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死に酒

ー/ー



 シンゴ兄ちゃんが危篤と聞いてビックリした。
「先に行って。私は用意があるから」
 と母が言った。
 取るものも取りあえず、ぼくたちは父の田舎に向かった。
 実家は遠い――シンゴ兄ちゃんに会えるのは、夏休みか正月に限られていた。いや、一度、兄ちゃんがうちに泊まったこともあるか。
 シンゴ兄ちゃんは父の兄の息子だ。ぼくのいとこに当たる。
「にいちゃん、どうしたの」
 父の顔色は暗かった。
「脳梗塞らしい」
「だって就職したばかりだよ」
「若くても動脈が裂けちゃなあ」
 シンゴ兄ちゃんは総合病院のベッドの上で、白い顔を天井に向けていた。
「管だらけだね」
「ああ」
 と、ベッド脇の椅子に腰かけていた伯父がうめいた。
「延命措置はしないつもりだった。おまえたちが来るのを待ってたんだ」
 もう意識が戻ることはない、ということか。お兄ちゃんに直接お別れを告げることはできなかった。
 翌日、管が抜かれ、医者が臨終を宣言した。
 お母さんが三人分の喪服を取り出した。
「これからだったのに」
「いい奴から先に死んで行く」
 よく聞くセリフが耳の外を流れていく。大広間に親戚が集合していた。
 みんな顔を真っ赤にしている。
 大酒呑みの家系なのに、シンゴ兄ちゃんはまったくお酒が飲めなかった。この広間の連中にはずいぶんイヤな思いをさせられたはずだ。ぼくもお酒は苦手だから気持ちがわかる。
「死に酒だ」
 と叔父の一人が叫んだ。
「死に酒だ」
「死に酒だ」
 若い衆が唱和した。
「よし。酒を用意しろ」
 長老も同意した。
 この地方には死に酒という風習がある。死者が三途の川を渡るとき怖じ気づかないよう、酒で唇を湿らせるのだ。
「これって、死者の魂を酔っ払わせるってことでしょ? 兄ちゃん、下戸だよ」
 とぼくは言った。
「なーに死んでるんだ。構うもんか」
 と叔父が怒鳴った。
 いい加減なやつだ。
 みんなはばしゃばしゃと兄ちゃんの唇に日本酒をかける。
 兄ちゃんごめんねと内心で謝りながらぼくもちろっと唇に酒をこぼした。
 死んでいる兄ちゃんの唇が赤く腫れ上がる。
 ぐわっと瞼が開いた。
「うわっ」
 ぼくはのけぞった。
「なんてことだ」
 聞いたことないような声で兄ちゃんが怒鳴った。
「生き返った!」
 長老が腰を抜かした。
「三途の川の渡し場にいたら急に体がフラついたんだ。跪いてゲーゲー吐いていたら、鬼に追いかえされちまった」
「バンザイバンザイ」
 とみんなが叫ぶなか、兄ちゃんは跪いてゲーゲーと吐き続けた。




みんなのリアクション

 シンゴ兄ちゃんが危篤と聞いてビックリした。
「先に行って。私は用意があるから」
 と母が言った。
 取るものも取りあえず、ぼくたちは父の田舎に向かった。
 実家は遠い――シンゴ兄ちゃんに会えるのは、夏休みか正月に限られていた。いや、一度、兄ちゃんがうちに泊まったこともあるか。
 シンゴ兄ちゃんは父の兄の息子だ。ぼくのいとこに当たる。
「にいちゃん、どうしたの」
 父の顔色は暗かった。
「脳梗塞らしい」
「だって就職したばかりだよ」
「若くても動脈が裂けちゃなあ」
 シンゴ兄ちゃんは総合病院のベッドの上で、白い顔を天井に向けていた。
「管だらけだね」
「ああ」
 と、ベッド脇の椅子に腰かけていた伯父がうめいた。
「延命措置はしないつもりだった。おまえたちが来るのを待ってたんだ」
 もう意識が戻ることはない、ということか。お兄ちゃんに直接お別れを告げることはできなかった。
 翌日、管が抜かれ、医者が臨終を宣言した。
 お母さんが三人分の喪服を取り出した。
「これからだったのに」
「いい奴から先に死んで行く」
 よく聞くセリフが耳の外を流れていく。大広間に親戚が集合していた。
 みんな顔を真っ赤にしている。
 大酒呑みの家系なのに、シンゴ兄ちゃんはまったくお酒が飲めなかった。この広間の連中にはずいぶんイヤな思いをさせられたはずだ。ぼくもお酒は苦手だから気持ちがわかる。
「死に酒だ」
 と叔父の一人が叫んだ。
「死に酒だ」
「死に酒だ」
 若い衆が唱和した。
「よし。酒を用意しろ」
 長老も同意した。
 この地方には死に酒という風習がある。死者が三途の川を渡るとき怖じ気づかないよう、酒で唇を湿らせるのだ。
「これって、死者の魂を酔っ払わせるってことでしょ? 兄ちゃん、下戸だよ」
 とぼくは言った。
「なーに死んでるんだ。構うもんか」
 と叔父が怒鳴った。
 いい加減なやつだ。
 みんなはばしゃばしゃと兄ちゃんの唇に日本酒をかける。
 兄ちゃんごめんねと内心で謝りながらぼくもちろっと唇に酒をこぼした。
 死んでいる兄ちゃんの唇が赤く腫れ上がる。
 ぐわっと瞼が開いた。
「うわっ」
 ぼくはのけぞった。
「なんてことだ」
 聞いたことないような声で兄ちゃんが怒鳴った。
「生き返った!」
 長老が腰を抜かした。
「三途の川の渡し場にいたら急に体がフラついたんだ。跪いてゲーゲー吐いていたら、鬼に追いかえされちまった」
「バンザイバンザイ」
 とみんなが叫ぶなか、兄ちゃんは跪いてゲーゲーと吐き続けた。


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