「二谷お姉さま」
「な、なんだ一条、怖い顔して」
「一つ伺いますが、お姉さまは今朝どこで五十嵐さんの姿をお見かけになったのですか?」
「どこでって……だから、廊下で――」
そこまで言ったところで、侑麻ははっと顔を強張らせる。
「そう、廊下で。先ほどもお姉さまは、確かにそう仰いました。では、どこの廊下で見たのですか? わたしが五十嵐さんと会ったとき、彼女は東棟の廊下を歩いていました。彼女は今日、東棟の見回り担当なのだそうです。二谷お姉さま。お姉さまはたしか、今朝はずっと西棟の図書室にいらっしゃったんですよね? 西棟にいるはずのお姉さまが、どうして東棟の見回りをしている五十嵐さんを見ることができるんですか?」
「それは――ト、トイレだよ。トイレに行くときに、五十嵐が廊下を歩いているのを見たんだ」
「西棟にいるのに、わざわざ東棟のお手洗いまで行ったということですか? さすがにそれはちょっと無理があるんじゃありませんか?」
怜花にまっすぐに見据えられ、侑麻の表情には明らかな狼狽の色が浮かぶ。なおも自身に対して向けられる鋭い視線に負けまいとするように、侑麻は声を上げた。
「だったら……だったら私も言わせてもらうがな、三田の言動にだっておかしな点はあるぞ」
「へ? あたし?」
「そうだ! きみはたしか、こんな風に言っていたな。今朝早く学校に来たのは、部活の朝練に出るためだった。しかし来てみたところ、朝練は休みだった、と」
「う、うん。そうだけど」
「ならどうして、きみの鞄の中には部活をするための着替えが入っていないんだ! 庇おうとして気づかないふりをしていたのかは知らんが、持ち物検査のときに一条がなかなかそれを言い出さないから、ずっとやきもきしていたんだ!」
「ごめんなさい、お姉さま。それは気が付きませんでした」
「はっ、どうだかな。幼なじみだか何だか知らないが、きみたちの友情ごっこにはもういい加減うんざりだよ」
頭を下げる怜花に、侑麻はふいと首を振る。
「き、着替えは、その、単純に忘れただけだよ」
「忘れた? わざわざ朝練のために早く来たのにか? 信じがたいな。本当は朝練なんて嘘で、一条が来る前に生徒会室から漫画本を盗み出すために来てたんじゃないのか? 大体、朝練のために来たと言うわりに、きみはバドミントンのラケットすら持っていないじゃないか」
「バ、バドミントン? あたしはテニス部だ! それに、ラケットは部室に置いてあるんだよ!」
そう言ったのち、堪りかねたように彩芽は続ける。
「てかさ、侑麻姉はどうして、あたしにばっかりいつもそうやって突っかかってくんの? 着替えの件は、たしかにちょっと変かもだけど……で、でも、おかしいのはあたしだけじゃないよ! 汐音だって!」
名を呼ばれ、端の席に小さく座っていた最下級生はびくりと身を震わせる。
「中庭でポスターのデザインを考えてたとか言ってたけど、本当にそうなの? さっき弥生ちゃんが生徒会室に来たけど、弥生ちゃん、朝ごはん買いに外に行ってたって言ってたよね? あのときあたし思ったんだ。ああ、だから弥生ちゃんは怜花が悲鳴を上げても生徒会室に来なかったんだなって。職員室は生徒会室と同じ階でしょ? もしそのとき職員室にいたら、弥生ちゃんもきっと怜花の悲鳴を聞いたはずで、そしたらいくらのんびり屋の弥生ちゃんでも、すぐに飛んできてたと思う。要するにそのとき、弥生ちゃんは外にいて怜花の悲鳴を聞いてなかったんだよ。でもさ、そう考えたら、おかしくない? 汐音はさっき、『会長の大きな悲鳴が聞こえて』って言ってたよね? 中庭とはいえ、弥生ちゃんと同じく外にいた場合、悲鳴ってそんなに大きく聞こえるものなのかな? もし窓でも開いてればきっと聞こえただろうけど、でも、生徒会室の窓は――」
と、彩芽は言葉を切る。窓の状態はつい先ほども確認したばかりだ。誰ともなく、三人の視線は一人のほうに向く。
「ちがっ、その、あの、僕……」
汐音の目からぽろりと一粒の涙が落ちる。そのまましゃくりあげるように泣き出してしまった。
「泣かせたな、三田」
「あたし? 違うね、これは侑麻姉のせいだよ」
「なんだと? なぜ私が」
「あたしはこのことを黙っておくつもりだったんだ。言ったら、汐音が疑われると思ったから。だからそれに気づいたとき、適当に外部犯の話をして誤魔化した。なのにあたしがこの話をしたのは、侑麻姉があたしにしつこく突っかかってくるからだ。あたしと怜花のことを友情ごっことか言って……許せない」
「ふん、何を言い出すかと思えば。責任転嫁も甚だしいな。私が言わせたわけではないだろう。人のせいにして罪悪感から逃れようとする前に、まずはきみ自身にかけられている疑惑を晴らしてみたらどうだ? 四十万に矛先を向けようとしたところで、きみの着替えについての矛盾にはまだ誰も納得していないのだからな」
「はあー? それを言うなら、侑麻姉だって同じでしょ!」
侑麻と彩芽の口論はいよいよもって激しさを増していく。飛び交う怒号に混じって、汐音の啜り泣く声が聞こえていた。
ああ、なんということだろう。気づけば事態は混沌を極めていた。もつれ果てた状況を治める方策がすぐに思い浮かばず、怜花は己の無力さを知る。
無力さ――。そうだ、これまでだってずっとそうだった。わたし一人の力で解決できたことなんてこれまでに一つだってなかった。それでも今日までなんとかやってこれたのは、自分を支えてくれる仲間たちがいたからだ。三年のほとんどの役員たちが抜け、たった四人になってしまった生徒会。そんな生徒会が今日まで存続できているのは、他ならぬ彼女たちのおかげだ。
そんな大切な仲間たちを、わたしは疑い、糾弾し、そしてここまで仲をこじれさせてしまった。自分自身の名誉を守るために、彼女たちに嘘までついて。あの本を――わたしの聖典を失うのはたしかに辛いことだ。だけど、彼女たちとの絆を失うほうがもっと辛い。
がたっ、と椅子を引く音がし、生徒会長・一条怜花はその場に静かに立ち上がった。彼女のただならぬ雰囲気に、侑麻と彩芽は言い争いをやめ、汐音も鼻を啜りながら怜花のほうを見る。
「みなさんに、謝らなければいけないことがあります」
怜花は厳かに口を開き、そして決心した様子でこう続けた。
「生徒会室からなくなった漫画本……。あの本は、実はわたしのものなのです」