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出奔

ー/ー



 雲の町(クラウド・シティ)の周辺で吹雪が荒れ始めてから数週間が経っていた。

 悪天候でテントの集会は無くなったが、僕はせいせいした気分だった。
 大の男が叶いもしない夢の話をして、何が楽しいのか。
 初めは気のいい男だと思っていたキーホールの事も、日に日に疎ましく感じるようになっていた。

 その日、僕とキーホールの部屋(仕事のペアは部屋も同室だ)には数名の住人が集まり、ぎゃあぎゃあと騒がしくしていた。
 六つの面に数字を書いたミート・キューブを転がして賭け事に興じている。

 僕は自分の身体をシーツでぐるぐる巻きにしてベッドの隅に転がっていた。

「おい、ジョン。やらねえのか? 東国のギャンブルだ。暇つぶしには最高だぞ」

 キーホールは無遠慮に誘ってくる。いつもこうだ。

「……やらないよ。頭が痛いんだ。それに、食べ物で遊んじゃいけないよ。みんな飢えて死んでいったのに」

「まぁまぁ。それはそれ、これはこれだぜ。なんせ、ここにはミート・キューブとオーガニック・ティーだけは腐るほどあるんだから、遠慮はいらねえよ」

 穴のあいた前歯を剥き出しにして、キーホールはゲラゲラと笑う。
 周りの男達も、笑っていた。
 僕はそれが腹ただしかった。
 笑い声を拒絶するように耳を塞ぎ、目を閉じる。
 そうしていると、様々な疑問が頭の中で反響した。最近はいつもこうだ。

 この世界は食糧難だ。家畜は居ないし、野生の獣も見たことがない。それなのに、ここにはミート・キューブがある。四角く固められたこれが何の肉なのか、ここでは誰も疑問に思っていない。

 他にもおかしい事はある。リーダーのオリンピアだ。シェルターは閉ざされているのに、彼女はふと、不思議なタイミングでその姿を消す。身を隠す場所なんか、どこにもないはずなのに。

 考えれば考えるほど、僕は鬱屈とした気分になっていた。
 何か大切な事を忘れている気がしていた。
 僕自身の根幹に関わる、重要な何かを。

 その時、部屋の扉が開いた。

「キーホール、ジョン。仕事だ」

 ドクターの声だった。

「積雪でソーラーパネルがまずい。ロックが応急処置をしているが、とにかく雪をどかさないと危ないようだ。急ぎで悪いが、今から行けるか?」

 キーホールが立ち上がった気配がした。

「ああ、わかった。けど俺一人で行くよ。ジョンは体調が良くねぇみてぇだ」

 僕はカッと頭が熱くなった。
 勝手に決めつけやがって。
 兄貴分を気取るキーホールの態度が気に入らなかった。

「……大丈夫だよ、僕も行く」

 体に巻き付けていたシーツを取り払い、僕は防寒着を手に取った。

「ジョン、無理はするなよ。雪かきぐらい、一人でもなんとかなるんだ」

 その言葉にまたカッとなり、僕はキーホールを睨みつけた。

「一人でもなんとかなるって? そりゃあ、僕は初めからいらないってことか? ああ、そうだろうね。こんな何の取り柄もない、自分の夢すら語れない役立たずなんか、誰も必要とは思っていないんだ!」

 一息にそう言い切る。目の前に立ったキーホールが濡れた瞳で僕を見つめていた。憐れむような、苛立つ目付きだった。

「悪かったよ、ジョン。そんなつもりじゃないんだ。俺はお前が心配で」

 僕は鼻で笑う。

「心配? 良く言うよ。どうせ馬鹿にしているんだろう。ジョンなんて、まるで犬の名前みたいじゃないか。僕は……僕の本当の名前は……!」

 それはすぐ先にあるはずだった。
 けれど、決定的に届かなかった。
 僕は、僕が何者であるかを未だに決めきれていない。
 他のみんなは、それが出来ているのに。
 ちゃんと自分の名前があるのに

 僕は下唇を噛み、キーホールを押しのけてシェルターの出口へと走った。
 長靴を履き、スコップを掴んで外に出る。
 外は猛吹雪だったが、もう気にしてはいられなかった。

 もう、こんな所には居たくない。

 もう、こんな自分ではいたくない。

 正面から吹き付ける冷たい風から顔を庇い、僕は発電施設の方へと進んだ。

 あと少し。もう少しだ。けれど、そこに辿り着いたとして何がある?

 そんな考えが頭をよぎった時だった。

 目の前に、黒い人影が見えた。

 それは、集落から離れる方向へと進んでいく。

 背負った荷物は、大きな袋のようだった。

 僕はかつて聞いた話を思い出していた。

 サンドマン。袋を携えた妖精。

 それについて行った者は、ここからいなくなってしまう。

 気がつくと、僕は駆け出していた。
 スコップを放り投げ、その影に追いつくように夢中で走った。

「た……頼む! 連れて行ってくれ!」

 ここからいなくなる? 
 結構なことじゃないか。

 僕はもう何処かに行ってしまいたい。

 あの町に戻るくらいなら、得体の知れない妖精にでも縋った方がマシだ。

 吹雪の中、僕は影を追い続けた。
 そうして、二度と後ろを振り返る事は無かった。


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 |雲の町《クラウド・シティ》の周辺で吹雪が荒れ始めてから数週間が経っていた。
 悪天候でテントの集会は無くなったが、僕はせいせいした気分だった。
 大の男が叶いもしない夢の話をして、何が楽しいのか。
 初めは気のいい男だと思っていたキーホールの事も、日に日に疎ましく感じるようになっていた。
 その日、僕とキーホールの部屋(仕事のペアは部屋も同室だ)には数名の住人が集まり、ぎゃあぎゃあと騒がしくしていた。
 六つの面に数字を書いたミート・キューブを転がして賭け事に興じている。
 僕は自分の身体をシーツでぐるぐる巻きにしてベッドの隅に転がっていた。
「おい、ジョン。やらねえのか? 東国のギャンブルだ。暇つぶしには最高だぞ」
 キーホールは無遠慮に誘ってくる。いつもこうだ。
「……やらないよ。頭が痛いんだ。それに、食べ物で遊んじゃいけないよ。みんな飢えて死んでいったのに」
「まぁまぁ。それはそれ、これはこれだぜ。なんせ、ここにはミート・キューブとオーガニック・ティーだけは腐るほどあるんだから、遠慮はいらねえよ」
 穴のあいた前歯を剥き出しにして、キーホールはゲラゲラと笑う。
 周りの男達も、笑っていた。
 僕はそれが腹ただしかった。
 笑い声を拒絶するように耳を塞ぎ、目を閉じる。
 そうしていると、様々な疑問が頭の中で反響した。最近はいつもこうだ。
 この世界は食糧難だ。家畜は居ないし、野生の獣も見たことがない。それなのに、ここにはミート・キューブがある。四角く固められたこれが何の肉なのか、ここでは誰も疑問に思っていない。
 他にもおかしい事はある。リーダーのオリンピアだ。シェルターは閉ざされているのに、彼女はふと、不思議なタイミングでその姿を消す。身を隠す場所なんか、どこにもないはずなのに。
 考えれば考えるほど、僕は鬱屈とした気分になっていた。
 何か大切な事を忘れている気がしていた。
 僕自身の根幹に関わる、重要な何かを。
 その時、部屋の扉が開いた。
「キーホール、ジョン。仕事だ」
 ドクターの声だった。
「積雪でソーラーパネルがまずい。ロックが応急処置をしているが、とにかく雪をどかさないと危ないようだ。急ぎで悪いが、今から行けるか?」
 キーホールが立ち上がった気配がした。
「ああ、わかった。けど俺一人で行くよ。ジョンは体調が良くねぇみてぇだ」
 僕はカッと頭が熱くなった。
 勝手に決めつけやがって。
 兄貴分を気取るキーホールの態度が気に入らなかった。
「……大丈夫だよ、僕も行く」
 体に巻き付けていたシーツを取り払い、僕は防寒着を手に取った。
「ジョン、無理はするなよ。雪かきぐらい、一人でもなんとかなるんだ」
 その言葉にまたカッとなり、僕はキーホールを睨みつけた。
「一人でもなんとかなるって? そりゃあ、僕は初めからいらないってことか? ああ、そうだろうね。こんな何の取り柄もない、自分の夢すら語れない役立たずなんか、誰も必要とは思っていないんだ!」
 一息にそう言い切る。目の前に立ったキーホールが濡れた瞳で僕を見つめていた。憐れむような、苛立つ目付きだった。
「悪かったよ、ジョン。そんなつもりじゃないんだ。俺はお前が心配で」
 僕は鼻で笑う。
「心配? 良く言うよ。どうせ馬鹿にしているんだろう。ジョンなんて、まるで犬の名前みたいじゃないか。僕は……僕の本当の名前は……!」
 それはすぐ先にあるはずだった。
 けれど、決定的に届かなかった。
 僕は、僕が何者であるかを未だに決めきれていない。
 他のみんなは、それが出来ているのに。
 ちゃんと自分の名前があるのに
 僕は下唇を噛み、キーホールを押しのけてシェルターの出口へと走った。
 長靴を履き、スコップを掴んで外に出る。
 外は猛吹雪だったが、もう気にしてはいられなかった。
 もう、こんな所には居たくない。
 もう、こんな自分ではいたくない。
 正面から吹き付ける冷たい風から顔を庇い、僕は発電施設の方へと進んだ。
 あと少し。もう少しだ。けれど、そこに辿り着いたとして何がある?
 そんな考えが頭をよぎった時だった。
 目の前に、黒い人影が見えた。
 それは、集落から離れる方向へと進んでいく。
 背負った荷物は、大きな袋のようだった。
 僕はかつて聞いた話を思い出していた。
 サンドマン。袋を携えた妖精。
 それについて行った者は、ここからいなくなってしまう。
 気がつくと、僕は駆け出していた。
 スコップを放り投げ、その影に追いつくように夢中で走った。
「た……頼む! 連れて行ってくれ!」
 ここからいなくなる? 
 結構なことじゃないか。
 僕はもう何処かに行ってしまいたい。
 あの町に戻るくらいなら、得体の知れない妖精にでも縋った方がマシだ。
 吹雪の中、僕は影を追い続けた。
 そうして、二度と後ろを振り返る事は無かった。