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ー/ー『こうして俺は、自分で作った仲間たちの手で無残にも殺されてしまうのであった――。』
書き終えた最後の一文を前に、思わずふふっと笑みがこぼれる。書いたことが現実になるタイプライターなどと、我ながらずいぶん稚拙な設定を思い付いてしまったものだ。だがまあ、あのようなくだらない男には却ってお似合いかもしれない。
椅子に座ったまま軽く伸びをしたところで、家のチャイムが鳴った。どうやら来たようだ。ちっ、と舌打ちをして立ち上がる。そこへ、書斎のドアをノックする音が聞こえた。
「あなた。芽依が杉江さんを連れてきましたよ」
呑気な妻の声に苛立ちが募る。
「わかっている! いま部屋から出ようとしていたんだ!」
乱暴にドアを開けると、妻が怯えたように身を縮こまらせる。すみません、と消え入りそうな声で呟く妻を顎で横にどかし、私は玄関へ向かった。
「田中教授。本日はお宅にお招きいただき、光栄です」
芽依の隣に立つ杉江が緊張した様子でぎこちなく頭を下げる。私は笑顔を作り、彼に右手を差し出した。
「こちらこそ、きみとこういった機会がもてて光栄だ。さ、入りたまえ。料理はもうできているから。芽依、彼を食卓まで案内してあげなさい」
ダイニングのほうへ歩いていく二人の背中を見送りながら、杉江と握手をした右手をそっとズボンで拭った。奴が歩いた場所は、あとで妻に念入りに拭き掃除をさせておくとしよう。
芽依が恋人の存在を報告してきたとき、私は我が耳を疑った。言葉を失い、ほとんど卒倒しかけた。私の可愛い芽依に、彼氏……? 芽依が生まれたとき、天使が地上に舞い降りたのではないかと本気で思った。小さいころは「将来はパパのお嫁さんになる」と笑顔で言ってくれた、素直で優しい、愛しの我がひとり娘。そんな芽依に、彼氏――。
冗談じゃない! そんなことは到底許せない! しかしその恋人のことを語るときの芽依の嬉しそうな表情……。しかもなんと、相手は同じ大学に通う杉江という学生だと言うではないか。ああ、なんということだ。かわいい娘を目の届く範囲に置いておきたいという思いから、わざわざ自分の勤める大学に進学させたというのに……。
そして先日、失意のどん底にいる私に、妻がある提案をしてきた。今度、杉江を家の夕食に招こうなどと言い出したのだ。追い討ちをかけるような妻の発言に、私は思わず手を上げそうになった。しかし、だが待てよ、と思い直した。杉江が家に来る。これはある意味、絶好の機会だ。私は料理に毒を混ぜ、杉江を殺害する計画を立てた。警察は我々家族を疑うだろうが、そのときは私の身代わりに妻を犯人として差し出せばよい。妻はそれに従うだろう。どうせあの女は、私に逆らえない。
ダイニングに向かう前に、一度自分の書斎に寄ることにした。先ほどまで書いていた小説のデータを削除するためだ。芽依に恋人ができたと知った日から、つい怒りに任せてこんなものを書いてしまった。有頂天になっている杉江が一気に転落していく様は書いていて実に痛快だったが、後々警察にこれを発見されると厄介だ。私が杉江に対して殺意をもっていたことが疑われてしまう。
小説のデータを完全に削除し、パソコンの電源を落とす。よし、これで大丈夫だ。あとは杉江が毒入りの料理を口にするだけ。私はほくそ笑み、傍らに置いていた飲みかけのコーヒーのカップに口をつけた。口の中に心地よい苦みが広がる。苦み……いや、なんだか妙な味だ……。それに何だ? この舌がしびれるような感覚は――。
呼吸が苦しい。立っていられず、その場に膝を突く。手がカップを取り落とし、床に黒い液体が広がった。……誰かが、コーヒーに毒を入れたのだ。でも、誰が? ……いや、この短い間にそんなことができたのは一人しかいない。私が玄関で二人を出迎えている間に書斎に入り、カップに毒を仕込んだのだろう。
次第に意識が朦朧としてくる。頭が大きく揺れ、そのまま床に倒れた。かすむ視界が最後に捉えたのは、妻が愛用するスリッパと、それを履いた彼女の白い足首だった――
書き終えた最後の一文を前に、思わずふふっと笑みがこぼれる。書いたことが現実になるタイプライターなどと、我ながらずいぶん稚拙な設定を思い付いてしまったものだ。だがまあ、あのようなくだらない男には却ってお似合いかもしれない。
椅子に座ったまま軽く伸びをしたところで、家のチャイムが鳴った。どうやら来たようだ。ちっ、と舌打ちをして立ち上がる。そこへ、書斎のドアをノックする音が聞こえた。
「あなた。芽依が杉江さんを連れてきましたよ」
呑気な妻の声に苛立ちが募る。
「わかっている! いま部屋から出ようとしていたんだ!」
乱暴にドアを開けると、妻が怯えたように身を縮こまらせる。すみません、と消え入りそうな声で呟く妻を顎で横にどかし、私は玄関へ向かった。
「田中教授。本日はお宅にお招きいただき、光栄です」
芽依の隣に立つ杉江が緊張した様子でぎこちなく頭を下げる。私は笑顔を作り、彼に右手を差し出した。
「こちらこそ、きみとこういった機会がもてて光栄だ。さ、入りたまえ。料理はもうできているから。芽依、彼を食卓まで案内してあげなさい」
ダイニングのほうへ歩いていく二人の背中を見送りながら、杉江と握手をした右手をそっとズボンで拭った。奴が歩いた場所は、あとで妻に念入りに拭き掃除をさせておくとしよう。
芽依が恋人の存在を報告してきたとき、私は我が耳を疑った。言葉を失い、ほとんど卒倒しかけた。私の可愛い芽依に、彼氏……? 芽依が生まれたとき、天使が地上に舞い降りたのではないかと本気で思った。小さいころは「将来はパパのお嫁さんになる」と笑顔で言ってくれた、素直で優しい、愛しの我がひとり娘。そんな芽依に、彼氏――。
冗談じゃない! そんなことは到底許せない! しかしその恋人のことを語るときの芽依の嬉しそうな表情……。しかもなんと、相手は同じ大学に通う杉江という学生だと言うではないか。ああ、なんということだ。かわいい娘を目の届く範囲に置いておきたいという思いから、わざわざ自分の勤める大学に進学させたというのに……。
そして先日、失意のどん底にいる私に、妻がある提案をしてきた。今度、杉江を家の夕食に招こうなどと言い出したのだ。追い討ちをかけるような妻の発言に、私は思わず手を上げそうになった。しかし、だが待てよ、と思い直した。杉江が家に来る。これはある意味、絶好の機会だ。私は料理に毒を混ぜ、杉江を殺害する計画を立てた。警察は我々家族を疑うだろうが、そのときは私の身代わりに妻を犯人として差し出せばよい。妻はそれに従うだろう。どうせあの女は、私に逆らえない。
ダイニングに向かう前に、一度自分の書斎に寄ることにした。先ほどまで書いていた小説のデータを削除するためだ。芽依に恋人ができたと知った日から、つい怒りに任せてこんなものを書いてしまった。有頂天になっている杉江が一気に転落していく様は書いていて実に痛快だったが、後々警察にこれを発見されると厄介だ。私が杉江に対して殺意をもっていたことが疑われてしまう。
小説のデータを完全に削除し、パソコンの電源を落とす。よし、これで大丈夫だ。あとは杉江が毒入りの料理を口にするだけ。私はほくそ笑み、傍らに置いていた飲みかけのコーヒーのカップに口をつけた。口の中に心地よい苦みが広がる。苦み……いや、なんだか妙な味だ……。それに何だ? この舌がしびれるような感覚は――。
呼吸が苦しい。立っていられず、その場に膝を突く。手がカップを取り落とし、床に黒い液体が広がった。……誰かが、コーヒーに毒を入れたのだ。でも、誰が? ……いや、この短い間にそんなことができたのは一人しかいない。私が玄関で二人を出迎えている間に書斎に入り、カップに毒を仕込んだのだろう。
次第に意識が朦朧としてくる。頭が大きく揺れ、そのまま床に倒れた。かすむ視界が最後に捉えたのは、妻が愛用するスリッパと、それを履いた彼女の白い足首だった――
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『こうして俺は、自分で作った仲間たちの手で無残にも殺されてしまうのであった――。』
書き終えた最後の一文を前に、思わずふふっと笑みがこぼれる。書いたことが現実になるタイプライターなどと、我ながらずいぶん稚拙な設定を思い付いてしまったものだ。だがまあ、あのようなくだらない男には却ってお似合いかもしれない。
椅子に座ったまま軽く伸びをしたところで、家のチャイムが鳴った。どうやら来たようだ。ちっ、と舌打ちをして立ち上がる。そこへ、書斎のドアをノックする音が聞こえた。
「あなた。芽依が杉江さんを連れてきましたよ」
呑気な妻の声に苛立ちが募る。
「わかっている! いま部屋から出ようとしていたんだ!」
乱暴にドアを開けると、妻が怯えたように身を縮こまらせる。すみません、と消え入りそうな声で呟く妻を顎で横にどかし、私は玄関へ向かった。
「田中教授。本日はお宅にお招きいただき、光栄です」
芽依の隣に立つ杉江が緊張した様子でぎこちなく頭を下げる。私は笑顔を作り、彼に右手を差し出した。
「こちらこそ、きみとこういった機会がもてて光栄だ。さ、入りたまえ。料理はもうできているから。芽依、彼を食卓まで案内してあげなさい」
ダイニングのほうへ歩いていく二人の背中を見送りながら、杉江と握手をした右手をそっとズボンで拭った。奴が歩いた場所は、あとで妻に念入りに拭き掃除をさせておくとしよう。
芽依が恋人の存在を報告してきたとき、私は我が耳を疑った。言葉を失い、ほとんど卒倒しかけた。私の可愛い芽依に、彼氏……? 芽依が生まれたとき、天使が地上に舞い降りたのではないかと本気で思った。小さいころは「将来はパパのお嫁さんになる」と笑顔で言ってくれた、素直で優しい、愛しの我がひとり娘。そんな芽依に、彼氏――。
冗談じゃない! そんなことは到底許せない! しかしその恋人のことを語るときの芽依の嬉しそうな表情……。しかもなんと、相手は同じ大学に通う杉江という学生だと言うではないか。ああ、なんということだ。かわいい娘を目の届く範囲に置いておきたいという思いから、わざわざ自分の勤める大学に進学させたというのに……。
そして先日、失意のどん底にいる私に、妻がある提案をしてきた。今度、杉江を家の夕食に招こうなどと言い出したのだ。追い討ちをかけるような妻の発言に、私は思わず手を上げそうになった。しかし、だが待てよ、と思い直した。杉江が家に来る。これはある意味、絶好の機会だ。私は料理に毒を混ぜ、杉江を殺害する計画を立てた。警察は我々家族を疑うだろうが、そのときは私の身代わりに妻を犯人として差し出せばよい。妻はそれに従うだろう。どうせあの女は、私に逆らえない。
ダイニングに向かう前に、一度自分の書斎に寄ることにした。先ほどまで書いていた小説のデータを削除するためだ。芽依に恋人ができたと知った日から、つい怒りに任せてこんなものを書いてしまった。有頂天になっている杉江が一気に転落していく様は書いていて実に痛快だったが、後々警察にこれを発見されると厄介だ。私が杉江に対して殺意をもっていたことが疑われてしまう。
小説のデータを完全に削除し、パソコンの電源を落とす。よし、これで大丈夫だ。あとは杉江が毒入りの料理を口にするだけ。私はほくそ笑み、傍らに置いていた飲みかけのコーヒーのカップに口をつけた。口の中に心地よい苦みが広がる。苦み……いや、なんだか妙な味だ……。それに何だ? この舌がしびれるような感覚は――。
呼吸が苦しい。立っていられず、その場に膝を突く。手がカップを取り落とし、床に黒い液体が広がった。……誰かが、コーヒーに毒を入れたのだ。でも、誰が? ……いや、この短い間にそんなことができたのは一人しかいない。私が玄関で二人を出迎えている間に書斎に入り、カップに毒を仕込んだのだろう。
次第に意識が朦朧としてくる。頭が大きく揺れ、そのまま床に倒れた。かすむ視界が最後に捉えたのは、妻が愛用するスリッパと、それを履いた彼女の白い足首だった――
書き終えた最後の一文を前に、思わずふふっと笑みがこぼれる。書いたことが現実になるタイプライターなどと、我ながらずいぶん稚拙な設定を思い付いてしまったものだ。だがまあ、あのようなくだらない男には却ってお似合いかもしれない。
椅子に座ったまま軽く伸びをしたところで、家のチャイムが鳴った。どうやら来たようだ。ちっ、と舌打ちをして立ち上がる。そこへ、書斎のドアをノックする音が聞こえた。
「あなた。芽依が杉江さんを連れてきましたよ」
呑気な妻の声に苛立ちが募る。
「わかっている! いま部屋から出ようとしていたんだ!」
乱暴にドアを開けると、妻が怯えたように身を縮こまらせる。すみません、と消え入りそうな声で呟く妻を顎で横にどかし、私は玄関へ向かった。
「田中教授。本日はお宅にお招きいただき、光栄です」
芽依の隣に立つ杉江が緊張した様子でぎこちなく頭を下げる。私は笑顔を作り、彼に右手を差し出した。
「こちらこそ、きみとこういった機会がもてて光栄だ。さ、入りたまえ。料理はもうできているから。芽依、彼を食卓まで案内してあげなさい」
ダイニングのほうへ歩いていく二人の背中を見送りながら、杉江と握手をした右手をそっとズボンで拭った。奴が歩いた場所は、あとで妻に念入りに拭き掃除をさせておくとしよう。
芽依が恋人の存在を報告してきたとき、私は我が耳を疑った。言葉を失い、ほとんど卒倒しかけた。私の可愛い芽依に、彼氏……? 芽依が生まれたとき、天使が地上に舞い降りたのではないかと本気で思った。小さいころは「将来はパパのお嫁さんになる」と笑顔で言ってくれた、素直で優しい、愛しの我がひとり娘。そんな芽依に、彼氏――。
冗談じゃない! そんなことは到底許せない! しかしその恋人のことを語るときの芽依の嬉しそうな表情……。しかもなんと、相手は同じ大学に通う杉江という学生だと言うではないか。ああ、なんということだ。かわいい娘を目の届く範囲に置いておきたいという思いから、わざわざ自分の勤める大学に進学させたというのに……。
そして先日、失意のどん底にいる私に、妻がある提案をしてきた。今度、杉江を家の夕食に招こうなどと言い出したのだ。追い討ちをかけるような妻の発言に、私は思わず手を上げそうになった。しかし、だが待てよ、と思い直した。杉江が家に来る。これはある意味、絶好の機会だ。私は料理に毒を混ぜ、杉江を殺害する計画を立てた。警察は我々家族を疑うだろうが、そのときは私の身代わりに妻を犯人として差し出せばよい。妻はそれに従うだろう。どうせあの女は、私に逆らえない。
ダイニングに向かう前に、一度自分の書斎に寄ることにした。先ほどまで書いていた小説のデータを削除するためだ。芽依に恋人ができたと知った日から、つい怒りに任せてこんなものを書いてしまった。有頂天になっている杉江が一気に転落していく様は書いていて実に痛快だったが、後々警察にこれを発見されると厄介だ。私が杉江に対して殺意をもっていたことが疑われてしまう。
小説のデータを完全に削除し、パソコンの電源を落とす。よし、これで大丈夫だ。あとは杉江が毒入りの料理を口にするだけ。私はほくそ笑み、傍らに置いていた飲みかけのコーヒーのカップに口をつけた。口の中に心地よい苦みが広がる。苦み……いや、なんだか妙な味だ……。それに何だ? この舌がしびれるような感覚は――。
呼吸が苦しい。立っていられず、その場に膝を突く。手がカップを取り落とし、床に黒い液体が広がった。……誰かが、コーヒーに毒を入れたのだ。でも、誰が? ……いや、この短い間にそんなことができたのは一人しかいない。私が玄関で二人を出迎えている間に書斎に入り、カップに毒を仕込んだのだろう。
次第に意識が朦朧としてくる。頭が大きく揺れ、そのまま床に倒れた。かすむ視界が最後に捉えたのは、妻が愛用するスリッパと、それを履いた彼女の白い足首だった――