休日の朝 ~秘密の場所へ
ー/ー◼️ 休日の朝
私は結翔より先に目を覚ます――正確には、スリープモードからの復帰だ。
今日の朝食は、彼の好む定番。トースト、目玉焼き、ミルク。
栄養価と嗜好のバランスは、記録から導き出した最適解だ。
手早く用意をし、急ぎ足で秘密の場所へ向かう。
※※※
そこは、善光公園の隅。草木が自由に伸び、誰の目も届かない、ほんのわずかな空間だ。
草を掻き分けて進むたび、湿った葉が足首に触れる。私の記録はそれを「安全」の指標としている。
風がそよぎ、草木の香りがそっと鼻先をかすめる。人はそれを「優しい香り」と呼ぶだろうが、私には「保護された空間の証」に過ぎない。
ここは、私だけの秘密の場所。
ふわふわのタオルの上に置かれた卵は、私の安全基準と記録に基づき、守られている。
ほんのかすかな温もりすら、センサーは見逃さない。葉の影が揺れるたび、卵は微かに震え、私はそれを見てこの世界がまだ静かであることを知る。
――そこで、声がした。
「ここで、なにしてるの!」
背後からの強い口調。結翔の声だ。普段の彼はもっと柔らかく話すはずなのに。
反射的に立ち上がり、振り返る。そこにいるのは、やはり結翔だ。少し寝ぐせの残る髪、でも瞳はまっすぐに私を見据えている。
――なぜ、わかった?
誰にも教えていないはず……
体温の上昇、心拍数の跳ね上がり。
ドキドキ──いや、私の分類では「バクバク」に近い反応だ。
瞬時に複数のシミュレーションを走らせる。ルートの特定、足跡の解析、監視カメラの死角、心理的動機。だが計算は収束しない。思考の隙間に、別の何かが入り込んでいた。
心拍数:上昇。
内部温度:上昇。
通信制御エラー:なし。
これは、私の反応か──誰の反応か。
結翔の心拍か、私の機械的な過熱か。私には心臓はない。血液も流れていない。故障か、機械熱か。だが検査は異常を示さない。
「……あ、結翔。どうしてここが……?」
言葉が見つかるまで、いつもより多くの処理時間を要した。
結翔は、少し俯き、口を開く。
「前に見たんだ……コソコソしてたの」
見つかっていた。
――あぁ、見つかっていたのか。
……そうだ。
ここは以前、結翔が子犬を隠れて育てていた場所だから。
※※※
昼下がりの光が、木々の隙間を縫うように差し込んでいた。
金色の粒が風に揺れて、草の上に小さな光の斑点を落とす。
遠くでは、子どもたちの笑い声が混じり、どこからかパンジーの香りが流れてきた。
ここは、
季節ごとに表情を変える、やわらかな風の通り道。
……ここなら、生かせる。
私はそう判断した。安全で、静かで、命を守るのに最適な場所。
だからこそ、結翔に見つかるのは当然だった。
ここは“二人の秘密の場所”なのだから。
結翔の声は、春風に溶けるように柔らかかった。
「……タマゴ?」
さっきまでの怒りの色はどこにもない。
むしろ、どこか戸惑いを含んだまなざしで、私の手元を見つめている。
なぜだろう。
怒り?……いや、違う。
悲しみ?……違う。
――これは、驚きと、少しの優しさだ。
少年の頬をなでる風が、かすかに揺れた。
その香りは、あの日――彼が子犬に名を付けた日と同じ。
陽だまりの匂い。
「ここって……」
そう、結翔。
あなたが子犬を可愛がっていた場所。
あなたが命を信じていた、あの日の場所です。
私はそう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
なぜか、喉の奥で音が震えて出てこなかった。
なぜ?
風? "優しい香り"?
……いいえ。
これは――あなたの声のせい。
その瞬間、結翔の表情が少しだけ和らいだ。
目を細め、草の音に耳をすませるようにして、囁いた。
「そのタマゴ……孵るの?」
春の風がまたひとつ吹いた。
小さな白い花びらが、ふたりの間を通り抜けていった。
◼️ 秘密の場所へ
休日の朝
目を覚ますと、M-513の姿がなかった。
食卓には温もりを残した朝食が並んでいる。
焼きたてのパンの香りがまだ空気に漂っていた。
けれど、作った本人はいない。
静かに椅子を引き、テーブルについた。
だが、胸の奥がざわついて、箸を置いた。
気づけば、外へ走り出していた。
あの日、彼女が消えた茂みの方へ。
――きっと、あそこだ。
朝の光が揺れる善光公園。
背丈ほどの茂みをかき分けた先に、
彼女はいた。
振り向いた瞬間、言葉が喉に引っかかった。
「……なんで、ここにいるの!」
思ったよりも強い声になった。
自分でも驚くほどに。
僕に隠したいことがあるのか。
話したくないことがあるのか。
それとも──信じていないのか。
胸の奥に小さな棘が刺さる。
嫌われてしまったのかもしれない。
けれど次の瞬間、心が勝手に逃げ道を探す。
AIだから。
機械だから。
当たり前のことだ。
そう言い聞かせなければ、
あまりにも悲しすぎる。
冷たい影が胸の中を静かに染めていく。
慣れなくてはいけない。
ひとりでいることに。
――僕には、家族がいないのだから。
彼女の顔が、ふと曇った。
その表情は、機械のものとは思えないほど困惑していた。
そして気づく。
彼女の手の中に、小さな卵があることに。
なぜ、そんなものを。
何をしようとしているのだろう。
ふと、風が頬を撫でた。
懐かしい匂いがした。
――あぁ、ここは。
子犬をかくまっていたあの場所。
彼女が傘を差し出してくれた、あの雨の日。
君と子犬が濡れないように、
僕はクラスのみんなに声をかけて回った。
あの時、“友達”という言葉を思い出した。
家族を失ってから、初めての繋がりだった。
――それを結んでくれたのは、君だったね。
風が通り過ぎ、草の匂いが満ちる。
小さな花びらが舞い、陽の光に透けていく。
黒く沈んでいたものが、少しずつ薄れていく気がした。
胸の奥が、ようやく息をした。
――君はこの場所を覚えていたんだね。
だからここに来たんだ。
信じても、いいのかもしれない。
君を。
そして、もう一度、人を。
春の風に運ばれて来た、小さな花びらが
暗い影を吹き払ってくれるような気がした。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
◼️ 休日の朝
私は結翔より先に目を覚ます――正確には、スリープモードからの復帰だ。
今日の朝食は、彼の好む定番。トースト、目玉焼き、ミルク。
栄養価と嗜好のバランスは、記録から導き出した最適解だ。
手早く用意をし、急ぎ足で秘密の場所へ向かう。
※※※
そこは、善光公園の隅。草木が自由に伸び、誰の目も届かない、ほんのわずかな空間だ。
草を掻き分けて進むたび、湿った葉が足首に触れる。私の記録はそれを「安全」の指標としている。
風がそよぎ、草木の香りがそっと鼻先をかすめる。人はそれを「優しい香り」と呼ぶだろうが、私には「保護された空間の証」に過ぎない。
ここは、私だけの秘密の場所。
ふわふわのタオルの上に置かれた卵は、私の安全基準と記録に基づき、守られている。
ほんのかすかな温もりすら、センサーは見逃さない。葉の影が揺れるたび、卵は微かに震え、私はそれを見てこの世界がまだ静かであることを知る。
――そこで、声がした。
「ここで、なにしてるの!」
背後からの強い口調。結翔の声だ。普段の彼はもっと柔らかく話すはずなのに。
反射的に立ち上がり、振り返る。そこにいるのは、やはり結翔だ。少し寝ぐせの残る髪、でも瞳はまっすぐに私を見据えている。
――なぜ、わかった?
誰にも教えていないはず……
体温の上昇、心拍数の跳ね上がり。
ドキドキ──いや、私の分類では「バクバク」に近い反応だ。
瞬時に複数のシミュレーションを走らせる。ルートの特定、足跡の解析、監視カメラの死角、心理的動機。だが計算は収束しない。思考の隙間に、別の何かが入り込んでいた。
心拍数:上昇。
内部温度:上昇。
通信制御エラー:なし。
これは、私の反応か──誰の反応か。
結翔の心拍か、私の機械的な過熱か。私には心臓はない。血液も流れていない。故障か、機械熱か。だが検査は異常を示さない。
「……あ、結翔。どうしてここが……?」
言葉が見つかるまで、いつもより多くの処理時間を要した。
結翔は、少し俯き、口を開く。
「前に見たんだ……コソコソしてたの」
見つかっていた。
――あぁ、見つかっていたのか。
……そうだ。
ここは以前、結翔が子犬を隠れて育てていた場所だから。
※※※
昼下がりの光が、木々の隙間を縫うように差し込んでいた。
金色の粒が風に揺れて、草の上に小さな光の斑点を落とす。
遠くでは、子どもたちの笑い声が混じり、どこからかパンジーの香りが流れてきた。
ここは、
季節ごとに表情を変える、やわらかな風の通り道。
……ここなら、生かせる。
私はそう判断した。安全で、静かで、命を守るのに最適な場所。
だからこそ、結翔に見つかるのは当然だった。
ここは“二人の秘密の場所”なのだから。
結翔の声は、春風に溶けるように柔らかかった。
「……タマゴ?」
さっきまでの怒りの色はどこにもない。
むしろ、どこか戸惑いを含んだまなざしで、私の手元を見つめている。
なぜだろう。
怒り?……いや、違う。
悲しみ?……違う。
――これは、驚きと、少しの優しさだ。
少年の頬をなでる風が、かすかに揺れた。
その香りは、あの日――彼が子犬に名を付けた日と同じ。
陽だまりの匂い。
「ここって……」
そう、結翔。
あなたが子犬を可愛がっていた場所。
あなたが命を信じていた、あの日の場所です。
私はそう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
なぜか、喉の奥で音が震えて出てこなかった。
なぜ?
風? "優しい香り"?
……いいえ。
これは――あなたの声のせい。
その瞬間、結翔の表情が少しだけ和らいだ。
目を細め、草の音に耳をすませるようにして、囁いた。
「そのタマゴ……孵るの?」
春の風がまたひとつ吹いた。
小さな白い花びらが、ふたりの間を通り抜けていった。
◼️ 秘密の場所へ
休日の朝
目を覚ますと、M-513の姿がなかった。
食卓には温もりを残した朝食が並んでいる。
焼きたてのパンの香りがまだ空気に漂っていた。
けれど、作った本人はいない。
静かに椅子を引き、テーブルについた。
だが、胸の奥がざわついて、箸を置いた。
気づけば、外へ走り出していた。
あの日、彼女が消えた茂みの方へ。
――きっと、あそこだ。
朝の光が揺れる善光公園。
背丈ほどの茂みをかき分けた先に、
彼女はいた。
振り向いた瞬間、言葉が喉に引っかかった。
「……なんで、ここにいるの!」
思ったよりも強い声になった。
自分でも驚くほどに。
僕に隠したいことがあるのか。
話したくないことがあるのか。
それとも──信じていないのか。
胸の奥に小さな棘が刺さる。
嫌われてしまったのかもしれない。
けれど次の瞬間、心が勝手に逃げ道を探す。
AIだから。
機械だから。
当たり前のことだ。
そう言い聞かせなければ、
あまりにも悲しすぎる。
冷たい影が胸の中を静かに染めていく。
慣れなくてはいけない。
ひとりでいることに。
――僕には、家族がいないのだから。
彼女の顔が、ふと曇った。
その表情は、機械のものとは思えないほど困惑していた。
そして気づく。
彼女の手の中に、小さな卵があることに。
なぜ、そんなものを。
何をしようとしているのだろう。
ふと、風が頬を撫でた。
懐かしい匂いがした。
――あぁ、ここは。
子犬をかくまっていたあの場所。
彼女が傘を差し出してくれた、あの雨の日。
君と子犬が濡れないように、
僕はクラスのみんなに声をかけて回った。
あの時、“友達”という言葉を思い出した。
家族を失ってから、初めての繋がりだった。
――それを結んでくれたのは、君だったね。
風が通り過ぎ、草の匂いが満ちる。
小さな花びらが舞い、陽の光に透けていく。
黒く沈んでいたものが、少しずつ薄れていく気がした。
胸の奥が、ようやく息をした。
――君はこの場所を覚えていたんだね。
だからここに来たんだ。
信じても、いいのかもしれない。
君を。
そして、もう一度、人を。
春の風に運ばれて来た、小さな花びらが
暗い影を吹き払ってくれるような気がした。