銃撃の音が延々飛び交う抗争の絶えない地区に、その男は額に汗をかきながらも、廃墟のような家屋の中や隙間を縫うようにして走り抜けていく。
かつて、誰かの幸せな家庭や思い出などがあったかもしれない壁の穴の間を通り、あるいは悲しいドラマがあったのかもしれない破けた絨毯を踏み、移動する。
「はぁ、はぁ……、焼きが回っちまったもんだ」
拳銃を片手に構え、ポッケに手を突っ込む。
そこに望むものはなく、望み薄。
絶望という言葉だけでは言い表しきれないような、深い溜め息をついたところで、すぐ近くまで何者かの荒々しい足音が石畳を鳴らす。
この廃墟を飛び出して、自分にできることは悪あがきくらいだろうか。
そんなことを思いながら拳を握り固める。
「助けに来たぞ、ルド」
その一声に、肩から空気が抜けるようにガクンと落ちかける。
壁の陰からニュッと姿を現した重装備の大男は見慣れていたから。
「……状況は、どうなってる」
「増援が来てる。ここはもう退散しろ。お前の仕事はコンプリートだ」
煙草も吸っていないのに、酷く深く白い吐息が出てしまう。
「すまない……、俺の最後の仕事だというのに」
「何言ってやがる。ここを抑えただけでも十分だ。早く娘さんとこに帰ってやんな」
表情も見えないくらいに重装備で固めた大男は陽気なサムズアップを見せた。力なく、家から退散しようと、すれ違おうとしたそのときだ。
「その無精ヒゲだけは剃っておきな。少しは若く見られたいだろ?」
「は、余計なお世話だ。俺をいくつだと思ってやがる」
※ ※ ※
平和という言葉では語りつくせないほどに静寂なストリートに、ヒゲを剃りたてのやや老いた男が花束を抱えて歩く。
疲れた顔をしているが、何処か頬が緩い。
「俺だ、帰ってきたぞ」
玄関をノックし、返事を待つよりも早く、男は扉を潜る。
リビングへと向かうだけで重い何かを脱ぎ捨てていくかのよう。
「おや、ずいぶんといい匂いじゃないか」
テーブルには、湯気が立つほど温かそうな料理が皿の上に載っていた。
肉を揚げたものだということは分かる。かなり手が込んでいそうだ。
「パパ! おかえりなさい! 今日もお疲れ様!」
頭の数が二つほど低い、小さな女の子が出迎えてくる。フリルのついたピンク色のエプロンをまくり上げ、とたとたと近寄ってきた。
その手に持った花束をそっとテーブルに置き、少女を抱きしめる。
「これは食べてもいいのかい?」
「もちろんよ! あたしのとっておきの料理なんだから!」
その言葉にまた頬が綻ぶ。男はテーブルについて、徐にナイフとフォークを構え、わざとらしいくらいしめしめとその揚げた肉へ切れ目を入れる。
「おお、中にチーズが入ってるのか。凝った料理だ」
「コルドンブルーっていうの。チーズを入れたハムを揚げたのよ。隣のおばさんが、お祝い事にはこういうのがいいって教えてくれたの」
フォークで刺し、口元に運ぶ。こんがりとした表面の歯ごたえもさることながら、チーズの甘い香りととろりとした感触が実に心地よかった。
「コルドンブルー……、青い、リボンか。作るのは大変だっただろう?」
「そんなことないわ。だって、パパのためだもの。今日はパパがお仕事を終わらせた記念日だから、とびっきりのお祝いをしなきゃって思ったの!」
えへへと眩しい笑みを見せる。
こんな純粋無垢な少女にここまで気遣いされるとは思ってもみなかった男は、思わず眼がしらにジンとするものを覚えた。
「あ、そうだ、プレゼントもあるんだよ!」
そういって少女はドタバタと部屋の奥の方へと消えていき、すぐさま戻ってくる。その手にあったのは小さな小箱。男にとって懐かしいメーカーの煙草だった。
「おいおい、俺はもう吸わないって言っただろ?」
照れくさそうに、似合わない笑顔を見せながら男は返そうとする。
「だってパパ、仕事終わるまで禁煙だって言ってたから」
あまりにもあっけらかんとした無邪気な顔でそう言われては突っ返せもしない。やれやれ、と仕方なさそうに久しぶりの煙草の箱を開封し、一本を口に銜える。
「あれ? パパ、泣いてるの?」
「そんなわけないだろ、久しぶりだから煙が目に染みただけだよ」
まだ火のついていない煙草を銜えながら煙に巻くように言い放った。
「そうなの……、じゃあ、あたし料理の片付けが途中だからゆっくり食べててね」
それだけ言い残し、少女はまたキッチンの向こうへとトタトタ消えていった。その背中を目で追いながらも男は徐に、テーブルのすぐ横に置いてあった写真へと視線を寄せる。そこに映るのは若々しい男二人と、片方の男に抱っこされた赤子だ。
「お前の娘も、こんなに健気に育ったぜ。笑うと本当にお前の嫁さんにそっくりだ。なあ、ルド、感謝しろよな」
煙草に火を灯しながら、男は頬に一筋を残した。