第3話 秘密の優越感

ー/ー




「ただいま……」
 玄関を閉める音が、静かな部屋に響いた。

 ネックレスを外し、ピアスを外し、化粧を落とすために洗面台へ向かいながら、マリアは自然と頬が緩んでいる自分に気づいていた。

(ふぅ……緊張した)
 けれど、それは嫌な疲労感ではなく、ふわふわと心が浮き立つような――浮かれた疲れ。

 予想以上に“楽しかった”。

(まさか……まさか、本当に……)

(推し本人と、お見合いして、ご飯食べて、笑って、LINE交換して……)

 あの低くて心地良い声、くしゃっと笑うときの目尻の皺。照れたときにちょっと首をかしげる癖。

 すべてが、画面の中の「ブラン・パルティータ」と完全に重なっていた。

(あの声で、目の前で“またご飯行きましょう”って言われたの、やばすぎるでしょ……)

 湧き上がる実感と興奮を押し込めながら、リビングのソファへと倒れ込む。

(ちょっとだけ、いつもの日常に戻るか……)
 そう言い聞かせるように、いつものようにYouTubeアプリを開いた――

 そして、見慣れたあのアイコンが、赤いライブ表示になっているのを目にして目を疑った。

「……えっ!?」

 画面に表示された通知が、否応なく現実をつきつける。

【ライブ配信中】ブラン・パルティータ:「今日もゆる雑談しようかな~🍷」

(え、ちょっと待って!?)

(今!? 今やってるの!?)
 慌ててタップした。

 ロードが終わると、すぐに聞こえてきたのは、あの声。

『みなさん、こんばんは~。ブラン・パルティータです。今日はね、ちょっとだけ外に出てまして……え? 珍しいって? ふふ、たまには、ね』

 その瞬間、ゾワッと鳥肌が立った。

(この声……この人……)

(この人と、私、今日いっしょにご飯食べてたんだよね……?)
 改めて意識すると、現実感がぐにゃりと歪む。

(さっき目の前にいて、コーヒー飲んで、笑って、LINE交換して……その人が、今ここで“ブラン”として、他のファンに話しかけてるの……?)

 画面の向こうにいるはずの“推し”が、さっきまで手が届く場所にいたという事実。

 それが、じわじわと体に染み込んできて――

(あの声で“こんばんは”って言ってくれてるけど……その声、今日は私だけのものだったんだよ)

(推しと……二人で……一緒に……)
 思わず、笑いがこみ上げる。

 両手で顔を覆って、ふわっと吐息を漏らした。
(……優越感……やば……)

 配信では、いつものようにブランがゆるいテンションで雑談を続けていた。

『あ、そうそう。今日は珍しく手芸の話を聞いたんですよ。自分じゃ全然できないんですけど、なんか刺繍とか、細かい作業できる人って本当に尊敬しますね。』

(あっ、これ……私のこと!?)

 あの時話した内容が、今“ファン向けの雑談”として消化されている。

(うわ……間接的に私ネタにされてる……)

 コメント欄がにぎやかに流れていく。
「手芸できる人すごい~」
「ブランが家庭的女子に弱いの、なんか意外w」
「今日のブラン、ちょっと浮かれてる?」

(うん。浮かれてるよ。だって、今日、私といたからね)
 誰も知らない、たったひとりの秘密。

 この甘くてくすぐったい優越感は、マリアだけの特権だった。

 ふと、スマホのホームボタンに触れ、LINEの通知画面へと切り替える。
 そこには、数時間前――|風雅(ふうが)《ふうが》さんから届いていたメッセージ。

 > 【阿部|風雅(ふうが)《ふうが》】
今日はありがとうございました。次の予定、空いてる日があれば教えてください。また話せたら嬉しいです。

(……あぁ、まだ返事してなかった)

 嬉しすぎて、どう返そうか考えすぎて、タイミングを逃してしまっていた。
 あの声で言われた「また行きましょう」が、文面になっていても胸に刺さる。

(よし……今送ろう)

 スマホを手に、少しだけ深呼吸をして、指先で慎重に文字を打つ。

 > 【戸塚マリア】
 次の日曜日、もしご都合よければ朝からお会いできたりしますか?
 難しければ午後でも大丈夫です!

 送信を押して、ほんの数秒。

 ――LINE通知音がすぐに鳴る。
「……えっ!?」

 > 【阿部|風雅(ふうが)《ふうが》】
 日曜日、朝から大丈夫ですよ!
 せっかくなので、ゆっくり過ごせたら嬉しいです。
 行きたい場所とか、食べたいものありますか?

(え!? 配信中なのに……今、返ってきた!?)
 マリアは思わず画面を見比べた。

 一方ではLINEの返信、もう一方では配信中の“ブラン・パルティータ”。
 配信に戻ると、ちょうどブランが少しだけ沈黙していた場面。

『……あ、すみません。ただいまです。では続きいきましょう~』

(……え。マジで今、LINE返した直後じゃないのこれ……!?)
 心臓がバクバクと騒ぎ出す。

(私のLINEに返して、すぐ“ただいま”って……無理……尊い……)
 スマホをぎゅっと胸に抱きしめた。

 耳元では、相変わらず癒しの声が続いている。

『うん、今日はいい日でした。たまには外もいいもんですね~』

 その言葉が、まるでマリアだけに向けられているように聞こえた。



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「ただいま……」
 玄関を閉める音が、静かな部屋に響いた。
 ネックレスを外し、ピアスを外し、化粧を落とすために洗面台へ向かいながら、マリアは自然と頬が緩んでいる自分に気づいていた。
(ふぅ……緊張した)
 けれど、それは嫌な疲労感ではなく、ふわふわと心が浮き立つような――浮かれた疲れ。
 予想以上に“楽しかった”。
(まさか……まさか、本当に……)
(推し本人と、お見合いして、ご飯食べて、笑って、LINE交換して……)
 あの低くて心地良い声、くしゃっと笑うときの目尻の皺。照れたときにちょっと首をかしげる癖。
 すべてが、画面の中の「ブラン・パルティータ」と完全に重なっていた。
(あの声で、目の前で“またご飯行きましょう”って言われたの、やばすぎるでしょ……)
 湧き上がる実感と興奮を押し込めながら、リビングのソファへと倒れ込む。
(ちょっとだけ、いつもの日常に戻るか……)
 そう言い聞かせるように、いつものようにYouTubeアプリを開いた――
 そして、見慣れたあのアイコンが、赤いライブ表示になっているのを目にして目を疑った。
「……えっ!?」
 画面に表示された通知が、否応なく現実をつきつける。
【ライブ配信中】ブラン・パルティータ:「今日もゆる雑談しようかな~🍷」
(え、ちょっと待って!?)
(今!? 今やってるの!?)
 慌ててタップした。
 ロードが終わると、すぐに聞こえてきたのは、あの声。
『みなさん、こんばんは~。ブラン・パルティータです。今日はね、ちょっとだけ外に出てまして……え? 珍しいって? ふふ、たまには、ね』
 その瞬間、ゾワッと鳥肌が立った。
(この声……この人……)
(この人と、私、今日いっしょにご飯食べてたんだよね……?)
 改めて意識すると、現実感がぐにゃりと歪む。
(さっき目の前にいて、コーヒー飲んで、笑って、LINE交換して……その人が、今ここで“ブラン”として、他のファンに話しかけてるの……?)
 画面の向こうにいるはずの“推し”が、さっきまで手が届く場所にいたという事実。
 それが、じわじわと体に染み込んできて――
(あの声で“こんばんは”って言ってくれてるけど……その声、今日は私だけのものだったんだよ)
(推しと……二人で……一緒に……)
 思わず、笑いがこみ上げる。
 両手で顔を覆って、ふわっと吐息を漏らした。
(……優越感……やば……)
 配信では、いつものようにブランがゆるいテンションで雑談を続けていた。
『あ、そうそう。今日は珍しく手芸の話を聞いたんですよ。自分じゃ全然できないんですけど、なんか刺繍とか、細かい作業できる人って本当に尊敬しますね。』
(あっ、これ……私のこと!?)
 あの時話した内容が、今“ファン向けの雑談”として消化されている。
(うわ……間接的に私ネタにされてる……)
 コメント欄がにぎやかに流れていく。
「手芸できる人すごい~」
「ブランが家庭的女子に弱いの、なんか意外w」
「今日のブラン、ちょっと浮かれてる?」
(うん。浮かれてるよ。だって、今日、私といたからね)
 誰も知らない、たったひとりの秘密。
 この甘くてくすぐったい優越感は、マリアだけの特権だった。
 ふと、スマホのホームボタンに触れ、LINEの通知画面へと切り替える。
 そこには、数時間前――||風雅《ふうが》《ふうが》さんから届いていたメッセージ。
 > 【阿部||風雅《ふうが》《ふうが》】
今日はありがとうございました。次の予定、空いてる日があれば教えてください。また話せたら嬉しいです。
(……あぁ、まだ返事してなかった)
 嬉しすぎて、どう返そうか考えすぎて、タイミングを逃してしまっていた。
 あの声で言われた「また行きましょう」が、文面になっていても胸に刺さる。
(よし……今送ろう)
 スマホを手に、少しだけ深呼吸をして、指先で慎重に文字を打つ。
 > 【戸塚マリア】
 次の日曜日、もしご都合よければ朝からお会いできたりしますか?
 難しければ午後でも大丈夫です!
 送信を押して、ほんの数秒。
 ――LINE通知音がすぐに鳴る。
「……えっ!?」
 > 【阿部||風雅《ふうが》《ふうが》】
 日曜日、朝から大丈夫ですよ!
 せっかくなので、ゆっくり過ごせたら嬉しいです。
 行きたい場所とか、食べたいものありますか?
(え!? 配信中なのに……今、返ってきた!?)
 マリアは思わず画面を見比べた。
 一方ではLINEの返信、もう一方では配信中の“ブラン・パルティータ”。
 配信に戻ると、ちょうどブランが少しだけ沈黙していた場面。
『……あ、すみません。ただいまです。では続きいきましょう~』
(……え。マジで今、LINE返した直後じゃないのこれ……!?)
 心臓がバクバクと騒ぎ出す。
(私のLINEに返して、すぐ“ただいま”って……無理……尊い……)
 スマホをぎゅっと胸に抱きしめた。
 耳元では、相変わらず癒しの声が続いている。
『うん、今日はいい日でした。たまには外もいいもんですね~』
 その言葉が、まるでマリアだけに向けられているように聞こえた。