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第二百八十一話

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 前後不覚状態にまで陥っていたはずの、自分の肉が抉れ、臓腑が零れ落ち、血液は相当量失っており、いつだって死ねるような満身創痍状態であったはずの狐川が、唐突に極道車一台のガソリンタンク目掛け、己が拳を振るう。そこから溢れるガソリンの雨に打たれ、自身をそれ塗れにしたのだ。

「――葵、今からワシは……死ぬ覚悟でヤツを追い詰める。まだ年端も行かねえ子供(チビ)を巻き込みたくはねえが……ついて来てくれるか」
「何をいまさら。私は……前頭目(レイジー)の背中を見て育ってきた。どんな逆境にあろうと、苦しむ衆生(ひとたち)を捨ておいて、畜生相手に尻尾巻いて逃げるだなんて……そんな教育は受けてないよ」

 その言葉を聞き、どこか安心したのか、それとも根負けしたのか。狐川は、愛用の高級オイルライターで自分に火を付けたのだ。葵も噴き出すガソリンを忍び刀に纏わせ、狐川の火を頂戴する。
 これには流石に、秋山も呆然としていた。
『な、何をしてやがるお前等!? 気でも狂ったか、それともただ死にに行くだけか!?』

「死ぬ気はねえ。だが……ワシが死ぬ気でやってやるっちゅうんじゃボケ!! 死亡上等(シボージョートー)!!」
「まだ分かんないの、アンタ。今……こうして動揺している間にも……アンタが徐々に死に近づいていることに」

 秋山の体は鋼のような肉体であり、並大抵の攻撃は通用しない。それは英雄であっても同じであり、筋肉の塊であり一撃が重機の正面衝突を彷彿とさせる、重すぎる一撃である狐川の攻撃すら、大したダメージにはならない。
 だが、彼の体は本当に鋼なのか、というとそれは違う(ノー)。あくまで金属のような『硬さ』を保有しているだけで、弱点は存在する。「かすり傷すら負わなかった」という逸話から鋼のような肉体を纏っているが、『その時代にない発想』かつ『その時代に相手したことの無い戦い方』で向き合えば、自ずと突破口は見えてくるのだ。
 だからこその、特攻覚悟の火だるま状態(バーニングフェーズ)、焔纏う忍び刀での戦い方であったのだ。
「案の定、おどれが乗せられやすいアホで助かった。車の近くまでおびき寄せれば……」
 その拍子に、尋常でない勢いの拳が、隕石と見紛うほどの勢いの拳が、秋山の顔面を捉えたのだ。
 しかも、これまでにないほどの手ごたえであったのだ。骨を砕く、それと共に肌を焼き焦がす脂の音が、確かにこの戦乱の最中であっても聞こえたのだ。
『あ、アッチィィィィィィッ!?』

「痛いじゃろう、熱いじゃろう!! おどれを下すために、ワシと葵が編み出した――」
「己が命を懸けた、魂の解法だ!!」

 すぐさま宙へと駆ける葵は、宙で印を結び、分身の術を扱って増殖、忍び刀にて次々に斬りかかる。慌てふためく秋山であったが、何とか槍を振るってその葵たちを薙ぎ払う。
 しかし、本物は一枚上手であったのだ。
 秋山の背後に忍び寄っていたために、容赦なく心臓部を突き刺す。刃部分を上にした状態で貫いていたのだ。長さは十分に足りており、丁度峰の部分は十センチほど伸びている。なまじチーティングドライバーの治癒能力が働いているために、超高熱と共に痛みは波状攻撃の如く押し寄せていくのだ。
「そして――コレが気合の拳じゃあァァァァァッ!!」
 顎――ではなく、狙った先は忍び刀の峰。そこ目掛け、圧し折らんとする勢いで全力のアッパーを叩き込む。そうすると、切れ味見事に秋山の頭部までぶった斬ったのだ。
 いくら忍者とはいえ、子供の力では大の大人の骨や肉を斬ることはできない。せいぜい、その身に突き立てることくらいしかできない。
 それならば、大人がその『背』を押す以外にない。これにも馬鹿みたいな力は居るのだが、協力相手が狐川であれば問題はない。戦闘に適した筋肉の塊である狐川であれば、骨や肉など意に介すことなく、余裕で援助が出来る。
 あまりにもの手傷に、間抜けな姿ながら怒りが頂点に達した秋山。何かしらの恨み節を叫ぶものの、口が分かたれているために聞き取ることは不可能。
 脳天まで完全に両断されているため、脳も臓腑も零れ落ちていく。
 本人にとって、数少なく誇れる要素であった狡猾さが、機能を果たさないまでに低下していくのだった。
「――まあ、ここから先は……ワシの仕事か。いくら忍者とはいえ……子供に殺人(コロシ)は早すぎる」
「……狐川さん」
「なあに。ワシは大丈夫じゃ。ただ……そろそろ熱ゥなって来たんでな。水でも何でも持ってきてくれんか」
 子供は未来の宝、そう考える狐川にとって、これから見せる現実は、少々酷なものかもしれない。だからこその気遣いであった。
「この世界でやっていく中で……とっくに手は汚れた。それに……アイツはワシが引導を渡してやらにゃあならん気がしてな」
 秋山は、度を越した外道であるために、生かしたところでまた何かをやらかす。ならば、同業である狐川が、全力を以って地獄に送り飛ばす以外に道はない。私刑同然のやり方にはなるが、それが一番の選択肢であった。
 ましてや、狐川は既に、蛇使(だし)組前組長を殺害した存在を己が拳にて皆殺しにしている。既に汚れた拳だからこそ、眼前の外道を叩き潰す拳足り得るのだ。
 しかし、それほどの不器用な気遣いをしてもなお、葵は水など取りに行かず、前を見据えていた。自分もその戦いに加担したとして、同じ責任を背負う覚悟を、無言で決めていたのだ。
 そして、それに気づいた狐川は、何も語らずに拳を鳴らすのみであった。
「――希望の権力の座(イス)につけなかった。何か目当てのモンが、掴む寸前でどこか消えてしまった、あるいはすり抜けていってしまった、好きな女がどこかへ行ってしまった……ンなもん、ワシら極道にはいつものことじゃ。お前さんはただそんな『当たり前の痛み』で駄々をこねて、手前(テメェ)の好き勝手にしたかっただけじゃ。ガキの癇癪(かんしゃく)みたいなもんを起こしよって――極道なんて呼べやしない、ヤクザとしても形無しじゃ」
 縦に別たれた首根っこを掴まえ、高速道路の地面に叩きつける狐川。そしてその瞬間に、自分の運命を悟った秋山は、何と語っているかは分からないものの命乞いを始めたのだ。
 だが、それは逆に狐川の怒りを買ったのだ。
「……自分が死ぬと分かったら、とたんに命乞いか。おどれがどれほどの人間を犠牲にしたか分かっとるのか……? どれほどの大きい犠牲の上に、ろくでなし同然の自分が成り立っているのか分かっているのか? 王漣の組長(オヤジ)さんや灰崎、多くの幸せを……手前(テメェ)の勝手で奪っておいて、何が命乞いじゃボケ!!」
 ついに振り下ろされるは――これまでにないほどの全力の焔纏う右拳であった。

「一遍死んで――あの世から出直して来いやァァァァァッ!!」

 あまりにもの衝撃により、衝撃吸収に優れた高速道路の地面ですら、ほんの少し揺らすほどであった。生身の人間でありながら、英雄以上の成果を見せたのだ。


 怪人だろうと何だろうと、一定の傷を超えるとその傷は治せない。それが、頭部の完全破砕であるなら当然のこと。ドライバーは完全に機能を停止し、装着されていたはずがまるで経年劣化のように崩れ去り、怪人化も解ける。
 それとともに、狐川に大量の水がぶっかけられる。纏った火を消火するためであったが、数か所皮はおろか、肉すら焼け焦げるほどの重傷であった。
 しかし、それほどの傷を負ったとしても、そうまでしなければならないほどに、狐川には許せない相手であった。葵は怒りを押しとどめているものの、本当なら何度でも斬り伏せたかったことだろう。それでもそうしなかったのは、狐川に「まだこちら側に来てはいけない」という良心があったため。
 水浸しな中、まだガソリンの残り香が漂う狐川の横に立ち、頭部がまるで空気を十分以上に詰め込んだゴム風船のように破裂した、秋山の死体を見下げる葵。そこに死体に対する嫌悪感は一切なく、ただ自分の仇の一人が死んだ、清々したような表情でもなかった。その表情に籠っていたのは、心からの虚無感、と言った方が正しいか。
「――終わったんだね、狐川さん」
「……ああ。ワシらの戦いは……これで終わった。無事だったかのォ、紫さん」
「――二人が守ってくれたおかげで、何とか。槍一本すら飛んでこなかったけれど……でも狐川さんが重傷を負っているじゃあないの」
 その事実に、腹を抑えることでようやく気が付いたのか、苦しそうに笑いながらもその場に倒れ込む狐川。東京都側の戦いは終わっているために、蛇使(だし)組構成員やら御庭番衆やらがこぞって負傷している狐川の傍に駆け寄る。
「ど、どうすればいいじゃ!」
「俺らに出来ることは……体を冷やすことか!?」
 大勢でごった返している中で、狐川は自分の子同然である構成員に大声を出し気合を見せる。
「――漢と有ろう(モン)が、だらしねェ。こん位の傷……病院行けば多少マシになるじゃろ? それに……高ェ肉でも、あるいは山盛りの牛丼でも食えば……ワシは大丈夫じゃ。ピーピー泣きごと言うんじゃあねえ、漢の名が廃るぜ」
 そう語る狐川であったが、明らかに衰弱しているのが見て取れていた。だからこそ、今すぐに何かをしてやりたかったのだが――そこで御庭番衆の一人があるものを取り出す。
「――これは、忍者の間に伝わる、万能丸と呼ばれるものだ。一度(ひとたび)これを食えば、大概どんな状況であっても命を繋げるものだ」
 しかし、御庭番衆はそれを渡すことを躊躇っていた。長いこと、狐川だけではなく忍者はヤクザ連中とそこまで仲がいいわけではなかった。昔から山梨の『義賊伝説』では、悪事(わるさ)をする存在の元に義賊……もとい、忍者が現れその悪事(わるさ)を殺してでも止めることが伝えられてきた。その悪事の根本に存在するのは、大概ヤクザのような裏社会の人間であった。
 山梨の一件では、蛇使(だし)組は悪事を企てすらしていない上に、王漣組に関しては教会や秋山に利用された結果、壊滅寸前にまで追い詰められただけ。これと言って悪事の対象ではない。
 これまでの歴史上、裏に生きる者同士、忍者とヤクザが仲良くした試しはない。その通例をこの場の一存で壊していいのか、逡巡していたのだ。
 だが、その御庭番衆の手から万能丸をひったくると、葵は狐川の口に容赦なく突っ込んだのだ。
「あ、頭目それは丸ごと行くものではなく齧る程度でいいというか……」
 あまりにもの唐突な出来事に、自分の方が何倍も大人であるはずの御庭番衆が、消え入りそうな声で頭目である葵に言って聞かせるも、そんな事意に介さず無理やり顎を動かし噛み砕かせたのだ。
 無理やり咀嚼させる中で、あまりにもの苦さで何度も吐き出しそうになる狐川。この世の苦み全てを詰め込んだかのような万能丸の不味さに、それで死んでいってしまいそうなほどの状態にあった。
 しかしそれを、どこかの映画で見たかのような口を無理やり押さえる形で、何が何でも飲み込ませる勢いで、葵は全力を込めていたのだ。
 猛烈にタップするも、押さえる強さが全く変わらないことに諦めた狐川は、仕方なしに飲み込みにかかるも……苦味があまりにも強烈すぎて、焼け焦げた肉の痛みなど一切気にする余地はない。
 何とか全てを飲み下す狐川であったが、血色はさっきよりも完全に悪くなっていた。
「よくもまあ……あれだけ不味いものを……作れたもんじゃ……この世の苦みを集合させたようなモンじゃあないかアレ」
 だが、先ほどよりも痛みは引き、体力は戻っていた。傷は一切治っていないものの、何とか病院に向かうくらいの体力は戻ったのだ。

「――だがまあ、助かった。葵……ありがとの」
「……礼を言われるほどのものじゃあないよ。アタシだって……どん底を救われた存在だから」

 エヴァに、命がけの救出をしてもらった結果、今ここで生きていられる。共に戦った勇士を見捨てるだなんて、きっと先代はしない。そして自分もしたくない。これまでの通例ではなく、これからの時代を生きる自分の意志に従った結果である。

「――良いですか、御庭番衆の皆さん。アタシは……先代の意志を受け継ぐ存在でありながら……これまでの固定観念を覆す存在になりたいんです。義賊伝説は確かに重要ですが……それ以上に『助ける』存在になりたいんです」

 その言葉に、それ以上何も言うまいと抱き微笑した御庭番衆たちは、蛇使組構成員たちと共に盛大に火傷した狐川の看病にあたるのだった。
 これにより、蛇使組二代目組長・『狐川一(キツネガワ ハジメ)』と忍野しのびの里在中精鋭忍者集団・御庭番衆現頭目・『来栖葵(クルス アオイ)』VS元王漣組若頭補佐兼新生山梨支部幹部・『秋山聡(アキヤマ サトシ)』の勝負は……英雄ですらない、因子すら持たない二人が、チーティングドライバーを扱った秋山相手に大立ち回りを果たした結果、手傷を負いながらも怪人相手に大金星を得たのだった。



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 前後不覚状態にまで陥っていたはずの、自分の肉が抉れ、臓腑が零れ落ち、血液は相当量失っており、いつだって死ねるような満身創痍状態であったはずの狐川が、唐突に極道車一台のガソリンタンク目掛け、己が拳を振るう。そこから溢れるガソリンの雨に打たれ、自身をそれ塗れにしたのだ。
「――葵、今からワシは……死ぬ覚悟でヤツを追い詰める。まだ年端も行かねえ|子供《チビ》を巻き込みたくはねえが……ついて来てくれるか」
「何をいまさら。私は……|前頭目《レイジー》の背中を見て育ってきた。どんな逆境にあろうと、苦しむ|衆生《ひとたち》を捨ておいて、畜生相手に尻尾巻いて逃げるだなんて……そんな教育は受けてないよ」
 その言葉を聞き、どこか安心したのか、それとも根負けしたのか。狐川は、愛用の高級オイルライターで自分に火を付けたのだ。葵も噴き出すガソリンを忍び刀に纏わせ、狐川の火を頂戴する。
 これには流石に、秋山も呆然としていた。
『な、何をしてやがるお前等!? 気でも狂ったか、それともただ死にに行くだけか!?』
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「まだ分かんないの、アンタ。今……こうして動揺している間にも……アンタが徐々に死に近づいていることに」
 秋山の体は鋼のような肉体であり、並大抵の攻撃は通用しない。それは英雄であっても同じであり、筋肉の塊であり一撃が重機の正面衝突を彷彿とさせる、重すぎる一撃である狐川の攻撃すら、大したダメージにはならない。
 だが、彼の体は本当に鋼なのか、というとそれは|違う《ノー》。あくまで金属のような『硬さ』を保有しているだけで、弱点は存在する。「かすり傷すら負わなかった」という逸話から鋼のような肉体を纏っているが、『その時代にない発想』かつ『その時代に相手したことの無い戦い方』で向き合えば、自ずと突破口は見えてくるのだ。
 だからこその、特攻覚悟の|火だるま状態《バーニングフェーズ》、焔纏う忍び刀での戦い方であったのだ。
「案の定、おどれが乗せられやすいアホで助かった。車の近くまでおびき寄せれば……」
 その拍子に、尋常でない勢いの拳が、隕石と見紛うほどの勢いの拳が、秋山の顔面を捉えたのだ。
 しかも、これまでにないほどの手ごたえであったのだ。骨を砕く、それと共に肌を焼き焦がす脂の音が、確かにこの戦乱の最中であっても聞こえたのだ。
『あ、アッチィィィィィィッ!?』
「痛いじゃろう、熱いじゃろう!! おどれを下すために、ワシと葵が編み出した――」
「己が命を懸けた、魂の解法だ!!」
 すぐさま宙へと駆ける葵は、宙で印を結び、分身の術を扱って増殖、忍び刀にて次々に斬りかかる。慌てふためく秋山であったが、何とか槍を振るってその葵たちを薙ぎ払う。
 しかし、本物は一枚上手であったのだ。
 秋山の背後に忍び寄っていたために、容赦なく心臓部を突き刺す。刃部分を上にした状態で貫いていたのだ。長さは十分に足りており、丁度峰の部分は十センチほど伸びている。なまじチーティングドライバーの治癒能力が働いているために、超高熱と共に痛みは波状攻撃の如く押し寄せていくのだ。
「そして――コレが気合の拳じゃあァァァァァッ!!」
 顎――ではなく、狙った先は忍び刀の峰。そこ目掛け、圧し折らんとする勢いで全力のアッパーを叩き込む。そうすると、切れ味見事に秋山の頭部までぶった斬ったのだ。
 いくら忍者とはいえ、子供の力では大の大人の骨や肉を斬ることはできない。せいぜい、その身に突き立てることくらいしかできない。
 それならば、大人がその『背』を押す以外にない。これにも馬鹿みたいな力は居るのだが、協力相手が狐川であれば問題はない。戦闘に適した筋肉の塊である狐川であれば、骨や肉など意に介すことなく、余裕で援助が出来る。
 あまりにもの手傷に、間抜けな姿ながら怒りが頂点に達した秋山。何かしらの恨み節を叫ぶものの、口が分かたれているために聞き取ることは不可能。
 脳天まで完全に両断されているため、脳も臓腑も零れ落ちていく。
 本人にとって、数少なく誇れる要素であった狡猾さが、機能を果たさないまでに低下していくのだった。
「――まあ、ここから先は……ワシの仕事か。いくら忍者とはいえ……子供に|殺人《コロシ》は早すぎる」
「……狐川さん」
「なあに。ワシは大丈夫じゃ。ただ……そろそろ熱ゥなって来たんでな。水でも何でも持ってきてくれんか」
 子供は未来の宝、そう考える狐川にとって、これから見せる現実は、少々酷なものかもしれない。だからこその気遣いであった。
「この世界でやっていく中で……とっくに手は汚れた。それに……アイツはワシが引導を渡してやらにゃあならん気がしてな」
 秋山は、度を越した外道であるために、生かしたところでまた何かをやらかす。ならば、同業である狐川が、全力を以って地獄に送り飛ばす以外に道はない。私刑同然のやり方にはなるが、それが一番の選択肢であった。
 ましてや、狐川は既に、|蛇使《だし》組前組長を殺害した存在を己が拳にて皆殺しにしている。既に汚れた拳だからこそ、眼前の外道を叩き潰す拳足り得るのだ。
 しかし、それほどの不器用な気遣いをしてもなお、葵は水など取りに行かず、前を見据えていた。自分もその戦いに加担したとして、同じ責任を背負う覚悟を、無言で決めていたのだ。
 そして、それに気づいた狐川は、何も語らずに拳を鳴らすのみであった。
「――希望の|権力の座《イス》につけなかった。何か目当てのモンが、掴む寸前でどこか消えてしまった、あるいはすり抜けていってしまった、好きな女がどこかへ行ってしまった……ンなもん、ワシら極道にはいつものことじゃ。お前さんはただそんな『当たり前の痛み』で駄々をこねて、|手前《テメェ》の好き勝手にしたかっただけじゃ。ガキの|癇癪《かんしゃく》みたいなもんを起こしよって――極道なんて呼べやしない、ヤクザとしても形無しじゃ」
 縦に別たれた首根っこを掴まえ、高速道路の地面に叩きつける狐川。そしてその瞬間に、自分の運命を悟った秋山は、何と語っているかは分からないものの命乞いを始めたのだ。
 だが、それは逆に狐川の怒りを買ったのだ。
「……自分が死ぬと分かったら、とたんに命乞いか。おどれがどれほどの人間を犠牲にしたか分かっとるのか……? どれほどの大きい犠牲の上に、ろくでなし同然の自分が成り立っているのか分かっているのか? 王漣の|組長《オヤジ》さんや灰崎、多くの幸せを……|手前《テメェ》の勝手で奪っておいて、何が命乞いじゃボケ!!」
 ついに振り下ろされるは――これまでにないほどの全力の焔纏う右拳であった。
「一遍死んで――あの世から出直して来いやァァァァァッ!!」
 あまりにもの衝撃により、衝撃吸収に優れた高速道路の地面ですら、ほんの少し揺らすほどであった。生身の人間でありながら、英雄以上の成果を見せたのだ。
 怪人だろうと何だろうと、一定の傷を超えるとその傷は治せない。それが、頭部の完全破砕であるなら当然のこと。ドライバーは完全に機能を停止し、装着されていたはずがまるで経年劣化のように崩れ去り、怪人化も解ける。
 それとともに、狐川に大量の水がぶっかけられる。纏った火を消火するためであったが、数か所皮はおろか、肉すら焼け焦げるほどの重傷であった。
 しかし、それほどの傷を負ったとしても、そうまでしなければならないほどに、狐川には許せない相手であった。葵は怒りを押しとどめているものの、本当なら何度でも斬り伏せたかったことだろう。それでもそうしなかったのは、狐川に「まだこちら側に来てはいけない」という良心があったため。
 水浸しな中、まだガソリンの残り香が漂う狐川の横に立ち、頭部がまるで空気を十分以上に詰め込んだゴム風船のように破裂した、秋山の死体を見下げる葵。そこに死体に対する嫌悪感は一切なく、ただ自分の仇の一人が死んだ、清々したような表情でもなかった。その表情に籠っていたのは、心からの虚無感、と言った方が正しいか。
「――終わったんだね、狐川さん」
「……ああ。ワシらの戦いは……これで終わった。無事だったかのォ、紫さん」
「――二人が守ってくれたおかげで、何とか。槍一本すら飛んでこなかったけれど……でも狐川さんが重傷を負っているじゃあないの」
 その事実に、腹を抑えることでようやく気が付いたのか、苦しそうに笑いながらもその場に倒れ込む狐川。東京都側の戦いは終わっているために、|蛇使《だし》組構成員やら御庭番衆やらがこぞって負傷している狐川の傍に駆け寄る。
「ど、どうすればいいじゃ!」
「俺らに出来ることは……体を冷やすことか!?」
 大勢でごった返している中で、狐川は自分の子同然である構成員に大声を出し気合を見せる。
「――漢と有ろう|者《モン》が、だらしねェ。こん位の傷……病院行けば多少マシになるじゃろ? それに……高ェ肉でも、あるいは山盛りの牛丼でも食えば……ワシは大丈夫じゃ。ピーピー泣きごと言うんじゃあねえ、漢の名が廃るぜ」
 そう語る狐川であったが、明らかに衰弱しているのが見て取れていた。だからこそ、今すぐに何かをしてやりたかったのだが――そこで御庭番衆の一人があるものを取り出す。
「――これは、忍者の間に伝わる、万能丸と呼ばれるものだ。|一度《ひとたび》これを食えば、大概どんな状況であっても命を繋げるものだ」
 しかし、御庭番衆はそれを渡すことを躊躇っていた。長いこと、狐川だけではなく忍者はヤクザ連中とそこまで仲がいいわけではなかった。昔から山梨の『義賊伝説』では、|悪事《わるさ》をする存在の元に義賊……もとい、忍者が現れその悪事《わるさ》を殺してでも止めることが伝えられてきた。その悪事の根本に存在するのは、大概ヤクザのような裏社会の人間であった。
 山梨の一件では、|蛇使《だし》組は悪事を企てすらしていない上に、王漣組に関しては教会や秋山に利用された結果、壊滅寸前にまで追い詰められただけ。これと言って悪事の対象ではない。
 これまでの歴史上、裏に生きる者同士、忍者とヤクザが仲良くした試しはない。その通例をこの場の一存で壊していいのか、逡巡していたのだ。
 だが、その御庭番衆の手から万能丸をひったくると、葵は狐川の口に容赦なく突っ込んだのだ。
「あ、頭目それは丸ごと行くものではなく齧る程度でいいというか……」
 あまりにもの唐突な出来事に、自分の方が何倍も大人であるはずの御庭番衆が、消え入りそうな声で頭目である葵に言って聞かせるも、そんな事意に介さず無理やり顎を動かし噛み砕かせたのだ。
 無理やり咀嚼させる中で、あまりにもの苦さで何度も吐き出しそうになる狐川。この世の苦み全てを詰め込んだかのような万能丸の不味さに、それで死んでいってしまいそうなほどの状態にあった。
 しかしそれを、どこかの映画で見たかのような口を無理やり押さえる形で、何が何でも飲み込ませる勢いで、葵は全力を込めていたのだ。
 猛烈にタップするも、押さえる強さが全く変わらないことに諦めた狐川は、仕方なしに飲み込みにかかるも……苦味があまりにも強烈すぎて、焼け焦げた肉の痛みなど一切気にする余地はない。
 何とか全てを飲み下す狐川であったが、血色はさっきよりも完全に悪くなっていた。
「よくもまあ……あれだけ不味いものを……作れたもんじゃ……この世の苦みを集合させたようなモンじゃあないかアレ」
 だが、先ほどよりも痛みは引き、体力は戻っていた。傷は一切治っていないものの、何とか病院に向かうくらいの体力は戻ったのだ。
「――だがまあ、助かった。葵……ありがとの」
「……礼を言われるほどのものじゃあないよ。アタシだって……どん底を救われた存在だから」
 エヴァに、命がけの救出をしてもらった結果、今ここで生きていられる。共に戦った勇士を見捨てるだなんて、きっと先代はしない。そして自分もしたくない。これまでの通例ではなく、これからの時代を生きる自分の意志に従った結果である。
「――良いですか、御庭番衆の皆さん。アタシは……先代の意志を受け継ぐ存在でありながら……これまでの固定観念を覆す存在になりたいんです。義賊伝説は確かに重要ですが……それ以上に『助ける』存在になりたいんです」
 その言葉に、それ以上何も言うまいと抱き微笑した御庭番衆たちは、蛇使組構成員たちと共に盛大に火傷した狐川の看病にあたるのだった。
 これにより、蛇使組二代目組長・『|狐川一《キツネガワ ハジメ》』と忍野しのびの里在中精鋭忍者集団・御庭番衆現頭目・『|来栖葵《クルス アオイ》』VS元王漣組若頭補佐兼新生山梨支部幹部・『|秋山聡《アキヤマ サトシ》』の勝負は……英雄ですらない、因子すら持たない二人が、チーティングドライバーを扱った秋山相手に大立ち回りを果たした結果、手傷を負いながらも怪人相手に大金星を得たのだった。