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オーシャン・ビュウ

ー/ー



「ナンバー85、ロストしました」


 電子音が鳴り響いた。
 モニターの電子信号は、彼がもう二度と帰らないことを示している。

「せっかく雲の町(クラウドシティ)まで辿り着いたってのに!」

 若い男性職員が、モニターに拳を叩きつけた。

 その後方。ダイヴィングチェアに座った女性が、ゆっくりとVRゴーグルを外す。鳶色の瞳があらわになった。

 女性の名前は、オリンピア=スパランツァーニ。
 巨大冷凍睡眠施設における意識仮想空間、雲の町(クラウドシティ)の管理主任を務める人物だった。

「今回はうまくいくと思ったんだけどね」

「また、彼らのいう『サンドマン』ですか」

 オリンピアは頷く。

「不思議よね、あの世界が『サンドマン』の演算によって構築されている事は知らないはずなのに。彼らはどこからかその単語を引っ張り出してくるんだもの」

 「しかも、仲間を喪失させる存在と定義しているんですよね、皮肉ですよ」

 オリンピアはダイヴィングチェアから身体を下ろし、ウンと腕を広げて背伸びをした。一度仮想世界にダイブすると、現実世界では数時間を同じ姿勢で過ごさなくてはならない。

「住人は増えず、か。名前持ち(ネームド)になれるかどうかが鍵ね」

「仮想世界における自己の再定義ですね。凍結処理時における意識の移行処理。その精度が高ければ、こんな問題は起こらないはずなんですが」

「仕方がないわ。『サンドマン』は人類の限界であるけれど、同時に希望でもあるの。私達はこれをうまく使って、僅かでも未来に可能性を残さなければならない……」

 オリンピアは、モニターに表示されたスクリーンセーバーを見つめた。

 大きな袋を担いだ妖精の姿を模したロゴが映し出されている。

『サンドマン』はこの巨大冷凍睡眠施設を管理するAIの総称だ。

 眠りへ誘う妖精の名前をとって、開発者がそう名付けたという。

 予見された大災害を目前にして、人類の冷凍睡眠計画は急ピッチで進められた。しかしその拙速さ故に、数々の技術的な問題を抱えたままだ。

 その一つが「意識の保存」だった。

 冷凍技術で肉体を半永久的に維持できても、付随する精神が同じく保てるとは限らない。遙かなる時を超えて睡眠から目覚めた人類が動かない肉人形になっていては、この計画の意味が無いのだ。

 問題を解決するため、『サンドマン』は人体の凍結処理の瞬間に、対象の人格を電子変換してデータとして抜き出すよう設計された。肉体とは異なる場所で精神を保存しようという理論だ。

 その場所こそが、仮想空間雲の町(クラウドシティ)だった。


 しかし急造のシステムには欠陥があった。まず人格の電子変換の過程で対象者エピソード記憶が大部分抜け落ちてしまう。その上変換したデータの八割が、雲の町(クラウドシティ)にアップロードできない。

 かろうじて町に辿り着いたとしても、そのデータの多くが、今回のように町から消失してしまうのだ。

 オリンピア達の仕事は、雲の町(クラウドシティ)の住人達が自律的に町を維持・運営できるようにサポートする事だった。

 外部からの介入がなくても崩壊を起こさない程度に、町を発展させなければならない。
 しかし、だ。

(住人が増えないことには、それも難しい)

 オリンピアは、大きなため息をついた。
 疲労が溜まっている。
 最近では、連続して仮想空間にダイブできる時間も減ってきていた。
 休息が必要だった。

「三時間ほど部屋で休むわ。何かあったら叩き起こしてくれて構わないから」

「そうならない事を祈っていますよ、主任」


 暗い部屋に入るなり、オリンピアはベッドにうつ伏せて倒れ込んだ。

 その体勢のまま、声を発する。

「シェードを開けて。外が見たいわ」

 音声を認識したAIが、窓を覆っていたシェードを収納していく。

 明るい日差しが部屋に差し込んだ。

 窓の外には、一面のオーシャン・ビュウが広がっている。
 降り注ぐ陽光、それを受けてきらきら輝く青い水面。

 それは雲の町(クラウドシティ)の住人、キーホールが夢に見た景色そのものだった。

 けれど、オリンピアは知っている。

 目の前に広がる世界は、キーホールが夢見るほど良いものではない。

 温暖化の影響で上昇した海面は、人類が暮らしていた大地のほとんどを飲み込んだ。

 放射能が汚染し尽くした海洋では、裸で泳ぐことなどできない。豊富なはずの海洋資源も食料にはできなかった。

 現実世界においても、食糧状況が危機的であることに変わりはないのだ。

 オリンピアは、デスクの上に転がっていたミート・キューブを、錠剤と一緒に口の中へ放り込んだ。

 慣れ親しんだ肉の味。意識を喪失した同胞の身体を糧としてまで、人類はまだしぶとく生きている。

 けれど、何故だろう。

 オリンピアは、この絶望的な大海原の景色を目にすることが、前ほど嫌ではなかった。

 雲の町(クラウドシティ)の住民達と、夢の話をするようになってからだ。

 彼らは、無邪気に夢を見ている。

 暖かな世界。
 雪のない世界。
 サンドマンの影に怯える必要の無い世界。

 オリンピアは、柔らかな笑みを浮かべた。

 いつか、彼らはたどり着くだろう。

 人類が生きていけるレベルにまで放射能の汚染が弱まった遠い未来。
 その大地に生きて足を踏み出すのは、雲の町(クラウドシティ)で暮らす彼らなのだから。

 オリンピアはゆっくりと瞼を閉じた。

 少しでも良い夢を見ることができますように。
 そう願いながら。














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 電子音が鳴り響いた。
 モニターの電子信号は、彼がもう二度と帰らないことを示している。
「せっかく|雲の町《クラウドシティ》まで辿り着いたってのに!」
 若い男性職員が、モニターに拳を叩きつけた。
 その後方。ダイヴィングチェアに座った女性が、ゆっくりとVRゴーグルを外す。鳶色の瞳があらわになった。
 女性の名前は、オリンピア=スパランツァーニ。
 巨大冷凍睡眠施設における意識仮想空間、|雲の町《クラウドシティ》の管理主任を務める人物だった。
「今回はうまくいくと思ったんだけどね」
「また、彼らのいう『サンドマン』ですか」
 オリンピアは頷く。
「不思議よね、あの世界が『サンドマン』の演算によって構築されている事は知らないはずなのに。彼らはどこからかその単語を引っ張り出してくるんだもの」
 「しかも、仲間を喪失させる存在と定義しているんですよね、皮肉ですよ」
 オリンピアはダイヴィングチェアから身体を下ろし、ウンと腕を広げて背伸びをした。一度仮想世界にダイブすると、現実世界では数時間を同じ姿勢で過ごさなくてはならない。
「住人は増えず、か。|名前持ち《ネームド》になれるかどうかが鍵ね」
「仮想世界における自己の再定義ですね。凍結処理時における意識の移行処理。その精度が高ければ、こんな問題は起こらないはずなんですが」
「仕方がないわ。『サンドマン』は人類の限界であるけれど、同時に希望でもあるの。私達はこれをうまく使って、僅かでも未来に可能性を残さなければならない……」
 オリンピアは、モニターに表示されたスクリーンセーバーを見つめた。
 大きな袋を担いだ妖精の姿を模したロゴが映し出されている。
『サンドマン』はこの巨大冷凍睡眠施設を管理するAIの総称だ。
 眠りへ誘う妖精の名前をとって、開発者がそう名付けたという。
 予見された大災害を目前にして、人類の冷凍睡眠計画は急ピッチで進められた。しかしその拙速さ故に、数々の技術的な問題を抱えたままだ。
 その一つが「意識の保存」だった。
 冷凍技術で肉体を半永久的に維持できても、付随する精神が同じく保てるとは限らない。遙かなる時を超えて睡眠から目覚めた人類が動かない肉人形になっていては、この計画の意味が無いのだ。
 問題を解決するため、『サンドマン』は人体の凍結処理の瞬間に、対象の人格を電子変換してデータとして抜き出すよう設計された。肉体とは異なる場所で精神を保存しようという理論だ。
 その場所こそが、仮想空間|雲の町《クラウドシティ》だった。
 しかし急造のシステムには欠陥があった。まず人格の電子変換の過程で対象者エピソード記憶が大部分抜け落ちてしまう。その上変換したデータの八割が、|雲の町《クラウドシティ》にアップロードできない。
 かろうじて町に辿り着いたとしても、そのデータの多くが、今回のように町から消失してしまうのだ。
 オリンピア達の仕事は、|雲の町《クラウドシティ》の住人達が自律的に町を維持・運営できるようにサポートする事だった。
 外部からの介入がなくても崩壊を起こさない程度に、町を発展させなければならない。
 しかし、だ。
(住人が増えないことには、それも難しい)
 オリンピアは、大きなため息をついた。
 疲労が溜まっている。
 最近では、連続して仮想空間にダイブできる時間も減ってきていた。
 休息が必要だった。
「三時間ほど部屋で休むわ。何かあったら叩き起こしてくれて構わないから」
「そうならない事を祈っていますよ、主任」
 暗い部屋に入るなり、オリンピアはベッドにうつ伏せて倒れ込んだ。
 その体勢のまま、声を発する。
「シェードを開けて。外が見たいわ」
 音声を認識したAIが、窓を覆っていたシェードを収納していく。
 明るい日差しが部屋に差し込んだ。
 窓の外には、一面のオーシャン・ビュウが広がっている。
 降り注ぐ陽光、それを受けてきらきら輝く青い水面。
 それは|雲の町《クラウドシティ》の住人、キーホールが夢に見た景色そのものだった。
 けれど、オリンピアは知っている。
 目の前に広がる世界は、キーホールが夢見るほど良いものではない。
 温暖化の影響で上昇した海面は、人類が暮らしていた大地のほとんどを飲み込んだ。
 放射能が汚染し尽くした海洋では、裸で泳ぐことなどできない。豊富なはずの海洋資源も食料にはできなかった。
 現実世界においても、食糧状況が危機的であることに変わりはないのだ。
 オリンピアは、デスクの上に転がっていたミート・キューブを、錠剤と一緒に口の中へ放り込んだ。
 慣れ親しんだ肉の味。意識を喪失した同胞の身体を糧としてまで、人類はまだしぶとく生きている。
 けれど、何故だろう。
 オリンピアは、この絶望的な大海原の景色を目にすることが、前ほど嫌ではなかった。
 |雲の町《クラウドシティ》の住民達と、夢の話をするようになってからだ。
 彼らは、無邪気に夢を見ている。
 暖かな世界。
 雪のない世界。
 サンドマンの影に怯える必要の無い世界。
 オリンピアは、柔らかな笑みを浮かべた。
 いつか、彼らはたどり着くだろう。
 人類が生きていけるレベルにまで放射能の汚染が弱まった遠い未来。
 その大地に生きて足を踏み出すのは、|雲の町《クラウドシティ》で暮らす彼らなのだから。
 オリンピアはゆっくりと瞼を閉じた。
 少しでも良い夢を見ることができますように。
 そう願いながら。