第1話 暗い空を見上げる女
ー/ー
―――帰りたい。
真っ暗な空に、ぽつんと浮かぶ白い光。あれを見上げる度に想う。
あそこへ帰らなくては、と。
でも、理由がわからない。
ただ胸の奥がじりじりと熱く、焦がれるのだ。
愛しいだれかを求めるように手をのばす。
だれかがそこで、わたしを待っている―――。
++☾++
「そのように外へ出ておられましたら、お身体が冷えまする」
わたしの斜め後ろから膝を寄せ、マロが言う。マロは、黙っていれば顔はいいけれど、いつも口うるさい。私のすること全てに文句を言う。
「寒くはないわ。ここはあたたかいから」
わたしは、マロのほうを向くことなく答えた。
背後で、はぁとマロのため息をつく音が聞こえる。
でも、わたしは嘘をついていない。
事実、ここの空気は穏やかで、しっとりと湿気を帯び、居心地がいい。
「姫、マロは心配しているのです。あなた様がどこか遠いところへ行ってしまわないかと」
どうしてわかってくれないのですか、と存外かなしげな声を出すので、はっとしてわたしは振り向いた。思っていたよりも近くに、マロの顔がある。
ころん、とした幼さの残る顔でマロがわたしを見上げていた。歳はわたしよりも上のはずなのに、この顔はいつ見ても変わらない。変わらない……はずなのに、それでも見飽きないのだから不思議だ。
マロの輪郭に沿って薄っすらと生えた産毛が、金色に光っているように見えた。くりっとしたその訴えるような目を見ていると、わたしはつい意地悪をしたくなる。
「どうして。わたしもいつか、お嫁へいくわ」
「その時まで、姫を見守るようにと御方様から言いつけられておりますれば」
硬い口調で頭を下げるマロの後頭部がうらめしい。わたしが欲しい言葉は、それではない。
「御方様なんて……わたし、見たことない。本当はいないんじゃないの」
「御方様は、姫を御生みになられてすぐに息を引き取りましたので……姫が覚えていらっしゃらないのも無理はありません」
「マロは、言いつけだから、わたしの傍にいて、あれこれうるさく言うのね」
本当はわたしのことなんて、どうでもいいんじゃないの、と言えば、マロがさっと顔を上げた。短く整った眉がきりりと上がる。
「そのようなことは決してありません。マロは、いつでも姫のことを第一に考えておりまする」
「うそ」
「マロは、うそをつきません」
真っすぐわたしを見つめるマロの目が、本当のことを言っているとわかって、わたしはぷいと視線を外した。追い縋るようにマロの声が、わたしの耳朶を打つ。
「どこへも行かないでくださいね」
マロは心配性だ。わたしの家は、ここなのに。
わたしは、生まれた時からここにいる。ここ以外、どこへ行くというのだろう。
ふと頭上から誰かに呼ばれた気がして、わたしは顔を上げた。真っ暗な空に、ぽつりと浮かぶ白い光。あれがわたしを呼んだのだろうか。
じっと空を見上げていると、ふたたびマロが傍で「姫」と呼ぶ声がした。
それでもわたしは、白い光から目を離すことができなかった。
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真っ暗な空に、ぽつんと浮かぶ白い光。あれを見上げる度に想う。
あそこへ帰らなくては、と。
でも、理由がわからない。
ただ胸の奥がじりじりと熱く、焦がれるのだ。
愛しいだれかを求めるように手をのばす。
だれかがそこで、わたしを待っている―――。
++☾++
「そのように外へ出ておられましたら、お身体が冷えまする」
わたしの斜め後ろから膝を寄せ、マロが言う。マロは、黙っていれば顔はいいけれど、いつも口うるさい。私のすること全てに文句を言う。
「寒くはないわ。ここはあたたかいから」
わたしは、マロのほうを向くことなく答えた。
背後で、はぁとマロのため息をつく音が聞こえる。
でも、わたしは嘘をついていない。
事実、ここの空気は穏やかで、しっとりと湿気を帯び、居心地がいい。
「姫、マロは心配しているのです。あなた様がどこか遠いところへ行ってしまわないかと」
どうしてわかってくれないのですか、と存外かなしげな声を出すので、はっとしてわたしは振り向いた。思っていたよりも近くに、マロの顔がある。
ころん、とした幼さの残る顔でマロがわたしを見上げていた。歳はわたしよりも上のはずなのに、この顔はいつ見ても変わらない。変わらない……はずなのに、それでも見飽きないのだから不思議だ。
マロの輪郭に沿って薄っすらと生えた産毛が、金色に光っているように見えた。くりっとしたその訴えるような目を見ていると、わたしはつい意地悪をしたくなる。
「どうして。わたしもいつか、お嫁へいくわ」
「その時まで、姫を見守るようにと御方様から言いつけられておりますれば」
硬い口調で頭を下げるマロの後頭部がうらめしい。わたしが欲しい言葉は、それではない。
「御方様なんて……わたし、見たことない。本当はいないんじゃないの」
「御方様は、姫を御生みになられてすぐに息を引き取りましたので……姫が覚えていらっしゃらないのも無理はありません」
「マロは、言いつけだから、わたしの傍にいて、あれこれうるさく言うのね」
本当はわたしのことなんて、どうでもいいんじゃないの、と言えば、マロがさっと顔を上げた。短く整った眉がきりりと上がる。
「そのようなことは決してありません。マロは、いつでも姫のことを第一に考えておりまする」
「うそ」
「マロは、うそをつきません」
真っすぐわたしを見つめるマロの目が、本当のことを言っているとわかって、わたしはぷいと視線を外した。追い縋るようにマロの声が、わたしの|耳朶《じだ》を打つ。
「どこへも行かないでくださいね」
マロは心配性だ。わたしの家は、ここなのに。
わたしは、生まれた時からここにいる。ここ以外、どこへ行くというのだろう。
ふと頭上から誰かに呼ばれた気がして、わたしは顔を上げた。真っ暗な空に、ぽつりと浮かぶ白い光。あれがわたしを呼んだのだろうか。
じっと空を見上げていると、ふたたびマロが傍で「姫」と呼ぶ声がした。
それでもわたしは、白い光から目を離すことができなかった。