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4-1

ー/ー



「おいおい、正気か?」
 私立玉蘭女子学園高等学校、生徒会室。生徒会長・一条怜花の宣言に、副会長・二谷侑麻は明確な異を唱えた。
「たかが本一冊なくなったくらいで、そこまでのプライバシーに踏み込まれる筋合いはない。断固として拒否する」
 たかが――? 怜花は自身の口元が思わずひくついてしまうのを感じつつ、努めて冷静に言葉を紡いだ。
「わたしとしても、このようなことを提案するのはとても心苦しいのです。ですがこれはみなさんのためでもあります。これで何も出てこなければ、みなさんの疑いが晴れることに繋がるのですから」
「断る。いくら生徒会長といえど、このような行為はさすがに職権の濫用だ。学校主導の正式な検査でない以上、我々にも拒否権がある。残念だが、従えないな」
「怜花」
 と、そこで声を上げたのは、会計担当・三田彩芽である。
「わかった、いいよ。怜花がそこまで言うなら、あたしのこと調べてもらって」
「彩芽……」
「いつまでも怜花に疑われたままなのも、嫌だしね」
 そう言って彩芽は怜花に微笑みかける。そこへ、ちっ、と舌打ちの音が聞こえた。
「ああ、わかったよ。ならばまず、副会長である私の鞄から調べるといい。生憎、漫画本など入っていないがな」
 苛立たしげにそう言い放ち、侑麻は長机の上に自身のスクールバッグをどんと置いた。学校指定の紺色のスクールバッグは、なにかと荷物の多い学生には嬉しい、比較的大容量のものである。
「ありがとうございます、二谷お姉さま。四十万さん、あなたもいい?」
「ええと……はい、どうぞ」
 机の上に三人のバッグが出揃う。怜花はそれらを順番に調べていく。だが、中に入っているのは教科書類や授業に必要な細々とした道具類ばかりで、BL本の影は微塵も見当たらなかった。しいて挙げるなら、侑麻のバッグに入っていた薄型のノートPC、彩芽のバッグにあった「会計帳簿」と書かれた数冊のノート、汐音が持っていたA4判のスケッチブックなどがそれぞれの特徴的な持ち物と言えたが、三人の個性や役職などを考えた場合、どれも持っていて不自然なものではなかった。それらを除いて、学業に関係する以外の物は何一つ発見されない。さすがは生徒会役員、といったところである。
「さあ、もう気が済んだか? これで我々三人とも、晴れて無罪放免ということでいいな?」
 侑麻が鼻から息を吐き出し、自身のバッグを手元に引き寄せる。「ええ、そうですね……」と怜花は彼女たちの生真面目さに感心しつつも、ではBL誌は一体どこへという疑問と不安で胸を満たされつつ頷いた。
 と、そこへ、生徒会室のドアがノックされた。怜花は弾かれたように顔を上げ、「はい」と返事を返す。
「あら? なんだ、みんなもいたの?」
 ドアが開き、現れたのは生徒会顧問・六本木弥生だった。手にはコンビニエンスストアのレジ袋らしきものを持っている。
「先生。どうされたんですか?」
「いや、今ね、外のコンビニまで買い物に行ってきたところなの。……ほら、今日、寝坊して朝ごはん食べそびれちゃったからさ。それで、これ。一条さんに差し入れ」
 そう言って弥生は手に持ったレジ袋の中からプリンを二つ取り出し、机の上に置く。
「あ、ありがとうございます……」
「ちょっとー、弥生ちゃーん。あたしたちの分はー?」
「しかたないでしょ、みんなもいるなんて知らなかったんだから。こっちは、本当はわたしの分だったのよ? みんなで仲良く分けて」
「よろしいのですか? 教師が特定の生徒にこのようなものを渡したりして」
「あ、相変わらず厳しいわね、二谷さん。まあ、わたし一応生徒会の顧問だし、部活動とかでもたまにこういうのやるでしょ? 顧問の先生が部員に飲み物買ってくれたりとかさ。……あ、四十万さんも、後輩だからって遠慮せずに食べてね」
「は、はい。ありがとうございます」
 それじゃあね、と六本木弥生は四人に手を振り生徒会室を出ていった。「いいよねえ、先生は。好きな時間に外に買い物に行けてさ」と机の上のプリンに早速手を伸ばした彩芽は、自身の発言に対し、何かに気が付いたように「外、か」と呟く。
「どうしたの、彩芽? 何か気になることでもあった?」
「え? あ、ああ、いや。……その、もしかしたら本を盗んだ犯人ってさ、普通に学校と関係ない人だったりするんじゃないかなって思ってさ」
「外部犯による犯行、ということか」侑麻が彩芽のほうに顔を向ける。
「うん。ほら、少し前にもさ、校内でカメラが見つかったこと、あったじゃん?」
 彩芽の言う「カメラ」とは、数か月前、玉女の敷地内で複数の小型カメラが発見された事件を指す。カメラは現在怜花たちのいる東棟二階や二年生の教室前の廊下、女子トイレや学食、さらには校門付近の物陰にまで設置されていた。生徒に注意を呼びかける全校集会が開かれ、一時校内では大きな騒ぎとなったが、時とともに沈静化し現在に至っている。
「あのときのカメラを仕掛けた犯人ってさ、結局まだ見つかってないんでしょ? だったら、そいつがまたやってきたってことも考えられるんじゃない? JKの生活を覗くだけに飽き足らず、今度は直接、校内への侵入を図ったのかも」
「ひっ……」
「大丈夫よ、四十万さん。あれ以来学校は警備員の数を増やしているし、今はそう簡単に不審者は校内に入ってこられないわ。……彩芽、四十万さんを怖がらせるようなこと、言わないの」
「なはは。すまん、すまん」
「だが、外部犯による犯行という線は、実際あり得ない話ではないんじゃないか? たとえば犯人は窓からこの部屋に侵入し、犯行後はドアから外に出ていったとか。それならば、一条が生徒会室に来た時点でドアの鍵が開いていたことにも説明がつく」
「ですが、もしその犯人が窓から部屋に侵入したというのであれば、窓に何らかの痕跡が残るはずじゃありませんか? 毎回、生徒会室を使用した後は、窓のロックは忘れずにかけるようにしていますし、何か道具でも使わない限りはそう簡単に窓から侵入なんてできないように思いますけど……」
 そう言いつつも、怜花は頭の中で、今朝生徒会室に入ったときに覚えたかすかな違和感のことを思い出していた。あのとき、部屋の雰囲気がいつもとどこか違っているように感じたのは、外から誰かが侵入した気配みたいなものを無意識のうちに感じ取ったからなのかもしれない。ほとんど毎日のように生徒会室を利用している自分だからこそ、そんな些細な空気の変化を敏感に察知したのではないか。
「あ、あの」
 と、そこで、おずおずと口を開いたのは汐音だった。
「どうしたの、四十万さん?」
「えっと……その……」と、汐音は指をもじもじと交差させ、ぼそぼそと呟くように言った。「ぼ、僕たち以外にも、生徒会室に入ることができた生徒は……いると思います」
「なんですって?」
「誰だよ、汐音?」
「そ、それは……」
 汐音は侑麻のほうにちらと目を向け、見返してくる鋭い視線から逃れるように怜花のほうに向き直り、言った。
「三年生の……元生徒会役員のお姉さまたち、です」
 ああ、と怜花の口から思わず声が洩れた。なるほど、たしかに。自分はなぜ今まで、その存在を忘れていたのだろう。
「おー、そっか。たしかに辞めてったお姉さまたちなら、職員室の鍵ボックスの番号も知ってるし、こっそり鍵を持ち出して生徒会室に侵入することができるね。たとえば、七尾(ななお)姉とかさ」
「おい、どうしてそこで(あきら)の名前が出るんだ。生徒会を辞めた三年は他にもいただろう」
「ええ、そうですよー。だからあたしは『たとえば』って言葉を使ったんじゃないですか。ちゃんと聞いてなかったのかなあ、侑麻姉はー?」
 さっきの仕返しとばかりに彩芽が侑麻を挑発する。やめなさい、という怜花の静かな一喝に彩芽はぺろっと舌を出す。
 七尾晶。元生徒会役員にして、怜花の前任の生徒会長である。先に少し触れた通り、前回の会長選挙で怜花が新たな会長に選ばれた際、それまでにいた三年生役員たちのほとんどが生徒会を辞めてしまうという出来事があった。その先導役となったのが、前会長の七尾晶である。まだ彼女が生徒会の会長だったころから、怜花とはしばしば意見が対立することがあり、怜花が新会長になるのをおもしろく思わなかったのだろうというのが大方の見方である。
 自身が会長となったことで多くの役員を失う結果となってしまい、当時は大きなショックを受けた怜花だったが、自分を応援してくれるみんなのためにとそれでもなんとか今日まで頑張ってきた。近ごろではその存在すら忘れるほどまでに立ち直っていたというのに、ここにきてまた彼女らのことを思い出すことになるとは……。
「元役員のお姉さまたちは、あまり会長のことを、その、よく思っておられませんでしたよね? だから、会長と現役員に嫌がらせをする目的で、こんなことをしたのかもって……」
「うんうん、ありえるなあ。生徒会で管理してる生徒の私物がなくなったなんて知れたら、大問題だもん。たしかにこれは例の意地悪なお姉さま方が、怜花を貶めるためにやったことなのかもねー。たとえば(・・・・)、元会長の七尾お姉さまとかがさー」
 またも挑発するような彩芽の発言に、侑麻はぐっ、と奥歯を噛みしめる。しかしすぐに「ふん」と鼻を鳴らすと、表面上は冷静さを取り戻した様子でこう言った。
「ずいぶんと視野が狭い意見だな、三田。それに四十万。たしかに三年の元役員たちなら、職員室の鍵ボックスから鍵を取り出し、生徒会室にこっそり侵入することができただろう。だが、それと同じことができた生徒はもう一人いたんじゃないか?」
「はあ? なに言ってんの? 同じ三年生を庇いたいからって、適当なこと言わないでよね」
「彩芽。……二谷お姉さま、それは一体、誰なのです?」
「風紀委員の五十嵐朱音だよ。今朝、彼女が廊下を歩いている姿を私は目撃している。きっと風紀委員会の、今朝の校内の見回り担当が彼女だったのだろう。私たち同様、朝早くから学校にいた彼女なら、一条が来る前に生徒会室に忍び込むチャンスもあったんじゃないのか?」
「待ってください。たしかにお姉さまの仰る通り、五十嵐さんは今朝早くから学校に来ていました。わたしもその姿を見ていますし、なんなら会って言葉も交わしています。ですが、仮に五十嵐さんが犯人だとした場合、生徒会室の鍵はどうやって開けたのです? 彼女は風紀委員であって生徒会役員ではありません。わたしたちのようにボックスの暗証番号は知らされていないはずですが」
「さあな。誰かに聞いたんじゃないのか」
「誰かに、って……」
 それは侑麻にしては、ずいぶん乱暴な物言いのように怜花には思えた。やはり彩芽が言うように、誰かを庇おうとして無理やり捻り出した推理なのか。だが一方で、たしかに鍵の問題を考えなければ、タイミング的に五十嵐朱音が犯行を行なうことは充分に可能であることは確かだった。今朝会ったときの彼女の様子はどうだったろうと、朱音と交わした会話を怜花は思い出してみる。すると怜花の頭の中に、びりりと稲妻が走るような感覚が訪れた。


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「おいおい、正気か?」
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 たかが――? 怜花は自身の口元が思わずひくついてしまうのを感じつつ、努めて冷静に言葉を紡いだ。
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「断る。いくら生徒会長といえど、このような行為はさすがに職権の濫用だ。学校主導の正式な検査でない以上、我々にも拒否権がある。残念だが、従えないな」
「怜花」
 と、そこで声を上げたのは、会計担当・三田彩芽である。
「わかった、いいよ。怜花がそこまで言うなら、あたしのこと調べてもらって」
「彩芽……」
「いつまでも怜花に疑われたままなのも、嫌だしね」
 そう言って彩芽は怜花に微笑みかける。そこへ、ちっ、と舌打ちの音が聞こえた。
「ああ、わかったよ。ならばまず、副会長である私の鞄から調べるといい。生憎、漫画本など入っていないがな」
 苛立たしげにそう言い放ち、侑麻は長机の上に自身のスクールバッグをどんと置いた。学校指定の紺色のスクールバッグは、なにかと荷物の多い学生には嬉しい、比較的大容量のものである。
「ありがとうございます、二谷お姉さま。四十万さん、あなたもいい?」
「ええと……はい、どうぞ」
 机の上に三人のバッグが出揃う。怜花はそれらを順番に調べていく。だが、中に入っているのは教科書類や授業に必要な細々とした道具類ばかりで、BL本の影は微塵も見当たらなかった。しいて挙げるなら、侑麻のバッグに入っていた薄型のノートPC、彩芽のバッグにあった「会計帳簿」と書かれた数冊のノート、汐音が持っていたA4判のスケッチブックなどがそれぞれの特徴的な持ち物と言えたが、三人の個性や役職などを考えた場合、どれも持っていて不自然なものではなかった。それらを除いて、学業に関係する以外の物は何一つ発見されない。さすがは生徒会役員、といったところである。
「さあ、もう気が済んだか? これで我々三人とも、晴れて無罪放免ということでいいな?」
 侑麻が鼻から息を吐き出し、自身のバッグを手元に引き寄せる。「ええ、そうですね……」と怜花は彼女たちの生真面目さに感心しつつも、ではBL誌は一体どこへという疑問と不安で胸を満たされつつ頷いた。
 と、そこへ、生徒会室のドアがノックされた。怜花は弾かれたように顔を上げ、「はい」と返事を返す。
「あら? なんだ、みんなもいたの?」
 ドアが開き、現れたのは生徒会顧問・六本木弥生だった。手にはコンビニエンスストアのレジ袋らしきものを持っている。
「先生。どうされたんですか?」
「いや、今ね、外のコンビニまで買い物に行ってきたところなの。……ほら、今日、寝坊して朝ごはん食べそびれちゃったからさ。それで、これ。一条さんに差し入れ」
 そう言って弥生は手に持ったレジ袋の中からプリンを二つ取り出し、机の上に置く。
「あ、ありがとうございます……」
「ちょっとー、弥生ちゃーん。あたしたちの分はー?」
「しかたないでしょ、みんなもいるなんて知らなかったんだから。こっちは、本当はわたしの分だったのよ? みんなで仲良く分けて」
「よろしいのですか? 教師が特定の生徒にこのようなものを渡したりして」
「あ、相変わらず厳しいわね、二谷さん。まあ、わたし一応生徒会の顧問だし、部活動とかでもたまにこういうのやるでしょ? 顧問の先生が部員に飲み物買ってくれたりとかさ。……あ、四十万さんも、後輩だからって遠慮せずに食べてね」
「は、はい。ありがとうございます」
 それじゃあね、と六本木弥生は四人に手を振り生徒会室を出ていった。「いいよねえ、先生は。好きな時間に外に買い物に行けてさ」と机の上のプリンに早速手を伸ばした彩芽は、自身の発言に対し、何かに気が付いたように「外、か」と呟く。
「どうしたの、彩芽? 何か気になることでもあった?」
「え? あ、ああ、いや。……その、もしかしたら本を盗んだ犯人ってさ、普通に学校と関係ない人だったりするんじゃないかなって思ってさ」
「外部犯による犯行、ということか」侑麻が彩芽のほうに顔を向ける。
「うん。ほら、少し前にもさ、校内でカメラが見つかったこと、あったじゃん?」
 彩芽の言う「カメラ」とは、数か月前、玉女の敷地内で複数の小型カメラが発見された事件を指す。カメラは現在怜花たちのいる東棟二階や二年生の教室前の廊下、女子トイレや学食、さらには校門付近の物陰にまで設置されていた。生徒に注意を呼びかける全校集会が開かれ、一時校内では大きな騒ぎとなったが、時とともに沈静化し現在に至っている。
「あのときのカメラを仕掛けた犯人ってさ、結局まだ見つかってないんでしょ? だったら、そいつがまたやってきたってことも考えられるんじゃない? JKの生活を覗くだけに飽き足らず、今度は直接、校内への侵入を図ったのかも」
「ひっ……」
「大丈夫よ、四十万さん。あれ以来学校は警備員の数を増やしているし、今はそう簡単に不審者は校内に入ってこられないわ。……彩芽、四十万さんを怖がらせるようなこと、言わないの」
「なはは。すまん、すまん」
「だが、外部犯による犯行という線は、実際あり得ない話ではないんじゃないか? たとえば犯人は窓からこの部屋に侵入し、犯行後はドアから外に出ていったとか。それならば、一条が生徒会室に来た時点でドアの鍵が開いていたことにも説明がつく」
「ですが、もしその犯人が窓から部屋に侵入したというのであれば、窓に何らかの痕跡が残るはずじゃありませんか? 毎回、生徒会室を使用した後は、窓のロックは忘れずにかけるようにしていますし、何か道具でも使わない限りはそう簡単に窓から侵入なんてできないように思いますけど……」
 そう言いつつも、怜花は頭の中で、今朝生徒会室に入ったときに覚えたかすかな違和感のことを思い出していた。あのとき、部屋の雰囲気がいつもとどこか違っているように感じたのは、外から誰かが侵入した気配みたいなものを無意識のうちに感じ取ったからなのかもしれない。ほとんど毎日のように生徒会室を利用している自分だからこそ、そんな些細な空気の変化を敏感に察知したのではないか。
「あ、あの」
 と、そこで、おずおずと口を開いたのは汐音だった。
「どうしたの、四十万さん?」
「えっと……その……」と、汐音は指をもじもじと交差させ、ぼそぼそと呟くように言った。「ぼ、僕たち以外にも、生徒会室に入ることができた生徒は……いると思います」
「なんですって?」
「誰だよ、汐音?」
「そ、それは……」
 汐音は侑麻のほうにちらと目を向け、見返してくる鋭い視線から逃れるように怜花のほうに向き直り、言った。
「三年生の……元生徒会役員のお姉さまたち、です」
 ああ、と怜花の口から思わず声が洩れた。なるほど、たしかに。自分はなぜ今まで、その存在を忘れていたのだろう。
「おー、そっか。たしかに辞めてったお姉さまたちなら、職員室の鍵ボックスの番号も知ってるし、こっそり鍵を持ち出して生徒会室に侵入することができるね。たとえば、|七尾《ななお》姉とかさ」
「おい、どうしてそこで|晶《あきら》の名前が出るんだ。生徒会を辞めた三年は他にもいただろう」
「ええ、そうですよー。だからあたしは『たとえば』って言葉を使ったんじゃないですか。ちゃんと聞いてなかったのかなあ、侑麻姉はー?」
 さっきの仕返しとばかりに彩芽が侑麻を挑発する。やめなさい、という怜花の静かな一喝に彩芽はぺろっと舌を出す。
 七尾晶。元生徒会役員にして、怜花の前任の生徒会長である。先に少し触れた通り、前回の会長選挙で怜花が新たな会長に選ばれた際、それまでにいた三年生役員たちのほとんどが生徒会を辞めてしまうという出来事があった。その先導役となったのが、前会長の七尾晶である。まだ彼女が生徒会の会長だったころから、怜花とはしばしば意見が対立することがあり、怜花が新会長になるのをおもしろく思わなかったのだろうというのが大方の見方である。
 自身が会長となったことで多くの役員を失う結果となってしまい、当時は大きなショックを受けた怜花だったが、自分を応援してくれるみんなのためにとそれでもなんとか今日まで頑張ってきた。近ごろではその存在すら忘れるほどまでに立ち直っていたというのに、ここにきてまた彼女らのことを思い出すことになるとは……。
「元役員のお姉さまたちは、あまり会長のことを、その、よく思っておられませんでしたよね? だから、会長と現役員に嫌がらせをする目的で、こんなことをしたのかもって……」
「うんうん、ありえるなあ。生徒会で管理してる生徒の私物がなくなったなんて知れたら、大問題だもん。たしかにこれは例の意地悪なお姉さま方が、怜花を貶めるためにやったことなのかもねー。|たとえば《・・・・》、元会長の七尾お姉さまとかがさー」
 またも挑発するような彩芽の発言に、侑麻はぐっ、と奥歯を噛みしめる。しかしすぐに「ふん」と鼻を鳴らすと、表面上は冷静さを取り戻した様子でこう言った。
「ずいぶんと視野が狭い意見だな、三田。それに四十万。たしかに三年の元役員たちなら、職員室の鍵ボックスから鍵を取り出し、生徒会室にこっそり侵入することができただろう。だが、それと同じことができた生徒はもう一人いたんじゃないか?」
「はあ? なに言ってんの? 同じ三年生を庇いたいからって、適当なこと言わないでよね」
「彩芽。……二谷お姉さま、それは一体、誰なのです?」
「風紀委員の五十嵐朱音だよ。今朝、彼女が廊下を歩いている姿を私は目撃している。きっと風紀委員会の、今朝の校内の見回り担当が彼女だったのだろう。私たち同様、朝早くから学校にいた彼女なら、一条が来る前に生徒会室に忍び込むチャンスもあったんじゃないのか?」
「待ってください。たしかにお姉さまの仰る通り、五十嵐さんは今朝早くから学校に来ていました。わたしもその姿を見ていますし、なんなら会って言葉も交わしています。ですが、仮に五十嵐さんが犯人だとした場合、生徒会室の鍵はどうやって開けたのです? 彼女は風紀委員であって生徒会役員ではありません。わたしたちのようにボックスの暗証番号は知らされていないはずですが」
「さあな。誰かに聞いたんじゃないのか」
「誰かに、って……」
 それは侑麻にしては、ずいぶん乱暴な物言いのように怜花には思えた。やはり彩芽が言うように、誰かを庇おうとして無理やり捻り出した推理なのか。だが一方で、たしかに鍵の問題を考えなければ、タイミング的に五十嵐朱音が犯行を行なうことは充分に可能であることは確かだった。今朝会ったときの彼女の様子はどうだったろうと、朱音と交わした会話を怜花は思い出してみる。すると怜花の頭の中に、びりりと稲妻が走るような感覚が訪れた。