアルな周囲の人々に、自分をさらけ出すことが全然できていなかったのかもしれない。そう思うと胸が苦しくなった。
駆は膝の上に置かれたミニタオルでさりげなく涙をぬぐうと、私に返してくる。
「アルファさん、本当にありがとう。オレ就職したら絶対にアルファさんに恩返しするからね!」
「その前に確実に卒業しよう。私、君のことは可能な限りサポートするから」
「うっ、痛いところをつかれた」
駆は泣き笑いしながらそう言う。
実を言えば、私にはマンション以外に両親の残してくれた死亡保険金やら事故の賠償金やらで、他人様にはとても言えないような多額の資産がある。本当は駆の学費や生活費だって無利子で貸し出せるのだ。だがそれは極力したくなかった。だって、反動だったとはいえうっかり人生舐めプしてしまったのは駆自身の責任だから。父親が駆を『勘当』したのはまた別な話だが、試験よりもゲームを重視してしまった自分の選択の愚かさにきちんと向き合うことは、今の駆にとって絶対に必要なことだと思ったからだ。
心の中であれやこれや思いつつ、私は駆を真っ直ぐに見つめた。
「とりあえず君がしっかりご飯作ってくれるなら、家賃はタダでいいよ。おまけして食費や光熱費も私負担でいいや。洗濯は各自行う。君はまず学費を稼ぐことに専念して」
駆は真面目な顔で拝聴している。私は続けた。
「私は年長者の責務として、君に大学を卒業・就職してしっかりと自立してもらいたいんだ。ま、それまでしばらくは私の事を君のマネージャーみたいなものだと思ってくれればいいよ」
「アルファさんにそんな責務は……」
駆が言いかけたので、私は両手で制した。
「確かに、君のお父さんが放棄した扶養を赤の他人の私が担う必要は本当はないよね。君はお父さんが言うように既に成人してるし。でも生活能力がないのは紛れもない事実だ。これも何かのご縁だと思って素直に受け入れた方がいいよ」
駆は少し考えてから素直に頷く。私も頷き返した。
「君は大学を卒業するまでに二年分の学費や諸経費を稼ぐ必要がある。調べてみたけどざっと三百万弱だね」
先ほどスマホを使ってK大のホームページで確認してみた。気が遠くなるような金額だ。家賃や生活費も稼ぎながら大学に通うなんてまず不可能だと思う。勘当されたとは言ってもあくまでも私的な話であり法律上親子の縁が切れた訳ではないから、新たに貸与型奨学金申請もできないだろう。留年してしまったら成績重視の給付型奨学金なんて絶対に無理だ。父親が激怒するのも理解できなくはないが、元々理系は留年しやすいからゲームに嵌っていなくても留年する可能性はあったのだけど。駆が真剣に試験に取り組んだ結果留年していたら許していたのだろうか? 私には全く理解できない親子関係だ。
「立ち入ったこと聞いて本当に申し訳ないけど、今君の貯金はどのくらいある?」
「……百万くらいかな……」
さすがお坊ちゃまだ。私が駆の年齢の頃は自分の口座に五万円くらいしか入っていなかったぞ。
「なるほど、じゃ4月に振り込む前期の学費は何とかなりそうだね。9月に後期の学費を振り込むとするとアルバイトに励まないといけないわけだ。だけど大学にもしっかり通わないとね」
ううっ……と駆がたじろいだ。頭では分かっていても、まだ気持ちが付いていかないのだろう。
「今は確か就活がどんどん早まっていたよね。インターンシップとか。君はもうやっていた?」
「……大学院に行こうと思っていたから全然やってなかった……」
駆はぼそっと言った。今回勘当された事でK大の大学院進学の可能性はほぼ消えてしまった。もちろん学費の安い国公立に行こうと思えば行けなくはないだろうけど。いずれにしてもそれはある程度卒業が見えてからの話だろう。
「……オレ……親にあれこれ干渉されて不自由だと常々思っていたけど、本当はおんぶにだっこだったんだな……ずっと反発感じていたくせに、高額な学費や生活費を出してもらうことが当たり前だと思い込んでいる甘ったれだった……」
駆は膝の上に両拳を載せると悔やむように俯いた。私は首を傾げる。
「んー、確かにその通りなんだけど、私も親から私大の学費を出してもらうのは当然だと思っていたよ。学生の多くはそんな認識なんじゃない?」
私は突然親を失うまで明日も今日と同じ日が続くと無邪気に信じ込んでいたから、駆のことを責める事は全くできなかった。親の庇護を自分の当然の権利だと信じ切っていたのだ。私の場合親を亡くしたのは就職してからだったから、大学の学費や生活費は完全に親に頼り切っていたし、アルバイトで稼いだお金は全て趣味や旅行に使ってしまっていたのだ。
「オレ、今日からFQⅢは止めるよ」
真顔で駆がそう言うので、私は慌てて止めた。
「ストレス発散は大事だよ。そうだ、私がログインしている時だけ遊べばいいんじゃない。パーティの皆にそう宣言すれば、皆もちゃんと指摘してくれると思うし」
「オレを甘やかしちゃダメだよ……」
駆が口をとがらせるが、私はきっぱり否定した。
「違うって。ちゃんと時間管理ができていればネットゲームだって悪いことじゃないよ。FQⅢを止めたって結局他のゲームとかに走ってしまったら世話ないし……」
「そんなもんなのかな……オレって本当にダメダメだから自分に自信ないんだ……」
駆の自己肯定感は驚くべきほど低かった。先ほどの世間話で、中学からずっと続けていたテニスでインターハイの全国大会に出場するくらいの実力の持ち主ということを知ったのだが、偏差値の高い私立大学に一般入試で合格するくらい頭だっていいはずなのに、私の大学時代のおちゃらけた同級生男子達よりも自分に全然自信がないのだ。FQⅢの高飛車お嬢様キャラも精一杯演技していたのだろう。
「とにかくまずは新生活に慣れることが先だね。焦っちゃダメだよ。それと自分を追い詰めるのもダメ!」
私がそう声をかけた時、自宅の最寄り駅に間もなく到着することを告げる車内アナウンスが流れたので、慌てて立ち上がった。話に夢中になって最寄り駅に近づいている事に全然気が付いていなかったのだ。
駆は岩手県出身であり、母方の実家は盛岡近郊の町で不動産業を営んでいるらしかった。家長であるお祖母さんが社長で、その長女である駆のお母さんがいずれその後を継ぐことが決まっているそうだ。あり得ないほど厳しいお父さんは実は婿養子で、キャリア官僚の中でも優秀な人材が多い事で知られている警察官僚らしい。お母さんと結婚してからほとんど単身赴任をしていて、今はたまたま東京の官舎に住んでいたのだが、駆の留年の話をお母さんから聞きつけ昨日の早朝賃貸マンションをいきなり訪ねてきて、厳しい追及というか尋問を行い最終的にFQⅢのことがバレてしまったそうだ。
「黙ってれば分からなかったよね?」
と私が尋ねると、駆は整った顔に情けなさそうな笑みを浮かべた。
「オレ、父さんには嘘はつけないんだ。ついたとしても絶対にバレてしまう。だって相手は現役の警察官なんだよ」
「まあ、そうだよね……」
「それに部屋中にオレの好きなもの広がってたから、それが怒りに拍車をかけたみたいで……」
「オレの好きなものって?」
駆の表情が更に情けなさを増す。
「大人買いした少女漫画一式に、『ひっそりぐらし』の大量のぬいぐるみ……」
『ひっそりぐらし』とはパステルカラーの丸っこくて愛らしいキャラクター達なのだが、各キャラとも実は切ない設定があって単純に子ども向けとは言えない奥深さがある。だが男子大学生の部屋に少女漫画と共に大量に置いてあったら確かに驚きはするだろう。
駆は外見とは正反対に少女趣味の持ち主だったようだ。昭和な親父気質なお父さんはそれも許せなかったのだろうか。『今まで養ってやった分まで返せとは言わないが、成人してまで自分を律することができないない息子をこれ以上養う必要はない。今後は自力で生活しろ、勘当だ、今日で親子の縁は切れた』と言い残して去って行ったそうだ。
「お父さんは留年の理由が何だったら納得したんだろう?」
私はあまりにも理不尽すぎる話に憤慨する。駆は手で顔を覆った。
「分からないよ……オレと父さんは巡り合わせが悪かったとしか言いようがないくらい相性が悪いんだ。父さんによく似た三つ年上の兄さんは頭もすごく良くて、両親の期待に応え続けてるっていうのに……」
駆のお兄さんはT大法学部を卒業後、お父さんと同じ警察官僚の道を順調に歩んでいるそうだ。聞かされる話がいちいち現実離れしていて、私は眩暈がしそうだった。先ほど駆からK大の学生証を見せてもらっていなければ、にわかには信じられない話だった。
「少女漫画もひっそりぐらしだって何も悪くないよ! 悪いのはその分からず屋のお父さんなんだからね!」
私は拳を握り締め、力説した。
「私だって少女漫画は愛好しているし、ひっそりぐらしのぬいぐるみくらい二つ三つ持ってるよ。男がそれを好きだったからってどこが悪いの!」
私の亡くなった父もなかなかのオタクで、少女漫画にはそこそこ詳しかった。正直そんな父を侮辱された気分だ。
「女々しいって言われたよ……」
駆のお父さんのジェンダー観が古すぎて、私は文字通り卒倒しそうになった。それってオタク全般に喧嘩売ってないか。私は念のために質問する。
「君はただ少女漫画やひっそりぐらしが好きなだけだよね?」
「うん、昔から少女漫画や可愛いものが大好きだったんだ……でも家ではゲームもそうだけど漫画を読むのは禁じられていたし、可愛いキャラグッズとか小遣いで買っても女っぽいって否定され続けた……」
「そんな……」
私は胸がつぶれそうな気分になった。
「だからオレ、親にバレないように通っていたピアノの先生の家でだけ少女漫画を読ませてもらったり、友達の家でこっそりゲームを貸してもらったり、親に隠れてあれこれすることが常態化してしまっていたんだ……」
駆は、聞いているだけで辛くなってくる子どもの頃の話をぼそぼそとする。私は心からの同情を込めて言った。
「君は抑圧されすぎだよ。だから一人暮らしした時の反動がものすごかったんだね……」
確かにクラスに一人くらいは駆みたいな生徒がいたように思う。家の躾が厳しくて、ゲームをさせてもらえないから友達の家に行ってはむさぼるようにゲームで遊んでいた。皆も可哀そうだから自分の携帯ゲーム機を貸してあげるんだけど、貸したらなかなか戻ってこないから結局遠巻きにしてしまったりとか。実際私も親が教育熱心でゲームで遊べなかった男子に、うちに遊びに来る度に余った携帯ゲーム機を貸してあげていた。あの子は結局私立中学受験勉強のために時間を奪われ、うちに遊びに来ることすらできなくなっていたけど、今頃元気でやっているんだろうか。
「大学入ってすぐ衝動的に少女漫画やひっそりぐらしのぬいぐるみを大人買いしたのは良かったけど、同級生に趣味がバレるのが怖くて部屋に誰も招待できなくて……」
駆は弱々しく笑った。
「実はそんなに気にすることじゃなかったのかも」
「確かにバカな男子でそういうことをからかうのもいるけど、そんなバカとは付き合わなければいいだけだし」
と私が言うと、駆はずけずけ言う私に驚いたようだった。
「アルファさんってそういう事言うタイプだったんだ」
「だって本当の事じゃない。いい年して人の趣味に首突っ込むヤツはバカなんだよ」
駆は目を見開き隣に座っている私の顔をまじまじと見つめている。まるで駆の中でパラダイムシフトでも起こっているかのようだった。
「……オレが悪い訳じゃないって言ってるの?」
「あったり前じゃん。漫画やぬいぐるみはお小遣いかアルバイトしたお金で買ったんでしょ? 万引きしたならともかく」
「そんなこと絶対にするはずない!」
警察官の息子である駆は強く否定する。私は安心させるように優しく笑みを浮かべてみせた。
「なら、うちでは堂々と飾っていいからね。もしかして気にしてた?」
駆は小さく頷くと、両手で目を覆った。
「……オレ……嬉しいんだ……今までずっと自分の趣味に罪の意識を抱いていた……どうして自分は父さんが求めるような男らしい趣味を持てないんだろうって……なのにアルファさんがいいって言ってくれる……それがこんなにも嬉しいことだなんて思わなかった……」
駆の低く穏やかな声が震えていた。もしかして駆、泣いている? それに気が付き私は動揺した。それなりに混んでいる電車内でイケメンにさめざめと泣かれたら私はどうすればいいんだ。 私は考えあぐねた末、ショルダーバッグの中から清潔なミニタオルを取り出すと駆の膝の上にこそっと置いた。恋人ならそっと寄り添うとか、手を握るとかありなのだろうが、私達はまだ直接対面二度目のほぼ他人なのだ。それでも会話が弾んだのは、ゲームチャットでずっと交流していたからなのだろう。
だがよくよく考えてみると、親から勘当されたといって普通ゲーム仲間に助けを求めるだろうか。求めるとしたらまずは親しい友人や恋人、サークル仲間なのではないか。もしかすると駆はリアルな周囲の人々に、自分をさらけ出すことが全然できていなかったのかもしれない。そう思うと胸が苦しくなった。
駆は膝の上に置かれたミニタオルでさりげなく涙をぬぐうと、私に返してくる。
「アルファさん、本当にありがとう。オレ就職したら絶対にアルファさんに恩返しするからね!」
「その前に確実に卒業しよう。私、君のことは可能な限りサポートするから」
「うっ、痛いところをつかれた」
駆は泣き笑いしながらそう言う。
実を言えば、私にはマンション以外に両親の残してくれた死亡保険金やら事故の賠償金やらで、他人様にはとても言えないような多額の資産がある。本当は駆の学費や生活費だって無利子で貸し出せるのだ。だがそれは極力したくなかった。だって、反動だったとはいえうっかり人生舐めプしてしまったのは駆自身の責任だから。父親が駆を『勘当』したのはまた別な話だが、試験よりもゲームを重視してしまった自分の選択の愚かさにきちんと向き合うことは、今の駆にとって絶対に必要なことだと思ったからだ。
心の中であれやこれや思いつつ、私は駆を真っ直ぐに見つめた。
「とりあえず君がしっかりご飯作ってくれるなら、家賃はタダでいいよ。おまけして食費や光熱費も私負担でいいや。洗濯は各自行う。君はまず学費を稼ぐことに専念して」
駆は真面目な顔で拝聴している。私は続けた。
「私は年長者の責務として、君に大学を卒業・就職してしっかりと自立してもらいたいんだ。ま、それまでしばらくは私の事を君のマネージャーみたいなものだと思ってくれればいいよ」
「アルファさんにそんな責務は……」
駆が言いかけたので、私は両手で制した。
「確かに、君のお父さんが放棄した扶養を赤の他人の私が担う必要は本当はないよね。君はお父さんが言うように既に成人してるし。でも生活能力がないのは紛れもない事実だ。これも何かのご縁だと思って素直に受け入れた方がいいよ」
駆は少し考えてから素直に頷く。私も頷き返した。
「君は大学を卒業するまでに二年分の学費や諸経費を稼ぐ必要がある。調べてみたけどざっと三百万弱だね」
先ほどスマホを使ってK大のホームページで確認してみた。気が遠くなるような金額だ。家賃や生活費も稼ぎながら大学に通うなんてまず不可能だと思う。勘当されたとは言ってもあくまでも私的な話であり法律上親子の縁が切れた訳ではないから、新たに貸与型奨学金申請もできないだろう。留年してしまったら成績重視の給付型奨学金なんて絶対に無理だ。父親が激怒するのも理解できなくはないが、元々理系は留年しやすいからゲームに嵌っていなくても留年する可能性はあったのだけど。駆が真剣に試験に取り組んだ結果留年していたら許していたのだろうか? 私には全く理解できない親子関係だ。
「立ち入ったこと聞いて本当に申し訳ないけど、今君の貯金はどのくらいある?」
「……百万くらいかな……」
さすがお坊ちゃまだ。私が駆の年齢の頃は自分の口座に五万円くらいしか入っていなかったぞ。
「なるほど、じゃ4月に振り込む前期の学費は何とかなりそうだね。9月に後期の学費を振り込むとするとアルバイトに励まないといけないわけだ。だけど大学にもしっかり通わないとね」
ううっ……と駆がたじろいだ。頭では分かっていても、まだ気持ちが付いていかないのだろう。
「今は確か就活がどんどん早まっていたよね。インターンシップとか。君はもうやっていた?」
「……大学院に行こうと思っていたから全然やってなかった……」
駆はぼそっと言った。今回勘当された事でK大の大学院進学の可能性はほぼ消えてしまった。もちろん学費の安い国公立に行こうと思えば行けなくはないだろうけど。いずれにしてもそれはある程度卒業が見えてからの話だろう。
「……オレ……親にあれこれ干渉されて不自由だと常々思っていたけど、本当はおんぶにだっこだったんだな……ずっと反発感じていたくせに、高額な学費や生活費を出してもらうことが当たり前だと思い込んでいる甘ったれだった……」
駆は膝の上に両拳を載せると悔やむように俯いた。私は首を傾げる。
「んー、確かにその通りなんだけど、私も親から私大の学費を出してもらうのは当然だと思っていたよ。学生の多くはそんな認識なんじゃない?」
私は突然親を失うまで明日も今日と同じ日が続くと無邪気に信じ込んでいたから、駆のことを責める事は全くできなかった。親の庇護を自分の当然の権利だと信じ切っていたのだ。私の場合親を亡くしたのは就職してからだったから、大学の学費や生活費は完全に親に頼り切っていたし、アルバイトで稼いだお金は全て趣味や旅行に使ってしまっていたのだ。
「オレ、今日からFQⅢは止めるよ」
真顔で駆がそう言うので、私は慌てて止めた。
「ストレス発散は大事だよ。そうだ、私がログインしている時だけ遊べばいいんじゃない。パーティの皆にそう宣言すれば、皆もちゃんと指摘してくれると思うし」
「オレを甘やかしちゃダメだよ……」
駆が口をとがらせるが、私はきっぱり否定した。
「違うって。ちゃんと時間管理ができていればネットゲームだって悪いことじゃないよ。FQⅢを止めたって結局他のゲームとかに走ってしまったら世話ないし……」
「そんなもんなのかな……オレって本当にダメダメだから自分に自信ないんだ……」
駆の自己肯定感は驚くべきほど低かった。先ほどの世間話で、中学からずっと続けていたテニスでインターハイの全国大会に出場するくらいの実力の持ち主ということを知ったのだが、偏差値の高い私立大学に一般入試で合格するくらい頭だっていいはずなのに、私の大学時代のおちゃらけた同級生男子達よりも自分に全然自信がないのだ。FQⅢの高飛車お嬢様キャラも精一杯演技していたのだろう。
「とにかくまずは新生活に慣れることが先だね。焦っちゃダメだよ。それと自分を追い詰めるのもダメ!」
私がそう声をかけた時、自宅の最寄り駅に間もなく到着することを告げる車内アナウンスが流れたので、慌てて立ち上がった。話に夢中になって最寄り駅に近づいている事に全然気が付いていなかったのだ。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
駆の大学の最寄り駅と、私の住んでいるマンションのある最寄り駅は渋谷で乗り換え一時間以上かかる。そこそこ混んでいる電車に乗っている間、私達は小声でひそひそと互いのことを色々と話し合った。
駆は岩手県出身であり、母方の実家は盛岡近郊の町で不動産業を営んでいるらしかった。家長であるお祖母さんが社長で、その長女である駆のお母さんがいずれその後を継ぐことが決まっているそうだ。あり得ないほど厳しいお父さんは実は婿養子で、キャリア官僚の中でも優秀な人材が多い事で知られている警察官僚らしい。お母さんと結婚してからほとんど単身赴任をしていて、今はたまたま東京の官舎に住んでいたのだが、駆の留年の話をお母さんから聞きつけ昨日の早朝賃貸マンションをいきなり訪ねてきて、厳しい追及というか尋問を行い最終的にFQⅢのことがバレてしまったそうだ。
「黙ってれば分からなかったよね?」
と私が尋ねると、駆は整った顔に情けなさそうな笑みを浮かべた。
「オレ、父さんには嘘はつけないんだ。ついたとしても絶対にバレてしまう。だって相手は現役の警察官なんだよ」
「まあ、そうだよね……」
「それに部屋中にオレの好きなもの広がってたから、それが怒りに拍車をかけたみたいで……」
「オレの好きなものって?」
駆の表情が更に情けなさを増す。
「大人買いした少女漫画一式に、『ひっそりぐらし』の大量のぬいぐるみ……」
駆は岩手県出身であり、母方の実家は盛岡近郊の町で不動産業を営んでいるらしかった。家長であるお祖母さんが社長で、その長女である駆のお母さんがいずれその後を継ぐことが決まっているそうだ。あり得ないほど厳しいお父さんは実は婿養子で、キャリア官僚の中でも優秀な人材が多い事で知られている警察官僚らしい。お母さんと結婚してからほとんど単身赴任をしていて、今はたまたま東京の官舎に住んでいたのだが、駆の留年の話をお母さんから聞きつけ昨日の早朝賃貸マンションをいきなり訪ねてきて、厳しい追及というか尋問を行い最終的にFQⅢのことがバレてしまったそうだ。
「黙ってれば分からなかったよね?」
と私が尋ねると、駆は整った顔に情けなさそうな笑みを浮かべた。
「オレ、父さんには嘘はつけないんだ。ついたとしても絶対にバレてしまう。だって相手は現役の警察官なんだよ」
「まあ、そうだよね……」
「それに部屋中にオレの好きなもの広がってたから、それが怒りに拍車をかけたみたいで……」
「オレの好きなものって?」
駆の表情が更に情けなさを増す。
「大人買いした少女漫画一式に、『ひっそりぐらし』の大量のぬいぐるみ……」
『ひっそりぐらし』とはパステルカラーの丸っこくて愛らしいキャラクター達なのだが、各キャラとも実は切ない設定があって単純に子ども向けとは言えない奥深さがある。だが男子大学生の部屋に少女漫画と共に大量に置いてあったら確かに驚きはするだろう。
駆は外見とは正反対に少女趣味の持ち主だったようだ。昭和な親父気質なお父さんはそれも許せなかったのだろうか。『今まで養ってやった分まで返せとは言わないが、成人してまで自分を律することができないない息子をこれ以上養う必要はない。今後は自力で生活しろ、勘当だ、今日で親子の縁は切れた』と言い残して去って行ったそうだ。
駆は外見とは正反対に少女趣味の持ち主だったようだ。昭和な親父気質なお父さんはそれも許せなかったのだろうか。『今まで養ってやった分まで返せとは言わないが、成人してまで自分を律することができないない息子をこれ以上養う必要はない。今後は自力で生活しろ、勘当だ、今日で親子の縁は切れた』と言い残して去って行ったそうだ。
「お父さんは留年の理由が何だったら納得したんだろう?」
私はあまりにも理不尽すぎる話に憤慨する。駆は手で顔を覆った。
「分からないよ……オレと父さんは巡り合わせが悪かったとしか言いようがないくらい相性が悪いんだ。父さんによく似た三つ年上の兄さんは頭もすごく良くて、両親の期待に応え続けてるっていうのに……」
駆のお兄さんはT大法学部を卒業後、お父さんと同じ警察官僚の道を順調に歩んでいるそうだ。聞かされる話がいちいち現実離れしていて、私は眩暈がしそうだった。先ほど駆からK大の学生証を見せてもらっていなければ、にわかには信じられない話だった。
私はあまりにも理不尽すぎる話に憤慨する。駆は手で顔を覆った。
「分からないよ……オレと父さんは巡り合わせが悪かったとしか言いようがないくらい相性が悪いんだ。父さんによく似た三つ年上の兄さんは頭もすごく良くて、両親の期待に応え続けてるっていうのに……」
駆のお兄さんはT大法学部を卒業後、お父さんと同じ警察官僚の道を順調に歩んでいるそうだ。聞かされる話がいちいち現実離れしていて、私は眩暈がしそうだった。先ほど駆からK大の学生証を見せてもらっていなければ、にわかには信じられない話だった。
「少女漫画もひっそりぐらしだって何も悪くないよ! 悪いのはその分からず屋のお父さんなんだからね!」
私は拳を握り締め、力説した。
「私だって少女漫画は愛好しているし、ひっそりぐらしのぬいぐるみくらい二つ三つ持ってるよ。男がそれを好きだったからってどこが悪いの!」
私の亡くなった父もなかなかのオタクで、少女漫画にはそこそこ詳しかった。正直そんな父を侮辱された気分だ。
「女々しいって言われたよ……」
駆のお父さんのジェンダー観が古すぎて、私は文字通り卒倒しそうになった。それってオタク全般に喧嘩売ってないか。私は念のために質問する。
「君はただ少女漫画やひっそりぐらしが好きなだけだよね?」
「うん、昔から少女漫画や可愛いものが大好きだったんだ……でも家ではゲームもそうだけど漫画を読むのは禁じられていたし、可愛いキャラグッズとか小遣いで買っても女っぽいって否定され続けた……」
「そんな……」
私は胸がつぶれそうな気分になった。
「だからオレ、親にバレないように通っていたピアノの先生の家でだけ少女漫画を読ませてもらったり、友達の家でこっそりゲームを貸してもらったり、親に隠れてあれこれすることが常態化してしまっていたんだ……」
駆は、聞いているだけで辛くなってくる子どもの頃の話をぼそぼそとする。私は心からの同情を込めて言った。
「君は抑圧されすぎだよ。だから一人暮らしした時の反動がものすごかったんだね……」
私は拳を握り締め、力説した。
「私だって少女漫画は愛好しているし、ひっそりぐらしのぬいぐるみくらい二つ三つ持ってるよ。男がそれを好きだったからってどこが悪いの!」
私の亡くなった父もなかなかのオタクで、少女漫画にはそこそこ詳しかった。正直そんな父を侮辱された気分だ。
「女々しいって言われたよ……」
駆のお父さんのジェンダー観が古すぎて、私は文字通り卒倒しそうになった。それってオタク全般に喧嘩売ってないか。私は念のために質問する。
「君はただ少女漫画やひっそりぐらしが好きなだけだよね?」
「うん、昔から少女漫画や可愛いものが大好きだったんだ……でも家ではゲームもそうだけど漫画を読むのは禁じられていたし、可愛いキャラグッズとか小遣いで買っても女っぽいって否定され続けた……」
「そんな……」
私は胸がつぶれそうな気分になった。
「だからオレ、親にバレないように通っていたピアノの先生の家でだけ少女漫画を読ませてもらったり、友達の家でこっそりゲームを貸してもらったり、親に隠れてあれこれすることが常態化してしまっていたんだ……」
駆は、聞いているだけで辛くなってくる子どもの頃の話をぼそぼそとする。私は心からの同情を込めて言った。
「君は抑圧されすぎだよ。だから一人暮らしした時の反動がものすごかったんだね……」
確かにクラスに一人くらいは駆みたいな生徒がいたように思う。家の躾が厳しくて、ゲームをさせてもらえないから友達の家に行ってはむさぼるようにゲームで遊んでいた。皆も可哀そうだから自分の携帯ゲーム機を貸してあげるんだけど、貸したらなかなか戻ってこないから結局遠巻きにしてしまったりとか。実際私も親が教育熱心でゲームで遊べなかった男子に、うちに遊びに来る度に余った携帯ゲーム機を貸してあげていた。あの子は結局私立中学受験勉強のために時間を奪われ、うちに遊びに来ることすらできなくなっていたけど、今頃元気でやっているんだろうか。
「大学入ってすぐ衝動的に少女漫画やひっそりぐらしのぬいぐるみを大人買いしたのは良かったけど、同級生に趣味がバレるのが怖くて部屋に誰も招待できなくて……」
駆は弱々しく笑った。
「実はそんなに気にすることじゃなかったのかも」
「確かにバカな男子でそういうことをからかうのもいるけど、そんなバカとは付き合わなければいいだけだし」
と私が言うと、駆はずけずけ言う私に驚いたようだった。
「アルファさんってそういう事言うタイプだったんだ」
「だって本当の事じゃない。いい年して人の趣味に首突っ込むヤツはバカなんだよ」
駆は目を見開き隣に座っている私の顔をまじまじと見つめている。まるで駆の中でパラダイムシフトでも起こっているかのようだった。
「……オレが悪い訳じゃないって言ってるの?」
「あったり前じゃん。漫画やぬいぐるみはお小遣いかアルバイトしたお金で買ったんでしょ? 万引きしたならともかく」
「そんなこと絶対にするはずない!」
警察官の息子である駆は強く否定する。私は安心させるように優しく笑みを浮かべてみせた。
「なら、うちでは堂々と飾っていいからね。もしかして気にしてた?」
駆は小さく頷くと、両手で目を覆った。
「……オレ……嬉しいんだ……今までずっと自分の趣味に罪の意識を抱いていた……どうして自分は父さんが求めるような男らしい趣味を持てないんだろうって……なのにアルファさんがいいって言ってくれる……それがこんなにも嬉しいことだなんて思わなかった……」
駆の低く穏やかな声が震えていた。もしかして駆、泣いている? それに気が付き私は動揺した。それなりに混んでいる電車内でイケメンにさめざめと泣かれたら私はどうすればいいんだ。 私は考えあぐねた末、ショルダーバッグの中から清潔なミニタオルを取り出すと駆の膝の上にこそっと置いた。恋人ならそっと寄り添うとか、手を握るとかありなのだろうが、私達はまだ直接対面二度目のほぼ他人なのだ。それでも会話が弾んだのは、ゲームチャットでずっと交流していたからなのだろう。
だがよくよく考えてみると、親から勘当されたといって普通ゲーム仲間に助けを求めるだろうか。求めるとしたらまずは親しい友人や恋人、サークル仲間なのではないか。もしかすると駆はリアルな周囲の人々に、自分をさらけ出すことが全然できていなかったのかもしれない。そう思うと胸が苦しくなった。
駆は弱々しく笑った。
「実はそんなに気にすることじゃなかったのかも」
「確かにバカな男子でそういうことをからかうのもいるけど、そんなバカとは付き合わなければいいだけだし」
と私が言うと、駆はずけずけ言う私に驚いたようだった。
「アルファさんってそういう事言うタイプだったんだ」
「だって本当の事じゃない。いい年して人の趣味に首突っ込むヤツはバカなんだよ」
駆は目を見開き隣に座っている私の顔をまじまじと見つめている。まるで駆の中でパラダイムシフトでも起こっているかのようだった。
「……オレが悪い訳じゃないって言ってるの?」
「あったり前じゃん。漫画やぬいぐるみはお小遣いかアルバイトしたお金で買ったんでしょ? 万引きしたならともかく」
「そんなこと絶対にするはずない!」
警察官の息子である駆は強く否定する。私は安心させるように優しく笑みを浮かべてみせた。
「なら、うちでは堂々と飾っていいからね。もしかして気にしてた?」
駆は小さく頷くと、両手で目を覆った。
「……オレ……嬉しいんだ……今までずっと自分の趣味に罪の意識を抱いていた……どうして自分は父さんが求めるような男らしい趣味を持てないんだろうって……なのにアルファさんがいいって言ってくれる……それがこんなにも嬉しいことだなんて思わなかった……」
駆の低く穏やかな声が震えていた。もしかして駆、泣いている? それに気が付き私は動揺した。それなりに混んでいる電車内でイケメンにさめざめと泣かれたら私はどうすればいいんだ。 私は考えあぐねた末、ショルダーバッグの中から清潔なミニタオルを取り出すと駆の膝の上にこそっと置いた。恋人ならそっと寄り添うとか、手を握るとかありなのだろうが、私達はまだ直接対面二度目のほぼ他人なのだ。それでも会話が弾んだのは、ゲームチャットでずっと交流していたからなのだろう。
だがよくよく考えてみると、親から勘当されたといって普通ゲーム仲間に助けを求めるだろうか。求めるとしたらまずは親しい友人や恋人、サークル仲間なのではないか。もしかすると駆はリアルな周囲の人々に、自分をさらけ出すことが全然できていなかったのかもしれない。そう思うと胸が苦しくなった。
駆は膝の上に置かれたミニタオルでさりげなく涙をぬぐうと、私に返してくる。
「アルファさん、本当にありがとう。オレ就職したら絶対にアルファさんに恩返しするからね!」
「その前に確実に卒業しよう。私、君のことは可能な限りサポートするから」
「うっ、痛いところをつかれた」
駆は泣き笑いしながらそう言う。
実を言えば、私にはマンション以外に両親の残してくれた死亡保険金やら事故の賠償金やらで、他人様にはとても言えないような多額の資産がある。本当は駆の学費や生活費だって無利子で貸し出せるのだ。だがそれは極力したくなかった。だって、反動だったとはいえうっかり人生舐めプしてしまったのは駆自身の責任だから。父親が駆を『勘当』したのはまた別な話だが、試験よりもゲームを重視してしまった自分の選択の愚かさにきちんと向き合うことは、今の駆にとって絶対に必要なことだと思ったからだ。
「アルファさん、本当にありがとう。オレ就職したら絶対にアルファさんに恩返しするからね!」
「その前に確実に卒業しよう。私、君のことは可能な限りサポートするから」
「うっ、痛いところをつかれた」
駆は泣き笑いしながらそう言う。
実を言えば、私にはマンション以外に両親の残してくれた死亡保険金やら事故の賠償金やらで、他人様にはとても言えないような多額の資産がある。本当は駆の学費や生活費だって無利子で貸し出せるのだ。だがそれは極力したくなかった。だって、反動だったとはいえうっかり人生舐めプしてしまったのは駆自身の責任だから。父親が駆を『勘当』したのはまた別な話だが、試験よりもゲームを重視してしまった自分の選択の愚かさにきちんと向き合うことは、今の駆にとって絶対に必要なことだと思ったからだ。
心の中であれやこれや思いつつ、私は駆を真っ直ぐに見つめた。
「とりあえず君がしっかりご飯作ってくれるなら、家賃はタダでいいよ。おまけして食費や光熱費も私負担でいいや。洗濯は各自行う。君はまず学費を稼ぐことに専念して」
駆は真面目な顔で拝聴している。私は続けた。
「私は年長者の責務として、君に大学を卒業・就職してしっかりと自立してもらいたいんだ。ま、それまでしばらくは私の事を君のマネージャーみたいなものだと思ってくれればいいよ」
「アルファさんにそんな責務は……」
駆が言いかけたので、私は両手で制した。
「確かに、君のお父さんが放棄した扶養を赤の他人の私が担う必要は本当はないよね。君はお父さんが言うように既に成人してるし。でも生活能力がないのは紛れもない事実だ。これも何かのご縁だと思って素直に受け入れた方がいいよ」
駆は少し考えてから素直に頷く。私も頷き返した。
「君は大学を卒業するまでに二年分の学費や諸経費を稼ぐ必要がある。調べてみたけどざっと三百万弱だね」
先ほどスマホを使ってK大のホームページで確認してみた。気が遠くなるような金額だ。家賃や生活費も稼ぎながら大学に通うなんてまず不可能だと思う。勘当されたとは言ってもあくまでも私的な話であり法律上親子の縁が切れた訳ではないから、新たに貸与型奨学金申請もできないだろう。留年してしまったら成績重視の給付型奨学金なんて絶対に無理だ。父親が激怒するのも理解できなくはないが、元々理系は留年しやすいからゲームに嵌っていなくても留年する可能性はあったのだけど。駆が真剣に試験に取り組んだ結果留年していたら許していたのだろうか? 私には全く理解できない親子関係だ。
「とりあえず君がしっかりご飯作ってくれるなら、家賃はタダでいいよ。おまけして食費や光熱費も私負担でいいや。洗濯は各自行う。君はまず学費を稼ぐことに専念して」
駆は真面目な顔で拝聴している。私は続けた。
「私は年長者の責務として、君に大学を卒業・就職してしっかりと自立してもらいたいんだ。ま、それまでしばらくは私の事を君のマネージャーみたいなものだと思ってくれればいいよ」
「アルファさんにそんな責務は……」
駆が言いかけたので、私は両手で制した。
「確かに、君のお父さんが放棄した扶養を赤の他人の私が担う必要は本当はないよね。君はお父さんが言うように既に成人してるし。でも生活能力がないのは紛れもない事実だ。これも何かのご縁だと思って素直に受け入れた方がいいよ」
駆は少し考えてから素直に頷く。私も頷き返した。
「君は大学を卒業するまでに二年分の学費や諸経費を稼ぐ必要がある。調べてみたけどざっと三百万弱だね」
先ほどスマホを使ってK大のホームページで確認してみた。気が遠くなるような金額だ。家賃や生活費も稼ぎながら大学に通うなんてまず不可能だと思う。勘当されたとは言ってもあくまでも私的な話であり法律上親子の縁が切れた訳ではないから、新たに貸与型奨学金申請もできないだろう。留年してしまったら成績重視の給付型奨学金なんて絶対に無理だ。父親が激怒するのも理解できなくはないが、元々理系は留年しやすいからゲームに嵌っていなくても留年する可能性はあったのだけど。駆が真剣に試験に取り組んだ結果留年していたら許していたのだろうか? 私には全く理解できない親子関係だ。
「立ち入ったこと聞いて本当に申し訳ないけど、今君の貯金はどのくらいある?」
「……百万くらいかな……」
さすがお坊ちゃまだ。私が駆の年齢の頃は自分の口座に五万円くらいしか入っていなかったぞ。
「なるほど、じゃ4月に振り込む前期の学費は何とかなりそうだね。9月に後期の学費を振り込むとするとアルバイトに励まないといけないわけだ。だけど大学にもしっかり通わないとね」
ううっ……と駆がたじろいだ。頭では分かっていても、まだ気持ちが付いていかないのだろう。
「今は確か就活がどんどん早まっていたよね。インターンシップとか。君はもうやっていた?」
「……大学院に行こうと思っていたから全然やってなかった……」
駆はぼそっと言った。今回勘当された事でK大の大学院進学の可能性はほぼ消えてしまった。もちろん学費の安い国公立に行こうと思えば行けなくはないだろうけど。いずれにしてもそれはある程度卒業が見えてからの話だろう。
「……百万くらいかな……」
さすがお坊ちゃまだ。私が駆の年齢の頃は自分の口座に五万円くらいしか入っていなかったぞ。
「なるほど、じゃ4月に振り込む前期の学費は何とかなりそうだね。9月に後期の学費を振り込むとするとアルバイトに励まないといけないわけだ。だけど大学にもしっかり通わないとね」
ううっ……と駆がたじろいだ。頭では分かっていても、まだ気持ちが付いていかないのだろう。
「今は確か就活がどんどん早まっていたよね。インターンシップとか。君はもうやっていた?」
「……大学院に行こうと思っていたから全然やってなかった……」
駆はぼそっと言った。今回勘当された事でK大の大学院進学の可能性はほぼ消えてしまった。もちろん学費の安い国公立に行こうと思えば行けなくはないだろうけど。いずれにしてもそれはある程度卒業が見えてからの話だろう。
「……オレ……親にあれこれ干渉されて不自由だと常々思っていたけど、本当はおんぶにだっこだったんだな……ずっと反発感じていたくせに、高額な学費や生活費を出してもらうことが当たり前だと思い込んでいる甘ったれだった……」
駆は膝の上に両拳を載せると悔やむように俯いた。私は首を傾げる。
「んー、確かにその通りなんだけど、私も親から私大の学費を出してもらうのは当然だと思っていたよ。学生の多くはそんな認識なんじゃない?」
私は突然親を失うまで明日も今日と同じ日が続くと無邪気に信じ込んでいたから、駆のことを責める事は全くできなかった。親の庇護を自分の当然の権利だと信じ切っていたのだ。私の場合親を亡くしたのは就職してからだったから、大学の学費や生活費は完全に親に頼り切っていたし、アルバイトで稼いだお金は全て趣味や旅行に使ってしまっていたのだ。
駆は膝の上に両拳を載せると悔やむように俯いた。私は首を傾げる。
「んー、確かにその通りなんだけど、私も親から私大の学費を出してもらうのは当然だと思っていたよ。学生の多くはそんな認識なんじゃない?」
私は突然親を失うまで明日も今日と同じ日が続くと無邪気に信じ込んでいたから、駆のことを責める事は全くできなかった。親の庇護を自分の当然の権利だと信じ切っていたのだ。私の場合親を亡くしたのは就職してからだったから、大学の学費や生活費は完全に親に頼り切っていたし、アルバイトで稼いだお金は全て趣味や旅行に使ってしまっていたのだ。
「オレ、今日からFQⅢは止めるよ」
真顔で駆がそう言うので、私は慌てて止めた。
「ストレス発散は大事だよ。そうだ、私がログインしている時だけ遊べばいいんじゃない。パーティの皆にそう宣言すれば、皆もちゃんと指摘してくれると思うし」
「オレを甘やかしちゃダメだよ……」
駆が口をとがらせるが、私はきっぱり否定した。
「違うって。ちゃんと時間管理ができていればネットゲームだって悪いことじゃないよ。FQⅢを止めたって結局他のゲームとかに走ってしまったら世話ないし……」
「そんなもんなのかな……オレって本当にダメダメだから自分に自信ないんだ……」
真顔で駆がそう言うので、私は慌てて止めた。
「ストレス発散は大事だよ。そうだ、私がログインしている時だけ遊べばいいんじゃない。パーティの皆にそう宣言すれば、皆もちゃんと指摘してくれると思うし」
「オレを甘やかしちゃダメだよ……」
駆が口をとがらせるが、私はきっぱり否定した。
「違うって。ちゃんと時間管理ができていればネットゲームだって悪いことじゃないよ。FQⅢを止めたって結局他のゲームとかに走ってしまったら世話ないし……」
「そんなもんなのかな……オレって本当にダメダメだから自分に自信ないんだ……」
駆の自己肯定感は驚くべきほど低かった。先ほどの世間話で、中学からずっと続けていたテニスでインターハイの全国大会に出場するくらいの実力の持ち主ということを知ったのだが、偏差値の高い私立大学に一般入試で合格するくらい頭だっていいはずなのに、私の大学時代のおちゃらけた同級生男子達よりも自分に全然自信がないのだ。FQⅢの高飛車お嬢様キャラも精一杯演技していたのだろう。
「とにかくまずは新生活に慣れることが先だね。焦っちゃダメだよ。それと自分を追い詰めるのもダメ!」
私がそう声をかけた時、自宅の最寄り駅に間もなく到着することを告げる車内アナウンスが流れたので、慌てて立ち上がった。話に夢中になって最寄り駅に近づいている事に全然気が付いていなかったのだ。
「とにかくまずは新生活に慣れることが先だね。焦っちゃダメだよ。それと自分を追い詰めるのもダメ!」
私がそう声をかけた時、自宅の最寄り駅に間もなく到着することを告げる車内アナウンスが流れたので、慌てて立ち上がった。話に夢中になって最寄り駅に近づいている事に全然気が付いていなかったのだ。