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第2話 やさしい男

ー/ー



 いつものようにわたしが空を見上げていると、遠くからどすどすと足音を立ててマロが現れた。

 マロの不機嫌はいつものことだけれど、今日はやけに力が入っている。

「イシヅキ様がいらっしゃいました。姫のお顔を見たい、と」

 不満そうな顔をしたマロの背後から、一人の男がのっそりと姿を現した。頭にかぶった烏帽子が、天井すれすれのところにある。

「ご機嫌うるわしく。姫は、いかがお過ごしかな」

 男の声は低く、腹の底をなでるように響く。わたしが答えるよりも先に、マロがふんっ、と鼻を鳴らした。

「ああして、いつも空を見上げておいでです。マロがやめろと言っても聞きませぬ。イシヅキ様からも、姫にやめるよう説得していただけないでしょうか」

 マロが怒った口調で言えば、イシヅキはおかしそうにふふふ、と人の良さそうな笑みをこぼした。

「姫はきっと、ご退屈なされているのでしょう。私が、笛を吹いてさしあげます」

 わたしが黙っていると、イシヅキはすっと懐から紫色の筒袋を取り出して、中から一本の笛を出して見せた。

「竹を切って作った笛です。とても美しい音色を奏でるので、きっと姫の心をつなぎとめてくれるでしょう」

「笛…………吹けるのか、お前がか」

「はい。姫のお慰みになればと思い、練習いたしました。聞いていただけますかな?」

 わたしのために練習した、と言われれば悪い気はしない。

 こくり、と私が頷けば、イシヅキは嬉しそうに目元を緩めた。

「よかった。では、姫のお好きな曲などございますでしょうか」

「好きな曲…………とくには」

 思いのほか声が低くなってしまった。それでもイシヅキは、気を悪くしたふうもなく、ほほえむ。

「それでは、私がいつも吹いている曲にしましょう」

 イシヅキの薄く細長い唇が、竹笛の吹き口へ当てられる。大きな掌に包まれた竹笛が、まるで玩具(おもちゃ)のように見えた。

 そっとイシヅキが息を吹き込むと、竹笛から柔らかな音色が流れ出る。それは、まったりとした空気を伝って、わたしの耳に届く。

 ふしぎな懐かしさと、切なさが胸に湧き上がるのを感じて驚いた。

 なぜだろう。わたしは、この曲をどこかで聞いた覚えがある。

 イシヅキが大きな体つきで、小さな笛を吹く様は、なぜだか妙に愛おしく思えた。あんな風にやさしく扱われたら……と意識がぼうっとなるのにはっとして、かぶりをふる。私は今、何を考えていたのだろう。

「…………お気に召しませんでしたかな」

 ふいに音が止み、イシヅキがわたしを悲し気な目で見つめていた。

 わたしは、そうではない、と伝えようとして口を開きかけたが、やめた。ついと視線を空へうつせば、そこにいつもと変わらぬ白い光が浮かんでいた。

 背後で、マロとイシヅキが目くばせをし、嘆息するのが聞こえた。

 イシヅキは何も言わず、再び笛を吹きはじめた。先ほどの曲とは違い、わたしの聞いたことがない曲だった。

 わたしは、ずっと背後に笛の音とイシヅキの大きな気配を感じながら空を見つめ続けた。



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 いつものようにわたしが空を見上げていると、遠くからどすどすと足音を立ててマロが現れた。
 マロの不機嫌はいつものことだけれど、今日はやけに力が入っている。
「イシヅキ様がいらっしゃいました。姫のお顔を見たい、と」
 不満そうな顔をしたマロの背後から、一人の男がのっそりと姿を現した。頭にかぶった烏帽子が、天井すれすれのところにある。
「ご機嫌うるわしく。姫は、いかがお過ごしかな」
 男の声は低く、腹の底をなでるように響く。わたしが答えるよりも先に、マロがふんっ、と鼻を鳴らした。
「ああして、いつも空を見上げておいでです。マロがやめろと言っても聞きませぬ。イシヅキ様からも、姫にやめるよう説得していただけないでしょうか」
 マロが怒った口調で言えば、イシヅキはおかしそうにふふふ、と人の良さそうな笑みをこぼした。
「姫はきっと、ご退屈なされているのでしょう。私が、笛を吹いてさしあげます」
 わたしが黙っていると、イシヅキはすっと懐から紫色の筒袋を取り出して、中から一本の笛を出して見せた。
「竹を切って作った笛です。とても美しい音色を奏でるので、きっと姫の心をつなぎとめてくれるでしょう」
「笛…………吹けるのか、お前がか」
「はい。姫のお慰みになればと思い、練習いたしました。聞いていただけますかな?」
 わたしのために練習した、と言われれば悪い気はしない。
 こくり、と私が頷けば、イシヅキは嬉しそうに目元を緩めた。
「よかった。では、姫のお好きな曲などございますでしょうか」
「好きな曲…………とくには」
 思いのほか声が低くなってしまった。それでもイシヅキは、気を悪くしたふうもなく、ほほえむ。
「それでは、私がいつも吹いている曲にしましょう」
 イシヅキの薄く細長い唇が、竹笛の吹き口へ当てられる。大きな掌に包まれた竹笛が、まるで|玩具《おもちゃ》のように見えた。
 そっとイシヅキが息を吹き込むと、竹笛から柔らかな音色が流れ出る。それは、まったりとした空気を伝って、わたしの耳に届く。
 ふしぎな懐かしさと、切なさが胸に湧き上がるのを感じて驚いた。
 なぜだろう。わたしは、この曲をどこかで聞いた覚えがある。
 イシヅキが大きな体つきで、小さな笛を吹く様は、なぜだか妙に愛おしく思えた。あんな風にやさしく扱われたら……と意識がぼうっとなるのにはっとして、かぶりをふる。私は今、何を考えていたのだろう。
「…………お気に召しませんでしたかな」
 ふいに音が止み、イシヅキがわたしを悲し気な目で見つめていた。
 わたしは、そうではない、と伝えようとして口を開きかけたが、やめた。ついと視線を空へうつせば、そこにいつもと変わらぬ白い光が浮かんでいた。
 背後で、マロとイシヅキが目くばせをし、嘆息するのが聞こえた。
 イシヅキは何も言わず、再び笛を吹きはじめた。先ほどの曲とは違い、わたしの聞いたことがない曲だった。
 わたしは、ずっと背後に笛の音とイシヅキの大きな気配を感じながら空を見つめ続けた。