―あれから、三週間が経った―
最後に風雅と会ってから、マリアの毎日は、少しずつ、しかし確実に変わっていった。
その変化は、ほんの些細なところから始まった。
まず、風雅からのLINEはこなくなった。
既読がついていないわけでも、ブロックされたわけでもない。ただ、やりとりが自然と止まってしまった。
そしてマリアも、自分からは何も送れなかった。
(私が、最初から嘘をついていたから……)
罪悪感が、胸に重くのしかかる。
正確には「嘘」ではない。けれど、「隠していた」のは、確かだ。
ブランのグッズを持っていたこと。
お見合いの前から、ブランのこと――風雅のことを、知っていたこと。
そして、お見合いの時に「それ」に気づいた時も「知らない」風の顔をして、隣に座って、笑ったこと。
その全部が、風雅を傷つけたのだと思うと、どうしても手が伸ばせなかった。
彼からのLINEは、あのまま既読すらつけられずに放置されている。彼からの「また会えますか?」という問いかけに、私は答えられずにいた。
そして、時間が経つほどに、マリアの中では新しい違和感が芽生え始めた。
それは、あんなに日常だったはずのもの――ブランの配信に、自然と足が向かなくなっていったこと。
通知が来ても開かない。
切り抜きが流れてきても、再生ボタンを押さない。
気づけば、SNSでブランを検索することも、タイムラインを追うこともなくなっていた。
心の中の“推し活”のスペースが、そっと沈んでいくように静かに消えていった。
(……風雅さん、今もブラン、やってるのかな)
それすらも、自分から調べようとは思えなかった。
配信を見てしまったら、きっと泣いてしまう。
ブランの声に、風雅の姿を思い出してしまう。
あの柔らかい眼差しと、優しい笑顔と、「また会えますか?」と聞いたときの、少し照れた声。
――すべてが、「ブラン」としてではなく、「阿部風雅」という一人の人間として、自分の胸に残っていた。
ふとした瞬間に、彼の仕草を思い出す。
飲み物を飲むときの、グラスの持ち方。
笑った時に、目尻にだけ少し入るシワ。
言葉に詰まったとき、少し首をかしげる癖。
それらのひとつひとつが、どうしようもなく心を締めつけた。
気づいてしまったのだ。
――私は、風雅さんのことを好きになってた。
最初は、たしかにブランだった。
けれど、画面の中ではなく、目の前にいた人として――あの穏やかな距離感の中で、触れた言葉や仕草や沈黙のやさしさに、いつのまにか、心が引き寄せられていた。
そのことに気づいてしまったマリアは、さらに深く落ち込んだ。
なぜ、あの時、ちゃんと言えなかったんだろう。
「ブランを好きだったけど、今は“風雅さん”が好きです」って。
ただ、それだけだったはずなのに。
自分の中でも答えが定まらず、風雅の目を見られなかった。あの時、伝えられていたら――
後悔ばかりが、胸を締めつけた。
そして、ある日の夜。
部屋で静かにカモミールティーを啜っていると、スマホの通知が一つ鳴った。
通知欄を見た瞬間、マリアの心臓が、跳ね上がる。
《阿部風雅:こんばんは。突然すみません。……もしよかったら、またお会いできませんか?》
目を疑った。けれど、何度見返しても、そこにあるのは確かに、風雅の名前。
最終ログは三週間前。
けれど、いま、こうして――再び、マリアに連絡をくれた。
マリアの指が、震える。
返事を返したい。でも、何て返せばいいのか分からなかった。
こんな自分が、また会ってもいいのだろうか。
また彼を、傷つけてしまわないか。
けれど、画面を見つめるうちに、もう一つの思いがこみ上げてくる。
――このチャンスを逃したら、もう一生、風雅には会えないかもしれない。
その恐怖の方が、よほど強かった。
マリアは、そっとスマホの画面に指を滑らせ、文字を打ち込む。
《こんばんは。……はい、私も会いたいです》
それだけの言葉。けれど、それだけで、全身が熱くなる。
何もかも、元通りには戻らないかもしれない。
けれど、今度こそ、ちゃんと伝えたい。
――あなたのことを、私は、ちゃんと「あなた」として好きになったと。
画面を閉じたマリアは、窓を開ける。
初夏の風が、静かに部屋を吹き抜けていった。