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雲の街

ー/ー



「それじゃあ、何も覚えてはいないってことだね」

ベッドに横たわった僕は、ドクターから質問を受けていた。

「ええ……すみません」

「いや、謝ることじゃない。ここではよくあるんだ。こうやって話をしている私だって、元は君とおんなじ名無し(ジョン・ドゥ)さ」

 ドクターは手元のカルテに何かを書き込む。

「だいぶ疲労が溜まっていたようだけど、凍傷なんかは無かったよ。君の体調さえ良ければ、集落の仲間を紹介しようかと思うんだけど、如何かな?」

 吹雪の中に居た時のような身体の苦しさはほとんどなく、歩くことにも問題は無さそうだった。
 僕は頷き、ドクターの後をついてシェルター内の病室を出た。


 人類最後の拠点、雲の町(クラウドシティ)で人が生活できるのは、地上にはない電力源があるからだ。化石燃料の枯渇に加え、気候変動による大氷河期も到来し、地表は永遠に晴れることのない分厚い雲で覆われた。

 状況を危惧した新環境主義者(ネオエコロジスト)たちの呼び掛けで設置されたのが、この町の太陽光発電パネルだ。太陽光を遮る分厚い雲、それよりも高い場所に発電施設を作れば電力を確保できると彼らは考えた。

 地球上にあった生命のほとんどを死に追いやった大災害。それが起こるよりも先に設置できた高地発電施設は、この町にあるたったの一か所のメガソーラーパネルだけだったらしい。

 シェルターの外は思ったより吹雪いていなかった。僅かに光も射している。

「蓄電容量にも限界があるからね。よほど吹雪が酷い時以外は、なるべくシェルターの電力に頼らない生活を心掛けているんだ」

 雪原の上には簡易的なテントやタープが張られている。
 ドクターはその中で一番大きなテントの入り口を開け、僕に手招きをした。

「新入りを紹介しようと思うんだが、みんな、歓迎の準備はどうかな?」

 テントの中には十名ほどの人間がいた。
 僕が顔を覗かせると、小さな歓声が上がる。指笛を鳴らしている人もいて、陽気な雰囲気だった。

 その中心に座った一人の女性に、僕は視線を惹かれた。

 赤毛の髪を短く刈り上げている。切れ長な目が印象的だった。派手な赤いフリースジャケットを纏い、チタンカップに口を当てている。

 この町に足を踏み入れた時に出会った、あの女性だった。

「当たり前さ、ドクター。こっちはもう待ちくたびれたぜ」

 前歯の欠けた長髪の男がそう言い放つ。
 続いて、身体の大きな坊主頭の男性が僕に問いかけてきた。

「まずは一つ確認させてほしい。君は名無し(ジョン・ドゥ)か? それとも初めから違う名前を持つ他の誰かか?」

 テントじゅうの視線がジッと僕に集まる。唯一、中央にいる女性だけがそのままの姿勢で手元のカップを見つめていた。

 しばしの沈黙の後、僕は応えた。

「……僕は、名無し(ジョン・ドゥ)だよ」

 そう聞くや否や、テントの中にいた大多数の人間が歓声をあげた。当てはまらない数人がガックリと肩を落とす。

「ほら見ろ! だから言ったんだ、穴を狙うのは素人のやることだってな!」

「ふん、カタく賭けてもつまらんのだよ」

「ゴタクはいいから、さっさとチップをわたしな。ミート・キューブを一欠片ずつだぜ」

 坊主頭の大男が舌打ちをして、銀色の包紙で覆われた立方体の何かを懐から取り出した。周りにいる男達が、歓声を上げてそれに群がる。

 僕が戸惑いを隠せずにいると、中央の女性がこちらを見て、クク、と喉を鳴らした。

 「驚かせてゴメンね。こいつら、君の記憶が残っているかどうかを賭けていたんだ。バカみたいでしょう?」

 女性の言葉に、前歯の欠けた男が大袈裟なジェスチャーで腕を広げる。

 「そりゃないぜリーダー。俺たちゃ日常の些細な出来事を、ちょっとでもエンジョイしようとしているんだぜ?」

 「その通り。賭博は閉鎖的な環境においてその精神をよりよく保つ一つの方法……なのかもしれないな」

 僕の隣にいたドクターが微笑む。そしてテントの中央に腕を伸ばし、坊主頭が広げていたミート・キューブを一つ摘み上げた。

「これで私は勝ち越し。今日も心は健康だ」

 苦い顔をした坊主頭の男が「よく言うよ、このヤブ医者め」と言うと、テントの中に笑い声が上がった。
 人類に残された最後の拠点とは思えないような、朗らかな空気だった。

 釣られて僕も笑っていると、目の前に手が差し出される。
 リーダーと呼ばれる女性だった。

「改めて歓迎します。私はオリンピア。雲の町(クラウドシティ)の管理責任者です。便宜上、あなたをジョンと呼びます。よろしいですか?」

 僕は少し躊躇したが、彼女の手を握った。

「もちろんです。よろしくお願いします」

 すると、陽気な男達がまた歓声を上げた。

「仲良くしようぜ、ジョン!」

「俺たちも初めはみんなジョンだったのさ。名前はあとから決めていけばいい。しっくりくるやつをな」

「さぁ、こっちに座れよ! クソまずいオーガニック・ティーをご馳走してやる!」

 みんなに導かれ、僕はキャンピング・チェアに腰を下ろした。差し出されたチタンカップに並々と満たされていた液体は、確かにクソまずかったけど温かかった。

 そうして僕の、雲の町(クラウドシティ)での生活は始まった。





























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「それじゃあ、何も覚えてはいないってことだね」
ベッドに横たわった僕は、ドクターから質問を受けていた。
「ええ……すみません」
「いや、謝ることじゃない。ここではよくあるんだ。こうやって話をしている私だって、元は君とおんなじ|名無し《ジョン・ドゥ》さ」
 ドクターは手元のカルテに何かを書き込む。
「だいぶ疲労が溜まっていたようだけど、凍傷なんかは無かったよ。君の体調さえ良ければ、集落の仲間を紹介しようかと思うんだけど、如何かな?」
 吹雪の中に居た時のような身体の苦しさはほとんどなく、歩くことにも問題は無さそうだった。
 僕は頷き、ドクターの後をついてシェルター内の病室を出た。
 人類最後の拠点、|雲の町《クラウドシティ》で人が生活できるのは、地上にはない電力源があるからだ。化石燃料の枯渇に加え、気候変動による大氷河期も到来し、地表は永遠に晴れることのない分厚い雲で覆われた。
 状況を危惧した|新環境主義者《ネオエコロジスト》たちの呼び掛けで設置されたのが、この町の太陽光発電パネルだ。太陽光を遮る分厚い雲、それよりも高い場所に発電施設を作れば電力を確保できると彼らは考えた。
 地球上にあった生命のほとんどを死に追いやった大災害。それが起こるよりも先に設置できた高地発電施設は、この町にあるたったの一か所のメガソーラーパネルだけだったらしい。
 シェルターの外は思ったより吹雪いていなかった。僅かに光も射している。
「蓄電容量にも限界があるからね。よほど吹雪が酷い時以外は、なるべくシェルターの電力に頼らない生活を心掛けているんだ」
 雪原の上には簡易的なテントやタープが張られている。
 ドクターはその中で一番大きなテントの入り口を開け、僕に手招きをした。
「新入りを紹介しようと思うんだが、みんな、歓迎の準備はどうかな?」
 テントの中には十名ほどの人間がいた。
 僕が顔を覗かせると、小さな歓声が上がる。指笛を鳴らしている人もいて、陽気な雰囲気だった。
 その中心に座った一人の女性に、僕は視線を惹かれた。
 赤毛の髪を短く刈り上げている。切れ長な目が印象的だった。派手な赤いフリースジャケットを纏い、チタンカップに口を当てている。
 この町に足を踏み入れた時に出会った、あの女性だった。
「当たり前さ、ドクター。こっちはもう待ちくたびれたぜ」
 前歯の欠けた長髪の男がそう言い放つ。
 続いて、身体の大きな坊主頭の男性が僕に問いかけてきた。
「まずは一つ確認させてほしい。君は|名無し《ジョン・ドゥ》か? それとも初めから違う名前を持つ他の誰かか?」
 テントじゅうの視線がジッと僕に集まる。唯一、中央にいる女性だけがそのままの姿勢で手元のカップを見つめていた。
 しばしの沈黙の後、僕は応えた。
「……僕は、|名無し《ジョン・ドゥ》だよ」
 そう聞くや否や、テントの中にいた大多数の人間が歓声をあげた。当てはまらない数人がガックリと肩を落とす。
「ほら見ろ! だから言ったんだ、穴を狙うのは素人のやることだってな!」
「ふん、カタく賭けてもつまらんのだよ」
「ゴタクはいいから、さっさとチップをわたしな。ミート・キューブを一欠片ずつだぜ」
 坊主頭の大男が舌打ちをして、銀色の包紙で覆われた立方体の何かを懐から取り出した。周りにいる男達が、歓声を上げてそれに群がる。
 僕が戸惑いを隠せずにいると、中央の女性がこちらを見て、クク、と喉を鳴らした。
 「驚かせてゴメンね。こいつら、君の記憶が残っているかどうかを賭けていたんだ。バカみたいでしょう?」
 女性の言葉に、前歯の欠けた男が大袈裟なジェスチャーで腕を広げる。
 「そりゃないぜリーダー。俺たちゃ日常の些細な出来事を、ちょっとでもエンジョイしようとしているんだぜ?」
 「その通り。賭博は閉鎖的な環境においてその精神をよりよく保つ一つの方法……なのかもしれないな」
 僕の隣にいたドクターが微笑む。そしてテントの中央に腕を伸ばし、坊主頭が広げていたミート・キューブを一つ摘み上げた。
「これで私は勝ち越し。今日も心は健康だ」
 苦い顔をした坊主頭の男が「よく言うよ、このヤブ医者め」と言うと、テントの中に笑い声が上がった。
 人類に残された最後の拠点とは思えないような、朗らかな空気だった。
 釣られて僕も笑っていると、目の前に手が差し出される。
 リーダーと呼ばれる女性だった。
「改めて歓迎します。私はオリンピア。|雲の町《クラウドシティ》の管理責任者です。便宜上、あなたをジョンと呼びます。よろしいですか?」
 僕は少し躊躇したが、彼女の手を握った。
「もちろんです。よろしくお願いします」
 すると、陽気な男達がまた歓声を上げた。
「仲良くしようぜ、ジョン!」
「俺たちも初めはみんなジョンだったのさ。名前はあとから決めていけばいい。しっくりくるやつをな」
「さぁ、こっちに座れよ! クソまずいオーガニック・ティーをご馳走してやる!」
 みんなに導かれ、僕はキャンピング・チェアに腰を下ろした。差し出されたチタンカップに並々と満たされていた液体は、確かにクソまずかったけど温かかった。
 そうして僕の、|雲の町《クラウドシティ》での生活は始まった。