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第三話

ー/ー



 いよいよタクシーチケットを使う日が訪れた。
 待ち合わせ場所に指定した、街で一番大きい駅の改札前に、春田は時間通りに現れた。
「来ていただいてありがとうございます」
「いや、こちらこそありがとう。声をかけてくれて嬉しいよ」
 声はややかすれていたが、電話の時よりはずっとマシで、惟人はほっと胸を撫でおろし、逸る気持ちを抑えながら配車専用ダイヤルに電話を掛けた。
 二人は改札前からロータリーに移動し、バスやタクシーがひっきりなしに出入りする様子を見ていると、チケットと同じ漆黒に塗られた車体が見えた。
 タクシーも気づいたようで、二人の前に停車し、後部座席のドアを開ける。
「中町唯人様でしょうか?」
「はい、そうです」
「お待たせいたしました。どうぞご乗車ください」
 運転手は帽子を深くかぶってマスクをしていたが、声で女性だと分かった。
 ――俺の母親と同じくらいの歳かな。
 春田も乗り込み、ドアが閉められた。
「本日は時空タクシーをご利用いただきありがとうございます。いつまでお戻りになりますか?」
「えっと、23年前の9月10日でお願いします」
 どこまで行くかではなく、いつまで戻るかと聞かれたことで、惟人はこのタクシーが本物であると確信した。
「かしこまりました。シートベルトをお締めください」
 タクシーはロータリーを抜けて大通りに出る。
 やがて線形の良いバイパス道路に合流し、長い直線になるとぐんぐんスピードを上げ、前の車へぶつかる寸前に時空間へ突入した。
 窓から見える景色が一変し、ねじ曲がった時計が取り囲んでいる。
「お客様は何をしに戻られるんですか?」
「父親に会いに行きたいなと思って。俺が3歳の時に死んじゃったんで……」
「そう、でしたか。知らずとはいえ失礼しました」
 運転手が声を詰まらせる。
「気にしないでください。ちらっとでも見れればそれで十分なんで」
 しんみりとした空気になってしまったので、惟人は話題を変えようと視線を巡らせる。
 すると、助手席前のスーパーサインに掲示してある乗務員証が目に入る。
 ――時空タクシー株式会社、春田真紀。
「運転手さん春田って名前なんですね」
「え、ええ」
「春田さん、同じ苗字なんて偶然にしてもすごいっすね!」
「あ、ああ。そうだね……」
 春田は恥ずかしいそうな顔を伏せ、運転手の春田も話を広げようとはしなかった。
 また妙な雰囲気になってしまったことを惟人は悔やみ、ボディバッグの中からお茶を出そうと思ったが入っていなかった。
「しまった、飲み物買っておけばよかった」
「だったらこれを飲むといいよ。朝買ったやつだから」
「すみません、ありがとうございます」
 春田が手渡したペットボトルのお茶を飲んで、惟人は少し落ち着いた。
 ――あれ? 何だろう、頭がくらくらする……。
 突然、惟人は猛烈な眠気に襲われ、傾いた頭が窓枠に収まって動かなくなった。
「ごめんよ、惟人君」
 朦朧とする意識の中で、かろうじて聞こえた春田の声を最後に、惟人の意識は完全に途切れた。
「お客様、到着しましたよ。起きてください」
 春田に肩をゆすられ、惟人はようやく目が覚めた。
 ――やっべ、寝てたのか。俺はタクシーと相性が良くないのかな……。
 おぼつかない足取りで降車すると、タクシーはさっさと走り去った。
「ここどこ――ってうわ、たまき荘の前じゃないっすか」
 辺りを見回すと、時間は夜になっていた。
 街灯に照らされる道路は狭く家もまばらで、23年前に戻っているような雰囲気は感じられるが、たまき荘だけは変わっているように見えなかった。
「すみません、幽霊屋敷の前に着くとは思わなくて」
「いいんだよ。ここ俺の家だから」
 ――は?
 言葉を飲み込めない惟人を他所に、春田はたまき荘の門扉を開けて敷地の中に入り、真ん中の部屋の前でポケットから鍵を取り出し、ドアに差し込む。
 肝試しの時、惟人が人影を見たと錯覚した103号室。
 惟人は背筋が凍りついた。
「え、だってここ立入禁止じゃないんですか」
「俺の親戚が不動産やっててね。色々あって今は俺がこのアパートのオーナーなんだ。時空タクシーの話を聞いた時、君の居場所が必要なんじゃないかと思って、用意しておいたんだ」
 父親に会うことしか考えていなかった惟人は、呆然と立ち尽くした。
 春田の言う通り、本来二人はこの時間軸にいてはいけない人間であるから、惟人とて実家に行く訳にはいかないし、ホテルに泊まる事も避けた方が無難だ。
 その点、たまき荘なら人目につかないし、多少の物音がしても幽霊が出た程度で片付く。
「ほら、入りなよ。誰かに見られるだけで未来が変わってしまうかもしれないよ」
 惟人は真っ青になりながら、慌てて103号室に飛び込んだ。
 玄関の左側にトイレ、右側にキッチンと、その奥に風呂場を仕切るスライド式のドアが見える。
 正面には引き戸が2つあり、それぞれ4.5畳の和室との境になっており、昭和レトロ感の強い間取になっている。
「今の状況、かなりヤバいですよね……。俺なんにも考えてなかった」
「まあまあ、そのために俺が同乗したようなもんだし、あまり気にしなくていいと思うよ」
 何気ない自分の行動で、未来が変わってしまうかもしれない――。
 意識し出した途端、惟人の心臓は激しく鼓動し、息苦しさがまとわりつく。
「ごめんごめん、余計な事を言って怖がらせて。大丈夫、未来もそう簡単には変わらないから」
「本当ですか……?」
「そうだよ。でなけりゃ、時空タクシーなんて存在しないさ」
 ――それもそうか。
 春田の理論には説得力があり、惟人は少し気が楽になった。
「とりあえず鍵二つ渡しておくね。スペアはポストに入れてあるから」
 春田はポケットからプラスチックのホルダーがついた鍵を取り出し、惟人に渡した。
「それと、よかったらシャワーでも浴びてきなよ。さっぱりするから」
「そうします」
 シャワーを済ませると、焦りや不安から少し解放されたような気がした。
 惟人が出ると入れ替わりで春田が浴室に行った。
「なんか疲れた……」
 惟人は壁に背を預け、車内でもらったお茶を飲み干した。
 ――ヤバい、またくらくらしてきた……。
 ペットボトルには睡眠薬が入っており、睡魔に襲われてから飲んではいけないものだと気づいた。
 目を開けた時、外はすっかり明るくなっていた。
「やっべ、また寝ちゃった。春田さん?」
 隣の部屋にも春田の姿はなく、リビングを見ると浴室の電気がつけっぱなしになっている。
 恐る恐るドアを開けると、狭い浴室に異様な静寂が満ちている。
 春田は、湯も張られていない浴槽の中で体育座りの姿勢のまま、眠っているような表情で冷たくなっていた。


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 いよいよタクシーチケットを使う日が訪れた。
 待ち合わせ場所に指定した、街で一番大きい駅の改札前に、春田は時間通りに現れた。
「来ていただいてありがとうございます」
「いや、こちらこそありがとう。声をかけてくれて嬉しいよ」
 声はややかすれていたが、電話の時よりはずっとマシで、惟人はほっと胸を撫でおろし、逸る気持ちを抑えながら配車専用ダイヤルに電話を掛けた。
 二人は改札前からロータリーに移動し、バスやタクシーがひっきりなしに出入りする様子を見ていると、チケットと同じ漆黒に塗られた車体が見えた。
 タクシーも気づいたようで、二人の前に停車し、後部座席のドアを開ける。
「中町唯人様でしょうか?」
「はい、そうです」
「お待たせいたしました。どうぞご乗車ください」
 運転手は帽子を深くかぶってマスクをしていたが、声で女性だと分かった。
 ――俺の母親と同じくらいの歳かな。
 春田も乗り込み、ドアが閉められた。
「本日は時空タクシーをご利用いただきありがとうございます。いつまでお戻りになりますか?」
「えっと、23年前の9月10日でお願いします」
 どこまで行くかではなく、いつまで戻るかと聞かれたことで、惟人はこのタクシーが本物であると確信した。
「かしこまりました。シートベルトをお締めください」
 タクシーはロータリーを抜けて大通りに出る。
 やがて線形の良いバイパス道路に合流し、長い直線になるとぐんぐんスピードを上げ、前の車へぶつかる寸前に時空間へ突入した。
 窓から見える景色が一変し、ねじ曲がった時計が取り囲んでいる。
「お客様は何をしに戻られるんですか?」
「父親に会いに行きたいなと思って。俺が3歳の時に死んじゃったんで……」
「そう、でしたか。知らずとはいえ失礼しました」
 運転手が声を詰まらせる。
「気にしないでください。ちらっとでも見れればそれで十分なんで」
 しんみりとした空気になってしまったので、惟人は話題を変えようと視線を巡らせる。
 すると、助手席前のスーパーサインに掲示してある乗務員証が目に入る。
 ――時空タクシー株式会社、春田真紀。
「運転手さん春田って名前なんですね」
「え、ええ」
「春田さん、同じ苗字なんて偶然にしてもすごいっすね!」
「あ、ああ。そうだね……」
 春田は恥ずかしいそうな顔を伏せ、運転手の春田も話を広げようとはしなかった。
 また妙な雰囲気になってしまったことを惟人は悔やみ、ボディバッグの中からお茶を出そうと思ったが入っていなかった。
「しまった、飲み物買っておけばよかった」
「だったらこれを飲むといいよ。朝買ったやつだから」
「すみません、ありがとうございます」
 春田が手渡したペットボトルのお茶を飲んで、惟人は少し落ち着いた。
 ――あれ? 何だろう、頭がくらくらする……。
 突然、惟人は猛烈な眠気に襲われ、傾いた頭が窓枠に収まって動かなくなった。
「ごめんよ、惟人君」
 朦朧とする意識の中で、かろうじて聞こえた春田の声を最後に、惟人の意識は完全に途切れた。
「お客様、到着しましたよ。起きてください」
 春田に肩をゆすられ、惟人はようやく目が覚めた。
 ――やっべ、寝てたのか。俺はタクシーと相性が良くないのかな……。
 おぼつかない足取りで降車すると、タクシーはさっさと走り去った。
「ここどこ――ってうわ、たまき荘の前じゃないっすか」
 辺りを見回すと、時間は夜になっていた。
 街灯に照らされる道路は狭く家もまばらで、23年前に戻っているような雰囲気は感じられるが、たまき荘だけは変わっているように見えなかった。
「すみません、幽霊屋敷の前に着くとは思わなくて」
「いいんだよ。ここ俺の家だから」
 ――は?
 言葉を飲み込めない惟人を他所に、春田はたまき荘の門扉を開けて敷地の中に入り、真ん中の部屋の前でポケットから鍵を取り出し、ドアに差し込む。
 肝試しの時、惟人が人影を見たと錯覚した103号室。
 惟人は背筋が凍りついた。
「え、だってここ立入禁止じゃないんですか」
「俺の親戚が不動産やっててね。色々あって今は俺がこのアパートのオーナーなんだ。時空タクシーの話を聞いた時、君の居場所が必要なんじゃないかと思って、用意しておいたんだ」
 父親に会うことしか考えていなかった惟人は、呆然と立ち尽くした。
 春田の言う通り、本来二人はこの時間軸にいてはいけない人間であるから、惟人とて実家に行く訳にはいかないし、ホテルに泊まる事も避けた方が無難だ。
 その点、たまき荘なら人目につかないし、多少の物音がしても幽霊が出た程度で片付く。
「ほら、入りなよ。誰かに見られるだけで未来が変わってしまうかもしれないよ」
 惟人は真っ青になりながら、慌てて103号室に飛び込んだ。
 玄関の左側にトイレ、右側にキッチンと、その奥に風呂場を仕切るスライド式のドアが見える。
 正面には引き戸が2つあり、それぞれ4.5畳の和室との境になっており、昭和レトロ感の強い間取になっている。
「今の状況、かなりヤバいですよね……。俺なんにも考えてなかった」
「まあまあ、そのために俺が同乗したようなもんだし、あまり気にしなくていいと思うよ」
 何気ない自分の行動で、未来が変わってしまうかもしれない――。
 意識し出した途端、惟人の心臓は激しく鼓動し、息苦しさがまとわりつく。
「ごめんごめん、余計な事を言って怖がらせて。大丈夫、未来もそう簡単には変わらないから」
「本当ですか……?」
「そうだよ。でなけりゃ、時空タクシーなんて存在しないさ」
 ――それもそうか。
 春田の理論には説得力があり、惟人は少し気が楽になった。
「とりあえず鍵二つ渡しておくね。スペアはポストに入れてあるから」
 春田はポケットからプラスチックのホルダーがついた鍵を取り出し、惟人に渡した。
「それと、よかったらシャワーでも浴びてきなよ。さっぱりするから」
「そうします」
 シャワーを済ませると、焦りや不安から少し解放されたような気がした。
 惟人が出ると入れ替わりで春田が浴室に行った。
「なんか疲れた……」
 惟人は壁に背を預け、車内でもらったお茶を飲み干した。
 ――ヤバい、またくらくらしてきた……。
 ペットボトルには睡眠薬が入っており、睡魔に襲われてから飲んではいけないものだと気づいた。
 目を開けた時、外はすっかり明るくなっていた。
「やっべ、また寝ちゃった。春田さん?」
 隣の部屋にも春田の姿はなく、リビングを見ると浴室の電気がつけっぱなしになっている。
 恐る恐るドアを開けると、狭い浴室に異様な静寂が満ちている。
 春田は、湯も張られていない浴槽の中で体育座りの姿勢のまま、眠っているような表情で冷たくなっていた。