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 大講義室に教授の声が鳴り響く。何をそんなに熱心に語っているのか。どうせ真面目に聞いているやつなんて一人もいないのに。教授になるくらいだから頭はいいはずなのに、どうして自分の話のつまらなさを自覚することはできないのだろう。
 俺は周りの様子を窺いつつ、傍らのバッグの中に手を入れる。さっき俺のほうをちらちら見ていた女たちも、いまはもう飽きたのか机の下に隠したスマホに夢中だ。バッグの中からタイプライターを取り出す。こいつの唯一の難点はその重さだ。二リットルのペットボトル数本分はあるだろう。サイズもでかいし、持ってくるのがひと苦労だった。
 机の上に置いたら目につきそうだったので、膝の上に置くことにした。ぐっ、重い。クソめが。こいつの力は昨夜、猫と母親で実証済みだ。もう一つ試しておきたいのは、こいつの力の効果範囲。俺は大きな音を立てないよう慎重にアームとレバーを操作し、一文字ずつ文字を打ち込んでいった。
『講義中に教授がノリノリでダンスを踊り始めた。』
 さあ、どうだ。俺はタイプライターから顔を上げ、壇上に立つ教授の様子を注視する。すると直後、教授はふいに話すのをやめ、その場で軽快に踊り出した。妙にキレのある両手の動き。一方で下半身は単調なリズムの左右移動。あれはパラパラだ。なんでパラパラ? 世代か?
 突然始まった教授の狂態に、講義を受けていた学生たちは笑いより戸惑ったようなどよめきに包まれる。よしよし、もういいだろう。俺の位置から教授のいる位置くらいまではタイプライターの力が届くということはわかったし、おっさんのパラパラなんていつまでも見ていたいものじゃない。俺はタイプライターに付いている小さな突起を左側に倒し、レバーを操作していま打った文字を消去する。すると教授のダンスはぴたっと止まった。マイクを片手に何事もなかったかのように講義を再開する。このタイプライターには消字機能が付いている。それで書いた文字を消すことで力の効果も消えるのだ。これも昨夜、ホッケで試した。
 さて、これで力の届く距離はわかった。次は、と俺は膝に乗せたタイプライターを再び操作する。
『大講義室で講義を受けている学生たちが全員一斉に立ち上がった。』
 文字を打ち終わり、顔を上げる。ざざっという音とともに、俺以外の学生たちが一斉に立ち上がった。なんの前触れもなく突然立ち上がった学生たちを前に、今度は講義をしていた教授のほうが驚いて腰を抜かしそうになっている。たしかに前からその様子を見ている教授からしたら、この光景はちょっとしたホラーかもしれない。事情がわかっている俺にはただおもしろいだけだけど。なんなんだよお前ら、卒業式かよ。
 書いた文字を消すと、学生たちは揃って静かに着席する。教授はしばらく呆気にとられたような顔をしていたが、やがてまた講義を再開した。オーケー。これで実験は終了だ。少なくともこの大講義室に収まる程度の数の人間に同時に効果を及ぼせるということはわかった。それだけわかればもう充分だ。俺はべつに、こいつを使って世界を変えてやろうとか考えているわけじゃない。俺はただ、自分の大学生活を楽しく書き換えていきたいだけだ。

 それから俺の華の大学生活が始まった。タイプライターを使って、まず行なったのは友人を作ることだ。気の合う仲間たち。いや、実際に気の合う相手かどうかなんて関係ない。タイプライターで、俺の好みの性格に書き換えてしまえばいいのだ。
 そうやって作った仲間たちと一緒に授業を受け、ときにはサボって遊びに行き、週末にはみんなでバーベキューをしたり、ちょっとした旅行に出かけたりする。夢にまで見た日々。そうだよ、こういうのだよ。俺はずっとこういう毎日が送りたかったんだ。
 仲間たちとの楽しい時間を過ごしながら、俺は着々と次の行動に向けた準備を進めていた。俺の次の行動。そう、彼女づくりだ。今や俺は学内のどの子とだって付き合える。もちろん、学内に拘る必要はない。だが俺は「同じ大学に通う彼女」ってやつに憧れがあるんだ。彼女と同じ授業を取ったり一緒にお昼ごはんを食べたり、学校が終わったらそのままどこかへ遊びに行ったり……なんて、なんか楽しそうじゃないか。
 そういうわけで、俺は仲間たちと遊びながらも、俺の栄えある彼女第一号となるに相応しい女を誰とするか、集めた情報を基に慎重に吟味を重ねていった。そうしてその結果選ばれたのは、俺と同じ二年生の田中芽依(たなかめい)だ。俺とは学部が別だから今までその存在を認識していなかったが、なんでも田中は去年の学祭のミスコンで、当時一年生にしてグランプリに選ばれるほどの美貌のもち主だっていうじゃないか。俺がそれを知らなかったのは、もちろん友だちがいなさすぎて学祭に参加しなかったからだが、そんなことは今やどうだっていい。実際に目にした田中は、たしかに噂にたがわぬほどの美人だった。これなら俺の彼女として申し分ない。さっそく俺はタイプライターの力を使った。
 こうして俺はとうとう念願の彼女を作ることができた。田中、いや芽依は、容姿端麗なだけでなく成績も優秀、幼いころから続けているという剣道はいまや六段の腕前らしい。才色兼備、文武両道。おまけになんと性格までいい。明るく素直、世の中の多くのくだらない女たちのように、自分の話ばかりべらべら喋って聞かせてくるようなこともしない。俺がタイプライターを使ってそうさせているわけじゃない。それが彼女の元々の性格なのだ。きっと親の教育がよいのだろう。どこかいいところのお嬢様なのかもしれない。
 俺は今日、芽依を連れてレストランに食事に行った。ちょいと値の張る洒落たレストランだが、問題はない。金なんて、今の俺にはどうとでもなる。
 食事を終えた俺たちは海の見える夜の公園を軽く散歩し、そして今、ベンチに並んで座っている。遠くにはライトアップされた夜の街並み。どうだ、ファーストキスをするには絶好のシチュエーションだろう。……なに? まだキスもしていなかったのか、だって? 当たり前だ! 交際してすぐにキスを迫ろうとするがっついた男なんて、芽依に相応しくない。こういうことはじっくりと段階を踏んで行なっていくものなんだ。
 海から吹く潮風が芽依の前髪をさやさやと揺らす。見れば見るほど、まるで彫刻のように整った顔立ちだ。俺を見つめる大きな目がそっと閉じられる。その形のよい唇に、俺は自分の唇を――
「芽依」
 そのとき、ふいに横から声がした。目を開けて振り向くと、見知らぬおじさんが立っている。――いや、見知らぬおじさんじゃない。こいつはうちの大学の教授だ。例の、俺が講義中にパラパラを踊らせた教授。
「お父さん」
 芽依が驚いたように教授に言った。お、お父さん? そうだったの? 言われてみれば、たしかにこの教授の苗字は田中だ。いやでも、田中なんてよくいる苗字だし、まさか芽依がこいつの娘だなんて、想像もしていなかった。
「こんなところで何をやっているんだ。もう夜も遅い。さあ、一緒に帰ろう」
「はい、お父さん」
 そう言って芽依は立ち上がり、田中教授と並んで歩き去っていこうとする。い、いや、なんでそんなに従順なんだ。俺は急いでバッグからタイプライターを取り出し、この状況を打開するための文章を打ちこむ。しかし二人は一向に足を止める気配がない。
「な、なんで……」
 すると芽依は振り返り、俺に向かって言った。
「ごめんね、杉江(すぎえ)くん。わたしには杉江くんより、お父さんのほうが大事なの」
 唖然とした。ぽかんと開いた口が塞がらなかった。なんで……どうして、タイプライターの力が効かないんだ。こんなの何かの間違いだ。俺はもう一度タイプライターを操作しようとする。すると何者かの手が伸び、俺からタイプライターを取り上げた。田中教授だった。教授は手慣れた様子でタイプライターを操作し、何やら文章を打ち込むと、俺のほうを見てにやりと笑った。
「残念だが、これは(わたし)の物語なんだ」
 田中教授はそう言うと、あらためて芽依を連れて歩き出す。
 そんな……待ってくれ! 声を上げ、二人の後を追おうと立ち上がる。するとその足に、何か硬いものが勢いよくぶつかった。俺はバランスを崩し転倒した。足の痛みに悶絶しながら見ると、倒れている俺を上から覗きこむように見ている幾人かの人影が見えた。それはタイプライターの力でつくった大学の仲間たちだった。どうしてここにおまえたちが……? しかもよく見ると全員、手にはナイフや金槌など、凶器じみたものを持っている。……おい、それで何をするつもりなんだ。うすら笑いを浮かべながらにじり寄ってくる仲間たち。……やめろ、やめてくれ! 泣き叫ぶ俺の頭めがけて、巨大な金槌が振り下ろされる――


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みんなのリアクション

 大講義室に教授の声が鳴り響く。何をそんなに熱心に語っているのか。どうせ真面目に聞いているやつなんて一人もいないのに。教授になるくらいだから頭はいいはずなのに、どうして自分の話のつまらなさを自覚することはできないのだろう。
 俺は周りの様子を窺いつつ、傍らのバッグの中に手を入れる。さっき俺のほうをちらちら見ていた女たちも、いまはもう飽きたのか机の下に隠したスマホに夢中だ。バッグの中からタイプライターを取り出す。こいつの唯一の難点はその重さだ。二リットルのペットボトル数本分はあるだろう。サイズもでかいし、持ってくるのがひと苦労だった。
 机の上に置いたら目につきそうだったので、膝の上に置くことにした。ぐっ、重い。クソめが。こいつの力は昨夜、猫と母親で実証済みだ。もう一つ試しておきたいのは、こいつの力の効果範囲。俺は大きな音を立てないよう慎重にアームとレバーを操作し、一文字ずつ文字を打ち込んでいった。
『講義中に教授がノリノリでダンスを踊り始めた。』
 さあ、どうだ。俺はタイプライターから顔を上げ、壇上に立つ教授の様子を注視する。すると直後、教授はふいに話すのをやめ、その場で軽快に踊り出した。妙にキレのある両手の動き。一方で下半身は単調なリズムの左右移動。あれはパラパラだ。なんでパラパラ? 世代か?
 突然始まった教授の狂態に、講義を受けていた学生たちは笑いより戸惑ったようなどよめきに包まれる。よしよし、もういいだろう。俺の位置から教授のいる位置くらいまではタイプライターの力が届くということはわかったし、おっさんのパラパラなんていつまでも見ていたいものじゃない。俺はタイプライターに付いている小さな突起を左側に倒し、レバーを操作していま打った文字を消去する。すると教授のダンスはぴたっと止まった。マイクを片手に何事もなかったかのように講義を再開する。このタイプライターには消字機能が付いている。それで書いた文字を消すことで力の効果も消えるのだ。これも昨夜、ホッケで試した。
 さて、これで力の届く距離はわかった。次は、と俺は膝に乗せたタイプライターを再び操作する。
『大講義室で講義を受けている学生たちが全員一斉に立ち上がった。』
 文字を打ち終わり、顔を上げる。ざざっという音とともに、俺以外の学生たちが一斉に立ち上がった。なんの前触れもなく突然立ち上がった学生たちを前に、今度は講義をしていた教授のほうが驚いて腰を抜かしそうになっている。たしかに前からその様子を見ている教授からしたら、この光景はちょっとしたホラーかもしれない。事情がわかっている俺にはただおもしろいだけだけど。なんなんだよお前ら、卒業式かよ。
 書いた文字を消すと、学生たちは揃って静かに着席する。教授はしばらく呆気にとられたような顔をしていたが、やがてまた講義を再開した。オーケー。これで実験は終了だ。少なくともこの大講義室に収まる程度の数の人間に同時に効果を及ぼせるということはわかった。それだけわかればもう充分だ。俺はべつに、こいつを使って世界を変えてやろうとか考えているわけじゃない。俺はただ、自分の大学生活を楽しく書き換えていきたいだけだ。
 それから俺の華の大学生活が始まった。タイプライターを使って、まず行なったのは友人を作ることだ。気の合う仲間たち。いや、実際に気の合う相手かどうかなんて関係ない。タイプライターで、俺の好みの性格に書き換えてしまえばいいのだ。
 そうやって作った仲間たちと一緒に授業を受け、ときにはサボって遊びに行き、週末にはみんなでバーベキューをしたり、ちょっとした旅行に出かけたりする。夢にまで見た日々。そうだよ、こういうのだよ。俺はずっとこういう毎日が送りたかったんだ。
 仲間たちとの楽しい時間を過ごしながら、俺は着々と次の行動に向けた準備を進めていた。俺の次の行動。そう、彼女づくりだ。今や俺は学内のどの子とだって付き合える。もちろん、学内に拘る必要はない。だが俺は「同じ大学に通う彼女」ってやつに憧れがあるんだ。彼女と同じ授業を取ったり一緒にお昼ごはんを食べたり、学校が終わったらそのままどこかへ遊びに行ったり……なんて、なんか楽しそうじゃないか。
 そういうわけで、俺は仲間たちと遊びながらも、俺の栄えある彼女第一号となるに相応しい女を誰とするか、集めた情報を基に慎重に吟味を重ねていった。そうしてその結果選ばれたのは、俺と同じ二年生の|田中芽依《たなかめい》だ。俺とは学部が別だから今までその存在を認識していなかったが、なんでも田中は去年の学祭のミスコンで、当時一年生にしてグランプリに選ばれるほどの美貌のもち主だっていうじゃないか。俺がそれを知らなかったのは、もちろん友だちがいなさすぎて学祭に参加しなかったからだが、そんなことは今やどうだっていい。実際に目にした田中は、たしかに噂にたがわぬほどの美人だった。これなら俺の彼女として申し分ない。さっそく俺はタイプライターの力を使った。
 こうして俺はとうとう念願の彼女を作ることができた。田中、いや芽依は、容姿端麗なだけでなく成績も優秀、幼いころから続けているという剣道はいまや六段の腕前らしい。才色兼備、文武両道。おまけになんと性格までいい。明るく素直、世の中の多くのくだらない女たちのように、自分の話ばかりべらべら喋って聞かせてくるようなこともしない。俺がタイプライターを使ってそうさせているわけじゃない。それが彼女の元々の性格なのだ。きっと親の教育がよいのだろう。どこかいいところのお嬢様なのかもしれない。
 俺は今日、芽依を連れてレストランに食事に行った。ちょいと値の張る洒落たレストランだが、問題はない。金なんて、今の俺にはどうとでもなる。
 食事を終えた俺たちは海の見える夜の公園を軽く散歩し、そして今、ベンチに並んで座っている。遠くにはライトアップされた夜の街並み。どうだ、ファーストキスをするには絶好のシチュエーションだろう。……なに? まだキスもしていなかったのか、だって? 当たり前だ! 交際してすぐにキスを迫ろうとするがっついた男なんて、芽依に相応しくない。こういうことはじっくりと段階を踏んで行なっていくものなんだ。
 海から吹く潮風が芽依の前髪をさやさやと揺らす。見れば見るほど、まるで彫刻のように整った顔立ちだ。俺を見つめる大きな目がそっと閉じられる。その形のよい唇に、俺は自分の唇を――
「芽依」
 そのとき、ふいに横から声がした。目を開けて振り向くと、見知らぬおじさんが立っている。――いや、見知らぬおじさんじゃない。こいつはうちの大学の教授だ。例の、俺が講義中にパラパラを踊らせた教授。
「お父さん」
 芽依が驚いたように教授に言った。お、お父さん? そうだったの? 言われてみれば、たしかにこの教授の苗字は田中だ。いやでも、田中なんてよくいる苗字だし、まさか芽依がこいつの娘だなんて、想像もしていなかった。
「こんなところで何をやっているんだ。もう夜も遅い。さあ、一緒に帰ろう」
「はい、お父さん」
 そう言って芽依は立ち上がり、田中教授と並んで歩き去っていこうとする。い、いや、なんでそんなに従順なんだ。俺は急いでバッグからタイプライターを取り出し、この状況を打開するための文章を打ちこむ。しかし二人は一向に足を止める気配がない。
「な、なんで……」
 すると芽依は振り返り、俺に向かって言った。
「ごめんね、|杉江《すぎえ》くん。わたしには杉江くんより、お父さんのほうが大事なの」
 唖然とした。ぽかんと開いた口が塞がらなかった。なんで……どうして、タイプライターの力が効かないんだ。こんなの何かの間違いだ。俺はもう一度タイプライターを操作しようとする。すると何者かの手が伸び、俺からタイプライターを取り上げた。田中教授だった。教授は手慣れた様子でタイプライターを操作し、何やら文章を打ち込むと、俺のほうを見てにやりと笑った。
「残念だが、これは|私《わたし》の物語なんだ」
 田中教授はそう言うと、あらためて芽依を連れて歩き出す。
 そんな……待ってくれ! 声を上げ、二人の後を追おうと立ち上がる。するとその足に、何か硬いものが勢いよくぶつかった。俺はバランスを崩し転倒した。足の痛みに悶絶しながら見ると、倒れている俺を上から覗きこむように見ている幾人かの人影が見えた。それはタイプライターの力でつくった大学の仲間たちだった。どうしてここにおまえたちが……? しかもよく見ると全員、手にはナイフや金槌など、凶器じみたものを持っている。……おい、それで何をするつもりなんだ。うすら笑いを浮かべながらにじり寄ってくる仲間たち。……やめろ、やめてくれ! 泣き叫ぶ俺の頭めがけて、巨大な金槌が振り下ろされる――